帰還


空港に着いた途端に、鼻の奥をくすぐるような懐かしい醤油っぽい匂いが漂ってくる。
おおよその荷物は現地から郵送にしたため手荷物はスーツケース1つだけだった。キャスターにガタがきてしまっているため時々突っかかるものの、気にせずタクシー乗り場に向かった。
先頭に駐車していたタクシーに近付くとすぐに運転手が降りてきてスーツケースをトランクに詰めてくれる。破損しないよう慎重に扱ってくれるのがなんとも日本人っぽくて感動した。
あれは南米だったかな、タクシーの運転手に荷物を雑に扱われて仕事道具がダメになってしまったことがあった。修理できたからよかったけども。

「お客さん、どちらまで?」
「界境防衛機関ってわかります?三門市にある建物なんですけど」
「界境……ああ、ボーダーのことですね。警戒区域外までしか行けませんが大丈夫ですか?」
「はい、お願いします」

母国語を話すのが久々すぎて少し不安だったがどうやら素直に伝わったらしい。
長旅の疲れが残っていたのか寝てしまっている間にタクシーは順調に三門市へと向かい、気付けば遠くに巨大な建物が見えていた。
料金メーターが示した値段を財布から出そうとしてヤバい……と思わず口に出してしまった。

「どうかしましたか?」
「換金するの忘れてて……すんません、知り合い呼ぶので待っててもらっていいです?」
「ええ、構いませんよ」

財布に入っていたのは大量のドル紙幣。日本ではただの紙クズ同然だ。
すぐ駆けつけてくれそうな人といえば……まぁ、アイツかな。

「もしもし、忍田ぁ?」
「その声……瑛か?おまえから連絡がくるのは久しぶりだな、どうした?」
「俺いま日本に帰ってきてるんだけどよぉ、日本紙幣持ってなくてタクシーの料金払えねぇんだわ。あとでちゃんと払うから立て替えてくれねぇか?」
「……!帰国してたのか!?」
「おー。んでなるべく早めに3000円くらい持ってきてほしいんだけど」
「ああ、もう、いや、言いたいことは多々あるが……とにかくすぐに向かい……たいところだが…」
「忙しい?無理なら他の人に頼むけど」
「いや、ちょうど暇そうにしている奴がいるからそいつに向かわせる。今どこにいるんだ?」
「えーと、みかどクリーニングって店とリストランテ三門?っていうファミレスが見える」
「東方面だな。了解した。……本部に着いたらちゃんと説明しろよ」
「椎本りょうかーい」

相変わらず真面目そうな声だ。サプライズ帰国には驚いていたようだが、タクシー料金払えなんとかなるみたいだ。助かる。
ていうか誰を向かわせるか何も言ってなかったな。知り合いじゃなかったらわかんねぇじゃん。
そのままタクシーに戻って運転手と雑談していると、1人の男子、いや男性……?まぁ20代前半くらいの青年がキョロキョロしながら歩いてくるのが見えた。アレっぽいな。

「おーい、忍田に頼まれた子って君?」
「うん。あんたは椎本さんで合ってる?あ、これお金」
「おー。わざわざありがとな。ちょい待っててくれ」

渡された封筒には福沢諭吉が1枚入っていた。
そのまま運転手にそれを渡してお釣りを受け取り、幾分か増えた紙幣と小銭を封筒に戻した。
トランクから取り出したスーツケースを受け取って礼を言うと、運転手は朗らかに「お気をつけて」と言った。うん、いい人だったな。

「悪りーな、待たせた」
「別にいいよ」
「俺は椎本瑛。おまえは?」
「俺は太刀川慶。忍田さんの弟子」
「へぇ、アイツ弟子なんてとってたのか」

本部まで行く道中、太刀川はやたらと俺が何者なのか尋ねてきた。
忍田があんな風に誰かと親しく話すのは珍しいそうだ。たしかにアイツ友だち少ないもんな。
それと、太刀川曰く「椎本さんはなんか強そうな匂いがする」と。まぁ5年前は戦闘員として活動していたこともあったが、今はもうすっかり身体が鈍ってしまっているだろう。
本部に着いたら俺と勝負しよう、と目をキラキラさせる太刀川に適当に返事しながら歩いていると、気付けば界境防衛機関の本部に到着していた。

「でっかくなったなぁ……」
「昔は小さかったの?」
「そりゃあな。普通の家みたいなサイズだったぜ」
「椎本さんっていつからボーダーに……」
「瑛!!」

正面の入り口から入ってすぐに声をかけられる。さっきも聞いた真面目な声。慌ただしく走ってくる忍田だった。

「おう忍田、仕事は?」
「たった今終わらせてきた。さぁ、行くぞ」
「ええ、俺と勝負は?」
「後にしなさい」
「だってよ、またあとでな」
「ええ〜……」

俺の腕を掴んでずんずん歩く忍田に半ば引きずられながら、不満そうにこちらを見る太刀川くんに手を振る。連絡先とか交換してないけどここにいたらまた会えるだろ。忍田の弟子だし。
それにしても広い。広いしシンプル。もうちょっと面白い内装にすればいいのに。東南アジアに行ったときはどの建物も内装が凝っていて楽しかった。ああ、そういえばあとでカメラで撮った写真を現像しなければ。
ぼんやりと周囲を見渡していたら、どうやら目的地に到着したらしい。司令室、と書かれたプレートはこの機関の最高司令部の長がいることを示している。

界境防衛機関の最高司令こと、城戸正宗さん。5年ぶりに会うその人の古傷は少しでも癒えたのだろうか。