27


「ダンデくん!ナナシが…」

ジムチャレンジ参加中の彼女が怪我で運び込まれた。
ダンデはリザードンに乗りラテラルタウンを目指す。
浮かび上がる嫌な想像を何度振り払っても、胸騒ぎは止まらない。

「失礼する!ここに、トレーナーが運び込まれたはずだが」
「ダンデさん!?…少々お待ちください」

チャンピオンの来訪に驚きつつも、スタッフは手短に対応する。
なぜすぐに病室へと案内してくれないのか。またもや瞳を閉じたままの姿が頭をよぎった。

「そういえば、彼女はあなたの推薦でしたな」

すぐにやって来た老齢の医者の穏やかな口調に、僅かばかり安堵する。
この様子なら最悪の事態とやらは避けられたのだろう。

「大丈夫です。額を切っていたので出血はありましたが、心配することはありません」
「そうですか…ありがとうございます」
「ダンデさん。彼女の保護者はあなただと伺っておりますが」
「ええ。…それがなにか?」
「お耳に入れたいことが。お時間いただけますかな?」



院長室というわりに小さなそこへ通されたダンデは、すぐにでも立ち上がりたかった。
無事だというのなら何を、なぜ、話す必要があるのだろう。
彼の心中を見透かしたドクターは、改めて大丈夫だと優しい声で諭す。

「大丈夫だと言うのなら、お話はいったい何です」

些か八つ当たりじみていたかもしれない。
それでも物腰の柔らかさをそのままに、正面の老人は再び口を開いた。

「彼女は、ずいぶんと軽いですな」
「…は?」
「体重が」
「はあ」

こちらは身構えていたというのに、思わぬ内容に呆けてしまう。
だがその様子を気にせず、淡々と話は続けられる。

「みな口を揃えて言うのです。軽いと」
「まあ、ナナシは小柄ですから」
「そうですな。しかしみな言うのですよ。『軽すぎる』と」
「…失礼だが、いったい」
「気になって、体重を量ってみたのです」

カチャリ。静かにカップの置かれる音がする。
なぜ身体の重い軽いを語られるのか、まったくもって意味不明だ。

確かにナナシは軽い。初めて抱き上げた時、ダンデ自身も驚いた。
しかし、この年頃の女の子はこういうものなのだろうと納得もした。
目の前の人物が話している内容も、ただそれだけのはずなのに。

「出ないんですな」
「出ない?」
「何度量っても、エラーで数値が出ないのです」
「はあ」
「どの体重計を使っても、エラーが出てしまう」

いよいよおかしなことだと、首を捻った結果、計量器に乗せてみたと言う。
粉薬の一匙から設備機器まで量ることのできる、院内でも最も高性能な装置。

「そこでね、やっと数値が出たのですが」




「心配してくれてありがと。でもユウリがしんどくなることないんだよ」
「…ありがとう、ナナシちゃん…」
「うんうん、こちらこそ」

そうやって。何でもなく平然と迎え入れるのだ。
扉の前でダンデはピタリと足を止める。目覚めたらしい彼女の声。

「やさしい…すき…」
「うんうん、あたしも好きだよ」
「大きくなったら結婚しようね…」
「う…んっと、大きくなってから考えようね…」
「そういうところも…すき…」

他愛もない、友人同士の微笑ましい会話。
多くの人間はそう思うだろう。そう。多くは。

「ダンデくんにも連絡してるし、そのうち来ると思うよ」
「え゛っ」

明らかな焦りと困惑を滲ませる声に安堵したのはなぜか。
そうだ、こんなはずはない。明確に感情を体現する彼女が‘“そうである”はずがない。
先程の、そう、あんな机上の話なんかが―――



「21.3グラム?」
「ええ」
「…何かの間違いでは?」
「我々もそう思いました。しかし、何度量ってみてもやはり同じなのです」
「そんなの、おかしいでしょう」

語気を強めるダンデに、医師もまた頷く。

「そうです。おかしいのです。赤子よりも…なんならポケモンより軽いなんてことは、ありえません」
「……」
「確かに軽い。しかしあくまであの年頃にしては、という程度です。片手でひょいと持てるわけではない」
「ではなぜ」
「そこが我々にもわからないのです。機器の方に問題はなかった」
「……」

知らず知らずのうちに、きつく結んでいた両手に汗が滲む。
自分の感じた胸騒ぎは、これを予感していたのだろうか。

「本人は至って健康そのものです。まあここの設備ですから精密な検査まではしておりませんが」
「……」
「ただ、一応…保護者であるあなたには、お伝えしようかと」
「…そうですか。わかりました」

この場で処理するのには、無理がある事実。
いったんは自分の中だけで留めておけばいい。
ダンデは今度こそ立ち上がった。今すぐナナシに会いたい。

「もしも、本当に21.3グラムしかないとしたら」

背を向け扉に手を伸ばす際に聞こえたのは。
きっと、医療者としての独り言。


「彼女はいったい、自分の重さをどこに置いてきてしまったんでしょうな」



「じゃあ、わたしたちは帰るよ」
「明日もお見舞いに来るね!」
「あ、ありがとー…」

何かを察したらしいソニアは、ユウリを連れそそくさと病室を出て行った。
当の本人はいかにも気まずそうに視線を彷徨わせている。

「……」
「……えっと、ダンデさん」
「顔色はいいな」
「え?あ、そうですか」
「出血したと委員長からも聞いていたが」

傍の椅子に腰かけがてら声をかける。
どんな異変も見逃すまいと集中したせいだろうか。
些か緊張した面持ちで、少女は口を開く。

「軽率な行動をとって、申し訳ありませんでした」

なるほど。
なんともこの、不自然に大人びた彼女らしい発言である。

「…無事で、よかった」

どうせなら、もっと単純であってほしいのに。
処理できぬ事実に上乗せされる感情。穏やかでない現況。
無意識に伸びた手が触れる肌は温かく、確かに血が巡っている、と。


「死んだらどうしようかと、思ったんだ」


21.3グラム。
その言葉の持つ独特な響きを、ダンデは知っていた。
いや、恐らく多くの人間が知っているだろう。
その言葉の持つ、特別な意味を。

数年前にとある地方で発表された、センセーショナルな論文。
それによると、人もポケモンも魂の重さはみな等しく、それが21.3グラムだという。
衝撃的な内容は、ここガラルでも話題を呼んだ。
当時ソニアが興奮したように語ったことを覚えている。
最もその大半を記憶していないのだが。

研究者でもない人間に、真偽の程や内容の価値はわからない。
だが魂という生きとし生ける者全てが持つそれに重さがあり、更に具体的な数値が判明した。
その事実こそが何よりも印象深く、結果として己の脳にも刻まれている。

『彼女は、いったい自分の重さをどこに置いてきてしまったんでしょうね』

明言こそしなかったものの、あの医者も真っ先に思い当たったはずだ。
ナナシには魂の重さしか存在していない、ということを。



「このくらいで死にませんよ」

呑気な声音で背中に腕を回すナナシ。
ダンデの知る限り、この少女は”儚い”というタイプではなかった。

「わからないだろう、そんなこと」

きちんと笑うし、きちんとしゃべる。チョロネコのように、他人をからかう。
元気溌剌というわけではないが、決して窓辺の花ではない。
それなのに―――時折、妙に現実感を失っていることがあった。

「わかりますよ」

例えば、初めて会った日のこと。
キッチンへ立ったまま、戻らない彼女を見に行った時。
ヌメラと話していても、歩き回っていても、”そこにいる”感じがしなかった。
まるで幾重にもベールが自分の前に張られているような。
思わず声をかけ大層驚かれたが、その時にもう違和感はなかった。

「へーきへーき」

他にもある。森で倒れた日のことだ。
その夜、ふらりと庭へ出るナナシの後を追った。
会話をしてさあ戻ろうと振り返った時、彼女は空を見上げていた。
ぼんやり眺めているその姿は、月の光に吸い込まれてしまいそうで。
焦ってその細い腕を掴んだ。ナナシは笑った。やっぱりもう違和感はなかった。

「だいじょーぶ、」

黒い不安がざわり、ざわり、と気忙しく這いまわる。
らしくもない感覚を持て余したダンデは、その華奢な身体を抱き締めた。

「だいじょーぶ」

己の背中を撫でる手のひらには温度がある。その温もりが滑る度、黒い不安はとけていく。

「……」

間違いなく彼女はこの腕の中にいる。たとえ魂だけだとしても。

「この手はなんだ」
「いや。いやいやいやいやいや!?『この手はなんだ』じゃなくて!」

口付けようとした自分に焦りを見せつつも防御するナナシ。
策士の彼女らしく、すんなりとは行かせてもらえないようだ。

「ここは病院だぞ。静かにしなきゃダメだろう」
「あ、すいませ…じゃなくて!」
「今更どうした、キスなんかさんざんしたじゃないか」
「してない!」
「した。いっぱいした。なんならセックスもした」

平然と返した途端の怯んだ様子に、意地悪い笑みがこぼれる。
証拠を見せて初めて現れる困惑の表情。久しぶりの警戒心。
―――ああ、そうだ。彼女はこうでなくちゃいけない。

「まだ白を切るのか。生憎こっちには証拠があるんだぜ」


儚い、なんて言葉は。そう、君に似合わない。


「俺は君を手に入れるぜ。…覚悟しておいてくれ」



魂だけだというのなら。
きちんとこの手に閉じ込めてやろう。
ふわりふわりと、何処かへ飛んで行ってしまわないように。

”ちょうちょさん”のようにひらりひらりと、何処かへ飛んで行ってしまわないように。




2025.10.05