彼が望む最愛 another


「いつから聞いていたんだ」
「おかしなことを言う。俺は今来たところじゃないか」

飄々と嘯くガイアにディルックは眉を顰めた。
周囲を警戒していたつもりではあるが、この男は常にそれを掻い潜る。

「『この世界でオマエだけがオレのもの』…ナナシはそんなことを言われたらしい」
「へえ?随分とお熱い台詞を言うやつがいたもんだ」
「そのことで悩んでいた。一体どういう意味なのかと」
「ハハッ。相変わらずナナシは真面目だな」

よくもまあこう抜け抜けとしていられるものだ。
意に介さぬ涼し気な顔に、ディルックの視線は更に鋭くする。

「この所、城内でナナシの姿を見かけなくなった」
「寮を出て暮らし始めたからな。忙しいんじゃないのか」
「それ自体がおかしい。なぜ急に一人暮らしなんて始めた?彼女は寮を気に入っていただろう」

アンバーのとなりだよ、と楽しそうに話していたナナシの姿を思い返す。
人によっては窮屈とぼやく寮住まいを彼女は存分に満喫していたのに。

「さあね。あいつも年頃だから、何か思う所があったんじゃないか」
「―――これは僕の想像だが」

彼は早々に考えを告げることにした。
真実とそう変わらないであろう、己の考えを。

「ナナシが大人になりたいと言った時、誰かがこう答えた。『それには自立、それには寮を出るべきだ』と」

恋人の隣に相応しい女性となりたい。
幼い少女らしい悩みを知る誰かが教えてやる。一人暮らしが近道だと。
しかし普段から頼りない彼女にはあまりにも非現実的なアドバイスである。
だから、こう続けるのだ。

「『自分の所に来ればいい。同じ建物の違う部屋を借りれば、何かあった時にも安心だ』」

当然、それに従ったナナシはその誰かの部屋に居付くようになる。
寂しがり屋の彼女がずっと一人でいられるわけないのだ。
結果的に自立の道から離れているとしても、ナナシは気付かない。否、気付かせてもらえない。

「同棲にまで持ち込んでなお、より彼女を独占したい。人目から遠ざけておきたい」

図書館司書アシスタントである彼女の生活において、外部との接触は元々最低限のものだ。
それでも更に減らすとなった場合、何をすればよいか。

「『おかえりなさい、って迎えてもらうのは最高だな』」

ナナシは疑うことを知らない。裏側に潜む意味を拾えない。
ただ言葉通りに受け取り、ただ純粋に実行する。

「『手料理が食べられて嬉しい』なんて添えれば完璧か?家で暇を持て余すこともない」

料理の腕を磨こうと不器用な彼女は奮闘するだろう。
喜んでもらいたいその一心で、食事を備え『おかえりなさい』と迎えるために、大人しく帰りを待つだろう。

「そうすれば外出の機会も更に減る」

何の労力も要らない。

「―――悟られず彼女を囲うのは、極めて簡単なことだな」

言葉をちょいと操れば、ただそれだけで。



「いやあ驚いた。旦那はペンでも食って行けるんじゃないのか」

一頻り講談を聞いたガイアは、愉快そうに手を叩いた。
姿勢を崩しフランクな雰囲気を醸し出す。

「言っておくが、俺はナナシとの関係を隠しているわけじゃない。あいつが望んでいるんだ、『立派なレディになるまでは』ってな」
「ナナシが秘密にしたいから?騎兵隊長自ら未成年との交際を公言できるなんて、流石西風騎士団は寛大だな」
「普通ならあり得ないさ。普通なら、な」

腕を組みディルックを見据えるガイアの瞳はどこまでも冷えている。
不敵な笑みを浮かべたまま、彼は口を開く。

「俺とナナシは違う」

かつて、死にかけていた少女をガイアが保護した。
日常生活を送れるよう、モンドに溶け込めるよう、傍で支え続けた。

「俺たちがどれ程想い合っているか―――城内でそれを知らないやつはいないぜ」

男の影に隠れていた少女は、いつしか彼に愛情を向けるようになった。
男もまた、少女のひたむきな愛情に応えるようになった。
年齢という線引きがあるため表立って口にしないものの、多くは陰で純愛だと褒めそやしている。

「果たしてそれは本当に彼女の気持ちなのか、僕には疑問だ」

恩人への感謝を、異性への好意だと錯覚することは珍しくない。
精神的に不安定な女の子ならば尚更のこと。
本来ならそれを正してやるのが大人の役目なのだが―――


「意図的にすり替えられたんじゃないのか」


もしも感情を操作されていたとしたら。


「ナナシは“そう在る”よう強いられているだけだ」


お好みで染め上げるにはもってこいの、何も持たない、真っ白な少女は。


「生憎だが、俺はあいつに何かを強要したことなんか一度もない。入団したいと言ったのも、秘密にしたいと言ったのも、自立したいと言ったのも全部あいつで、それをサポートしているだけだ」

つらつらと並べ立てる彼の瞳は、在りし日の彼女だけを捕らえていた。

「俺は、いつだってナナシの意思を尊重している」

無意識に誘導された結果だとしてもか。
喉までせり上がる言葉を留め、ディルックは踵を返す。

「―――僕なら彼女を自由にしてやれる。それだけは伝えておこう」

エンジェルズシェアへ向かうオーナーをガイアは目だけで追う。
ナナシが懐いているから宣戦布告めいたことをやったのだろうが、

「自由?よく言うぜ」

空を仰ぎ、手早く今夜の算段を立てる。
ナナシはディルックの言葉でとても不安になっていることだろう。
綻びにならぬよう手を打たねば。



「ワイナリーで放し飼いするだけだろ」