それは魔法と彼女は言った


「なあに」
「いや…その…」
「用事というか…」

居てもたってもいられず、モンドへやって来た旅人コンビ。
しかしいざ本人を目の前にすると、どうすればよいかわかりかね、言葉を濁した。

「ナナシ、仙狸のこと知ってる?」
「せんり?知らない」

肝心の名前は伏せたまま、掻い摘んで物語を話す。
彼女はそれが自分とどう結びつくのか理解できないようであった。

「どうして、ナナシ呼んだの」
「そ、それはだな……」
「…ねえ、璃月に住んでいた気がするとか、そういうことない?」
「???わかんない」

二人の質問の意図を察せず、だんだん不審な表情を作り始めるナナシ。
隣で成り行きを見守っていたガイアが口を挟んだ。

「お前さんたちは、その仙狸がナナシなんじゃないかって思っているのか?」
「あはは…まあ、そんなところかな…」
「……。違うもん。ナナシ、仙狸じゃないもん」

一気にぶわりと膨れる黒い尻尾。
しまった、と後悔するも聞かれた発言を取り消すことはできない。

「もしかして、って思っただけで」
「違うもん!ナナシはナナシ、ガイアがつけた名前!!」
「落ち着け。悪気はないんだ」
「〜〜〜仙狸なんかじゃ、ないもん!」
「ナナシ!?」

ナナシは半泣きで走り去ってしまった。
どうしよう、とこれまた半泣きになるパイモンに頭を抱える空。

「記憶の手がかりになると思ったんだ」
「わかっている。だがシンプルに聞くぞ?あいつが1000年以上も生きる仙獣に見えるか?」
「そ、それは…」

改めて考えてみると、絵画の仙狸は女性だったが、ナナシは少女の見目である。
内面もやや幼く、記憶喪失という事情を差し引いても悠久の時を生きて来たとは思えない。

「気遣いには感謝するが、この通り記憶に関する話を嫌がるんだ。悪いな」
「謝るのは俺たちの方だよ」
「ナナシ…大丈夫か…?」
「なあに、落ち着いたらあいつも理解するさ」



「うぅ〜〜〜…」

自宅の寝室、片隅で縮こまってナナシは泣いていた。
めそめそとしながら、旅人たちの話を何度も否定する。

「ちがうもん…」

誰しも過去がある。だから今がある。当然自分もそうであることを、彼女だって理解している。
けれど失った歴史は底知れぬ奈落となり、振り返ったら呑み込もうとしているように感じられた。
加えて彼女は、そのぽっかりと無くした記憶が、なにか“良くないもの”であった、と。

「仙狸じゃないもん…」

だから、ナナシは昔の話が恐ろしいし、嫌いだ。
ガイアから名前を与えられ、その日から“ナナシ”となった。
それだけあればいい。彼だってそう言っている。

「ナナシ」
「ふ、え…ガイアせんぱぃ……」

いつの間に帰宅したのか。
優しい笑みを浮かべ、ガイアは泣き虫の黒猫をひょいと拾い上げた。

「ぐず…ナナシ、ナナシだもん…」
「ああ。お前は俺のナナシだ」

そのまま寝台に腰掛け、背中を擦りあやしてやる。
疲れたナナシを緩やかな眠気が誘う。

「安心しろ」

彼女は知っていた。だから安心した。


「もう大丈夫だ」


それは、どんな時も心が落ち着く、魔法の言葉なのだ。