「月が綺麗ですね」
「月が綺麗ですね」
それは苦し紛れに出た時間稼ぎのような一言だった。
私は逆転の余地のないチェスの盤上から視線を外し、窓の外へと向ける。街に聳え立つどの摩天楼よりも、エイレーネーの所持するこのビルよりも高い位置で月は静かに輝いている。
夜に沈む全てを詳らかにしようとするその光は彼女の左右で色味の違う瞳を彷彿とさせた。
「それから?」
エイレーネーは私の無駄な悪あがきなど容易に看破しているにも関わらず、そう言葉を返してくる。
月からエイレーネーへと視線を動かす。彼女は先ほどと変わらぬ泰然とした様子で私を見つめていた。
私が口にするどの言葉も彼女を揺るがすには遠すぎる。back>
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