おうじのこばなし2本
本当に多い
1愛とは何かと問う
「僕のもっていないもの」
先生は、その薄めの唇で弧を描くと春風で揺れる菜の花みたいに綻んでみせてくれる。
「わたしもです」「だれもくれないから」
そうなんだね、と、先生はさらりと告げる。ふたつ掲げた白いマグのうちひとつを私の前に置いてから落ちる前髪を耳元に掛けると、再び正面に座った。湯気と一緒になって、花の香りが上がってくる。
「先生も持っていないなら、わたしにはくれないんですね」
ゆっくりと瞬いてから先生は微笑んだまま、…いや、さらに目を細めて微笑む。
「きみは、ぼくから欲しいのかい?」
何も答えずに、じっと見つめ返してみる。かち、こち、とほんの10回くらい、秒針が進む音が耳に届いた。
2どこかのだれかと
開け放たれた窓から、雨音が流れてくる。カウチに凭れて投げ出した脚を軽く組み直すと雑誌のページを捲る。小さな文字がほとんど隙間なく並び続ける中をするりするりと視線は読み解いていく。ペットボトルに手を伸ばすと中身がほぼ空であることに気がつき、ほんの舌を濡らす程度を傾けて飲み干した。開いたページをそのままに本を伏せる。新たな一本を取り出そうとキッチンに入った時に音が鳴った。
インターホンの液晶画面は、玄関前に人がいることを知らせている。見知ったその顔は雨の中を抜けてきたからか少し気怠そうに、忌々しそうに、濡れていた。どうして部屋まで呼ぼうか思案していたので、エントランスで足が止まらず来たのは嬉しい誤算だ。
インターホン越しには返答をせずに扉を開錠する。玄関側から機械音がして、かちゃんと乾いた音がする。カメラ越しの顔がふと上げられるので気づいたようであった。
迎えに出ない無言の誘導に素直に従った人の足音がする。はたと止まって声をかけられる。
「雨の中よく来たね、どこでも座って」
「炭酸水でいいかな、冷えてるものはそれしかなくてね」