母
おうじたくみ母
「いいえ、こちらへ息子は来ていません」
女性は、数日にわたって、何度目かの似たような回答を電話口で伝えると、話し相手は消沈した様子で、もしいらっしゃったらご連絡いただけますか、と施設名と電話番号と、通話開始の時とおなじように名前を名乗る。女性から承諾を受け取ったあと、電話を切った。
女性は受話器を置き、あらためて取った連絡先のメモを帳面に記しなおした。これで7件目になる。息子──次男の巧が勤務先の病院に本日無断欠勤で連絡がつかないから、と言った旨の連絡だった。あの息子が、実家を緊急連絡先に指定する気が一応あったことにまず驚いた。医師を続けていることだけは聞いていたが、それも息子、長男伝いであった。無断欠勤するように育てた覚えはなかったが、実際どのように育ったのか、彼女の把握している息子はおおよそ中学時代で止まっていて、それ以降、幾度となく顔を合わせることはあったが、何をかんがえて、なにをしているか、わからない男になっていた。心配もあったが、長男が孫をもうけたので、親としての役割を終え、好きに生きればよしと、放念してしばらくだった。
日々増えていた連絡がつかない旨の連絡が、いくつもの病院施設、学生時代の息子の友人などから、日を置いてもしばらくは続いていた。彼女は剣呑な気持ちになり、長男夫婦にたずねてみたが、なにも知らない、巧のことだし、あんまり気にするなよ、それより今度帰省するからよろしく、とさして気のない返答だけを受け取った。
そもそも、と考え直してみる。息子から届く数少ない連絡のうち、年始に届く年賀状を探ってみる。そうだ、息子の現住所すら聞かされていなかった。差出人の欄には王路巧と書かれているが住所は乗っていない。息子の字であるだろうが、見知らぬ訪問販売員がDMに一筆添えているような気もする。
彼女はふと、そんな息子いたのかも怪しげになるが、さすがにそこまで都合よく忘れることは出来なかった。ただ孫娘が来るということに次男の行方などは優先度を下げることに躊躇しない薄情になり、母は日常へ戻る。