天使はたおやかに微笑む



「あ、今日もいる」

 事務所に併設されているスタジオを使う際は前以て受付で手続きをする必要がある。最近売れて来たとはいえまだまだ練習が必要な私は時間が許される限りは事務所でボイトレやダンスレッスンを行っていた。
 手続きをする際に記録用紙に記名をするが決まって同じ場所を同じ人が使っている。九条天、と少し雑に書かれたその文字を見て私はいつも感心していた。先日TRIGGERというグループがうちの事務所からデビューしていて、そのセンターをつとめている子だ。まだまだ若い(といっても2歳差くらいだけど)のにすごい。そして練習をしている姿を直接ではないがいつも見ていて心を打たれていた。

「(ほんと、すごいなあ。私も頑張らなくちゃな)」

 手続きを終えた私は一度買い出しも兼ねて近くのコンビニへ寄った。水分摂取の為のスポーツドリンク数本と小腹が空いたときのおにぎり。あとはのど飴。最近は蜂蜜100%のものがお気に入りである。店員さんに申し訳ないのだけれど袋を二枚欲しいと伝えて買い出しを終えた私は再びスタジオの前に戻って来た。
 事務所のスタジオはいくつかのブースがある。個々で練習できるようになっており彼は一番奥の第三ブース。私は手前の第二ブースをよく利用していた。自分のブースに入る前に先ほど店員さんからもらった余分のビニール袋を取り出す。中に多めに買ったスポドリとのど飴を入れて第三ブースの扉のドアノブに引っ掛けておいた。いつも頑張っている後輩をみているとつい世話を焼きたくなってしまう。

「苗字さん」

 自分のブースに入ろうとした時隣のブースの扉が開いた。がた、とドアノブにかけていたビニールが揺れて出てきたのはジャージ姿の天くん。その目は私をしっかり捉えており、私に話しかけているようだった。

「…天くん。お疲れ様」
「お疲れ様です。いつも此処にかけて差し入れしてくださってたの、貴女ですか?」
「…えっと、」

 私の咄嗟の挨拶に丁寧に返した彼はドアノブにかけていたビニール袋を手に取って私の前まで歩いてくる。じい、と私を見るその瞳から目が離せなくてどきまぎしてしまう。

「ごめんね。余計なお世話かなって思ったんだけど…いつも頑張ってるから」
「いえ。むしろいつも有難うございます。おかげで余計な買い出しに行かないで集中して取り組めるので」

 デビュー時の記者会見や曲のMVを見て思っていたが笑うとひどく綺麗だ。顔立ちが元々いいのもあるけれどオーラがあるというか。確実に自分磨きができている、そういう雰囲気がある。きっとこうしたコツコツと積み上げている練習の成果なのだろう。彼のアイドルに対する情熱にやはり感動してしまう。

「最初はメンバーの誰かかスタッフなのかなと思っていたんですが、聞いてみたら違うことがわかって。手続き名簿に苗字さんの名前がある時に必ず差し入れがあるのでもしかして、と思って」
「あはは、バレてたのね」
「そっちも名簿でボクの名前を見かけたら用意してたんでしょ?」
「まあ、ね」
「普通に声かけて渡してくれたらいいのに」

 天くんが少しだけムッとした表情をする。こういう表情ってあんまりテレビでは見せてないからなんだか貴重な感じがする。「練習の邪魔したくなかったからね」と返せば天くんはきょとんとした顔を見せたあとに少し嬉しそうに頬を緩ませた。

「…気遣い、ありがとうございます」
「いいえ。どういたしまして。練習頑張ってね」
「あの、苗字さん」

 天くんが控えめに私の苗字を呼ぶ。首を傾げて彼の言葉の続きを待てばおずおずと彼は続けた。

「今日の練習はいつ頃終わりますか。後、その後の予定とかもお伺いしたいんですが」
「んと、夕方くらいまではやろうかなって思ってるよ。その後はオフかな」
「夕飯、一緒に食べれませんか?ボイトレ方法で伺いたいことがあるのと、その。差し入れのお礼させてほしくて」
「天くんが空いてるならいいよ。というかお礼なんていいって」
「ボクがしたいので。させてください」

 意思がだいぶ堅そうなので私はその言葉に頷くしかなかった。

「何か苦手なものとかあります?」
「苦いもの系…ピーマンとかかな」
「へえ、結構こどもっぽいもの苦手なんだ」
「う、うるさいよ」

 そんなやりとりをして天くんは楽しそうに笑う。いつもよりもあどけなく笑うその姿は年相応な感じがした。

「じゃあボク苗字さんの練習終わるまで練習しているので。終わり次第声かけてください」
「早めに切り上げて休んでてもいいんだよ」
「いえ、まだ足りないくらいなので。…これ、改めて有難うございます」

 天くんは軽く頭をさげてブースへ戻っていく。ふと思ってブースに入る前の天くんに声をかける。「名前のほうで呼んでもいいよ!」と今更だけど伝えれば彼は目を丸くしていたけれど、やがてふわりと笑った。

「じゃあ、また後ほど。…名前さん、」
「…うん」

 テレビで見るよりもずっと可愛く笑うんだな。そんなことを考えながら私も同じようにブースへと入る。向こうに気を遣わせたくなくて名乗らず差し入れをしていたからバレてしまったことはちょっと複雑な気持ちだが、それでも彼とこうして少し交流をとれたのと、あの笑みを見れたことを考えるとバレてよかったのかもしれない、なんて邪な気持ちが生まれてしまうのだった。



時々ちょこっと意地悪する感じの天がすきです