砕き損ねた矛盾



「ルシファーさま!」

 聞きたいことがあり我が友であるルシファーがいるはずの研究室へと足を向けた。研究室に到着して呼び掛けてみるものの返事がなかったので中で実験に没頭しているかもしれないと扉を開ける。すると中から何者かが駆け寄ってきて私に飛びつくように身体を跳ねさせた。か細い声が呼んだのは私の名ではなく友の名だった。

「…?ルシファーさま、じゃない?」
「あぁ。私だ、名前」
「! ルシフェルさま!?」

 飛びついてきたのはルシファーがこの研究室でいろいろな実験も兼ねて彼が直々に育てているという名前だった。何度か顔を合わせて話したことはあったがいつもルシファーがいる状態での対面だったのでこうして二人きりで話すのは初めてとなる。名前は目を丸くして慌てて手を離そうとする。着地を考えない行動に咄嗟に彼女の背に腕を回して受け止めた。ゆっくりと彼女をおろしてやると少し顔を赤くしてやってしまった、と眉を下げる。

「やっぱり似てるから間違えちゃう…。ごめんなさい」
「いや、気にしていない。キミもルシファーを待っているのか」
「はい。今は会議があるからいないけど終わったら構ってくれる、って言ってくれたので」

 構う、と言っても彼の場合ほとんどが実験を通して彼女と接触をしているだけなのだろうが彼女はそれでも満足のようだ。当人たちが上手くいっているというのなら部外者である私が口を出す必要はない。何より友がそれを必要というのならそうなのだろう。

「ルシフェルさまは今日はどうしたんですか?」
「彼に相談したいことがあって会議が終わる頃合いを見て来たのだが…まだ終わっていないようだな」
「はい。まだ帰ってきてないです…」
「そうか…なら仕方ない」
「そうだ!帰ってくるまで此処にいませんか?」

 彼女は私にもてなしをしたいと続けた。「こうちゃとこーひー!淹れるの覚えました!」と自慢げに話す名前。話を聞けばどうやらベリアルが彼女にでもやれることを教えたそうだ。おそらくルシファーに命じられて普段の身の回りの世話などは彼が担っているのだろう。彼女もまた少しずつ”進化”していると思うとなかなか興味深いものだ。

「…そうだな。そうさせて、」
「悪いが此奴には別にやらせることがある」

 彼女の提案を受け入れようとした時、背後から声がする。自分に似てはいるが自分よりも低いその声。聞き覚えのあるそれに私の前にいた名前はぱっと表情を明るくする。

「ルシファーさま!おかえりなさい!」
「頼んでいたことは終わっているのか」
「はい!今持ってきます!」

 飛びつこうとする彼女を制するとルシファーは指示を出して彼女を研究室の奥に引っ込ませてしまった。しようとしていたことを無理に止められたというのにぱたぱたと上機嫌な足取りで去っていく名前。その背中を見送った後に改めて振り返ってルシファーと向かい合う。自分と変わらない表情の彼もまた彼女が視界から消えたのを見て私に目を向けた。

「此処に来たということは例の件の話か」
「あぁ。此処で話しても?」
「…いや。場所を変える。まとめた資料を名前が持ってくるまで少し待て」
「わかった」

 簡潔に会話を終わらせて間ができる。しかしすぐに「あれが気に入っているのか」と珍しく沈黙を彼が破ってきた。

「それはキミが、ではないのか。友よ」
「…ふっ、俺が彼奴に抱いているのは研究対象としての興味だけだ」
「研究対象、」
「それ以上でも以下でもない。…情をかけすぎるなよ、ルシフェル」

 彼はそれだけ言うとそれ以上彼女の話題をしようとはしなかった。ちょうど彼女がたくさんの書類を抱えて戻って来る。

「ルシファーさま!持ってきました!」
「俺の部屋に持っていけ。終えたら此処に戻って待っていろ」
「はぁい」
「時間を持て余すようならこれでも読んでその欠けすぎている知識を少しでも詰めておくんだな」

 そういって机にいくつかの本を置く。彼女の反応を見ることなくルシファーは私室に行く前によるところがあるからついてこいと、と私に声をかけて先に部屋を出て行った。

「…あ!これ、読んでみたかった本だ!」

 書類を抱えながらちらりと机の上の本を確認する名前は嬉しそうに机に積まれた本のカバーを見て顔を輝かせた。「早く運んで読もー!」とルシファーに続いて部屋を後にする。
 彼がこれを用意したのは本当に新たな知識を与えるためなのかそれとも彼女の機嫌の気遣いを無意識にしたのか。その意図は解らないが我が友は進化、というよりも変化の時を迎えているのかもしれない。何気なく選ばれた本たちを見て少しだけ頬が緩んだ。



ルシ顔に挟まれたかっただけのお話