真夜中の内緒話



「お疲れ」
「っひゃ!?」
「今日は当直勤務か?」

 今日も特に事件が起こることなく平和に時間が過ぎていく。面倒な報告書作成や資料整理に一区切りがついて休憩がてら飲み物でも買おうと思い自販機とにらめっこしているとぴとり、と冷たいものが私の頬に当てられる。たまらず声をあげて後ろを振り向けば缶コーヒーを片手に持つ同期で配属された炯・ミハイル・イグナトフさんが立っていた。

「お、お疲れさまです。一係の当直はイグナトフ監視官ですか?」
「あぁ。…別に通常勤務中でもないし普通に呼んでいいだろう」
「…一応省内ですし」
「真面目だな、名前は」

 普段は炯と呼んでもらって構わない、と言われているので炯さんと呼ばせてもらっているがやはり仕事中なのでそこはしっかり線引きをしておくというのが自分なりのルールだ。いくら炯さんが許してもそこは妥協はできなかった。

 炯さんはフッと笑って私を前に立たせたまま腕を伸ばして端末を自販機の読込機に当てる。(ちょっと距離あるのに軽々と届いていた。腕が長くて羨ましい)そのまま上段のオレンジジュースのボタンを押すと「奢りだ」とそのまま飲み物を取ることなく近くのソファーに腰かけた。出来る男だ…。

「あ、ありがとうございます」
「灼の世話してもらってるしな。せめてもの礼だと思ってくれ」
「あの人のお世話は私の…なんだろう、趣味みたいなものですから」
「物好きな趣味すぎやしないか」

 炯さんは苦笑して缶のプルタブを引く。そのまま缶コーヒーをぐっと煽ってから一息つくと私に手招きした。自販機から奢ってもらったオレンジジュースを取り出してから私は少し離れたところに腰かける。ペットボトルの蓋を捻って一口喉に通す。…やっぱりオレンジジュースは美味しい。酸味が良い感じに目を覚まさせてくれる。たまたまだろうけど炯さんよく私の好みを当ててきたな。すごい。

「最近はどうなんだ。二係で上手くやってけてるのか」
「はい。先輩にいろいろ教えてもらいながらやってます。執行官の人たちとも少し打ち解けられたし」
「…お前もそういうところは灼と変わらないな」
「コミュニケーションは大切なものですよ。私みたいなタイプは信頼を勝ち取る方が円滑な職務遂行に繋がりますから」

 炯さんのように威厳があればいいのだけれど新人の年下、しかも女監視官だとどうも下手に見られてしまう。だからこそ威厳こそなくとも有用性を示して彼らの話にも耳を傾ける良い上司を目指すことが大切だと思った。先輩監視官には執行官なんかと仲良くなる必要はない、と私の色相を心配されたけれど別に彼らは悪いことをしたわけではない。普通の人たちだ。むしろ普通の人よりも大変な仕事に就いている、その気持ちを共有して一緒に頑張っていこう、と伝えることこそ大切だと思う。…まあ慎導さんの受け売りなところ一部あるけれど。

「名前らしいな。…何かあったら相談してくれ」
「助かります。困った時はすぐに頼りにしますね」
「まあ相談するなら適任がいると思うから俺が動くのはどうにもならなかった時くらいだろうが」
「…あはは」

 多分慎導さんのことを言いたいのだろう。私が精神面で信頼を寄せている相手ということを炯さんは知っているからそう言ったのだ。見抜かれていることが恥ずかしくて頬をかく。

 それからいくつか他愛のない話をしていたけれど話題がちょうど一区切りついた時炯さんはゆっくりと立ち上がった。持ち場に戻るのだろう。

「これ、ご馳走様です。好きなもの当てられてびっくりしちゃいました」
「…灼が言ってたからな」
「え?」
「名前はオレンジジュースと食堂のオムライスが好きだ、と」

 炯さんはそれだけ言うとひらりと手を軽く振って戻っていってしまった。

 もう、余計な情報をぺらぺらと話してくれてるなあ。オレンジジュースにオムライスが好き、なんて子供じみた好物だなって絶対思われたに違いない。バレたくないからほとんどの人には言ってなかったし人前でも気付かれないようになるべく避けていたのに。でも炯さんにいい笑顔で私の話をしている慎導さんのことを思い浮かべると怒る気はふっと失せてしまった。甘いなあ、私。




20191126