彗星帰還



 今回刑事課で担当する事件は少し大きなものになりそうなので一係と二係合同で捜査を行うことになった。
 二係の先輩達が現場へ出て調査に出ている中私はというと一人課長のオフィスに呼び出されたと思えば別件の仕事を命じられる。それは一係に加わって事件性の有無の確認と関係者の調査を行うことだった。

「アイツ等が何かやらかそうとしてたらすぐ連絡しなさい。すぐよ、すぐ!」
「は、はい」
「まったく毎度毎度抗議をもらって帰ってくるなんて本当ふざけてるわ…」

 メンタルケア剤を頬張りながら二人の捜査にブツブツと文句を言っている課長を見てしまえばノーなんて言えるはずがない。というか抗議が次々来る捜査って相当だな…。まああの二人だしな、とちょっとだけ納得はしてしまう。

 課長のオフィスを後にして早速一係の人達と情報共有をする為に一係のオフィスへと向かう。一係とは面識こそあるが仕事を一緒にしたことはないから緊張してきた。ちゃんと上手く動ければいいんだけど。

「監視官、どうしたんですか!?」
「なに、なんかの病気?」

 オフィスに到着すると執行官が奥に集まっていた。ざわついているけど何があったんだろうか。気になって挨拶も抜きに足早に中へと進む。

「何かあったんですか?」
「貴女は二係の…」

 雛河執行官が顔をあげて私を見る。一応名乗ってから所用があって此処に来たことを伝えればちょうど良かったと如月執行官が口を開いた。

「慎導監視官が倒れたんです、いきなり」

 如月執行官の状況の説明を聞いて私はハッとなって視線を奥へと向ける。そこには目を開いたまま倒れている灼さんの姿があった。

「っ、灼さん!」
「あの、苗字監視官。慎導監視官は持病か何かを持ってるんですか?」
「いえ、これは―――」

 雛河執行官の質問に答える前に駆け寄って灼さんの身体を揺さぶってみる。何度か声もかけてみるものの反応はまったくなかった。駄目だ。私の声じゃ戻せない。

「とりあえずどなたか分析官に連絡してください。分析ラボに運んだ方がいいかも。それから炯さんは今どちらに?」
「イグナトフ監視官は別件の調査で出ています。そろそろ戻ってくるとは思いますが、」
「ありがとうございます。なら私は炯さんに連絡を取ってきます」

 私の指示に入江執行官がすぐに反応して唐之杜分析官に状況を伝え始める。如月執行官が炯さんの所在を教えてくれたので私は少し離れたところでデバイスを起動させた。震える指で炯さんの名前をタップして電話をかける。

『名前?どうした』
「炯さん!灼さんが…っ」
『…灼?』

 スリーコールもかからないうちに炯さんが電話をとってくれた。こういう時こそ冷静に状況を伝えなければいけないのに声や言葉からして思っている以上に自分が動揺しているようだった。
 私の動揺を察知した炯さんは『もしかして潜りすぎたのか?』と端的に聞いてきた。その言葉に見えないのに何度も頷いて「意識が戻らないんです」と伝える。

『間もなくそちらに到着する。灼は今どこにいるんだ』
「…とりあえず分析ラボに運んでもらうように一係の執行官に指示しました」

 今の私にできることはこれくらいしかない。もっと何かできれば、と思うけれど私では灼さんを連れ戻すことはできなかった。
 自分の及ばなさに唇を強く噛んでいると炯さんが『十分な処置だ。アイツのことはすぐに連れ戻すから安心しろ』と私の気持ちを考えてくれたのか優しい声をかけてくれる。

「(本当に無力だ。私はいつだって灼さんに助けてもらってるのに)」

 悔しくてたまらない。学生時代も研修を受けていた時も、つい最近だって灼さんは私の悩みを聞いてくれていた。灼さんは私が悩むたびにいつも的確な助言をくれたり励ましたりしてくれた。けれど私は灼さんが大変な時に何もしてあげれていない。灼さんに何か起こった時は炯さんを頼るしか私にはできないのだ。

「監視官!先生が受け入れ準備整えてくれたんでとりあえず連れてきますよ!」
「…っ、はい!」

 分析官と連絡がついた入江執行官が灼さんを背負って分析ラボへ移動しようとしていた。ぼやぼやとしょげている暇なんてない。今灼さんの状況の説明ができるのは私だけだ。炯さんが来るまではとりあえず何もせずに寝かせてあげよう。他の執行官と一緒に分析ラボを目指す。未だ気絶したままの灼さんを見てちくりとまた心臓が痛んだ。



 ***



 炯さんが分析ラボに到着し灼さんの意識を呼び戻すために灼さんを駐車場へ連れて行ったのを見て私はそっとオフィスへと戻った。事件を抱えた状況で刑事課を空にするのはあまり良くないと判断したからだ。炯さんが来たなら灼さんは安心だ。少し経てばちゃんと戻ってくるだろう。

 誰もいない二係のオフィスのデスクチェアでパンプスを脱ぎ膝を抱えて座る。行儀が悪いとわかっていてもついやってしまうのは自分の気持ちが落ちているからなのだろう。
 こういった体勢をしてしまうのは不安があったり寂しさを感じる時と習ったことがある。本当まさにその通りで現に私は気を紛らわせるためにこの体勢を取っていた。

「名前」
「っ、」

 今一番聞きたいようで聞きたくない声がオフィス内に響く。俯かせていた顔をあげればまだ顔色は優れなさそうだけれど灼さんが立っていた。

「ごめんね。心配かけた」
「…本当ですよ」
「炯にも怒られた」
「当たり前です」

 膝を降ろしてパンプスを履き直す。けれど立つ気力にはなれなくてそのままくるりと椅子の正面を窓の方に向けた。なんとなく顔を見るのが気まずかったからだ。

 こつこつ、と灼さんの靴底が床を鳴らす。それがやがて止まるとふわりと私の身体をぬくもりが包んだ。灼さんの匂いがすぐそこにある。


「ただいま、名前」


 それはとてもやさしい声だった。

 灼さんの声がゆっくりと私の中に沁み込んでいく。ちゃんと生きている。ちゃんと傍に戻ってきてくれている。それが伝わってずっと堪えていた涙腺を刺激する。化粧が落ちてしまうから泣くわけにはいけなくて唇をまた噛んだ。


「…おかえりなさい、灼さん」


 灼さんの言葉に声を絞り出す。まだ勤務時間だというのに普通に灼さん、と呼んでしまった。いやもうそれはさっきからずっとそうだったな。今日は公私混同しすぎている。監視官としてはダメダメだ。ちゃんと戻らないと。ようやく冷静になれてきたのでいつもの監視官としての自分に戻ろうと気持ちを切り替える。

「名前が入江さん達に指示してくれたって聞いた。助かったよ」
「…いえ、私はイグナトフ監視官のように慎導監視官を引っ張ってあげることはできないので」
「でも名前は待っててくれる」

 私の否定的な言葉に灼さんは身体を寄せたままぽんぽん、と頭を撫でてくれる。

「炯が手綱を握っててくれて名前が後ろで見守ってくれてるからおれは潜れるんだ。それに戻ってきて一番に受けとめてくれるのは名前だからね」
「案外イグナトフ監視官かもですよ」
「えぇ…。男の胸に飛び込むのは嫌だなあ。いくら炯でも」

 灼さんは苦笑をする。ちょっとした冗談も混ぜてくれるあたりいつもの灼さんに戻っているようで安心した。潜りすぎた後の灼さんは少しだけ怖い。他の人のような感じがするのだ。メンタルトレースの影響、なのだろうか。
 灼さんはゆっくりと私から離れて隣に立った。ずっと気まずくて視線を窓の外に向けている私を今度は覗き込むように見てくる。

「名前しかできないことだよ」
「!」
「おれはそう思ってる。…駄目かな」

 小首を傾げる灼さんを見て私はようやく重い腰をあげて彼の首に抱き着いた。さっきまで倒れてた人に抱き着くなんてなかなか酷な事かもしれないがそれでもそうしたくてたまらなかった。灼さんは細い体なのにしっかりと私を抱きとめてくれる。ゆっくりと私の背中をあやすようにさすってくれた。

「駄目じゃないです」
「…そっか」
「私にやらせてほしいです」
「うん。頼んだよ」

 身体を少しだけ離せば灼さんとようやく目を見て話すことができた。いつものへらりとした表情で笑む灼さんを見ていろんな気持ちが混みあがってくる。でもそれを言うのは今ではないし、きっと困るだろうから開きかけた口を一度閉じた。

「そういえば」
「?」
「霜月課長から意識が戻ったらイグナトフ監視官と一緒にオフィスに来るように、って言伝を預かってます」
「…嫌な予感が」
「怒ってましたから覚悟して行った方がいいかなと」

 いつまでもこの空気に浸っているわけにもいかないので課長から言われたことを伝える。私の身体を解放した灼さんはいろいろと心当たりがあるのかバツが悪そうな表情を見せた。

「次回は一応止めてあげるので突っ走りすぎないでくださいね」
「え。次回?」
「明日の調査からは特例で私も同行するようにって指示がおりてます」

 私が次に伝えた報告にはぱあ、と表情を明るくする。そんなに喜ばれるとは思わなくてくすぐったい。

「一緒に頑張ろう、名前」
「…はい」
「それじゃ、まずは課長のところ行ってくる。また後で」

 灼さんは笑って二係のオフィスを出て行きまたオフィス内には静寂が戻る。
 さっきまでは冷えきっていると感じていた室内が何故だかあたたかい心地がした。もう私が膝を抱える必要もない。充実感でいっぱいになりながら私はもう一度デスクチェアに腰かけて事件の概要の再確認を始める。
 出来ることが少ししかないのなら増やしていけばいい話だ。先ほどよりも前向きな気持ちで私はパソコンと向き合った。



20200425 本編3話あたりのifストーリー