白い嘘と浅はかな少女



 報告書の提出が無事に終わる。定時上がりとはいかなかったけれどそれでも長く居残ることにはならなかったので一安心だ。軽く化粧室で髪型とメイクを直してから集合場所になっている執行官宿舎を目指す。

 エレベーターの中でデバイスを起動させて灼さんの名前を探す。入江執行官には宿舎に着く頃に自分か雛河執行官に連絡をしてくれ、と言われていたが先ほど灼さんからメールで自分が迎えに行くから連絡をくれと指示を受けたのだ。執行官の人が飲酒をしている可能性を考えれば確かに灼さんを呼んだ方がいいのかもしれない。私は特に疑問を持つことなくその指示に従う。

 通話はすぐにとられて「フロアに着いたらエレベーター前で待ってて」と灼さんから次の指示をもらった。フロアに到着して大人しくその場で待っていると灼さんが手を振りながら私の名前を呼んで駆け寄ってくる。一度会釈をすればふにゃりといつもの笑みを浮かべていた。当たり前だが飲酒はしていない様子。

「行こうか。みんな待ってるよ」
「は、はい」
「だいじょーぶ。リラックスリラックス」

 肩の力を抜けと言わんばかりに肩を叩かれる。仕事先の人とこういう交流をとるのは初めてだから緊張を少ししていたのがバレていたようだ。…流石灼さんである。

「入江さんとかお酒大分入ってるから面倒臭くなったらトイレに行くとかして適当にやりすごしなよ」
「大分って…飲むペース早くないですか、入江執行官」
「いやーちょっとお酒注ぎすぎちゃったかな。はは、」

 どうやら言い方からしてお酒を勧めていたのは灼さんのようだ。飲酒は色相を濁らせるという。いくら執行官と言っても節度を持つべきだと思うのだけど。…なんてお小言はこういう場に持っていくべきではないか。それこそ場の空気を壊して険悪なムードになってしまう。その方がよっぽどみんなの色相に悪い。

「まあ酔ってもらった方がコントロールしやすいし」
「え?」
「いやいや、こっちの話。ほら、着いたよ」

 灼さんがぽそりと何かを言ったけど中からわいわい聞こえる声のせいでよく聞こえなかった。聞き直してみるけれど灼さんはフッと笑って扉を開ける。どうぞ、と中に入ることを促されたので私は先に中へ入ることにした。

「あら、名前ちゃんじゃない」
「唐之杜分析官。こんばんは」
「こんばんは。スペシャルゲストっていうのは貴女のことだったのね」

 一係執行官の待機室、と呼ばれている場所は大分アナクロな雰囲気の部屋だった。ホロが使われていない調度品ばかりが部屋にありどこか落ち着く。皆さんが此処でのんびり過ごす理由はなんとなくわかる。

 如月執行官以外にも唐之杜分析官や厚生省に協力しているフリージャーナリストの方(六合塚さん、だった気がする)も参加しているようで思ったよりも女性が一定数いるのは気持ち的に楽だった。…でもカウンターに座ってる二人は自分たちの世界を楽しんでますっていう感じが凄く伝わってくるのでその隣に座ろうという気は流石に起こらないけど。

「待ってました苗字監視官!いやー!どうよ、完璧なゲストだろ!?」
「へぇ、上手く口説き落したのか?」
「ちょっと、そういう言い方は辞めなさいよ」

 私が周囲を観察していると大声で名前を呼ばれる。その方向に目を向ければ入江執行官が完全にできあがってます、といえるくらい顔を赤くして立っている。ちょっと注ぎすぎたのレベルを超えてるのでは…。

 入江執行官をからかうようにニヤニヤとする廿六木執行官。それを如月執行官が窘める。雛河執行官は小さくため息をついておろおろとしておりこの騒がしい場に落ち着かない様子だ。
 さて私はこれに対してどういう反応をしたらいいものか。そう思っていると手をひかれた。灼さんが任せろと言いたげに微笑む。

「名前は此処ね」
「は、はい」
「炯、詰めて詰めて」

 一応三人は座ることができそうなソファーに座るように促される。私は中央に座ることになり端には灼さんと炯さんに挟まれる状態になった。これはこれでなんだか変な緊張感だ。

「さて、名前の飲み物用意しなくちゃね」
「そうだな。…そういえば名前はいけるクチなのか?」
「い、いえ!お酒は飲んだことほとんどないです…」
「ならソフトドリンクにするか」

 炯さんが気を遣って尋ねてくれたので私は少し考える。こういう時は無難にお茶とかをもらえばいいよね。自分で用意すべきなのだろうけど物の位置を把握していないから大人しく頼もうと口を開こうとした時だった。

「だいじょーぶっすよ!言われた通りのモン用意したんで」
「言われたものとは何だ?」
「ええっと、ちょい待ってくださいね」

 私と炯さんの会話に入ってきたのは入江執行官だった。これってお酒の無駄絡みってやつだろうか…。炯さんが私の代わりに聞いてくれたので私はふらつきながらも冷蔵庫に行ってものを漁る入江執行官を見守る。あったあった、と機嫌が良さそうに笑いながら戻ってきた執行官の手にはオレンジジュースの大きなパックがあった。

「はい、ドーゾ」
「…えっと?」
「入江一途、慎導監視官に頼まれたものをしっかり用意して待っておりました!」
「お酒で割れるしたまたまあっただけでしょ」
「だー!それは内緒にしとけよ!」

 如月執行官に突っ込まれてムキになっている入江執行官。私はただ目を丸くしていると雛河執行官が「グラス使いますか、」と空いたグラスを差し出してくれた。私はハッとなって慌ててそれを受け取る。

「って慎導監視官が頼んだんですか!」
「名前、もう勤務終わってるから灼でいいよ」
「いやそういう問題ではなく!」
「何だ、お互い名前で呼び合うくらい深い仲なのか?アンタ等」
「そうですよー」
「話をややこしくしないでください!そこ!」

 いろいろ突っ込みたいことが多すぎて追い付かない。灼さんは気を利かせてくれたのかもしれないけどまた私の隠してたことを話しちゃうし廿六木執行官には変な誤解をされているような気がするし如月執行官と雛河執行官には話のネタにされて可哀想に、みたいな同情の視線を向けられているし。どうしたものか。こういう時に一番頼れるのは炯さんしかいなくて炯さんに視線を向けた。炯さんは視線に気付いてくれて顎に手を当てて何か言ってくれそうな雰囲気である。助かった。

「別に名前で呼び合うくらいは普通だろう」
「(おお!ナイスフォローです、炯さん!)」
「深い仲…というより灼の適当すぎる私生活の面倒をみてくれているのが名前だ。俺達より年は下だがしっかりしていて頼り甲斐のある奴で、」
「け、炯さん!?」

 こっちもこっちで余計なことを言い始めている!止めなければと思って慌てて口を挟もうとするとぶはっと隣で灼さんが噴き出した。これ灼さんも変な勘違いをされてややこしくなっちゃうパターンで全然面白い流れじゃないはずなのに。結局炯さんは入江執行官や廿六木執行官に私と灼さんの関係性の説明を懇切丁寧に続けているので私は再び頭を抱える。

「あら、甲斐性がある女の子なんてイイじゃない。ねぇ?」
「名前はいいお嫁さんになれそうだなっておれは思いますよ」
「式には呼んで頂戴ね」
「あはは、いつでしょうね」

 こういう時に悪ノリをしてくるのは唐之杜分析官の悪い癖だ。そして灼さんの悪い癖でもある。全然思ってもいないことを言うのは思わせぶりになるのをそろそろわかってほしいんだけどな。収拾がつかない会話に頭を悩ませていると私の手にあった空のグラスにオレンジジュースが注がれる。顔をあげると心配そうな表情の六合塚さんがいた。

「大変ね、貴女も」
「…うう。ありがとうございます。」

 お礼を言えばふんわりと綺麗に笑ってくれる六合塚さん。そして話を切り替えるように「苗字さんが来たことですし改めて乾杯しませんか?」と他の人に声をかけてくれた。めちゃくちゃいい人だ…。
 そんな六合塚さんの声に反応を示したのは入江執行官。酔ってるからこそこういうのにすぐ乗ってくれるのは助かるな…なんてこっそり思ってしまう。

「じゃあ皆さん、グラス持ちましょ」

 乾杯の音頭をとるように入江執行官が声をあげると他の人達もそれに合わせてグラスを掲げる。私も六合塚さんに入れてもらったオレンジジュースのグラスをおずおずとあげた。


「「乾杯!」」


 カチン、とグラスがぶつかる音が響き、お疲れ様会はリスタートとなった。




20200428
灼くんはどこまで本気で何処まで冗談なんでしょうね。