用務員と雑渡
雑渡は、時たまその優秀な忍者の能力を無駄に発揮して用務員の部屋にやってくる。
そしてなんてことない世間話をして、気が済むと帰っていくのだ。きっと今回もそうなるだろうと用務員は予想していた。
だから、両手を抑えられ組み伏されたこの状況は何がきっかけだったのだろうと内心首を傾げていた。
「これまでも、わりと直球で伝えてきたつもりだけれど、お前は人より鈍感だからな」
私の手首を掴む雑渡の指に力がこもる。
害意は感じないが、何がしたいのか計りかねて様子を伺っていると、雑渡の目がすっと見開かれた。
光のない瞳がこちらをじっと見ている。
「お前が欲しい。どこにもやりたくない。死ぬならば私の手で終わらせたい」
みしりと骨が軋む気配がした。
「叶うのなら、すぐにでも連れて帰ってしまいたい。立場があるから我慢しているんだ。お前が自ら学園を辞して私の元へ来てくれるのが1番嬉しいんだけど」
包帯に覆われていない隻眼の奥でドロドロとしたものが渦巻いているようだった。
これまでの私だったらおそらく気付かなかったろう。
目の前の男はなにか感情を昂らせている。おそらく、怒っている?
私がタソガレドキに行かなかった事を根に持っているのだろうか。
「それはできない」
視線を逸らさず言葉を返せば、気配が殺気を帯びていく。隠す気のないそれに気付いた先生がやってくるかもしれない。見つかって困るのは誰か、わからない男ではないだろうに。
「なぜ。命令されているからか?」
「……多分、違う」
そのような命令は受けていない。
辞めたいと言えば引き止められることもないだろう。タソガレドキへ向かうことは不可能ではない。けれど、私はできないと口にした。胸の内にあるぼんやりとした気持ちを拾い集めることが難しい。言葉に詰まる私を、雑渡は黙って待っている。
「……学園にいたい」
ようやく絞り出せたのはたったそれだけだった。
部屋に沈黙が降りる。部屋の外から子供たちの笑い声が聞こえてきた。
少しして、大きなため息とともに手首の拘束が解かれていった。
「仕方ない、絆されてあげる」
横座りの姿勢をとった雑渡は先ほどまでが嘘のような態度だった。
よくわからないが嵐は去ったらしい。
赤く指の痕がついた箇所をさすりながら、起き上がったころには、雑渡は既に天井の梁の上にいた。
「嫌になったらうちにおいで」
それじゃあ、と声だけを残して音もなく消えた大男と遠くから駆けてくる気配。
もう数分と待たずに部屋の襖が開かれるのだろう。
素直にあったことを報告すべきか悩み、聞かれたら答えようと問題を先送りにして、用務員はいつものように表情に笑顔をかたどった。
スパンと音を立てて開いた襖の前には慌てた様子の同僚が立っている。