麦わらクルーの2年間

・くまに飛ばされた先が赤髪海賊団


 単眼鏡で覗いた丸い視界にシャボンの浮かぶ島が映る。緊張と嬉しさでざわつく気持ちを深く息を吸うことで落ち着かせた。いよいよだ。

「行くのか」

 背後から投げられた声に頷いて振り返る。クマに飛ばされた傷だらけのオレを助けてくれた上に、稽古までつけてくれた師匠の前に立ち、深々と頭を下げた。

「2年間、お世話になりました。明日船を降ります」
「ああ、わかった。なら今日は宴だな」
「え、そこは心の準備とか身支度とかあるしそっとしといてほしい……」
「ばっかお前、だから盛大にやるんだろうが!湿っぽい別れなんざまっぴらだ!」

 バシンと平手でオレの背中を叩くシャンクスに、そういう人だよなあ、と苦笑して船内に戻る。宣言通り、今夜はきっと大いに盛り上がるだろうから、明日はすぐに動けるよう今のうちに荷物をまとめてしまおう。


「ナマエの門出を祝して、乾杯!!」

 もう何度目かわからない音頭を耳にしながら、お猪口に注がれた酒を舐めた。成人した日に赤い髪の悪い大人に酔い潰されて、自分が下戸だと思い知ってからは少ない量を時間をかけて楽しむようにしている。飲め飲めとジョッキを勧めてくる連中のいなし方にも慣れてしまった。

「な〜、やっぱ行っちまうのかよ〜」
「そのために鍛えてもらったからな」
「いやだ〜!お前もうおれの船に鞍替えしちまえよ!」
「四皇の船に誘われるなんて光栄だけど、気持ちだけもらっとく」
「船長命令でもか?」
「オレの船長はルフィだから」

 湿っぽい別れなんてしないと息巻いていた大人が行くなと泣いて縋ってくる。
 いつも以上に絡み酒な年上の友人が、おいおいと泣き真似をしながら体重をかけて寄りかかってくるのを支えながらつまみを食べていると、んあ、と口を開けてきた。いい歳して食べさせてほしいらしい。そういうのは綺麗なお姉さんにしてもらえばいいのにと心の中で呟いて、今日で最後だからと乾き物を放り込んでやった。
 普段は世界に名を轟かせる海賊船の船長らしく、雄々しくカッコいいところもあるのに、酒が回ると子供のような一面を見せる。そういうところもこの人の魅力なのだろう。どこかの島のお姉さんが「ギャップ萌え」だと頬を染めていた。多分ゾロの迷子癖も同じジャンルだと思う。アイツもあちこちで結構フラグ建ててそうだもんなあ。うーん、あざとい。こういう緩急がモテの秘訣なのかな。

「ナマエはいい子だよなあ」

 体の触れ合うところから伝わる体温が暑苦しくて押しやれば、少し距離を開けた赤ら顔の酔っ払いはカウンターに頬杖をついてへらりと笑った。

「仲間のために強くなりたいからって頭下げてよぉ。おれやベックやヤソップの扱きにも泣き言ひとつ言わずに食らいついて。健気だよなぁ」
「それでも1回も勝てなかったけどね」
「たかだか2年で負かされてちゃ、こっちの立つ瀬がねぇよ」
「それもそうだ」

 数年ちょっと旅をしただけの若造が20年近く海を渡る海賊相手に勝てるわけがない。





 2年後に、シャボンディ諸島で。
 新聞を使って伝えられたそのメッセージを、気付かなかったフリをしてイーストブルーに帰ってやろうかと思う日もあった。
 ルフィの船出を見送りに行って、岸から離れたところで伸ばされた腕に掴まれて無理矢理船に乗せられた。そんな事故みたいなきっかけで海賊になったオレの首には懸賞金がかかっていない。アラバスタやエニエス・ロビーを経ても、未だ手配書が発行されないことを仲間達は羨んだり慰めたりしてくれたが、オレは内心で安堵していた。
 まだ戻れる。普通の人になろうと思えば、この船を降りて、村に帰って今まで通りの暮らしができる。
 そんなセコい考えを持ちながら、それでもあの船を降りる選択をしなかった時点で自分の気持ちは決まっていたのだろう。

 シャンクスに頼んでマリンフォードに連れてきてもらった時、横たわる友達の遺体を見て、これまでにないほど自分の無力に怒りが湧いた。もっと強ければ、と思うことはこれまでにも散々あったのに、誰かがなんとかしてくれると、心のどこかで他人の力に頼ってきたツケだと自分を憎んだ。『この作品で起きること』がわからなくなった時から何が起きても不思議じゃなかったのに。『主人公の兄弟』なんだから死なないだろうと、大怪我はしてもきっと助かると思っていたんだ。
 今の自分にはここが現実で、生きている人が死ぬなんて、当たり前のことだったのに。

 ルフィは今どうしているだろう。エースが自分を庇って目の前で死んで、きっと心に大きな傷を負っているはずだ。酷い怪我をしたとも聞いた。助けになりたい。そばにいたい。できることがあるならなんだってしたい。
 だけど、今更どの面下げて会いにいけるだろう。オレだってマリンフォードの近くにいたのに。船を借りれば戦いに間に合うこともできたはずなのに。そうしなかった、意気地のない、みっともない、弱いオレが。あいつらの仲間だなんて、友達だなんて烏滸がましい。こんなふうに自分のことしか考えていない、そんなところも心底嫌だ。石が坂道を転がるように考えが悪い方に暗い方に沈んでいく。
 シャンクスの船に戻って、声も殺しきれずにずっとずっと泣いて。自分には無理だと思った。覚悟が足りない。力もない。何もないのに、航海を続けるなんてできるわけがない。オレはあの船にふさわしくない。やめよう。もう消えよう。
 シャンクスに近くの島に降ろしてもらおうとした時に、目の前に広げられた新聞の一面。誰よりも心を抉られて、包帯まみれのボロボロの体で、帽子を胸に当て黙祷する船長がいた。その無事に安心して、腕に書かれた暗号を読み解いて。それでも、これを機に下船しようかとうじうじしていた時、シャンクスに叱られた。

「結局お前はどうしたいんだ?何もないなら、なんでもできるようになればいい。2年もあるんだ。死に物狂いで修行すりゃぁ、多少は戦えるようになるかもな」

 まあ、お前にそんな根性があればだが。その有様じゃ無理か。
 突き放すように、試すようにこちらを見据える赤髪に、自己嫌悪と後悔と悲しみに埋もれていた自分の中の本当の気持ちを整理して吐き出した。

「後ろに隠れて逃げ回るだけじゃ嫌だ。オレだって皆を助けたい。成り行きで乗った船でも、オレはもう海賊だから。船長の、仲間の、力になりたい」

 膝をついて、頭を地面に擦り付ける。
 なりふりなんて構っていられなかった。だってたった2年しかない。

「お願いします。なんでもしますから、強くしてください……!」

 泣きながら土下座するオレに「わかった」と頷いて笑ったシャンクスには感謝してもしきれない。


「……オレ、強くなったかな」

 両手を広げれば、タコで硬くなった皮膚、切り傷や擦り傷の痕がある。けれど、実際のところ自分が成長した実感はあまりない。オレが1歩進む間に、きっと仲間たちは2歩も3歩も先を行っているはずだ。それぞれの得意分野にさらに磨きをかけて。そんな彼らに、ちょっと体力をつけた程度のオレが合流してもいいんだろうかと、そんな不安と焦りがずっとついて回っていた。

「お前は間違いなく成長した。その辺の雑魚なんざ一撃で倒せる。おれが保証する」
「……うん」
「周りの連中は賞金のかかった仲間ばかりに注目し、警戒するだろう。だがそれでいい、今のお前はあの一味のダークホースだ。油断して舐めてかかってきたバカ共にどぎついのをかましてやれ」
「うん……!」
「心配するな、お前は強い」
「ありがとう、シャンクス」

 後ろ向きなオレの気持ちを解すように、お墨付きをくれたシャンクスに笑顔を向ければ、一瞬面食らった顔をした後がばりと覆いかぶさってきた。

「ッ、あーもー!かぁいいなぁお前は!」
「ぐえー!あーつーいー!抱きつくなー!」
「いいなールフィは。こんなに一途に思われてて」
「シャンクスだってめちゃくちゃ慕われてるじゃん」
「おうよ。おれもあいつら大好きだからな!」

「愛してるぜてめぇらー!」とシャンクスが叫べば「気色悪ぃこと言うなー!」とブーイングが返ってきた。一部からは「おれも船長のこと…!」と野太い告白も聞こえたが都合の悪いことは聞こえない赤髪の耳には届かなかったらしい。シャンクス強火担なリアコ勢は居候のオレへの当たりが強いので、彼らにはもう少し優しくしてやってほしい。オレのためにも。一回死にかけたから。


 おれがもみくちゃにした髪を手櫛で梳かして、ちびちびとお猪口を傾ける姿は2年前とは見違えるようだ。
 しなやかに筋肉が付いた四肢はすらりと伸びて、体格もよくなった。自己評価の低さはあまり改善できなかったが、以前よりもいい顔をする。
 下手に手加減してやればいつか死ぬだろうからとナマエが倒れないギリギリを狙って鍛錬したし、幹部たちにも指示を出した。危険な島にわざわざ降ろして危機管理能力から体力作りまで徹底して叩き込んだ。その過程で何度か大きな怪我もあったが、へこたれることなくアイツは立ち上がった。
 根性なしのお前には無理だ、と鼻で笑って見下ろした時、本当はエースの死に打ちのめされて震える体を抱いて慰めてやりたかった。何もしなくていいと言って、真綿のように包んでやりたいと伸ばしかけた手を抑えるのにどれだけ苦労したか。
 けれど、強くしてほしいと、涙を浮かべながら懇願する姿に自分の選択は正しかったと胸を撫で下ろした。ひたむきに剣を振り、銃の扱いを覚える姿はいじらしく、眩しい。そんなふうにアイツに思われる麦わらの一味が羨ましい。なんとかこちらに振り向かせたいと、2年かけてアプローチをかけても船長との約束しか見えてないアイツには暖簾に腕押しもいいところだった。そんなところも好ましいと思ってしまうのだから、いよいよ重症だ。

 ナマエがルフィの船に乗っていると知った時は、無理矢理連れてかれたんだろうなと同情するのと同時に、おれが誘っても乗らなかったのに、とガキみたいな嫉妬が湧いた。ずっと前から、おれの方が先に目をつけてたはずなのに。

「あーあ、手放したくねえな……今から進路変えちまおうかな……」
「またそんなことを」

 ヤソップに声をかけられて移動していったナマエに代わって腰掛けたベックがオレの呟きに肩をすくめる。ここ数年で増えたボヤきの真意を知っているのはこいつくらいだろう。

「お前はアイツが可愛くないのかよ」
「それ肯定しても否定してもアンタめちゃくちゃ機嫌悪くなるだろうが。めんどくさいからやめろ。……かわいいと思ってるさ。手塩にかけた弟子なんだ、当たり前だろうが」
「そう、そうなんだよなあ。アイツ打てば響くんだよ。これからは懸賞金もかかるようになるだろうな」
「いいじゃねえか」

 海賊なんだ、手配書が出るのは当然だろう。グラスに唇を押し当てながらベックマンが首肯すれば、隣のお頭が悩ましいと不満を口にした。

「アイツの名前と顔が世界中に出回るの、嫌だなぁ。おれが先に見つけたのに。昔も良かったけど今のナマエ見たら絶対悪い虫がつくだろ。今のアイツめちゃくちゃ美味そうだもんよぉ。あー……おれというものがありながら、ルフィ達を取るのかナマエー……おれを捨てるのか……」
「めんどくせぇ彼女みたいなこと言うな」
「既成事実作っちまえばよかった」
「アイツ泣かせたらアンタでも撃つぞ」
「父親かよ」
「師匠だろ、おれもお前も」

 だから見送ってやろう。
 差し出されたグラスに手元のジョッキをぶつける。
 泣いても笑っても明日でお別れだ。どれだけ引き止めてもナマエは船を降りる。頑固で譲らないとわかっていても、それでも、離れ難いと思ってしまう。2年でアイツは強くなったが、こっちはすっかり骨抜きだ。悪い奴め。


 再会した時に着ていた服はボロボロだったのと、サイズが合わなくなってしまったので新しいものを買った。腰にはシャンクスが見繕ってくれた剣と、ベックとヤソップがくれた銃。巾着型の大きな袋にはルウ達が食料をこれでもかと詰めてくれた。ホンゴウ特製の傷薬や包帯も入っている。海軍基地が近いシャボンディに四皇の船が近づくと騒ぎになるので、小舟を一隻もらって漕いで行くことになっている。

「長い間お世話になりました」

 見送りに来てくれた人たちに頭を下げると、いいってことよと鼻を啜る音がする。船長の人柄に似て、この船の人たちも情に厚い。もらい泣きしそうになるのをぐっと堪えて精一杯笑ってみせた。

「次に会ったときは敵同士だな」
「うん、もっと強くなって今度こそ一発食らわせてやる」
「やれるもんならやってみろクソガキ」

 ベックマンやヤソップたち師匠との軽口の応酬も、これで最後と思えば名残惜しかった。
 シャンクスの右腕が背中に回されて引き寄せられる。
 この人、別れ際にハグなんてするんだ。同じように分厚い体に腕を回しながら、最後の最後に年上の友達の意外な一面を知った。
 ぎゅ、と腕に力が込められて更に体が密着する。なんか、長くないか。ちょっと苦しいんだけど。もういいだろと背中を叩くと首筋にちくりとした痛みが走った。虫除けのお呪いらしい。こんなんで蚊とか寄ってこなくなるなら虫嫌いとしてはありがたい。

「おれがルフィを負かしたら、その時は、お前を奪うからな」
「なんだそれ」

 いや本当に。「冗談きついよ」と言えば「本気だと」ようやくオレを解放した男は不敵に笑っていた。鞍替えの話はどうやらマジの勧誘だったらしい。そんなに気に入られてたのかと嬉しくなるが頷くわけにはいかない。

「欲しいものは力づくでもらうことにした。海賊だからな」
「いいよ。うちの船長が勝つから」
「男に二言はないな?」
「おう!」

 まるでもう自分がこの船に乗ることが決まったかのような口振りで話すものだから、つい挑発に乗ってしまった。まあでも大丈夫だろ。口約束だし、次会った時は忘れてるかもしれないし。


 小さくなっていく小舟にいつまでも手を振る仲間たちを見て、すっかり馴染んでたなあ、とこれまでの日々を振り返る。素直な弟分は、居候なんてと不満げにしていたクルーの心もすっかり絆していたらしい。

「しかし、あの年でキスマークつけられて虫除けで納得するか?」
「礼まで言ってたぞ。おれちょっと心配になってきた」
「ちくしょう、適当に言い訳して抱いとけばよかった……!!」
「こういう悪い奴にいいようにされねぇといいが。その辺も仕込んどけばよかったな……」

 嘘みたいに鈍感で一途な男は世話になった海賊団の船長の心を掻っ攫い、幹部達に一抹の不安を残して去っていった。