家族と引き合わされてから夢見が悪い。
もう2度会うことはないと思っていた奴らの顔や声を聞いた事が引き金になったのか、心の奥底に沈めた記憶の蓋が緩んでしまったらしい。
兄弟に殴られ、生みの親に汚点と蔑まれた、かつての日々をなぞるような、生々しく息苦しい夢ばかり見る。今度こそ決別して、仲間のもとに戻ってきたというのに、そう簡単に過去からは解放されないらしい。
寝汗で纏わりつく衣服も、寝ている間に噛み締めていた奥歯が痛むのにも慣れ始めた頃には、眠る事が苦痛になっていた。チョッパーに頼んで夢も見ないくらい熟睡できる薬でも処方してもらえばいいのだろうが、たかが悪夢を見る程度で心配症の優しい医者に余計な心労を与えるのは気がひける。
しかし、どれだけ抗おうとも人間は睡眠を必要とする生き物だ。いつの間にか気絶するように意識を飛ばしてしまったようで、気付けば鉄仮面をつけられて牢に閉じ込められていた。
むせ返るような埃とカビと鉄の匂いに顔をしかめると、格子の外からこちらを嘲笑う3人の子どもが現れた。口汚くオレを罵っている。弱く生まれてごめんなさい、と声を震わせながら叫ぶ子どもの声が石造りの壁に反響するのが不快だった。ぐわんぐわんと響く笑い声と泣き声に頭が割れそうで耳を塞いで蹲る。
息が苦しい。もうやめてくれ。ここから出してくれ。ああ、だけどここにはオレを助けてくれる人なんて……
――サンジ
暖かいものに体を包まれる感触がした。優しい力で背中を叩かれている。髪を梳くように撫でられると、不思議と鉄の匂いも子どもの声も遠ざかっていった。すんと息を吸い込めば、潮と石鹸の香りがする。
――サンジ。ここにはお前を傷つける人はいない。
髪を耳にかけられて、穏やかに囁く声がする。
――大丈夫。サンジは1人じゃない。もう怖いものはいないからね。
とん、とん、と背中を叩くリズムに合わせて呼吸が落ち着いていく。頬から目元を包むように拭われた。
誰だろう。顔が見たいのに、瞼が重くて持ち上げられそうにない。
離れていく手が名残惜しくて腕を伸ばせば指を絡めて握り返してくれた。
悪い夢はやっつけたから、ゆっくりおやすみ。
もう片方の手で額を撫でられると、ゆるゆると意識が溶けていく。いつもなら眠るものかと意地になっていたのに、何故かこの温もりに包まれている間は悪夢は見ないだろうと思えた。優しくてあたたかい、この声は。
思い浮かべた人物の輪郭を掴もうとして、サンジはとうとう意識を手放した。
不寝番中、扉を開く音に顔を向ければ、ふらふらと覚束ない足取りで歩くコックが現れた。酒に酔っているのかと思ったが、今日は飲んでいなかったなと夕食の記憶をさらったナマエは膝をついた眼下の人物の異常な様子に見張り台から飛び降りた。
浅い呼吸を繰り返して蹲る肩に手を置いて、呼びかけても反応がない。チョッパーを呼ぶために離れようとすれば、指先で服の裾を掴まれる。血の気の引いた顔でわなわなと唇を震わせながら、か細い声で助けを求める姿を見ていられなくて、内心申し訳なく思いながら震える体を抱きしめた。サンジを捕らえている何かを払い除けようと声をかけ、体をさすってやると腕の中の強張っていた体から力が抜けていくのを感じて、ナマエはサンジが起きないようにそっと息を吐いた。
呟いていた内容から察するに、おそらくトラウマだろう。
サンジの生家がどんな家系なのか、詳しくは知らないし、聞くつもりもないが、北から東の海へ渡るくらいなのだから余程ことがあったのは想像に難くない。ここのところ眠そうにしていたのはわかっていたが、思わぬところでその原因を知ってしまったなとナマエは眉を下げた。
本人でもないのに医者に伝えるのは告げ口みたいで悪い気がするしなあ。
少しの間逡巡して、結局のところ本人の問題だからと深入りすることを諦めたナマエは、すっかり眠り込んでいる男に目を向けた。少し赤くなっている目元をなぞればむず痒そうに身じろぎをする姿は子どものようだ。むくむくと湧き上がる庇護欲を打ち消して見ないフリをする。
なるほど、これがギャップ萌えか。
ナマエは修行時代に立ち寄った島で、シャンクスを見てそう呟いていた女性の気持ちが少しわかった気がした。
抱きしめた時は、バレたらドチャクソに蹴られるだろうなと未来の不幸を嘆いたが、先程と打って変わった穏やかな寝顔を見てしまうと、甘んじて受け入れようという気にもなる。バレないのが1番いいんだが。何か聞かれても寝ぼけてたんじゃない?とか言えば誤魔化されてくれないだろうか。
海を渡る風が首筋を撫でて肩が震えた。温暖な気候の海域でも夜は冷える。このまま甲板に転がして風邪をひかれても困るので、サンジの肩と膝裏に腕を回して抱き上げた。こういう時に鍛えといてよかったと実感する。2年前はこうはいかなかったろう。
横抱きにしても起きないことを確認して、サンジが開けたままだった扉をくぐった。大部屋に戻って万が一誰かを起こしてしまうと厄介なので厨房に運んでソファに下ろし、不寝番のために持ち出していた毛布をかけて、額にかかった髪を払ってやる。深い眠りに落ちたサンジが目覚める気配がないことにナマエは安堵の息を吐いた。
運んでる時に起きたら死んでたかもしれない。ニューカマーに追い回されたと血を吐くように告白していたこの男は、おそらくお姫様抱っこなどと称される可愛らしい運ばれ方をされたと知れば烈火の如くキレ散らかすだろう。まず男に抱きしめられ慰められたとわかった時点で吐血するかもしれない。それは流石にかわいそうなので、どうか何も覚えていませんように、と心の中で手を合わせてナマエはそそくさと見張り台に戻った。
「大部屋で寝たはずが起きたらキッチンにいたんだ。ナマエ、昨日不寝番だったよな。何か変わったことなかったか?」
「さぁ、知らない。昨日は何もなかったし何も見てない。寝ぼけてたんじゃねえ?」
「……ふぅん。なら、いい」
朝一で話しかけられた時点で冷や汗がすごかったが、どうにか誤魔化せたらしい。嘘が下手なりに聞かれた時の事を考え、あらかじめ用意していた言葉を口にすると、サンジはあっさり手を引いた。乗り切った危機に小さく拳を握りしめていたナマエは、サンジがスンと鼻を鳴らしていたことに気づかない。
香りだけでケーキの素材から隠し味まで見抜く研ぎ澄まされた嗅覚は、サンジを蝕んでいた悪夢を取り払った相手を正確に見抜いていた。ゆるりと目を細める男の視線の意味すらわからないナマエは空きっ腹を抑えながら呑気に話しかける。
「それより今日の朝飯は?」
「サンドイッチとおにぎり」
「オレおにぎり〜!鮭がいい!」
「おう、ちょっと待ってろ」
その日から、レディほどではないが他の男性陣よりほんの少しだけ量が多く華やかに盛り付けられるようになるナマエの食事に1番早く気付いたのは、この船で最も食い意地が張っている船長だった。