サニー号の男部屋にはカレンダーがある。
海上での生活が長いと曜日感覚は鈍くなるし、何日までに何をしなければならない、という予定があるわけでもない。自由を掲げた海賊船では、明るくなれば朝で暗くなれば夜、そんなざっくりとした感覚でも生きていく上で問題なかった。
だから、航海士や考古学者、コック、医者を除くクルー達は基本的に時間や日付の概念が薄い。
そんな中でカレンダーという、日付を示す道具を持ち込んだのがナマエである。この男、現在は麦わらの一味として海賊をやっているが、それ以前は分刻みのスケジュールにガチガチに縛られた生活を送る現代人だった。子供の頃からこの世界にやってくるまで、魂に刷り込まれるほど曜日と日付と時間を生活の軸に生きてきた。だから今が何日かわかる方が地に足が付くようで安心する。
そんな理由で貼られたカレンダーは、買ってきた当人以外ほとんど誰も見ることのない、ただの紙束と化している。
丸窓から差し込む朝日に目を覚ましたルフィは、寝起き頭でぼんやりとした視界に入ったそれにパチと瞬きをした。
いつもは目に留めることのない貼り紙に見慣れない文字が書かれている。7月と大きく印字された文字の下、マス目の中に数字が書かれただけの無機質な一覧の中、7日の文字に丸く印が付けられれていた。その隣に見慣れない単語が書かれている。
「んー……?」
なんと読むのかわからない二文字に、カレンダーの前で首をひねっていると「おはよう」と眠たげな声が耳に届いた。
顔を少し後ろに傾けると、寝癖で髪が跳ねているナマエが欠伸をしながら通り過ぎていくところだった。
「なあ、これなんて書いてあるんだ?」
「んぁ?」
低血圧で頭が働いていないナマエはルフィが指差す方に半分閉じかけた目を向ける。そして自分が書き込んだ文字を見て「これか」と口の中でつぶやいた。
「たなばただよ」
「なんだそれ?」
「短冊に願い事を書いて笹に結ぶと叶うっていう、お祭りの日だな」
「たんざくってなんだ?」
「細長く切った紙」
「だれが願いを叶えてくれるんだ?」
「織姫と彦星……?あー、多分、神様じゃねェか?本当に叶うかは知らん」
「ふーん。祭り、祭りかぁ」
日付を見て思い出したから書き込んだだけで何かするつもりもなく、逸話についてさほど詳しいわけでもないナマエは、寝起きに立て続けに投げられる質問に少しめんどくさそうな顔で答えていく。
対するルフィは、願い事云々はさておき「祭り」というワードに心動かされたらしく目を輝かせていった。
「じゃあ今日はタナボタ祭りだな!」
「"たなばた"な」
楽しそうという気持ちが全面に現れた笑顔に「朝から元気だな」とナマエはまたひとつ欠伸をした。
賑やかな朝食の席で、見ているだけで腹が膨れるような量のサンドイッチを食べながら先ほど仕入れた祭りの情報を話すルフィの言葉に耳を傾ける仲間たちの反応は様々だった。
珍しい事、面白そうな事が好きなウソップとチョッパーはノリ気で笹や短冊の準備について話しあっているし、神の存在に否定的なゾロは我関せずという態度でおにぎりを頬張っている。「あくまでイベントであり、必ず願いが叶うわけではない」と、ナマエの補足を聞いたナミも食後のデザートの方に関心が移っている。
そんな中、伝承に興味が湧いたロビンは話題の出所であるナマエに声をかけた。
「イーストブルーには変わったお祭りがあるのね」
「いやぁこれは日本にあった行事で」
「ニホン?」
「ンン"ッ、……けほ」
茶碗に盛られたご飯を口に運びながら聞かれるまま答えたナマエは、ロビンが不思議そうに復唱した単語に、喉に詰まらせた白米を味噌汁で胃に流し込んだ。そして未だぽやぽやしていた頭を叩き起こして咳払いをひとつ。
自分の出自を隠しているつもりはない。けれど「異世界のイベントです」なんて正直に言ったところで信じてもらえるかわからない。ナマエの身に降りかかった異世界トリップという現象は、本人にもわかっていない事が多く説明が難しかった。それなら、それっぽい事を言ってお茶を濁す方が話が早いだろう。そんな理由で誤魔化すための言い訳を探して脳をフル稼働させる。
「間違えた。アー、絵本。昔読んだ絵本に書いてあったんだよ」
「……そう。たしかに、"七夕"という字はワノ国の文字に似ているものね」
「な。そうだよな〜」
「でも、あの国は鎖国状態なのにどうしてあなた達の故郷にそんな絵本があったのかしら」
付け焼き刃の言い訳は鋭い問いかけにあっさり看破されそうになり、そこまで考えてなかったナマエは正直に「わかんねえ」と答えた。口でロビンに勝てる気がしない。なら可能性を示唆することで有耶無耶にしようと言葉を付け加える。
「ルフィのじいちゃんが海兵だし、帰ってくる時に変わったお土産ってことで持ってきてくれてたのかも……?」
「たしかに、将校さんなら珍しい品を手にする事があったかもしれないわね」
いや、あの人は孫のために本を寄越すようなタイプじゃねぇな。
自分の言葉に内心ツッコミを入れながら、ひとまず納得したらしいロビンを見やり、窮地を脱した事に安堵してお茶を啜るナマエは意味深に微笑むロビンと話が聞こえていた大人組に気付くことはなかった。その巨体から壁際でコーラを飲んでいたフランキーと果物をつまんでいたジンベエがロビンの方に体を傾ける。
「あれで誤魔化せてると思ってんのかァ?」
「まあ、誰しも話したくないことはあるじゃろうて」
「そうね。無理に聞こうとは思ってないわ」
ただ仲間の事を知りたいと思うくらいは許してほしい。一味の中で自分の過去を語るクルーは少ないが、中でも特に謎に包まれているナマエと、その周囲で起こる不可思議な現象にも興味がある。
たまに見せる迂闊な言動から頑なに隠そうという意図は感じられないし、ちょっとつつけば慌てて言い逃れようとする姿は見ていて楽しい。
食べ終わった食器を下げるためとそそくさとキッチンに向かうナマエの背中を見ながら、ロビンは微笑ましげに目を細めた。
雲ひとつない快晴のまま夜を迎えたサニー号の甲板には大きな竹があった。ウソップが緑星の中から竹ジャベ林を改良して作ったそれをフランキー特製のスタンドに挿した竹は細長い葉を海風に揺らしてサラサラと音を立てている。枝に結び付けられた短冊はチラシや要らない紙を切って作られたもので、緑色の葉に彩りを添えていた。
お前の分な、と渡された紙にぱっと思いついた願いを書き込んで括りつけたところで隣にナミがやってきた。オレの願い事をみるや苦笑いを零す姿に思わず鼻を鳴らしてしまう。仕方ないだろ、他に思いつかなかったんだから。
「『健康』って、もっと他になかったの?」
「いいだろ別に。てか、興味ないんじゃなかったのか?」
「あら、叶う"かも"しれないんでしょ?なら願っとくにこしたことはないわ」
『お金、宝石、財宝』と書かれた紙を人差し指と中指で挟んで悪戯っぽく笑ったナミが短冊を結ぶ。ちょうどタイミングよくサンジが甲板にお菓子を運んできて、猫なで声で女性陣の名前を呼んだのでナミはテーブルに歩き去っていった。呼ばれていない男連中が「おれもおれも」と集まってくるのに渋い顔をしながら、それでもきちんと人数分持ってきているのだからサンジはツンデレだと思う。
他の奴らの願い事が気になって、でも覗き見するみたいで、ちょっとだけ罪悪感がありながらもそろりと視線を向けてみる。
肉に酒、医学書、工具、調理器具に歴史書、楽譜、着物、そしてお金。誰がどの短冊を書いたのか一目でわかるのだから笑ってしまった。楽譜の横にはパンツと書かれていたが、大きくバツ印がされていたのでひと悶着あったに違いない。みんな自分の欲求に正直だった。
それでも、本当に叶えたい夢を書かないのはあいつららしい。
いつか、彼らの夢が叶うところをそばで見られたら良いな、なんて。小さな星が集まって大きな川のように見える、雄大な夜空を見上げてそんな事を思った。