嫉妬

 赤髪のシャンクスに弟子入りしてしばらく。
  幹部たちや、なにより船長が歓迎してくれているのでレッド・フォース号の主なクルー達も親しく接してくれていると思う。だがどんな集団も一枚岩ではない。特に規模の大きな組織となれば船長とは異なる考えを持つ者もいた。
つまるところ、この船にはオレのことを心良く思っていない人間が少なからずいる。

 頭から滴る水からは泥とカビの臭いがした。船から下船したところで上から降ってきたそれは、おそらく甲板掃除で使われた水だろう。工業廃水でもないのだからこんなふうに外に捨てようが問題ないとは思う。ただ下に人がいるか確認し忘れるのはやめてほしい。

「すまねぇ、大丈夫か?」
「ああ、うん。平気平気」
「悪いな。次は気をつける」

 へらへらと笑いながら寄越された謝罪に手を振れば、こちらを見下ろしていた相手は船内に戻っていった。
 これで4度目だし、わざとなんだろうなあ。
 泥水が染みたシャツを脱いで絞ってみたがまあ汚い。白地がすっかりモカ色のまだら模様だ。洗えばまだ着れるだろうか。
気晴らしに散歩でもしてこいよと送り出してくれたシャンクスには悪いが、今日の予定は洗濯に変更だ。身ひとつでくまに飛ばされてきたオレには手持ちが少なく、服だって3着を着回している。「困ったことがあれば何でも言えよ!」と船長は懐のデカいことを言ってくれるが居候の身なのでそりゃ遠慮はする。出来るだけ最低限のものをうまくやりくりしていきたいのでシャツ1枚だって大事にしたい。
あーあ、賞金首を捕まえれるくらい強かったら服も武器も買えるのに。
そんな弱音が頭を過って頭を振った。
強かったらじゃない、強くなるんだ。約束の日に胸を張って皆と会うんだから。こんなガキみたいなイジメなんていちいち気にしていられない。パン、と両手で頬を叩いて気合いを入れなおした。
シャツ洗ったら筋トレしよう。そして、まずは50万くらいの賞金首を1人で捕まえる。目指せ一攫千金!
「貧乏海賊は嫌だもの」そういって紙幣を指で弾いて笑う航海士が脳裏に浮かんだ。
……皆どうしてるかな。

***

 ぽっと出のガキが敬愛する船長の周りをウロチョロしている。
空から降ってきた薄汚い青年を見た船長はそれは驚き、船医に指示して丁重に扱った。マリンフォードでの頂上戦争を止めるために舵を切っている状況で、たかが1人の男に何故そんなに心を割いてやる必要があるのかと異議を唱えても耳を傾けることもない。いつもなら部下の声ひとつにも視線を合わせて向かい合ってくれる人が、振り返りもしなかった。
 火拳が死んだ後、憔悴しきったガキに構うのも気に入らなかった。大切な人を喪う悲しみは覚えがある。理解できる。だがどうしてアンタや幹部達がそんなに甲斐甲斐しくしてやる必要があるのか。苛立ちが湧いた。アイツは気に食わない。

 船に置いてくれ、弟子にしてくれ、と頭を下げる男に2つ返事で頷いたあの人はどうかしてしまったのだろう。
助けてもらっておいて自分の都合ばかり並べる、厚かましい恩知らずなんざ海に投げ捨ててしまえばいい。海賊は慈善事業じゃない。赤髪海賊団はカタギには手を出さないし無益な争いは好まないとはいえ、海賊なのだ。手配書に書かれた莫大な懸賞金はそれだけ世界にとって危険視されている証明だ。
それなのに、どうしてあの人は。
船長のみならず幹部すら反論する気配もない。アイツが来てから何もかもおかしくなってしまった。
全ての元凶はあのクソ野郎だ。
排除しなくては。
取り戻すんだ、おれたちの日常を。
おれの、憧れを。

 泥水を引っ掛けても、部屋を荒らしても、私物を捨てても意に介する様子もないのが腹立たしい。鈍感な野郎だ。
唸るように不満を口にすれば向かいに座った男がぽつりと呟いた。
自発的に出ていくように仕向けても無駄なら、船に乗れなくしてやればいい。
うっすらと口元に笑みを浮かべた同志が小さな小瓶を取り出す。
俺たちは海賊、敵に慈悲はかけない。四皇に纏わりつくハエを叩き潰してやろう。か弱いお坊ちゃんならひとたまりもないだろ。
賑やかな宴の片隅で、息を潜めた悪意がひしめいていた。

***

 汚されて繕われた服も、転んだのだと言って散らかった部屋を片付けていた時も、航海の思い出に買ったという時計を無くした事も。ナマエの周りで起きている事は全部知っていた。トップにバレないようにするだけの頭はあるらしい連中の犯行をおれが目撃することはなかったが、視野の広いヤソップだったり、他のクルーから伝え聞いていた。
正式なクルーではないからと遠慮ばかりして、相談もしてくれないのか。
はじめて報告を受けた時に感じたのはそんなことだった。

「世話になっている手前、自分の事で船の統率が崩れるようなことは避けたいんだろう」

 煙と共に吐き出されたベックマンの言葉に頷いて、向こうが何か言わないかぎり手出しはしないと決めた。
ナマエの意思を汲んだというより、頼られたい気持ちが強かったのかもしれない。仲間と散り散りになった寂しさをおれで埋めたいと思われたかった。師としてでなく、おれ自身を求めてほしい。そんな浅ましさが、下心があった。
鍛錬中にナマエが目の前で血を吐いて倒れるまでは。

「もう少し遅かったら手遅れになってた」

 痙攣する体を抱き上げて医務室に駆け込んだ先でホンゴウに告げられた言葉に心臓が縮む思いだった。
もっと早く手を打つべきだったんだ。
自分の理想ばかり押しつけて待っていたら大切なものは零れ落ちてしまう。

「流石にこれはやりすぎだろう、どうするんだ?」
「こいつが目を覚ますまでに全部終わらせる」

 おれの決定にホンゴウが肩をすくめた。
過去に友達に手を出した山賊の末路を思い出したのだろう。それでも反対する気配はなかった。

***

 船長がおれを見ている。
 はじめて出会った時のように強気な笑みを浮かべて、まっすぐにこちらを見ている。
あの人間がやってくる前の船長が戻ってきてくれたなら、それだけでよかった。赤髪海賊団の傘下に入る前の、富と名声ばかりに固執していた自分に比べたら随分とちっぽけな願いだ。だが今は、あの人のためなら誰だって殺すし、あの人のためなら死んだっていい。

「頼みがあるんだ」

 あの人がおれに期待してくれた。だから、どんな無理でもやり遂げる。

***

「行ったのか」
「ああ。もう戻ってくることはない」

 ナマエを手にかけようとした男達を向かわせたのは、世界にいくつか存在する『食事をする島』の一つだった。ある島では魅力的な食事で島の奥深くに誘い込み食肉植物が丸飲みにするそうだが、その島は幻覚を見せる。対象が最も強く願う望みを見せて抵抗力を失わせ、捕食する。狩られる側は至上の幸福の中で夢うつつのままに最期を迎えるのだから、痛みと絶望にまみれて終わるよりは幾分マシだろう。
言葉を交わした機会は少ないが、短くない時間を共に航海した仲間だった者に対する、船長の手心だった。