ゆうわく

 陸地を踏み締めて思いっきり伸びをする。肺いっぱいに空気を吸い込むと、島全体からほんのり香る爽やかで甘い香りに心が洗われる心地がした。
 サニー号の甲板には芝生が敷かれているが、それでも海上の船と陸では気分が違う。緩やかな波の揺れも良いが、やっぱり地に足が着くと安心するものだった。

「お前さんたち、麦わらの海賊団か?」

 人目につきにくい岬から上陸したオレたちに声をかけてきたのは年若い青年だ。
 船長が「そうだ」と頷いても物怖じする素振りもなく近づいてきたかと思えば、気さくな態度で手に持っていた薄い冊子を渡してくる。受け取ったそれをめくってみれば、花の街へようこそ、とキャッチコピーが書かれていて、島の特産から食や衣服といった目的別のおすすめの店がまとめられていた。

「海賊に観光ガイドを渡すなんて、商魂逞しいわね」

 呆れたように呟いたナミに男はカラカラ笑った。

「そりゃあ人は選んでるさ。お前さんらは確かに海賊だが、無闇に人を傷つけるような連中じゃないだろう?」
「まぁ、そっちが何もしないならね」
「ほらな。おれは花屋をやってんだ。暇なときにでも見てってくれよ」

 朗らかな笑顔を見せる店主に、見知らぬ土地に対して張っていた緊張がゆるやかに解けていく。
 ログの指す方角を辿って訪れる島は、必ずしも良い場所ばかりではない。小さな村のある島や無人島ならまだ良い。獰猛な生き物の縄張りだったり、紛争地帯だったり。厳しい気候に作物が育たず、外からやってくる者たちから物資を奪おうとするような危険な土地もあった。
 だから、その土地で初めて会う人が明るく穏やかな人柄だというのは、警戒のハードルを下げる指標になる。

 街の入り口に位置していた花屋の店主に手を振って、路地を進んでいく。石造りの家が立ち並ぶ石畳の道は日陰になっていて涼しい。
 ふと空を見上げると、家と家の間にロープが渡されて洗濯物であろうタオルが干されていた。窓に取り付けられた柵に置かれた小鉢からは小さな花が溢れんばかりに咲いている。
 街並みを観察しているとひらひらと舞う小さなものが目についた。手のひらを持ち上げて落ちてきた物を見れば鮮やかな色がついている。形は桜に似ているが、赤みが強い花びらはどこからともなく舞い落ちてきているらしい。おそらくこれが花の街と呼ばれる由縁なのだろう。
 視線を前に戻せば、遠くから弾むような笑い声が聞こえてきた。

 人々の営みに、元気な子どもの声。
 整備の行き届いた綺麗な街並み。
 きっとここは安全な場所だろう。そう思わせてくれる安心感があった。

 少し歩くと開けた場所に出た。広場に作られた噴水を中心にして、いくつもの路地が伸びている。オレたちが歩いてきた道もそのうちのひとつだったらしい。
 円形に作られた広場を囲むように軒a連ねる店先には、果物や野菜といった生鮮品から、軽食、アクセサリーを取り扱う店もあった。日々の生活に必要なものはこの広場でだいたい揃うと思える規模だ。店が集まっているからか活気があり、客と店主が値切り交渉をする声や、客引きの声でにぎわっている。
 串焼き屋から漂ってくる肉と油と香辛料の匂いに、ルフィはそわそわと落ち着きがない。空腹を訴えて腹をさするウソップや、ごくりと喉を鳴らすチョッパーも屋台に釘付けだ。もうあと1分も待たずに匂いの元に飛び込んでいきそうな様子にナミが号令をかけた。どっちが船長かわかったもんじゃない。

「今日の夜にはログが溜まるみたいだから、それまで解散!」
「うおー!! 肉ー!!!」
「まったく……」

 はらぺこ組は目星をつけていた屋台に駆けだしていった。その土地の文化や装飾に興味を惹かれたのか、アクセサリー店に足を向けるナミとロビン。ルフィ達とは違う屋台に向かうサンジ、ひとまず広場を見て回るらしいブルック、フランキー、ジンベエら大人組。酒が飲みたいといいながら酒場ではなく元来た道を歩いていったゾロ。
 迷子については、いつものことだからもう誰も引き留めようとすらしない。実力は折り紙つきだし、戻ってこなければ後で回収すればいいか、なんて思っているあいだに深緑色の着物姿は見えなくなった。

 気を取り直して目についた屋台に近づいてみると、薄切りにした肉を塊にして大きな串に刺し、その串を軸に焼いているらしい。元の世界にあったケバブに似ている。スパイシーな香りに刺激されて口の中に唾液が溜まるのがわかった。
 店主に声をかけて代金を払い、紙に包まれたそれを受け取る。トルティーヤのような薄い生地にレタスと一緒に包まれた肉は注文を受けてから切り分けられたのでまだジワジワと音を立てていた。かぶりつくと瑞々しい野菜と細切れの肉が混ざり合って美味しい。ソースが濃いかと思っていたが、野菜と生地が程よくまろやかにしてくれる。

 これはルフィとウソップが好きだろうな。チョッパーには少し辛いかもしれないが、どうだろう。
 呼んでこようかと、3人が向かった方に顔を向ければ、屋台の在庫を食いつくす勢いで串焼きを口に運ぶ背中があった。ルフィの頬袋が何軒か離れたこちらからでもわかるくらい膨らんでいる。その両脇をウソップとチョッパーが陣取って同じく串焼きを口に運んでいた。
 店主は思わぬ珍客に狼狽えながらも職人魂に火がついたのか、負けじと網に置いた串を返している。「いい食いっぷりだねぇ!」と囃し立てる客の声が聞こえてきた。
 この調子で他の店も侵食されて、いずれはこの店にもやってくるのは想像に難くない。声をかけるまでもないだろう。
 食べるだけ食べて代金が足りず踏み倒しそうなところに居合わせる、なんて事態に巻き込まれる前に広場を後にした。

 過去に何度か立て替えたことがあるが、ルフィから返された試しはない。
 昔から「宝払いで!」と景気の良いことを言うくせに、いざ宝が手に入ってもその時々の事情ですぐに手放してしまうのだ。船の貯金より船長の首にかかった懸賞金の方が大きいのは比べずともわかる。海賊のくせにクルーの大半が財宝にあまり執着しないせいでうちはずっと貧乏海賊だし、今更貸した金が返ってくるなんて期待もしていない。
 これがナミなら、地の果てまで追いかけて利子つけて取り立てるんだろう。もちろんオレだって金は大事だがそこまで躍起になるのもめんどくさかった。今は懐に多少余裕があるからこんなのんびり構えているというのもある。
 かといって、わざわざ奢ってやるほど潤ってもいないのでさっさと退散することにしたのである。

 適当に入った路地の壁に寄りかかり、改めてガイドブックを眺めてみると、この島の名所は小高い丘に立つ大樹であるらしい。
 一年を通して紅色の花を咲かせ、吹き下ろす風に乗って街に花びらが降るのが見どころなのだとか。
 街に着いた時から降るあの花弁はその木から運ばれて来ていたと知り、せっかくだから見てみようとガイドマップを頼りに丘に続く路地を歩いていると、小さな声が聞こえてきた。
 耳をすませてみると、自分が立っている場所からほど近い、家と家の間の狭い道から、か細く高い声がする。猫でも鳴いているのかと覗いてみれば小さな女の子がしゃがみ込んでいた。声の主はこの子だったようだ。近くに家族らしき人の姿はない。それどころか、路地にはオレと少女以外に人がいなかった。広場はあんなに賑わっていたのに、このあたりは閑散としている。住宅地なんだろうか。
 子どもが泣いている現場に居合わせて素知らぬ顔して通り過ぎるわけにもいかないだろうと、ひとまず声をかけてみることにした。
 できるだけ怖がらせないように意識して「どうしたの?」と話しかければ、少女はびくりと体を震わせて俯いていた顔を上げた。見知らぬ大人に怯えたり逃げるわけでもなく、「おにいちゃんがいないの」と、しゃくりあげる瞳は潤んでいる。

「お兄ちゃんとはぐれたの?」
「……うん」

 目元を擦る姿にこちらも胸が痛くなってハンカチを差し出した。
 昔は持ち歩くことが少なかったが、こっちに来てから出会った、良くいえば豪快な食べ方をする幼馴染の顔を拭いているうちに身についた習慣のうちのひとつだった。今日はまだ使っていない洗い立ての清潔なものである。
 ハンカチは受け取ってくれたものの、不安からか未だしくしくとすすり泣く子どもに、何かしてやりたいと思った。

「一緒に探そうか」

 家に送り届けることも考えたが、この子の『おにいちゃん』とやらも迷子になっているかもしれない。もしくは妹を探している可能性もある。
 日はまだ高い。心当たりのある場所をいくつか回って、夕方になっても見つからなければこの子だけでも家に送ってあげよう。そんな気持ちで提案したら、少女は目を瞬かせて押し黙ってしまった。

 この世界に迷子センターなんてものは存在しない。海軍の駐屯地に連れていってもいいが、少女の安全の代わりにオレが危険になる。一般の海兵相手なら逃げ切れるだろうが、芋ずる式に麦わらがこの島にいるとバレてしまうのはよろしくない。街に自警団があるならそこに預けるのも案だろう。とにかく人通りのない場所に子どもを1人で放置するという考えはなかった。

 しかし、見方によっては海賊が幼子を連れ去ろうと唆してる絵面だよな。
 自分の振る舞いを俯瞰して、こりゃ警戒されても仕方ないだろうと、次善の策に頭を巡らせようとしたところで、女の子が口を開いた。

「いっしょにいてくれるの?」

 おずおずといった様子で上目遣いにこちらを見る視線には、不安のほかにほんのりと期待の色が見て取れる。

「うん。2人で探せばきっとお兄ちゃんもすぐ見つかるよ」

 不安を取り除いてあげたくて頷けば、少女は花が綻ぶような笑顔を見せた。

「ありがとう。おにいちゃん!」

 よほど心細かったのか、立ち上がって駆け寄ってくる小さな体を受け止める。薄暗い通路から出てきた少女は自分の腰ほどの身長で、薄紫色のワンピースを着ていた。安心させようと頭を優しく撫でれば、くすぐったいのか小さく笑う声がした。

「ずっといっしょにいてね!」

 弾むように笑う少女の声がいくつも重なって聞こえてきた。

 変声機で変換したような、太く、くぐもったもの。しゃがれた掠れ声。舌足らずな幼児。若い女の声。
 複数の人間が一斉に同じ言葉を発したみたいだった。
 悪寒が背筋を走るのと同時に体を離そうとしたところで、ぶわりと濃密で甘い香りが周囲に充満していく。

 体が動かない。
 脳の奥からピリピリと痺れていくような感覚がした。

「……ぐ、ぁ」

 意識が溶けていく。
 オレはどうしてここにいるんだ。誰と来たんだっけ。
 思い出せない。
 楽しいことも悲しいことも沢山あったはずなのに。
 掴もうとした端から消えていく。
 思い出も、名前も、自分自身も。ああ、嫌だ。忘れたくない。
 あいつらは大切な、

 ――なんだっけ。


 *


 夕日を受けて茜色に染まる小高い丘に大きな木が植わっている。その根本に立つ2つの人影に近づく者があった。

「お嬢さん。その人を連れて行くのはやめていただけませんか」

 静かで丁寧な物腰から覗く敵意に、大樹を見上げていた少女が振り向いた。その動作に倣うように緩慢に体を動かす青年を見て、ブルックは険を鋭くする。

 かつて、とある島に立ち寄った際、奇妙な出来事が起きた。
 得体の知れない何かによって仲間が連れ去られそうになった事件は、居合わせた者たちの咄嗟の判断で事なきを得た。しかし、犯人は不明のままで、今後も似たような事象が起こらない確証はない。
 だから、新しく訪れる場所ではクルーのうち1人がナマエに注意を払うという方針が決められていた。特に会議が行われたわけではなく、ナマエを取り巻く危うさに懸念を持った有志、特に年長組が水面下で自主的に行っている。

 今回その担当になったブルックは、観光と銘打って広場で街の情勢や海軍の駐屯地の場所など、必要な情報を集めながらナマエに悟られないように尾行していた。
 美女に視線が逸れたのと、人混みで対象を見失うハプニングもあったが、幽体離脱で路地を探し回っていた時に子どもと手を繋いで歩く仲間を見つけ、後を追っていく。
 きっと迷子を保護しているのでしょう。
 微笑ましい気持ちで見守っていたのだが、どうにも様子がおかしい。
 おぼつかない足取りで少女に手を引かれている姿は、迷子を助けているというより、連れて行かれているように見える。
 霊体で建物をすり抜け2人の前に回り込んだブルックは、虚ろな面持ちで歩く仲間を見て頭を抱えた。
 急いで体に戻り、2人が歩いて行った路地を駆け抜けてたどり着いたのがこの丘だった。

「ナマエさん、こちらへ」
「たすけて、おにいちゃん」

 ほぼ同時に発せられた言葉にナマエが反応したのは少女の方だった。
 庇うように一歩踏み出して腰に佩いた刀に手をかける。
 対応できるようにブルックもステッキに手を伸ばすが、切りかかってくる様子はない。
 普段の戦闘スタイルから、そのまま抜刀するかと思われたが柄を握ったままナマエは動かない。まっすぐにブルックを見据える顔からは表情が抜け落ちていて、瞳は暗く濁っている。

「……ナマエさん」

 正気を失い少女の言葉に従うかと思いきや、ナマエは鞘から刀を引きぬかんとする腕を抑え込んでいるように見えた。
 鍔が鞘に触れてカチカチと音を立てている。
 意識が混濁していても仲間に刃を向けまいと抵抗しているのか。
 そう理解したブルックは、動かない青年に少女が声をかけるより早くヴァイオリンの弦を弾いた。

 ーー眠り歌・フラン

 2人の意識を奪うつもりで奏でたが、体勢を崩したのは1人だけだった。
 崩れるように倒れたナマエの体に、地中から生えてきた根が巻きつく。土の中へ引きずりこもうと蠢くそれらを切り捨てたブルックは、仲間の体を抱えて少女と大木から距離を取った。
 落ち窪んだ眼窩の奥、黒々と淀んだ瞳でブルックを見つめる少女。その手足は茶色く節くれだって地面に刺さっている。
 あれは目の前の大木によって作られた、分身のようなものか。
 異様な状況のなか、冷静に分析するブルックをよそに、大樹の周りの土がぼこり、ぼこりと盛り上がる。
 小太りの男。腰の曲がった老人。少女よりさらに幼い子ども。成人であろう女。土の中から地上へ伸びた根が人の形を模る光景は、墓から這い出てきたゾンビを思わせた。

「ギャー!!キモい!こわーい!」

 お化けといった不気味なものが苦手なブルックは甲高い悲鳴をあげた。ヒィヒィ喚きながらもナマエに伸ばされる根や枝を片っ端から切り落としていく。ぞろりと蠢く人型の腕がしなり、振り下ろされようものなら刀身で受け止めて弾き返し、本体と繋がる根っこを切断していった。
 すると、熟れた果実のような濃く甘い香りが周囲に漂い始める。島に着いた時から香っていたものを濃縮したようなそれに一瞬脳が揺さぶられる感覚に襲われた。
 ふわふわとした幸福感に戦意が削がれそうになったが、元より自分には鼻がないのだからと気を持ち直す。
 そうしている間にも、赤々とした花を咲かせる大樹の根元からは木の人形が生み出されていく。あれがこの騒動の原因であることは疑いようもない。

 ブルックは仕込み刀を鞘に納め、構えた。
 恐れはあれど、躊躇はない。
 長い年月をかけて鍛え研ぎ澄まされた剣技は対象を的確に捉え、眼前の敵を切り倒した。

 切断面が泡立ち、次第に幹から枝へと伝っていく。じゅわじゅわと泡が弾け、蒸気を立ち上らせながら大木はゆっくりと溶けるように小さくなっていった。最後には歪に緩く湾曲した幹が残り、それが人体の背骨に見えてブルックは薄気味悪さに背筋を震わせた。

 コレは何だったのか。
 住人曰く、この島に初めて人が降り立った時には既に植っていたらしい。まだ若木だったが島を見守ってほしいと願いを込めて人々はその木を大切にしてきた。そうして時代の移り変わりと共に島のどこからでも目に入るほど大きく成長していった。美しい花を咲かせる樹。

 ーーその根本には死体が埋まっている。

 私たちの先祖や家族は、命尽きると御神木の枝となり、花となる。そうして我々を見守ってくださっている。
 澄んだ瞳で両手を合わせる老人がいた。

 まれに神隠しにあう人がいるけど、光栄なことなの。神様に見初められるなんて素晴らしいわ。
 恍惚とした顔で語る女性がいた。

 かつては死者を弔う場所だったあの丘は、いつしか生者を攫い、土に埋め、養分とする化け物の巣と化した。
 長きにわたる信仰がただの樹木を変質させたのか、元よりこのような性質だったのか、もはや知る術はない。
 なんであれ、ブルックにとってあれは敵でしかなかった。

 危険は去ったとはいえ、まだ何か潜んでいないとも限らない。ブルックはナマエを担ぐと丘を下り、路地を突っ切っていく。
 骨が腹部を圧迫したのか呻いたナマエに気付くと、ゆっくりと建物に背中を預けるように座らせて、対面に片膝をついて様子を伺う。
 重たそうに瞼を震わせて開かれた双眸には生気が戻っていた。顔色は少し悪いが、これは後でチョッパーに見てもらえば良いだろう。ブルックはカタリと頬骨を鳴らした。

「ナマエさん、私が誰かわかりますか?」
「ぁ、えっと……?」
「おや、お忘れですか?麦わら海賊団の音楽家ですよ」
「……ああ、ブルックか。ごめん、寝ぼけてたっぽい」

 ひとまず意識にも問題ないことを確認して、ようやく張っていた緊張の糸を緩めたブルックに対して、ナマエはまだ夢うつつなのかぼんやりとしている。

「なにしてたんだっけ……」
「はて、私も先程こちらに来たものですから。散歩の途中でお昼寝でもしていたのではないですか?」

 変な樹木に取り込まれそうになってました、なんて正直に伝える気はなかった。
「あなたは得体の知れないモノに引き寄せられやすいみたいですよ。これまでも何度かそんなことがありましてね」などと経緯を語れば、ナマエは信じるだろう。仲間を信頼しているから、その口から語られることなら疑いもせず受け入れるに違いない。

「そう、かな?そうだっけ……?なんか頭がぼーっとしてて。女の子に会ったような……」
「ヨホホ。まあまあ、いいじゃないですか。戻りましょう。私たちの船に」
「うーん……?」

 陽だまりのような温かな優しさを持つ人。
 麦わらの一味のことが大好きで、仲間になれて良かったと幸せそうな顔をするくせに、その輪に入ることは躊躇してしまう、困った人。
 放っておくと数歩離れたところから観客のような顔でこちらを見ているから、ルフィさんはいつだってナマエさんの手を引いて私たちと同じ場所に引っ張ってくるのだ。

 そんな人が、行く先々で厄介ごとに遭い周りを巻き込んで、自分だけが無自覚だったと知れば、ナマエは自分を許さない。
 もう二度とそんなことが起きないように、頑なに、周囲との関わりを避けるようになるだろう。からりと笑って、なんてことないような顔をして、独りになろうとして。そして誰にも告げず、痕跡一つ残さずに船を降りようとする。そういう人だと知っている。

 だから何も言わず、伝えず、悟らせない。
 誰も口にしないが、それが一味の総意だった。

「今日のディナーはなんでしょうね〜。もう私お腹ぺこぺこで、背中とお腹がくっつきそうです。あ、私、」
「背中もお腹もないんだろ?」
「ヨホホホ!先に言われてしまいましたねぇ!」

 陽気に笑って肩を叩けば、ナマエが苦笑を浮かべてブルックのセリフを奪った。
 意識を失う直前のことは思い出せなかったらしい。
 記憶を辿るのは諦めたのか、立ち上がったナマエは朗らかな顔をしていた。


 *


 深い赤から暗い青に色を変えつつある夕空にはちらちらと星が瞬いている。
 広場に人の姿はなく、昼間のにぎやかさが嘘のように静まり返っていた。噴水から流れる水の音が物寂しげに聞こえてくる。
 人の姿はないが、気配はあった。敵意はなく建物の中で息を潜めている。
 まるで街全体が怯えているようだ。

「どうしたんだろう」

 生活音ひとつしない異様な空気にナマエは首を傾げた。

「皆さん夜は早めにお休みになられるのかもしれませんね」

 それとも、目が覚めたのでしょうか。
 ブルックが足を止めないので、彼の長い歩幅に置いて行かれまいとナマエも足早に広場を後にした。

 船に戻ると仲間達はすでに乗り込んでいた。買い込んだ物資は運び終えて甲板に積まれていて、ゾロとウソップがマストに上ってロープを解き帆を降ろしている。食料の入った木箱を持ったサンジがブルックとナマエに気付き「早く乗れ」と声をかけた。

「出航するぞー!」
「え、もう?」

 ルフィの号令に甲板に降りたナマエは目を瞬かせた。
 昼に見た時は、仲間たちは皆島の食や文化に触れて楽しそうにしていたし、久々の陸地だから今日は停泊するものだと思っていたのだ。それが今は一刻も早くここから離れたいと言わんばかりに旅立ちの準備をしている。
 街の様子もおかしかったし、何かあったのだろうか。

「準備ができたらすぐ出るわ!ほら、アンタも手伝いなさい!」
「わ、わかった」

 状況を飲み込めないでいるナマエが違和感の理由について思考を巡らせようとしたところで、ナミの喝が飛んできた。
 とにかく急ぐらしい。そう無理矢理に納得させてナマエも手を動かした。

 満点の星と月明かりが暗い海を柔らかく照らしている。
 穏やかな海を進むサニー号のアクアリウムでは、チョッパーによって医務室に引っ張られていったナマエの2人を除く船員たちが集まっていた。ナマエの顔色が悪いとブルックが告げ口したためである。今頃は名医による念入りな診察が行われていることだろう。
 食後のお茶とデザートをサーブし終えたサンジが紫煙をくゆらせながら口を開いた。

「ナマエには、ルフィが食い逃げして大騒ぎになったから急いで島を出たって説明しといた」
「ああ、わかった」
「まあ、実際金払わずに出てきちまったしな」

 意に介した様子もなく頷いたルフィにウソップが続ける。
 ルフィ、ウソップ、チョッパーは屋台飯を制覇せんと口に料理を詰め込んでいた時に街の異変に見舞われた。
 彼らの勢いに負けまいと調理に勤しむ屋台の店主が、周りに集まっていた野次馬が、糸が切れたようにバタバタと倒れていったのだ。突然のことにあっけにとられていたチョッパーはすぐに血相を変えて住人達を診察したが異常は見られず、眠っているだけという事がわかると安堵の息を吐いた。

 ブティックや本屋に行っていた仲間たちとも合流し、現状の把握と今後の方針について話しているとフランキーの持っていた子電伝虫が鳴いた。この場にいない仲間のうち連絡手段を持っているのは護衛役を担っている1人だけだ。

「ナマエさんに異変がありました。既に対処しましたが、安全だという確証はありません。すぐに出航の準備を」

 そう告げるブルックの声に、麦わらの一味は顔を見合わせると急いで船に戻ったのである。

「ーーで、あのでけェ木が今回の黒幕だったと」
「おそらく間違いないでしょう」

 自身の体験を語るブルックに、ナミとウソップが鳥肌の立った体をさする。
 臨場感のある語り口と、骸骨という死を彷彿させる容姿が薄気味悪さに拍車をかけた。ホラー感を増長させて場を和ませようとあえて無表情を貫くブルックの茶目っ気とツッコミ欲しさのボケだったのだが、一歩間違えば仲間が養分にされていたと聞かされたクルー達は渋い顔をしている。

「推測の範囲を出ないのだけれど、あの花の香りには意識を操る効果があったのかもしれないわね」
「それで盲目的に信仰させて苗床にするってか。嫌な話だな」

 顎に手を添えて思案していたロビンが呟くと、これまでの島の経緯を想像したフランキーが顔を顰めた。

「じゃあ街の住人たちは日常的にあの香りを嗅いでいたから、木が切り倒されて洗脳状態から解放されたってことになるのか?」
「……今頃どうしているのかしらね」

 サンジの言葉にナミが俯きがちに零した。
 気の良い人たちだった。誰も彼もが笑顔で、人当たりが良く、親切だった。どこまでが本人の意思だったのだろう。もしかすると生まれた時からずっと島を見下ろす大木に操られていた人もいたかもしれない。そんなことに気付くことなく命を落とした人々がいたのかもしれない。

「さあな。もう船は島を離れたんだ。余所者のおれらにはどうにもできねェ話だろ」

 化物は倒した。ならば後は当人たちが解決することだ。
 頭の後ろで手を組んだゾロはソファの背もたれに寄りかかって鼻を鳴らす。「そうだけど」と唇を尖らせるナミは、しかしこれ以上何かできることもないのだと口を噤んだ。

「とにかく、ナマエが無事でよかった。ありがとうなブルック」
「いえいえ、任務でしたから」

 船長の言葉に、恭しく礼を取った音楽家はにこりと微笑んだ。

「しかし、以前お話を伺っていたので覚悟していましたが、実際に目の当たりにすると肝が冷えました。私、肝ないんですけど」