春、君はいない

薄紅色の花弁が舞うなかで顔を綻ばせている姿が、心に焼き付いている。

「きれいだ」

桜吹雪の中に佇む彼の姿に、ふと浮かんだ言葉がそのまま口から零れ落ちてしまった。ぱっと口を手で塞いでも、すぐ隣に立つその人はしっかりとおれの言葉を拾い上げていて。

「きれいだな」

花の咲くような笑顔で返された言葉に、自分の言葉の意図するところまでは伝わらなかったことに胸を撫でおろした。
今思えば、あの時に全部伝わってしまえばよかったのかもしれない。あの頃の自分は、胸に芽生えたそれに名前があることもわからなかったのだけど。


大きな桜の木が植わっている名もなき無人島。
毎年桜が咲く時期になると、その島を訪れるのが恒例になってしまった。
その根元にぽつんと建てられた墓は、そこに眠る人間のかねてからの遺言である。こんな稼業だから、と笑っていたが、本人も仲間たちもこんなに早くそれが現実になるなんて思いもしなかった。墓の周りを簡単に整えてから、花を活けて、彼が好きだった食べ物や酒を供える。仲間たちは気を遣ってくれたのか、墓前に手を合わせた後、先に船へ戻っていった。胡坐をかいて目を閉じる。自分の名を呼ぶ声を、風に靡く髪を、優しく微笑む輪郭を、ゆっくりと時間をかけて思い出していく。
大丈夫だ、まだ忘れていない。
故人の記憶は風化することを知っている。かつて同じ夢をみた金の髪が眩しい兄弟の顔や声は、もうずいぶんと曖昧になってしまった。あの人のことも、いつかは虫食いの地図のように欠けていくのだろう。それでも、ほんの少しでも長く留めておきたくて。エースは毎年、墓前で思いを馳せている。

エドワード・ニューゲートが父ならば、彼はエースにとって初めて兄を意識した人だった。
船長に牙を剥いては打ち負かされてばかりの自分のもとに真っ先にやってきては医務室でナースたちと手当をしてくれた。いつだってにこやかで、優しく諭すところがマキノみたいだった。一度故郷の恩人に重なってしまうとなんだか強く出れなくなってしまって、そんな様子を見かけたクルーにからかわれて。そんなことを繰り返して、いつしかおれは白ひげ海賊団の一員になった。

 なにかにつけて頭を撫でてくるのが恥ずかしくて「子供扱いするな」と苦言を言えば「弟扱いだ」なんて屁理屈をこねてやめてくれなったけど、別に嫌じゃなかった。マルコ達がにやにやした顔で見てくるのはむかついたけど。わしゃわしゃとかき混ぜるようにして、そのあとで乱れた髪を梳かすように指を滑らせるのは心地よかった。
 宴の時にサッチやイゾウ達と酒を飲んでいたから、同じ物をもらおうとしたら「成人してから」とよくわからないことを言って飲ませてくれなかったのは不満だった。大して歳変わらねえだろと口を尖らせても頑として譲らなかったから早く成人してえ、なんて、文句を垂れてジュースを飲んでいたのに。もうすぐアンタの歳を追い抜いちまうのが、少し悲しい。
 一緒に桜を見てから、あの人が街中で言い寄られてる場面に出くわしたり、自分以外のクルーとの距離が近かったりすると胸のあたりがもやもやして仕方なかった。顔に出やすい性質のせいか、何かを察したナースたちには「がんばれ」って言われたけど、何をがんばればいいのかもわからなくて。いつもはどうやって話していたっけとか、かっこ悪いとこを見せたくないとか、そんな気持ちが堂々巡りして。他の兄貴分にはいつも通りでいられるのに、あの人を前にすると調子が狂ってしまう。反抗期の子供みたいな態度を取っては落ち込んでいた。今思い出しても恥ずかしくて頭を抱えたくなるから、向こうのアンタが忘れててくれることを願う。
そわそわと落ち着かないおれを見かねたクルーの助言でプレゼントを用意した。いつもは他の海賊から奪った財宝を贈ったり、船の飾りつけを手伝ったりしてたから、誕生日のために何かを買うなんて思いもよらなかった。プレゼントを贈るのは、ルフィやサボ、親父以外じゃあんたが4人目だ。でも、贈り物一つ渡すのにこんなに緊張したのは生まれて初めてかもしれない。どうやって渡そうか考えてるとうっかり炎が出そうになるから、焦がさないように部屋にある机の引き出しに鍵をかけて大事に仕舞ってたんだぜ。出番が無くなっちまったから、これからもあの引き出しには鍵がかかったままだけど、最近は、それでもいいと思うようになった。

クルーを庇ってあっけなく死ぬアンタを見ていた。俺の炎も、他の誰かの援護も間に合わなかった。能力者でもなく、たいして強くもないくせに。
血に塗れた体を抱き起して、喉が裂けるくらい、バカみたいに泣いた。

もっとたくさん話したかった。もっとたくさん冒険をしたかった。同じものを見て、同じ時間を過ごして、思い出を作って、縮まらない歳の差に嘆いてみたりして。
今でも食堂や甲板にアンタの影を見るんだ。一緒に買い出しに行った行きつけの店や、アンタがよく食べていた菓子や酒を見ると思い出が過るんだ。どこにいても、何をしても、いつだって近くにアンタがいたのに。心の深いところまでぽっかりと穴が開いてるみたいで、胸の奥がつっかえて、涙が溢れてたまらない。

伝えたいことがあった。誰でもないアンタに知ってもらいたい気持ちがあった。

「好きだ」

さらさらと葉のそよぐ音、舞い上がる花びら。思い出の中で微笑む人に想いを告げても、声は返ってこない。