ゴーストくん

よくあることだった。
突っかかってきた連中の喧嘩を買った。いつもはバカのひとつ覚えのように短調な攻撃を仕掛けてくる奴らだから、今回も軽くいなしてやろう。自信はあった。負けるはずがないと余裕すらあった。しかし今回は小賢しくも頭を使ったらしい。弾き飛ばされたマジカルペンに思わず舌打ちをする。ここは渡り廊下だ。教室なら机や教卓の影で体勢を整えることもできたが狭い通路ではそれもできない。あるいはそれも織り込んで吹っかけてきたのかもしれない。鬼の首を取ったようにニヤニヤと下品な顔でペン先を向ける連中を睨む。転がっていくペンを目で追った隙を狙って一斉に攻撃を仕掛けられ、本能的に頭を守ろうと体が動いたところで、横から衝撃がきた。
向けられた魔法が俺を突き飛ばした男に直撃する。吹っ飛ばされ浮き上がった体が廊下の柵を越えて消えた。重く鈍い音が耳に届いて、それがどういうことか理解するのにどれくらい時間がかかっただろう。数秒なのか、数分だったのか。

落ちた。

俺の幼馴染みが、俺を庇って。ここは4階だ。攻撃魔法を受けた勢いと重力で叩きつけられたらどうなるか。ざ…と血の気の引く感覚に気分が悪くなる。マジカルペンを拾いあげて石の回廊を駆ける。こんな時に箒があればと奥歯を噛み締めて石畳を強く蹴った。

「ナマエ!」

地上に降りた時には人だかりができつつあった。黒い群れをかき分けて飛び込んで、立ち尽くす。頭の中の冷静な部分が手遅れだと呟いた。その思考を振り払うように横たわる体に手を伸ばす。
いくら治癒の魔法をかけても、回復しようとペンを振っても淡い光が体を包むだけで何も変わらない。おかしな方向に曲がった体から命が溢れ出ていくのをみているのが耐えられなくて、何かしないと、どうにかしないとと傷口を押さえた。指の間から零れ落ちていく生温さに寒気が止まらない。
いつもなら俺が名前を呼ぶだけで幸せそうに笑うくせに。
わななく体を必死に抑え込んで吠えるように名前を呼んだ。何度も、何度も。必死だった。目の前にある現実に感情が追いつかなくて、こみ上げてくる吐き気にえずきそうになる。
違う、違う!そんなはずはない。こんなに簡単にコイツがくたばるものか!
誰かに引き離されそうになっても振り払って縋り付いたところで、がくりと体から力が抜けた。

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駆けつけた教師が錯乱する自分を昏倒させたのだと、保健室のベッドで聞かされた。
ナマエは即死だったらしい。そんなことは、あの濁った瞳を見た時からわかっていた。ただ受け入れたくなかっただけだ。
どうしてこんなことになったんだろう。あんな連中の相手をしなければよかった。自分の力を過信しなければよかった。
あいつじゃなくてオレが死ねばよかったのに。
デイヴィスくん、大好きだよ。毎日のようにそう言って笑っていた幼馴染みの顔が赤く塗りつぶされていく。誰よりも近くで見ていたはずなのに、どうして思い出せないんだろう。暗く澱んだ瞳がオレを責めているようで、頭に焼き付いて離れない。

身寄りのないナマエは学園の隅に埋葬された。
こんな灰色の世界でどうして俺は生きているのだろう。授業も食事も、なにもする気になれない。なにもかもどうでもいい。デイヴィスくんと呼ぶ声が頭の中にこだましては心を苛んでいく。オレのせいであいつは死んだんだ。オレが軽はずみな行動を取ったから。あの甘やかな声で名前を呼ばれるのが好きだった。声だけじゃない。夢中になると周りが見えなくなるところや、湿気でうねる髪を整えるのにいつも苦戦していた姿も。あいつの全部が好きだったのに。ナマエはいつも好きだと言ってくれていたのに。意地なんて張らずにオレも同じ気持ちだと伝えればよかった。いつでも言えるとたかを括って、また明日なんて根拠もなく信じて。結局何も伝えられないまま、ナマエはいなくなってしまった。こんな苦しみがこれから永遠に続くなんて耐えられない。寂しい。
ナマエに会いたい。

「デイヴィスくん」

窓に目を向けると幼馴染みが笑っている。ああ、ついに幻覚まで見るようになったらしい。

「あれ、デイヴィスくん?なんかめっちゃ顔色悪くない?」

幻聴すら聞こえる。もうなんでもいい。あいつに会えるなら気が狂ったって構うものか。
優しい言葉なんてかけてくれなくていい。口汚く罵ってほしい。お前のせいで死んだのだと糾弾してほしい。許されるなんて思わない。お前の言葉ならなんだって受け入れる。

「お願いだ。なんでもいいから喋ってくれ」

「えっ…うーん、かっこいいお顔が台無し…でもないか。アンニュイな色気が駄々漏れでこれはこれでとても良いね。でもやっぱいつものデイヴィスくんのほうがオレは好きかな」

「………は?」

コイツは本当に幻覚なのか?たしかにおちゃらけたことを大真面目にいうやつだったが、この状況でこんな、オレに都合のいい言葉をかけるなんて。

「オレのせいで死んだんだぞ。憎くないのか?」

「いやいや、それは違うよ。オレを殺したのはあのバカ達だし。デイヴィスくんが気に病むことじゃないよ」

「だってオレを庇って、お前は」

あの瞬間を思い出して目の奥が熱くなる。枯れたと思っていた涙がぼろぼろと頬を伝い落ちていくのが止められない。バカはお前もだろう。気にするに決まってる。

「わ、泣かないでよ〜!今のオレはハンカチを出しても触れないゴーストなんだよ。見てるだけとか心が抉れそう。オレは大丈夫だから!ね、全然痛くないしさ」

「…ゴースト?」

ゴーストって食堂や廃墟にいるあれと同じ半透明の…幽霊。死者の魂が形を成したもの。

「そうだよ、さっき目が覚めてさあ。あれからどうなったかわかんないし、デイヴィスくんが大怪我してたら大変だなって思って飛んできちゃった。そしたらすごい隈作って泣いてるんだもん。びっくりしちゃったよ」

なんだそれ、なんだよそれ意味がわからない。幽霊になってもオレのことばかり優先しやがってこの大馬鹿は。悲しいとか後悔とかないのか!

「お前は!!もっと自分を大切にしろよ!!!なんでオレなんか庇ったんだ!その挙句に死んでっ、どうするんだよ…これから、もっとたくさん、オレはお前ともっとっ…い、一緒に…っ」

久しぶりに大声を出した。喉が張り付いてうまく言葉が出てこない。こんなことが言いたいわけじゃなかった。ごめんとありがとうと、もっと他に伝えたいことはたくさんあるのに。

「死んじゃってごめんね」

眉を下げて頭を掻く。子供の頃からのナマエの癖。ああ、本当にあいつはゴーストになったんだ。さっきまで一目会えればいいと思っていたのに。欲深いオレは今は触れ合えないことが悲しい。目の前にいるのに抱きしめることもできないなんて。

「でも、デイヴィスくんが死ななくて本当によかったって思ってるんだ。オレは君を恨んだりなんかしてない。ずっと大好きだよ、だから生きて。ね、そんな顔しないでよ。元気を出して」

それはどんな魔法よりも強く、呪いのように重い言葉だった。死んでなお好きだという奴を前に、オレの意地やプライドがどんなにちっぽけで下らないものだったのか痛感させられた。両想いだってわかっていたのに、2人で歩く未来は永遠に失われてしまった。

「オレもお前が好きだ」

目を見開いて呆けた顔をしたナマエの輪郭をなぞるように手を滑らせる。生者の温もりも、皮膚の感触もない。それでも、これからもオレはお前を愛し続ける。
ナマエの好きなデイヴィス・クルーウェルらしく、にやりと不敵な笑みを浮かべてみせる。
お前の望む通り、天寿を全うしてやるから、俺が死ぬまで成仏するなよ。