周りから恐れられ、疎まれてきた魔法だが今回ほど役に立つと思ったことはない。
古びた鏡台がぼろぼろと形を崩し、砂の山が風に流れていくのを見届けて、レオナは廃墟をあとにした。
例えば魔法のチョークで描かれた絵の中に飛び込んだり。例えば兎が通れるほどの小さな穴だったり。異世界へ渡る方法は、探せばそれなりに見つかるものだ。そんなマジックアイテムを「厄介なことだ」とため息混じりに取り寄せて、あるいは自ら足を運んでひとつひとつ壊していくのが彼の目的である。
きっかけはとある少年の言葉だった。
「別の世界から来たんです」
内緒ですよ、と声を潜めて自身の秘密を打ち明けてくれたのは、レオナが想いを寄せる相手だ。王族らしく傲慢に、それでいて相手が離れていかない程度に優しく。手元に置いておきたいと思った時からそのように接して、ようやく自分の部屋にやってくることに躊躇しなくなった草食動物。距離が縮まったと思った矢先に明かされた秘密に、さも興味ありませんなんて顔で、ベッドで横になりながら眠そうな声で生返事を返すポーズまでした。実際はざわりと心臓を撫でられる心地がして睡魔など吹っ飛んでいたのだが。
「帰る方法がわかったら、お前はここからいなくなるのか?」
少しの沈黙の後、こぼれたのはそんな問いかけだ。自分がどんな答えを期待しているのか自覚した上で、レオナは背後の相手が返す言葉もわかっていた。
「そうですね。この世界は知らないことばかりで楽しいですし、友達もいますけど、やっぱり家に帰りたいので」
故郷が恋しい。
家族に会いたい。
そのどちらにも複雑な思いを持つレオナには共感しにくい感覚だったが、目の前の相手にとって切実な願いであることは伝わってきた。手段が見つかれば目の前の男は本当にこの世界から去っていくのだろう。
寂しいけれどさようなら。そう笑って、手を振って。自分から離れていくことが容易に想像できた。できてしまったことが悔しかった。
十数年暮らした故郷とこの世界ならどちらに天秤が傾くかなど、考えるまでもない。自分の存在がこの男の中でまださほど大きくもないことはわかっている。それは彼がマブと呼称する友人や先輩、教師、そしてオンボロ寮で寝食を共にする魔獣にも言えることだ。
誰も彼もが監督生を引き留めるに足り得ない。
監督生に秘密を共有されてから、レオナは異世界に行く方法を調べ始め、真偽を問わずその尽くを破壊していった。
極秘裏に行っていたわけではない。レオナの地位と権力があれば自分の手を煩わせずに隠滅することも、情報を秘匿することだってできた。敢えてそうしなかったのはひとえに彼のエゴだ。自分の行いを知ったあの少年がどのような行動をするか知りたかった。もっと言えば、糾弾され、嫌悪されたかったのかもしれない。
去ってほしくないからと、好いた相手の願いを砕いていく自分の罪を暴いてほしい。どんな形であれ、誰よりも強い感情を向けられたい。そして自分は彼の中に消えない傷を残してやりたい。
そんな、どこまでも自分本位な欲求に呆れながらも止めることはせず、レオナは今日もまたひとつ魔法道具を砂に変える。あの男の望みを叶えてくれるかもしれない願望機を粉微塵にして靴底で丹念にすり潰していった。
そんなレオナの行動に、図書館やインターネットで片っ端から情報を集めていた監督生が気付くのは時間の問題だった。
「ひどい人ですね、レオナさん」
まなじりを吊り上げて怒りを露わにする監督生に対しレオナは落ち着いていた。
「別に、嫌われるのは慣れてる。憎んでくれたっていい。殴って少しでも気が晴れるならそうすりゃあいい。オレは抵抗しない」
無抵抗を示すように両手を広げれば、左頬に衝撃が来た。よろけるほどの強さではないが、じんじんと熱を持ち始めた頬に指を当て監督生を見下ろすと、充血した瞳と目が合った。
「あなたの行いを、オレはきっと許しません」
だろうな、と内心独りごちた。そうなるように仕向けた節もある。おそらく自分は今、目の前の男から最も強い感情を向けられていることだろう。目論見通りのはずなのに、心は暗く、重く、澱んでいく。
お前は怒りに震える時、そんな顔をするのか。
そんな顔を、させたくなかった。
今更な後悔と諦観に沈みかけた時。でも、と監督生の声がレオナの鼓膜を揺らした。
「でも、めんどくさがりな貴方がこれだけ手を尽くしていた理由が、オレに対する嫌がらせとかじゃなくて。帰ってほしくない、だったとしたら」
は、と身の内の感情を抑えるように監督生が小さく息を吐いた。
「ああ、ちくしょう。ちょっとだけ、嬉しいって思ってしまう」
両手で顔を覆い俯く監督生の耳が赤いのを見て、レオナは目を瞠った。
「憎めたらよかったのに。貴方に想われていたことを、嬉しいと思ってしまう自分がいるんです」
くぐもった声で告白する、その震える肩に触れて、レオナはそのままゆっくりと背中に腕を回した。
もう触れる資格もないと思っていた。拒絶されてもおかしくない。なのに自分の背中に回された温もりにたまらなくなって、監督生の肩に顔を埋めた。
すん、と鼻をすすれば腕の中から涙に濡れた声がする。
「泣きたいのはこっちですよ。オレ今情緒めちゃくちゃなんですから」
「――ああ」
第二王子がなんて無様だと心の中で自嘲しながら、それでも溢れる涙を見られたくなくて、抱きしめる腕に力を込めた。