昨今、飲食店や企業で受動喫煙の防止などを目的として進められている喫煙対策は、未成年が多く所属する組織であるボーダーでも取り入れられ、隊員たちの憩いの場として設けられたラウンジの片隅にスモークガラスで区切られたスペースが整備されていた。
ガラスで隔てられているのでラウンジの騒がしさは遠く、分煙機の機械音も不快に感じるほどではない。ジリリと燃える紙巻をくゆらせて、フィルターに吸い込まれていく煙をぼんやりと眺めていると空気が動く気配がした。
近づいてくる足音の方に視線を動かせば見知った顔。よお、と片手を挙げる男に同じく右手を挙げて返す。どうやら喫煙ルームに入る前から煙草を咥えていたようだが火は点いていない。ごそごそと上着のポケットを探っているのはライターが見つからないからだろうと当たりをつけて自分のものを差し出せば、ン、と顔を近づけてきたので火を点けてやった。
「お前がここにいるなんて珍しいじゃねえか、なんかあったのか?」
美味そうに煙を吐き出してニッと口角を吊り上げた諏訪に、肺に紫煙を取り込みながら気の抜けたような声で答えた。ミョウジは特に煙草が好きではないし、習慣になるほど嗜むわけでもない。それでも無性に吸いたくなるのは決まって自分の力だけで解決できない問題に直面した時だった。
「そろそろ好い人見つけて結婚しろだとさ」
ゆらゆらと立ち上る二本の煙を視線で追いながら、ここ数日頭を悩ませている要因を口にすれば今度は諏訪が気の抜けた声を上げた。何も言わず先を促す視線から目をそらすように天井を見上げて、胸の中に渦巻く靄を吐き出すように口を開いた。
近界民の脅威から人類を守る界境防衛機関という組織の性質上、そこに所属する人間にはどうしても命の危険が付き纏う。緊急脱出機能があるものの、前線で戦う限り死なないという保証はない。ボーダーを除隊して一般の社会人として腰を落ち着けてほしい、できれば孫の顔が見たい。そんな言外の願いも無下にできず、どこからか見つけてきた相手と見合いをしたのが先週の土曜。様子を窺うような親の視線を、考える時間がほしいと言ってやりすごしている。
「せめてお相手の子の性格が悪けりゃ断る口実になったんだけどなあ」
「いい人だったのか」
「ちょっと夢見がちな印象も持ったけど優しくてかわいい人だった。ボーダーに所属してるって言ったらカッコいいってさ。嵐山のファンなんだと」
「あー…あいつのファンほんと多いよなあ」
俺もファンですとか言われてみてえ、吸い殻を灰皿に押し付けて諏訪がぼやく。諏訪は男気があって恰好いいだろとミョウジが言えば、わしゃりと撫でるように頭をはたかれた。親しい相手には素面で言うのが憚られるような事も直球で述べるのがミョウジの性格であり、そのため照れ隠しに小さな反撃をされることは良く見られる光景である。脱線しかけた話を戻すように諏訪は小さく咳払いをした。
「結局お前はどうしたいんだよ。悪い相手じゃなかったんだろ?」
「たしかにいい子だったけど、それだけだなあ。強いて言うなら守るべき市民の一人という感じか。これからも会いたいとか話がしたいと思うわけでもないかな」
「なら無理に付き合うこともねえじゃねえか。お前の親だってお前の気持ちを無視してまでどうこうしたいとは考えてねえんじゃねえの」
「!…それもそうか、そうだよな」
天啓を得たかのようにぱちりと瞠目し、ミョウジは思案した。思えば先日の大規模侵攻をうけて、自分の息子の身を案じたことが発端だったのだ。心配してくれる両親の気持ちはうれしいが、だからといって自分を圧し殺してまでボーダーをやめて結婚してほしいとは思っていないだろう。気持ちもないのにお付き合いをするのは相手の女性にも失礼だ。
ミョウジはボーダーが好きだった。仲間たちと切磋琢磨して強さを磨き、人類に害をもたらす者たちから世界を守るという任務にやりがいと誇りを持っている。両親の物憂げな顔に自分の気持ちを伝える機会を逃していたが、一度きちんと話し合うべきだ。そして今回の見合いの件はきっぱり断ろう。そう結論を出したミョウジの表情は晴れやかだった。
「相手のことをよく見てるし、的確なアドバイスをくれる。やっぱり諏訪はかっこいいと思うよ」
「やめろやめろ!大真面目な顔でおま、この、言われる側はハズいんだよ」
「本当のことだろうが」
「だーーー!!くそ!!!お悩み相談してやったんだから今日はお前の奢りな!肉食うぞ!」
「いいな、焼き肉行こう。東さんや米屋たちも誘おうか」
がしがしと頭を掻いて諏訪がやけくそな提案をしてもミョウジは笑顔で頷いた。頭を悩ませていた面倒事が解決したのだ。美味いものを食べに行きたい気分だった。自分が言い出した事で後に引けなくなった男は高い肉しこたま食ってやる、などと息巻いているが、予算のこともちゃんと配慮してくれることをミョウジは知っていた。
ガラスで区切られた小さな閉鎖空間から男たちが出ていく。ラウンジの喧騒に紛れ、いつもの日常に戻っていった。