重たい瞼を持ち上げて携帯を確認すれば、設定しているアラームより少しだけ早く目が覚めてしまったらしい。もうひと眠りしたいところだが、心地良くなってきた頃に叩き起こされる時間だ。ならいっそ今起き上がった方がまだ気分が良い。
そうは思えど、なかなか動こうとしない体はもぞもぞと寝返りをうつばかりで。マットレスと掛け布団の間で未練がましくしていたら結局アラームが鳴ってしまった。あんまりうだうだしていたら身支度する時間がなくなってしまうので、しぶしぶベッドから足を下ろす。
部屋から出ると味噌汁の匂いがした。そういえば今朝は同居人がいたんだっけと働かない頭で考える。朝練は休みだと言っていた気がするが、それでも早起きなのだから朝が弱い身としては羨ましい。
顔を洗ってキッチンに向かえば、鍋から湯気が立っていた。寝る前にセットしておいた炊飯器から白米を茶碗によそい、お椀に味噌汁を注ぐ。冷蔵庫から取ってきた卵を白米の上に割り落とし醤油をかければ朝飯の完成だ。
卵は完全栄養食だとサンジが言ってたので野菜を摂る代わりに栄養はこれで補います。
「野菜と卵は違う」と、イマジナリーコックが顔をしかめているがそこはそれ。野菜が嫌いというわけではないけど、積極的に食べたいわけでもない。何よりわざわざ切るのがめんどくさいのだ。洗い物も増えるし。
両手に食器を持ってリビングに向かうと、同居人はすでに朝食を済ませて湯呑を手にテレビを見ていた。「おはよ」と寝起きの掠れ声で言えば、目線をテレビに向けたままの相手から「はよ」と短く返ってくる。画面の向こうでは、お天気お姉さんが隣に置かれたフリップに指揮棒を当ててにこやかに解説をしていた。今日は晴れるらしい。
「ゾロも一限からだっけ?」
「ああ。帰りは遅くなるのか?」
「今日は4限までだし、バイトもないから夕方には帰ると思う」
「そうか」
天気予報が終わり、着ぐるみのキャラクターが何やら身振り手振りを始めたタイミングで、あくびをしたゾロがリモコンのボタンを押した。鹿かトナカイかよくわからない着ぐるみからスーツの男性がニュースを読み上げる姿に切り替わる。画面端に映る時計を見て、オレは少し急いで朝飯をかき込んだ。
食器をシンクに置いたら、部屋干し用の洗濯竿に引っ掛けていたハンガーからデニムとシャツを取って手早く着替える。
数日前と同じ服装だが、まあいいだろう。
ファッションにあまりこだわりがないせいで、つい何着かを着回してしまっている。最近じゃ洗濯物から服を選んでしまうから衣装ケースに片付けることも面倒になっていた。整理するか、と漠然と思っているものの結局改善しないままだ。
2人分の皿を洗ったり歯磨きしたりと身支度を整えればあっという間に家を出る時間になった。
テレビには今日の占いが映っていた。朝から授業のある日は、自分とついでに同居人の星座の順位を確認してから家を出るのが日課だったりする。
「お前今日1位だったぞ。気になる相手と急接近かも、だとさ」
「信じてねぇ」
「はいはい」
そっけない返事がくるとわかっていても話してしまうのは、ゾロもちょっとだけ気にしていることを知っているからだ。
占いの内容ではなく、星座の順位という意味で。本人は気付いているかわからないが、1位だと少しご機嫌になる。サンジより上だとわかるだけでもわずかに口角が上がるのだから、子供っぽいなと思ったり。
ちなみにおれは7位。そんなに真剣に見ているわけじゃないけど、上位だとなんかいいことあるかも、なんてちょっぴりいい気分になれるので見れる時はつい画面に目がいってしまう。今日は可もなく不可もない順位だったので普通。いつも通りが一番いい。
桜並木を眺めながら取り留めのないことを話し、校門前で部員獲得に熱を入れる学生たちの勧誘の声を聞き流しながら、するすると人の間をすり抜けていけば大学まであっという間だ。
高校を卒業し、いつもつるんでいたルフィ達と進路が分かれ、一般入試で合格したオレが、スポーツ推薦でたまたま同じ大学に通うことになったゾロとルームシェアを始めて2年目の春になりました。
剣道部に所属しているゾロと、部活やサークルには入らずバイト三昧のオレ。学科も違うので生活リズムも違えば、日頃つるむ交友関係も変わってしまったが、それでも特に疎遠になったり喧嘩することもなく平穏な日々を送っている。
「それじゃ」
「おう」
「お前の教室は逆だぞ」
「……おう」
あらぬ方に歩き出すゾロの軌道修正は慣れたものだ。なんなら高校時代からやっているので日常といっても良いかもしれない。なんの自慢にもならないけど。
教室に向かう途中、教授の研究室に立ち寄って、ドアノブに吊るされた茶封筒にレポートを突っ込んでおいた。これで今日のノルマはほぼ達成。あとは4限にあるおじいちゃん先生の講義で眠気と格闘するくらいだろう。
***
眠気には勝てませんでした。
今日に限って一番前の席しか空いてなかったのもあり、船を漕いでいたのを見逃してくれなかったレイリー先生に資料整理という名の居残りを命じられ、結局学校を出たのは夕日が沈むころだった。
部活終わりの学生たちがちらほら歩いているのを横目に、ゾロはもう帰っているだろうかと思考を巡らせる。
夕飯どうしよう。当初の予定では買い出しに行くつもりだったが、なんだか面倒臭くなってしまった。牛丼とか、ハンバーガーとか、コンビニ弁当もありだな。米の気分なのでご飯系がいい。同居人も帰ってきていたら聞いてみよう。
食べたいものを思い浮かべて空腹感を抱えながらマンションの近くまできたところで、見慣れた緑頭を見つけた。それだけなら構わず声をかけていたのだが、隣を歩く人物に足が止まる。
女の人だ。緑がかった青い髪を靡かせてなにやら親し気に話している、ように見える。
あの人、光月さんじゃね?
自称情報通の友人曰く、容姿の美しさと人柄から男女関係なく人気があるとか。口元に手を当てて楽し気に微笑む彼女に対し、ゾロは特に相手の方に顔を向けるわけでもなく普段と変わらぬ態度で歩いている。少し距離があるから会話の内容は分からない。
2人がマンションのオートロックを開けて入っていくまで電柱の影から見届けて、オレは詰めていた息を吐いた。
「えぇ、帰れねえじゃん……」
あいつ恋人いたのか。
というか、彼女を家に呼ぶならオレにも一言連絡しろ。
先に帰ってたら鉢合わせてたし気まずくなっちゃってたろうが。これはあとで説教ですな。
ともあれ、これからどうするか考えなくては。まさか泊めることはないだろうけど、夕飯くらいは食べて帰るのかもしれない。どこか適当な店で時間を潰してもいいが、「彼女っていつ帰るの?」なんてデリカシーに欠けたメッセージをゾロに送るわけにもいかない。いやほんと、なんでオレがこんな気を遣わにゃならんのだ。でも万が一のことを思えば今日は帰らない方が賢明なのかも。
若干もやもやとした気持ちでメッセージアプリを開いた。1番上に表示されている幼馴染のトーク画面に文字を打ち込んでいく。
――いま暇? 飯食いにいかん?
送ってすぐに既読が付いた。珍しい。1日経っても返事が来ないことだってザラなのに。
――行く!
ぽこ、とゆるい音で返ってきた文字に適当なスタンプを送って、そのまま集合場所も決めてしまう。いつまでもこんなとこに突っ立っていても仕方ないのでさっさと移動することにした。
どうせなら他に都合のつく奴らも呼んでしまえ、ということになり声をかけた結果、サンジとナミが釣れたので居酒屋に行くことになった。
ウソップは彼女と先約があり、チョッパーは医大で忙しいらしい。ロビンは遺跡関係で遠征すると数日前から留守にしていて、フランキー、ブルック、ジンベエは先輩で社会人なので急に時間は取れないだろうと今回は声をかけなかった。
みんな元気にやってることは知っているので、また近いうちに花見の企画でも立てるか。先に待ち合わせ場所に着いたルフィとそんなことを話しているうちにナミとサンジがやってきた。
乾杯してグラスを傾けた後、「酒といえば」とルフィが首を傾げる。
「ゾロはどうしたんだ?」
「あー、彼女とよろしくしてんじゃね」
「なんだと」
「え、なにそれ詳しく」
お通しのポテサラを摘みながら質問に答えれば、向かいに座るナミとサンジが食いついてきた。かたや嫉妬の炎をメラメラさせ、かたや驚きと好奇心で目をキラキラさせている。オレの隣でお通しを秒で平らげたルフィも流石に気になったのか、こっちに顔を向けてぽかんとしていた。
「大学の帰りに、女の子と歩いてんの見た」
「え〜、それだけじゃ恋人かわかんないじゃない」
「そのまま家に入ってったの。だから飯行こうって声かけたんだよ」
あの野郎、オレの家でもあるというのに、なんの断りもなく……!
ぶり返してきた怒りを発散すべく、ちょうど運ばれてきた唐揚げに噛みついた。揚げたてだったのでまあまあ熱かったが、香ばしいスパイスとジューシーな肉汁が空きっ腹に沁みる。特に鶏皮のカリカリがいい。
すかさずルフィも箸を伸ばしたので、全部取られまいと向かいの2人も自分の分を確保していた。
「あのゾロがねぇ。ちょっと信じらんないわ。どんな子? あんたも知ってる子?」
「見たことあるけど話したことはないな」
外見の特徴を伝えればジョッキを煽ったサンジが忌々しげにしている。
「マリモのくせに生意気な……!」
「な。それがさぁ、アイツ割とモテるんだよ」
「……あ?」
「そっけないようでさりげなく気を遣ってくれるとか、1人でなんでもできそうなのに結構抜けてるギャップが良いとか。女子が話してんの聞いたことあるぞ。試合の応援に行く子もいるらしい」
高校の頃から人気だったが、大学生になっても衰えないというか、むしろヒートアップしているように見える。年を重ねると外見や運動神経だけでなく内面にもより目を向けるようになると何かで見た気がするが、誰に対しても下心なく同じ態度で接するところも好感を持たれる要因なのかもしれない。
気にくわないという気持ちが顔と態度から駄々洩れなサンジだが、こいつも普通にしてればモテるのだ。女性の前でメロリンしなければな。でもそうしないサンジはもはや別人なので……。
「ふざっけんな! あんな方向音痴のどこがいいんだ……おれなんてっ、おれなんてなぁ……!」
怒りのボルテージが振り切ったのか、酒が入ってタガが外れたのか、眉を吊り上げていた顔が一転、おいおいと嘆くサンジに「また始まった」と呆れ声でナミが苦笑した。
郊外にある調理師専門学校に入学したサンジだったが、聞けば随分と癖の強い生徒が多いらしい。
攻めの料理とやらを理念に掲げた他校にはない強みと、卒業生たちの経歴に惹かれて選んだと本人は言っていたが、"美人が多い"と噂の学校であったことも理由のひとつだろうことはオレたちの間では周知だった。世界中のレディを愛するために生きる、と豪語するこの男がそんな話を聞いて浮わつかないわけがない。
しかし、バラ色の学校生活を夢見て鼻の下を伸ばしていたというのに、高校を卒業して初めて会った時にはすっかり元気を無くしていたのには驚いたものだ。学校や生徒の写真は頑なに見せてくれないので詳細は今でもわからないけど。ただ、たまに作ってくれる料理が格段に美味くなっているから、なんだかんだ言いつつ充実しているんだろう。
ぐずぐずと鼻を啜っていたサンジだが、ナミに「メニュー取って」と頼まれただけで元気になるのだから心配する気にもならない。
それからは各々の近況に話題が移り、「あんたはもっと服に気を遣いなさいよね」とアパレル系の専門学校に通うナミからお小言をもらったり、話の流れでルフィが大学の女帝系先輩から猛アプローチされてることを知ったサンジが羨ましげにしたりと話題が途切れることもなく。酒飲みのペースに釣られて多めにアルコールを飲んでしまったので酔いを覚まそうとお冷をちびちび飲んでいたらポケットの携帯が震えた。
「んぁ、ゾロだ」
「アイツなんて?」
「ん〜、今どこにいるー? って」
そういやゾロには外で食べること伝えてなかったな。夕方には帰るって言ってたのにいつまでも帰ってこないから連絡してきたのだろうか。別に気にしなくてもいいのに。
カメラアプリを起動して3人に向ければそれぞれポーズを決めるからノリが良くて助かる。パシャリと撮った写真をそのまま送信して「飲んでる」と打ちこめばすぐに「場所は」と返ってきた。
「ゾロも来るって」
「そうこなくっちゃな! 肉追加しとこう!」
「おうおう主役は遅れて登場ってか」
「恋人の話とやら、じっくり聞かせてもらおうじゃないの」
それぞれがにんまりと笑みを浮かべ、待ち構える体勢を見せる。高校からの付き合いだが、これまで浮いた話のひとつもなかった朴念仁の恋の話題となれば興味もひかれるのだろう。恋バナより食い気が勝っているルフィは置いておくとして。
「じゃあちょっと迎えにいってくるわ」
「おーう、任せた!」
グラスに残っていたウーロンハイを流し込んで席を立つと、メニューに視線を落としたルフィがひらひらと手を振った。
あいつに場所伝えたところで1人で来れるわけがないんだよなあ……。
「迎えに行くからマンションから動くな」と返事を投げてデニムのポケットに携帯を突っ込んだ。
世話の焼ける奴め。
***
マンションの入り口で待っていたゾロは「なんで言わねぇんだ」と、どことなく不服そうにしていた。
どうやら居酒屋の場所を教えなかったことがご不満らしい。地図を見て上が北だとほざくような野郎が住所教えて辿り着けるわけねぇだろ。無自覚はこれだから。
ぐだぐた言ったところでこの男が現実を受け入れないことはわかっているので、手首をひっつかんで店に戻ることにした。体のどこかしらを捕まえておかないといつの間にかいなくなっているのがゾロという男だ。
あと何年一緒にいるかわからないが、こんなことが続くならいよいよ迷子防止用のハーネスでも買った方がいいのかもしれない。
……いや、手を繋ぐのとリードを握るのじゃ後者の方が絵面がキツいな……。
脳内に浮かべてしまった想像を打ち消して再び居酒屋の暖簾をくぐれば、口いっぱいにチヂミを頬張ったルフィがフガフガ言いながら手を上げた。多分「おかえり」って言ったんだと思うが、食べながら話すなよ。
席につくと自分の皿に残しておいた唐揚げが消えていたので食い意地の張った黒い頭をはたいた。
食ったな! 食うと思ってたけど!
「来たなマリモこの野郎」
「おつかれ〜」
初手から喧嘩腰のサンジとご機嫌に酒をあおるナミ。対照的な2人を前に、オレの隣に座ったゾロは怪訝な顔をしながらも早速運ばれてきたビールを一気飲みしていた。オレはそんなに酒に強くないからナミとゾロの飲みっぷりは少し羨ましい。度数の高い酒を顔色変えずにぐいぐい飲めるのっていいよな。いろんな酒楽しめそうで。
「……で?かわいい彼女ができたんだってな」
「あぁ?」
待ちきれなくなったのかサンジが話を振った。ナミはスマホに向けていた顔をあげて、とん平焼きに集中していたルフィも耳を傾けている。
人の色恋にさして興味はないけど、自分の生活に関わってくるかもしれないのでオレも聞いておきたい。三人の視線を受けた当人は心当たりがないとでも言うように首を傾げた。
「何の話だ」
「ネタはあがってんだ。いいから白状しろよ」
「さっさと話して楽になっちゃいなさい」
「そうだ汗くせぇ」
「”水臭い"だ、ルフィ。……あー、ゾロくんや。今日の夕方に女の子と家に入ってったよな? そのことについて知りたいんだけど」
ガラの悪い取り調べにも「妙な言いがかりを」と意に介さない様子に、話題のきっかけになった出来事について聞けば追加のウイスキーを傾けていたゾロはようやく思い当たったのか、ぴくりと眉を上げた。
「ああ、あれか。ありゃなんでもねえよ」
「嘘つけ! なんでもないのに何で家に呼んでんだよ!」
がなるサンジにうるさそうな顔でため息を吐いたゾロはジョッキを置いて箸を手にした。
「部活で使ってた道具の取り違えがあったんだ。昨日、オレの防具をアイツの兄貴が間違えて持ってっちまったんだよ。本人は家の用事で来れないとかで代わりに妹が返しに来た。今日は部活がなくてその防具も家に置いてたから部屋まで来てもらった。これで満足か?」
白米の上にイカの塩辛を乗せて口に運びながら事情を話したゾロは、じろりと3人に目を向けて、最後にオレをねめつけた。じっとりとした視線が痛い。
「い、いやぁオレはてっきりゾロに恋人ができたとばかり。あはは、なんかゴメン」
両手を合わせて謝れば、ゾロはふんと鼻を鳴らした。そわそわしていた3人もすっかり肩透かしを食らった雰囲気になっている。
早とちりで巻き込んじゃってすいません、と笑って言えば別に良いけど、と頬杖をついたナミが少し呆れた顔をした。
「なぁんだ、ナマエの勘違いだったの。つまんなーい」
「おかしいと思ったんだ。こんな刀バカに彼女ができるわけがねえ」
「にしし、まあなんでもいいや。飯追加だー!」
「酒も追加だ」
***
それからラストオーダーまでだらだらと飲み食いして解散になった。
ゾロの恋人疑惑をネタにチクチク煽るサンジにルフィが「サンジの学校はどうなんだ?」と聞いたのが大いに刺さったらしく、「もうやめようこの話」と萎れていたのには笑ってしまった。本人には悪いけど。一体どんな学生生活を送っているのか気になってしまう。ニューカマーがどうのと言っていたが、文化祭があるなら一度覗いてみるのもおもしろそうだ。
「あー、食った。飲みすぎた」
「転ぶなよ」
「へーい。そっちこそちゃんとついてこいよ〜」
夜風が涼しい。
ふわふわした感覚を楽しみながら歩いていれば、見てられなくなったのかゾロに腕を掴まれた。千鳥足になるほどべろべろに酔ってるわけじゃないのに。こいつに任せたら一生帰れないので一応ちゃんとセーブしてはいたのだ。ただちょっと酒豪のペースにつられたせいで眠くなってきてる。
「お前、おれが誰かと付き合ったらどう思う」
電柱のライトが点々と灯る住宅街は夜中なこともあり人気がない。隣を歩くゾロの呟くような声もよく聞こえた。
「なに、やっぱ光月さん好きなん?」
「違ぇよ」
「じゃあ、他に好きな人がいるとか?」
「……いや、例え話だ」
自分より少し背の高い男を見上げてみても目は合わない。ただ前を見てオレの言葉を待っているようだった。
「どうもこうも。好きにすりゃいいと思う。ちょっと寂しいけど」
「――そうか」
「恋人できて同棲するってなったら引っ越すから。ちゃんと言えよ〜」
「それはねぇよ」
「はは、それはねぇか」
これまでも、よく遊んでた友達に恋人ができた途端誘っても乗ってこなくなる経験はあった。ぞんざいにされているわけじゃないけど、どうしても優先順位が変わってしまうのだろう。
ゾロだけじゃなくて、高校からよく一緒にいたあいつらにも、いつかそういう時が来るのかもしれないと思うとしんみりした気分になる。あ、ウソップは出会った時からカヤさんといい感じだったから寂しさよりお幸せにの気持ちが強いかな。
そこまで考えて、ふと、らしくないなと考える。他人がどう思おうが自分の決めた道を突き進むのがゾロという男の生き方だと思ってたんだが、珍しいこともあるものだ。
いやしかし、将来こいつと一緒になる人はとんでもない方向音痴と付き合わなきゃならないんだよな。本当に同情する。愛の前には些細なことかもしれないけれど、だいぶ厄介なので頑張ってほしい。
ぽやぽやした頭の中で思考をあっちこっちに飛ばしているうちに家についた。
脱衣所に向かったゾロを横目にソファに座ればもう立ち上がるのも億劫になってしまった。風呂は明日でいいか、などと思いながらリモコンのボタンを押す。なにかの映画を流すテレビをぼーっと見つめているうちにとろとろと瞼が落ちてくる。
画面の向こうでは、オレと年が変わらなさそうな青年たちが船に帆を張って港を出航するところだった。ドクロマークが描かれているからどうやら海賊映画らしい。
寝るならせめて歯磨きはしたい。そんなことを思っているうちに波の音に意識が攫われていった。
***
シャワーを浴びてリビングに戻ると同居人はソファで寝こけていた。冷蔵庫から缶ビールを取って隣に座る。つけっぱなしのテレビでは、若い海賊たちが要塞のような場所で戦っていた。腕が伸びたり、両手と口に刀を咥えて戦うようなファンタジー演出が多い作品だが隣の男が好みそうな内容だった。
今度、サブスクで再生したら食いついてくるだろうか。
「なんでそうなるんだよ」なんてツッコミをいれて笑って、それでも夢中になって画面を見つめる姿が思い浮かんだ。
今の暮らしに満足していた。
家事を分担したり、一緒に買い出しに行ったりとなんということのない出来事を楽しんでいた。ナマエが意外と寝汚いとか、優柔不断だったりだとか。共に暮らすことで良くも悪くも新たな一面を知ることができた。そうして好意を寄せる相手とひとつ屋根の下での生活に充足感を得ていた。
――いたのだが。
今日の一件で、ナマエが自分と同じ好意を持っていないらしいことをまざまざと突き付けられたことには少々堪えた。そして、ぬるま湯のような状況に甘んじていることはもうやめようと心に決めた。
ちょっと寂しい、なんて言うくせにへらへら笑いやがって。
おれが誰かと付き合ったとして、「どっちから告白した」とかアレコレ気になったことを聞いて、満足したらじゃあお幸せに、と手を振るに違いない。次はどこに住もうかな、と賃貸情報アプリと睨めっこしてロロノア・ゾロのことなど頭の片隅に追いやってしまうのだろう。
いや、あいつがおれたちに割く心の割合が大きいことはわかっているのでさっぱり忘れられるとは思っていないが、何かが減る気はする。会う頻度とか。
想像に易いのが余計に腹ただしくて、悔しい。
おれが誰かと付き合っていると聞けば平気でいられなくなればいい。
一緒にいたいと思ってほしい。
自身の言動が同居人の恋心を刺激していたことなど露知らず。だらしなく口を開けてすやすや眠る酔っぱらいは海賊旗を掲げて海原に繰り出す楽しい夢を見ていた。