何気ない日々の中に

 たまたま目についた本屋でとんでもないものを見つけた。
「おいマジかよ」と思わず独り言が漏れる。客のいない時間帯だったので、誰に拾われることもなかったのは幸いだった。

「異世界へ通じる道〜新天地へ〜」という、それはもう怪しさ満点なタイトルの本は、題名の通り異なる世界に行くための手段やパワースポットをまとめたものだ。
 ざっと流し読みすると、これまで他の本でも紹介されていた場所もあったが、知らない情報もそれなりにあった。

 こんな本を買おうものなら「事実無根で妄想の産物」などと、また一部の仲間に渋い顔をされるに違いない。
 オレだって、信じるか信じないかで言えば信じていない派だ。だった、という方が正しいか。
 昔はこういったテーマの番組を見ても、あくまでフィクションとして楽しんでいた側だったのだ。
 でも、当事者になってしまったのだから、嫌でも信じるしかない。

 この世界がオレの見ている夢だとか幻覚だとか、そんな可能性はとっくに無くなっている。怪我をすれば痛いし、溺れたら苦しいし、人に触れたら暖かいのだから。どれだけ目を逸らしても、どこまでも現実だった。そこはもう受け入れている。
 突然生きる世界が変わってしまったのだ。ならば帰りたいと思うのは当たり前のことだろう。
 しかし、かつて固く誓った「絶対に帰る」という決意は、残念な事にもうだいぶ揺らいでしまっている。
 この世界に骨を埋めることになっても「まあ、いいか」と思ってしまうんだろうな、と未来の自分の行く末を想像できるくらいには。
 だが、それはそれとして、帰る手段を探すのはもうライフワークになっているのだから仕方がない。海に出てからこの数年で怪しげな本を集めてしまうのは習慣になっていた。

 レジに向かう間に見かけた月刊船大工という雑誌がフランキーを特集していて、ページをめくりながら買うか最後まで悩んだものの、結局買わずに会計を済ませることにした。
 写真ブレッブレだし、取材内容はあってないようなもんだったし。
 うーん……流石にこれに金出すのはなあ……。

 本屋の扉をくぐり、立ち読みしたときに気になっていたページに持っていた新聞の切り抜きを栞代わりに挟んでカバンに詰めた。
 ルフィもじきに到着するだろうし、アイツはどうやっても目立つのだから、すぐ出港できるようにしておきたい。
 あとは何か必要なものはあったっけな。食材はサンジが買ってるだろうし、着替えの服をいくつか見繕っとくか。

***

「あんな本買う人いるんだ」

 いやまあ、人の趣味はそれぞれだけどさ、と扉の向こうに消えていく客を見送って、アルバイトの女性は独りごちた。

 数年前に入荷してから1冊も売れたことのない本で、いい加減処分するか検討する段階にきていたから正直なところありがたい。
このご時世だ。物騒な場所から逃げ出したくてどんな胡散臭い手段にも縋りたくなる気持ちもわからなくもない。
 だが、自分にはこんな世界でも燦然と輝くスターがいる。推しがいるって最高。人生が潤うし体調もよくなる。髪質も肌もツヤツヤになるし、メイクもバッチリ決まるのだ。つまりソウルキングは最高ってわけよ。

 レジの後ろの壁やテーブルに私物のポスターやタオルを飾り、カウンターで彼の特集された雑誌を読む。年中暇な本屋でバイト代も安いが、その分仕事中に好きなことができるからこのバイトはやめられない。
今日は彼のファイナルライブの当落もあるし、ぶっちゃけ気もそぞろだった。
はーぁ、といつ届くかわからない当落通知に思いを馳せていると、いつも立ち読みだけして買いもしないで大声で喋るクソガキどもの声がする。
またか、と重い腰を持ち上げた。

***

「——君、少しいいかな」
 背後から優しく肩を叩かれ、振り返ると背の高い男が立っていた。白地に青いラインや文字の制服を着た、海兵だ。

「あ、なんでしょう……?」

 ほんの少し強張りそうになった表情を意識して緩める。
後ろめたいことはないが、悪を取り締まる側の人間に声をかけられて、意味もなく気まずくなる。そんな人間の顔で男を見上げる。
困惑を察したのか、真面目を絵に描きましたといった顔の海兵はこちらの警戒を解くように眉間に寄せていたシワを和らげた。

「落とし物だ。これは君のだろう?」

 差し出されたのは見覚えのある本だった。
 つい先ほど、本屋で買ったばかりの胡散臭い表紙のオカルト本。ぱらぱらと中身をさらって、元の世界に帰る手掛かりになるかもと思い手に取ったものだ。
出港が近いからってあれこれ備品を買い足しているうちにカバンから落ちてしまったんだろう。

「ありがとうございます」

 受け取って、今度は落とさないように膨らんだバッグの隙間にねじ込む。
笑顔でお礼を伝えれば、つり眉の男はほんのり口角をあげた。「では、自分はこれで」と小さくお辞儀をして、海兵は肩にかけたコートを翻して雑踏の中に消えていった。

 いやぁ、焦った。海賊ってバレたのかと思った。
オレは懸賞金もかかってないし、普通にしてりゃただの一般人なんだから堂々としていれば問題ないんだけどさ。それでも、何かこう海兵の勘とかそういうので怪しい奴だと思われたのかと思ったわ。

 緊張から解放されて少し汗ばむ体をパタパタとシャツを煽って冷ます。
 さて、気を取り直して買い出し買い出し。

***

 見回りの途中、すれ違った人のカバンから本が落ちた。
 旅行者なのか、大きく膨らんだカバンの口が開いていて、こぼれ落ちてしまったらしい。拾い上げたその本は、いかにも怪しげなタイトルで、非科学的なテーマを扱ったものだった。自分ならまず手に取らないジャンルだな、と心の中で呟く。
 ふと、本の隙間に挟まった新聞の切り抜きが目に留まった。
「消息不明の麦わらの一味は今どこに」という見出しで、彼らが今どこにいるのかについて筆者の考察が書かれている記事だった。以前撮られたものだろう、クルーたちの写真付きの切り抜きに、僅かに親近感を覚えた。
 
 遠ざかっていく背中を大股で追いかける。
 声をかけて振り返ったその人は、こちらの外見から身分を察したからか、困ったような表情をした。
 見るからに悪事や荒事とは無縁そうな、ごく普通の青年だ。人混みに紛れたらすぐに見失ってしまうだろう。強いて特徴を挙げるなら青い瞳だろうか。青い目など世界には山ほどいるだろうに、澄んだ空のような、深い海のような、不思議な印象を持った。
 海兵から声をかけられるような心当たりがないために、戸惑っているのだろう。眉を下げてこちらを見上げている。
「兄貴はその無愛想な仏頂面もどうにかすりゃあいいのに」と、人付き合いも世渡りも上手い弟の、そんな言葉が脳裏を過ぎった。
 言う通りにしてやるつもりはないが、意味もなく市民を怖がらせるのは良くないだろう。へらへら笑う弟の顔を思考から追い出して、無意識に力んでいた眉間を緩めた。
 落とし物を差し出せば、あっ、と何かに気付いたようにカバンを漁る。そして目当てのものが自分の差し出している本であるとわかると、申し訳なさそうな、それでいて嬉しそうな顔をした。

「ありがとうございます」

 今度は無くさないようにか、みっちり詰まったカバンの隙間にぐいぐいと本をねじ込んだ男性がにこやかにお礼の言葉を口にする。
 穏やかで、優しい表情だった。
 上官からは喝が飛び、市民たちからは不甲斐なさを責められることも割と多いこの仕事だが、今のように感謝されるとやはり嬉しいものだ。褒められたくて海軍に入ったわけではない。
それでも、自らの行いが人のためになっていると、誰かの役に立ったとわかるとやりがいを感じる。
自然と笑みが浮かぶのをそのままに、会釈を返して任務に戻る。

 報告によれば、麦わらの一味が新たに仲間を募集しているという。
モンキー・D・ルフィ。あの地獄のような戦場を駆け抜けて、目の前で兄を失い、2年もの間、消息不明だった男。
 自分は海兵で、あちらは海賊だ。それも最悪の世代という悪名で世界に知られた大悪党。
けれど、あの男の言葉がおれの人生を変えた。
 応援はできないが、一目置いている。
 もしも、本当に今この島にいるのなら、もう一度、遠目にでもその姿を見ておきたい。
 職務以外の、私情としか言いようのない感情をそっと胸の内に仕舞いながら、情報収集のために目についた酒場の扉を開いた。