活気を取り戻しつつある人々の喧騒は今や遠く、目の前には穏やかな波と晴れ渡る空が広がっていた。
桜の花弁が舞う都と、そこで出会った人たちを思えば名残惜しくなるけれど、この国でやるべきことは終えたのだ。
同盟の目的である四皇を下し、悪政を敷いていたオロチも倒れた。これからワノ国を背負う幼い将軍に、モモの助の泣く姿に、後ろ髪を引かれる思いはある。きっと皆同じ気持ちだろう。
パンクハザードで出会い、短くも濃密な旅路を共にしてきたのだから。
同じ釜の飯を食い、彼らの境遇を知り、覚悟を見て、鬼ヶ島を駆け抜けた。
それとは別に、オレにはロジャー海賊団で光月一家と過ごした時間もある。別れがたいと思うのも仕方ないだろう。
弟のように思っている。
そう言って海賊旗を渡したルフィの笑顔に、図体だけ先に大きくなってしまったモモが両手で涙を拭って頷いていた。そんな2人に少しだけ目頭が熱くなる。フランキーなんて、出航までにもだばだば泣いてたのにまた号泣していた。
見送りに来た錦えもんとヤマトにも手を振って、船は岸から離れていく。3隻の海賊船がそれぞれ選んだ進路に向けて舵を切った。
***
抜けるような青空の下、黄色い潜水艇が遠ざかっていく。
甲板に立つ青いコートを羽織った男の表情は、目深に被った帽子のせいでわからない。
ゾウからワノ国で活動する間に、ロー以外の船員たちとも多少気安く話すようになったので、友人と別れるような、ほんのりと寂しい気分になる。
ツナギ姿のクルー達のうち、何人かとは船に乗る前にいくつか言葉を交わしたが、あの船長には特に声をかけていない。別れの言葉を言うようなタイプではなさそうだし、実際に声をかけたチョッパーには視線すら合わせず「黙れ」と一蹴していたのだから。別れの挨拶をしたところで二の舞になるに違いない。
ルフィは友達と言ってたしオレもそのつもりでいるけれど、ローはあくまで同盟相手の海賊の1人という認識なんだろう。そういう線引きはしっかりしてそうな人だ。
最後に話したのはサニー号の修理を手伝いに港に行った時だろうか。
差し入れに作った焼きおにぎりを差し出せば、仏頂面で受け取っていたのを思い出す。すまし顔でおにぎりも豚汁もしっかりおかわりしていた。2年前に初めて見た時の第一印象が「不健康そう」だったせいか、少食で一口が小さいイメージがあったけど、ほっぺ膨らませながらもりもり食べるんだ、とサニー号で飯を食っている姿をみてそんなことを思った。
出会ってすぐの頃はとっつきにくそうだと思っていたんだ。
目の下に隈があるし、刺青してたし。死の外科医とかいう如何にもマッドでサイコな異名が得体の知れない不気味さを醸し出していた。
けれど、いざ話してみるとそっけない態度や言葉の端々からどうにも人柄の良さが滲み出てしまっている。なにより2年前にルフィを助けてくれたのだからいい奴なんだろうとすぐに認識を改めた。
クールなタイプかと思いきや意外とノリもいい。
パンクハザードで子供たちの治療をしたらしいし、冷たい素振りだが、なんだかんだと言いながら優しい人間なんだろう。
次にあったら殺し合いだと言っていたし、実際そうなるのかもしれない。お互い海賊で、ワンピースを狙うライバル同士なのだから目的の為に容赦はしないだろう。信念のためにどちらも譲ることはないことはわかっている。
けど、だからといって仲良くすることが悪いわけでもないだろう。かつて海賊王と白ひげがそうだったように。戦った後に一緒に酒を飲むような間柄になれたなら。
なんてことを考えながら遠ざかっていく潜水艇に小さく手を振っていたら、突然目の前の景色が切り変わった。
「――は?」
周囲を見回すと白いツナギの男達。
あちらも状況がわかっていないのかどよめきが起きている。
いや、誰よりもびっくりしてるのはオレなんですけど。なにしてんだトラファルガー。
オレが消えたことに気付いたのか、サニー号の方から叫び声が聞こえてくるので、ひとまず無事だと伝わるように大きく手を振っておいた。
「ちょ、何してんすかキャプテン……!」
ペンギンを模した帽子の青年が顔を向けた先へ振り返ると、ぶち模様の帽子を被った男がこちらを見ている。
「忘れもんだ」
そう言って投げられたものに咄嗟に反応できず、顔でキャッチする羽目になった。
普通に手渡しで良いだろ、と心の中でぶつくさ言いながら広げてみると見覚えのある柄のシャツだった。ゾウからワノ国に向かう道すがら、ポーラータング号に乗せてもらっている間に色々あって汚してしまったんだった。替えの服を借りて汚れたそれを洗濯した頃にワノ国に到着したのだったか。すっかり忘れていた。
「ありがとう。あとごめん、借りた服サニーに置いたままだ」
「……別に、返さなくていい。捨てるなり好きにしろ」
そう言われてもなぁ……。
あの服、ハートの海賊団のジョリーロジャーがでかでかとプリントされてるんだよな。
主張が強すぎて外で着れない。かといって部屋着にもできない。自分の船と違うドクロが印刷されたシャツ着るのは流石にまずいだろう。
とはいえサニー号まで距離もある。ローの能力で往復してもらえるのならと思ったのだが、本人に受け取る気がないのならオペオペの力は頼れなさそうだ。
結局のところ「わかった」と頷くしかないのであった。
「それじゃあ船に帰してくれ」
畳んだシャツを抱えてローを見れば、先ほどまでとは打って変わってにやりと口元を上げたニヒルな笑みを浮かべた。
「こっちの用は済んだ。戻りたきゃ勝手にするんだな」
「いやお前が連れてきたんだろうが」
勝手に連れてきたんだからちゃんと元居た場所に返せよ。
そう非難じみた視線を向けても、どこ吹く風といった様子で意地の悪そうな顔でこちらを見下ろすばかり。
遠巻きにこちらを見ていた他のクルーたちは何かを察したのか「ガキみたいなことを」と、呆れた様子でこちらを見ている。
なにを通じ合っているのか知らんが、肩をすくめてないでおたくの船長を説得してほしい。
目が合ったベポをじっと見つめれば「なに?」と首を傾げられた。
こちらは少し鈍感かもしれない。
サニー号の船影はじわじわとこちらに迫ってきている。遠目からでもライオンの船首の上に仁王立ちする麦わら帽子が見えた。
うーん、勇ましい。
あえてポジティブに形容してみたが表情がわからなくてもご機嫌ナナメなのが伝わってくる。さっきまで和やかな雰囲気だったはずなのにな。これってオレのせいじゃないよな。
お叱りの気配を感じて遠い目をしているとローが話しかけてきた。
「言い忘れたが、リフトで降りたらこの船は潜水する。甲板にいたら溺れるぞ」
「降りる前に引き渡すって選択肢は?」
「……」
おいこら、こっち見ろ。
す、と視線を逸らしたローはこちらの言い分を聞き流すことにしたらしい。
「お前がおれの船に乗るなら船内に入れてやる」
「それはごめんなさい」
「チッ」
納得いかないと舌打ちするこの男は、随分とオレのことを評価してくれているらしい。
他船の船長から直々にスカウトされるってのはちょっといい気分だ。それだけ自分が認められた気がして口角が緩みそうになる。こういうの慣れてないからむずむずするんだよ。
「……この船にいても楽しいんだろうなって思うよ」
粗暴すぎることもなく、堅気の人に無体を強いることもない、船員たちの結束も強くて雰囲気もいい。世間での評判はどうあれ、オレにとっては良い人たちだ。
もしも助けてくれたのがルフィじゃなくてローだったら。
黄色い潜水艇に乗り込んで、白いツナギを着ることもあったのかもしれない。謎のポーズを決めるクルーに混ざって、ローのことをキャプテンと呼ぶ。そんな日々があったのかもしれない。
けれど、そうはならなかったのだ。
ルフィ達といても楽しいことばかりではないし、頭を抱えたくなるような出来事だって沢山ある。我が強くて個性の塊で、彼らの賑やかさが煩わしいと思う時だってある。
最初の頃なんて酷いもんだった。
荒事に巻き込まれて、ルフィやゾロはたいていの人なら無傷で完封するのに、離れて見ていたオレだけ破片や流れ弾で生傷が絶えなかった。隙を見てフーシャ村に帰ろうとしたこともある。
あの船にいる意味を見出せなくて、ルフィに酷く当たったこともあった。
それでも彼らと一緒にいたいと思ってしまったのだから、しょうがない。
惚れた弱みというのもなにか違う気もするが、まあ似たようなものだろう。
遠くから名前を呼ぶ声がする。
少しだけ強張っていて、焦りの混ざった声色だった。
きっとまた腕が伸びてきて体を掴まれるに違いない。嫌というほど体験しているのに未だ慣れる気がしないのは、ルフィの行動が基本的に安全と対極にあるせいだ。元の世界でも絶叫系はあまり得意じゃなかったので、できれば回避したかった。
甲板の柵の上に立って、振り返る。こちらの意図を図りかねているのか、ハートの船員達は不思議そうにしていた。
「ローのことは好きだよ。この船の人たちもな」
「……好きとか、そういうことを軽々しく口にするよな、お前」
「ふは、誰にでも言ってるわけじゃねぇよ。ただやっぱ、お互い生きてるから伝えられることもあるだろ」
「また今度」が二度と来ないことだってある。それを2年前に思い知ったから、別れ際に伝えたいことは言うようにしている。
「じゃあな。またどっかで会ったら一緒に飯でも食おう」
そう笑って、屈んで足に力を込め、思いっきり鉄柵を蹴った。
「あっ」と誰かの慌てたような声が後ろから聞こえたが、振り返りはしない。
飛び上がった体は重力に引かれてわずかに滞空する。サニー号に飛び移るには距離が足りない。このままでは海に真っ逆さまだろう。
だが、それは2年前のオレであればの話だ。
体が下降し始める瞬間に空を蹴る。空気の膜を踏むイメージで走るように足を動かすそれは、海兵が月歩と呼ぶもので。CP9が使っているのを初めて見た時から、密かに憧れていた技だった。
子供の頃は空を飛ぶことに憧れたこともあった。テレビで見た空飛ぶアニメキャラクターの真似をしたのは、今となっては少し恥ずかしい思い出だったりする。
以前のオレはどうせできないと思うだけだったけれど、修行中に時間を見つけては練習した成果の賜物だ。
これまでの戦いでも使っていたものの、練度が低く、頻度はそう多くない。
つまるところ、政府のエリートや足技が得意なサンジのように長距離を素早く移動できるわけでもなければ、スタミナ切れも早いのだ。
それでも、ローの能力や、ルフィ達に頼らないと自分の船にも戻れないなんて思われるのは癪だった。「黙って攫われてやるかよ」なんて、見栄を張った結果がこの様である。じわじわと速度も高度も落ちているし、とてもサニー号まで持ちそうにない。
左手につけたバングルからワイヤーを射出する。
ぱしゅ、と空気の抜ける音を立てて伸びたその先端のアンカーがサニー号の手すりに巻き付いたのを確認して、バングルのボタンを押した。ぐっ、と体が引っ張られるが甲板に着地するには高さが足りない。船体に着地できるように足を屈めて体勢を変えたところで、視界の上から手が伸びてきた。
オレの背中で両手を組み、縮んでいく腕の勢いに冷や汗がでた。
あ、こりゃダメだ……。
「痛った……。ただいま戻りました……」
「おー、おかえり」
かくして、オレはサニー号に戻ってきたのだった。
鈍い音を立ててぶつかったルフィがそのまま後ろに倒れたせいで、船長にのしかかるというなんともかっこ悪い有り様だ。
てっきり怒っていると思っていたのだが、にひひ、と嬉しそうな声をあげるルフィがなかなか手を離さないのでいつまでも起き上がれない。抱っこちゃん人形か。
「なんだよお前も空飛べたのかよ」
「あー、ちょっとだけな。持久力ないからすぐ落ちるんだけど」
それでもすげぇよ、と感心したように声を上げるウソップの後ろではサンジが「おれほどじゃないけどな」とタバコをふかしている。はいはい、わかってるっつの。
それより誰も今の状況にツッコミを入れないのはなんなんですかね。見慣れてる?オレら普段からこんなにベタベタしてないでしょうが。
「もういいだろ。手ぇ離せ」
「ん〜」
やっと解放された体を起き上がらせたところでナミとロビンが声をかけてきた。
「急に消えるから何かと思ったわ」
「トラ男くんは何か言ってた?」
「あっちの船に置きっぱだった服返してもらった。んでさぁ、船に戻してくれるのかと思ったら『仲間じゃないから手は貸さないし船にも乗せねェ』だと」
ケチだね〜、なんて茶化しながら手すりに引っかかってたワイヤーを回収していく。
うわ、ちょっと絡まってる。
「裏目に出てるわね」
「好きな子に意地悪する子どもか……」
ワイヤーと格闘するオレの後ろでなにやら2人が話しているが、ぎちぎちに入り組んだ鉄の紐の方に意識がいっていた。見かねたフランキーが大きな手のひらから小さい手を出してあっという間に解いてくれたが、器用すぎだろ。もうだいぶスルーしてきたけど、あの体ってどうなってるんだろう。
ほつれがないか確認して、巻き尺のようにバングルに収納するのを隣に座って見ていたルフィが「なぁ」と話しかけてくる。
「お前そんな武器持ってたか?」
「修行中に作ってもらったんだよ」
「ふぅん、なんかおれの腕みてぇだな」
……含みのある言葉だな。こいつ、わかって言ってるだろ。
「移動する時とか便利だし。他にもいろいろ使い道があるから、だからちょっとは参考にした」
「そっか、おれのマネか〜!」
「ちょっとだけな!」
元ネタは立体機動装置だ!とは言えないので黙っておく。両手が塞がったら戦えないので片手だけで、腰からじゃなくて手首からワイヤーを伸ばしているので、どちらかというとルパン三世が使ってた道具に近いのだが。言ったところでわかるはずもない。
「なんだよ。おれのマネしたかったのか」とにこにこしているのがだんだんムカついたので、ほっぺを引っ張ろうとしたところでユースタス・キャプテン・キッドのでかい独り言が聞こえてきたのだった。
そのあとは空島の悪夢再来。安い挑発に乗った船長のせいで高所からの船ごとダイブ。
オレがグロッキーしてる間にナミがルフィをこってり絞りましたとさ。
***
・ポラタンにシャンブルズされた後のサニー号
「なにしやがんだトラ男ー!!ナマエ返せ!!!」
「オイまさかこのまま連れてく気か?」
「そんなタマじゃねぇだろ」
「ここでうちと事を構えるほど考えなしじゃねェはずだ」
「告白でもするつもりかしら」
「告白ぅ!?なにを?!」
「直球で言っても伝わらないに500ベリー」
「あ、おれも」
「私も」
「賭けにならんのう」