麦わらクルーの1日

 空は夜明けの余韻を残しながら色を変えつつあった。薄く筋を描く雲はゆっくりと流れていく。
 太陽が水平線を離れた海は、朝日を受けてキラキラと輝いていた。凪いだ海上を一隻の船が進んでいく。麦わら帽子を被るドクロが掲げられた海賊船は、海流に乗ってゆっくりと前進していた。
 窓から差し込む朝日がボングを照らす。瞼を通して感じる明るさから逃げるように、ナマエはブランケットを頭に被り、寝返りを打った。
 浅い眠りを繰り返していると、遠くで鳥の鳴き声がした。少し遅れて女性の声も聞こえてくる。くぐもっていて何を言っているのか聞き取れなかったが、どうやら何か話しているようだった。
 ああ、ニュースクーか。ならば、話しているのはロビンだろう。
 音の出所に見当をつけた頃にはナマエの眠気はすっかり遠のいていた。
 のそのそと上半身を起こし、軽く肩を回して固まった筋肉をほぐす。立ち上がって枕元の時計を見ると、9時を少し過ぎたところだった。低血圧気味なナマエ以外のクルー達はもう起きだしている時間である。
 着替えを済ませ、顔を洗うとようやく頭が回り始めた。水気を拭ったタオルをかごに入れ、寝癖のついた髪を手櫛で梳かす。毛先が少し跳ねてしまっているが、まあ、こんなもんでいいか、と適当なところで見切りをつけたナマエは脱衣所をあとにした。
キッチンの扉を開くと談笑する仲間の姿があった。おはよう、と口の周りをソースでべたべたにしたルフィをはじめ、向けられる声にナマエも挨拶を返しながら定位置になっているカウンターに座ると、湯気の立つマグカップが差し出された。

「もう少しでできるから待ってろ」
「ありがと。今朝の朝飯は?」
「ベーコンとチーズのホットサンドとコンソメスープ」

 質問に答えながら、サンジがコンロに向き直る。ナマエは湯気の立つカップに手を伸ばした。
 寝起きで掠れた喉を緑茶で潤しながら、厨房に立つコックの背中を眺めるのはナマエのささやかな日課である。
 レストランの副料理長だった男の手際の良さは何度見ても飽きがこない。味は勿論のこと、洗練された動きと繊細な指先が作り上げる料理は見た目も美しく、いつだって食欲をそそる。
 サンジが船に乗ってから、それまで朝食は軽く済ませていたナマエはしっかりと量を食べるようになった。
 コンロにかけたホットサンドメーカーをサンジがひっくり返したところで、ナマエの背後から「おかわり!」と明るい声が飛んできた。
 仕事のできる男は、ルフィが毎食どの程度食べるかきちんと把握している。船長の要望にバスケットいっぱいに盛られたフルーツを取り出せば、伸びてきた手がしっかり掴んで戻っていった。ルフィが大粒のマスカットを頬に詰め込んでいくのを確認したサンジは、そのままナマエに朝食が乗った皿とスープマグをサーブする。
 半分に切られたパンの中からチーズがとろりと溶け出ていた。焼きたてのパンを両手で摘まみ、一口。ベーコンの塩気と肉汁が口いっぱいに広がり、ほんのり甘いパンとコクのあるチーズが味を優しくまとめている。うーん、美味い。

 はふはふと熱さを逃がしながらパンに齧り付くナマエの様子を一瞥して、サンジは冷蔵庫のドアを引いた。
 感想など聞かずともわかるのだ。ナマエはそこまで口数が多い男ではないが、本人が思っているより感情が表情に出る。特に食事中はわかりやすい。賑やかな食卓では船長や狙撃手たちに隠れてしまいがちだが、もくもくと綺麗に皿を空けている。
 ガラス容器の中でつやつやと輝くデザートたちをトレーに乗せて、サンジは軽やかな足取りでカウンターを通り過ぎた。今日も美しい航海士と考古学者にデザートを届けるために。ついでの連中にはトレーごとテーブルに置いておけば勝手に取っていくだろう。
 冷蔵庫の中には、出番を待つデザートが1つ残っていた。

***

 海を渡る風が、ナマエの髪を揺らした。
 陽は高く昇り、青く澄んだ空には雲ひとつない。陽射しは次第に強まっていったが、海風が火照る体の熱をやわらげてくれるため、心地よく過ごせる陽気だった。
 食後の片付けを終えたナマエは、デッキブラシとバケツを手に甲板へ出ていた。
 この船での自分の役割を雑用係だと考えている彼は、掃除洗濯から備品の整理など、こまごまとした仕事に日々精を出している。
 水を撒き、木目に沿ってブラシを動かしていると、ウソップとチョッパーの笑い声が聞こえてきた。
 帆を固定しているロープの具合を見ていた2人は、仕事の合間に談笑しているらしい。おそらく、素直な反応をするチョッパーに気分を良くしたウソップが、即席で新たな武勇伝を語りはじめたのだろう。
 楽し気な声を背にブラシ掛けを終えたナマエは、首にかけたタオルで肌に滲んだ汗を拭った。軽く息をつき、階段の下に目を向けるとフランキーによって手入れを終えた芝生が青々と広がっている。
 ああ、あそこに寝っ転がったら気持ちが良いだろうな。ひと段落ついたし昼寝でもしようか。
 頭の中で小さな計画を立てながら、使い終えたバケツとブラシを倉庫に戻したナマエが甲板に戻ると、ゾロが甲板の隅で寝息を立てていた。
 一度眠るとなかなか起きない男は、ナマエが近づいても目を覚ます気配はない。
 広い甲板でわざわざ隣で寝る理由もなく、場所を移そうとしたところで船内に続く扉が開いた。船内から人型になったチョッパーが折りたたまれたデッキチェアを抱えて出てくる。その後ろにはパラソルを持つブルックの姿もあった。
 このへんでいいかな、と芝生に降りた二人が手にした荷物を広げ始めたため、ナマエも手伝うことにした。チョッパーが抱えていたデッキチェアを1つ受け取り組み立て始める。
 夕食の支度が始まるまで特にやることもない。どうせ寝て過ごすつもりだったのだ。少し手を動かすくらいなんら苦ではなかった。

「2人が使うのか?」
「ううん、ナミとロビンが」

 着替えてくるからって、頼まれたんだ。
 そう言いながら人獣型に戻ったチョッパーは、ちょこちょこと小さな足で近づいてくる。

「私たちは、いい天気なのでピクニックでもしようかと話しておりまして。サンジさんが軽食を作ってくださっているので、その間にお2人がくつろげるよう準備を仰せつかったんです」

 せっかくですし、ご一緒にいかがですか、と朗らかに笑うブルックに、ナマエも微笑んで頷いた。
 きっと、あと少しすれば食べ物の匂いを嗅ぎつけて船長がやってくるのだろう。その後を追ってゆったりとした足取りで操舵手も降りてくるのだ。支度を終えた女性陣にコックが賛美の言葉を並べながら食事をふるまい、興が乗った音楽家がヴァイオリンを手にする。
 そんな、賑やかな昼下がりになるのだろう。

 海を渡る風が、ナマエの髪を揺らした。

***

 太陽は水平線に沈み、茜色の余韻を残しながら群青に染まる空には星が瞬いている。
 ひんやりとした夜風が風呂上がりの肌を撫でる感触に、ナマエは心地よさげに目を細めた。
 甲板の手すりに背を預け、図書室から持ち出した本を開く。数十年前の冒険家の日記を基に当時の人々の暮らしぶりが綴られたものだ。買ってきたロビンに勧められ手に取ってみたのだが、世情だけでなく食文化や日々のちょっとした出来事についても触れられていて面白い。なにより冒険家の人間臭さに引き込まれていった。文字の向こうに感じる人々の営みや息遣いに、ふと時間を忘れてしまいそうになる。
 そよぐ風に髪を遊ばせながら頁をめくっていると、足音が近づいてくる。
 ぺたぺたとサンダルの音をさせて腰を降ろしたルフィは、隣に座るナマエの方に体を寄りかからせて本に視線を落とした。

「何読んでるんだ?」
「昔の人が書いた日記。冒険譚みたいなもんだ」
 
 問いかけに答えながら、ナマエは文字の羅列をなぞっては頭の中で想像を膨らませていく。
 海賊船の長という地位にありながら、世界情勢などといったことに興味がなく、新聞も読まない男だ。冒険譚とはいえ、細かな文字が並ぶばかりで挿絵も少ない本に関心を持つとは考えにくい。案の定、ふぅん、と興味があるのかないのか判然としない声が返ってきたものの、ナマエの予想に反して船長は動く気配がない。どころか、肩に頭を乗せて体重をかけてくる始末だ。触れた場所からじんわりとぬるい体温が伝わってくる。
 巷では最悪の世代だの四皇だのと恐れられているが、こういう遠慮のない距離感や甘ったれたところは子どもの頃から変わらない。

「眠いのか?」
「うーん……」
「寝るなら部屋で寝ろよ」
「あとどれくらいかかるんだ、それ」

 顎で示した本は、まだ3分の1ほど残っている。そこまで厚みはないとはいえ、読み終わるまではまだ少しかかるだろう。
 ナマエがそう答えると、待ってる、とルフィが呟いた。
 今は春島から夏島への気候海域を進んでいるはずなので、屋外で寝ても風邪は引かないだろう。そもそも強靭な身体をお持ちな船長はこの程度で体調を崩しやしないか。そう結論を出したナマエは、お言葉に甘えて読書を続けることにした。

 かつてあった時代に想いを馳せ、満足感と共に静かに本を閉じる。
 過ぎ去った時代の記録に触れて、いつかこの船の旅路を本に綴じ、読む人がいるのかもしれないと思うと胸があたたかくなった。
 余韻を噛みしめるように息を吐いたナマエは、そっと首を傾ける。
 隣に座ったままの幼馴染は結局待てなかったようで、ナマエの肩に頭を預けて寝入ってしまっていた。
 一度眠るとなかなか起きない船長なので、担いで男部屋まで運んでも問題ないだろうが、いっそこのまま甲板で雑魚寝しても良いかもしれない。
 さてどうするか、とナマエが見上げた夜空を星がひとすじ滑り落ちていった。