00.prologue
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ああ、落ちていった。
ベールの向こう側へ渡り、その身を深く「死」に沈めていった。
はるか昔に2度目の生を受けたこの自意識は幾秒もしない内に無に帰すだろう。
2度目の死は優しく私を包み込んでくれた、ように思う。
現代から魔法界へと転生する時のあの感覚と比べれば……思い出す限りの全てが矮小で儚い脆弱な体験に過ぎない。
停止した心臓が冷たく身を突き刺し、全てがブラックホールの如く内側へひねり引き込まれていくような1度目のあれを忘れることなど、
終にできなかった。
私は2度死んだのだ。
記憶にこびりついているあの時の死と、ふわふわと迎え入れてくれたこの死が同じ結末である保証なんてどこにもないけれど、この先行く道はもはや未知ではない。
それがどれほど恵まれていることだろうか。
恐怖は無く、満たされた気持ちで落ち行く体に意識を委ねていた。
……委ねていたのだけど、何かが違う、とふと思った。
あれ、本当に落ちている。
いつの間にか閉じていた目を開けば、そこには見慣れた太陽と、青と、また青だけだった。
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「航海士さん、ところで……"
記録"は大丈夫?」
「西北西にまっすぐ♡ 平気よ、ロビン姉さん!」
「お前……絶対宝石貰ったろ……」
麦わらの一味はつい先刻アラバスタを出港したばかりである。
仲間として旅を共にした王女ビビと涙ながらに別れを決め、その寂しさを惜しむ間もなくバロックワークス元幹部のロビンという新たな人物が入れ替わり船に乗っていた。
ボスをぶち倒し壊滅させた組織の元幹部ともあり最初はビビり、警戒した一味だが、ロビンの華麗なる手腕(文字通り)であっけなく陥落した。
あどけない少女の頃から裏組織に潜り込まねば生き抜けなかった哀れな悪魔の子は、死闘のあとだというのに賑やかな彼らに一体何を思うだろうか。
船の航海士が針路を定めていた時、コツ、と何か小さい粒のようなものが船に当たる音がした。
次いで間髪を入れず水滴のごとく細かなものが夕立のように突然降り出した。
「ん? 雨?」
「雨じゃねェ……」
それは木片であり、小さな小さな欠片がパラパラと、間もなく頭上に黒い影が迫る。
「何か降って来……」
──人が空想できる全ての出来事は、起こりうる現実である。
巨大なガレオン船だった。
「うううわあああああああ!!!!」
「捕まれ!!! 船にしがみつけ!!!」
晴れ時々ガレオン船。そんな天気予報もここグランドラインでは当たり前! ……なことはないだろう。
グランドラインの非常識の一旦を目の当たりにした一味はもれなく全員驚愕に顔が引きつり、海に叩きつけられた船の岩のような大波にぐちゃぐちゃと翻弄される。
柱にしがみつきながらこれ以上ないというくらい騒がしいのは主にナミ・ウソップ・チョッパーの3人だった。非常識極まりないこの海でしばらくはビビリ3人組としてやっていくことになることを彼らはまだ知らない。
「ギャ〜〜〜〜ッ!!!!! 人骨〜〜〜〜〜〜!!!」
飛ばされてきた白骨遺体にもビビりまくりである。
波が収まり一息つくと、一味は誰ともいわず今しがた巨大なものが放たれた空を見上げた。
「何で……空から船が降ってくるんだ⁉」
「奇っ怪な……!!」
「空にゃ何にも……ん?」
一味のひとりが後から遅れて落ちてくる黒い何かに気が付く。
ガレオン船に比べれば小さすぎるそれは船より少し向こう側に落ちているらしく、布のようなものがはためいてるのがやっと見えるくらいだった。まだまだ高い位置にあるが、ガレオン船の白骨死体にしてはやや落下速度が速いようだ。
「また何か落ちてくるぞ」
声を出したのはゾロだった。常時警戒心の高い彼が鋭い目つきで空を見つめたまま言えば、信頼する仲間は皆同じ方向へと目を向ける。距離が近付くにつれておおよそ人間大サイズであろうことが見えてきた。
「まっ、またガイコツか……!?」
「それにしては落ちる速度が速いわ。……肉体があるのかしら」
「もっとコエーよ!!?」
誰も手出しできないままその黒い物体はどんどん海面に近付いていく。メリー号と、かろうじて浮かぶバラバラの船を挟んだ、向こう側の何もない空間へ。
海へとぶつかりそうになるそのとき、黒いものはすかさずもぞもぞと動き、
「「「……!!」」」
ふわっと、まるで大きな見えないクッションに受け止められたかのように、ほんの一瞬浮かんだ。
反動ではためいていた黒いマントが翻り、一味の視線の先で露わになったのは……生きた人間だった。
「人間だ!」
チョッパーがそれまでの恐怖を忘れたかのように声を上げた。途方もない高さから落ちてきた人間がもしそのまま海面に激突していたらどうなっていたかは想像に難くない。
墜落の衝撃を殺した謎の現象も束の間、その人間は今度こそボシャンと海へと落下した。激突こそしなかったため、おそらくは無事だろうが……。
「あれ、悪魔の実の能力よね?」
「そう見えたわね」
ほんの一瞬だが、全員がはっきりと目撃した疑いようもない超常現象。"普通"ならありえない論理的に説明不可能な出来事だが、ここはグランドライン。摩訶不思議を見たら能力者と思えと言わんばかりに怪物たちが蔓延る海を渡ってきた一味、ましてや晴れ時々ガレオン船を目の当たりにしたばかりの今、この程度のことではそう簡単に動揺はしなかった。
落ちてきた彼(彼女?)はおそらく悪魔の実の能力者だろう。しかし、実を食べた者は力と引き換えにカナヅチとなるため命が危ない状況となる。
「ならヤバいじゃない! サンジくんお願いでき……」
落ちてきた人物の救助を頼もうとナミがサンジの方を振り向いたとき、当の本人はすでにいなかった。バッと海の方を見ると既に助けに向かっているようである。メリー号から少しだけ距離があるが、関係ないとばかりにとんでもないスピードで向かっているようだ。
「ふ、流石サンジ君ね。でも、さっきのは一体なんなのかしら……」
「おいサンジ!! そいつは空人間だ!! 絶対逃がすんじゃねーぞ!!!!」
「そんなこと言ってる場合か!! 能力者なら死ぬとこなのよ!!」
まったくこの冒険大好きゴム人間は。……といった文句の顔をしている。
「あ、そうか。サンジー!! 死なすんじゃねーぞー!!」
遡ること1分前、サンジは落ちてきた黒い物体が露わになったときに直感で理解した。
──女性だ!
察するやいなや反射的にメリー号を飛び出しその人物のもとへと泳いでいた。それはもうモーターボートの如く。彼が未来で会得するはずの
海歩行の一端が現れているかもしれない。
一連の流れから情けなくも女性に目がないように思えるサンジだが、彼は一味の中でも頭が回る方だった。つまり、ナミが船上でたどり着いた結論に即座に気付いていたのだ。
サンジが謎の女性のすぐそばまで近寄ったとき、彼はそれこそ摩訶不思議なものを見た。
明らかに能力者だと思った彼女は沈むこともなく、溺れることもなく、……自ら水面へ浮かんでいたのだ。
「お、おい、お嬢さん! ……泳げるのか?」
泳ぎ寄りながら声を掛けたサンジの方を振り向いた彼女は彼を見てほんの少し驚き、少しの間をおいて答えた。
「はい……
……あの、
船に乗せてもらってもいいですか……?」
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