Agapanthus

これ以上欲を出したらどうなってしまうんだろう




 最近、桑名くんに避けられている。

 というのも、彼と喧嘩をしただとか、彼が冷たいだとかそういうことではなくて、構ってくれる時間が少なくなった。
 彼が忙しいのはわかるが、それでもあからさまに避けられている気がする。

「桑名くん。万屋に買いに行くものがあるんだけど、一緒に行かない?」
「んん〜、松井と行ってきたら? 欲しいものがあるんじゃなかった?」

 こんな風にやんわりと断られる。
 彼とは恋仲になれたというのに二人きりになれる時間がなかなか取れない。
 二人きりになったのもほんの数度だけ。片手で数えるくらいだ。
 以前まではこんなことがなかったのに、思い当たる節といえばこの関係になってからだ。何だかぎこちない距離になった。
 彼があまりにさらりと避けるので、始めは照れ隠しなんだろうかと思っていたが、それにしては何心なく言うのだ。
 悶々とひとりで悩んでも仕方ないと思った私は、遠征から帰ったら彼に話をしようと決意した。


 遠征から帰還した彼らを迎えて労りの言葉をかけると、最後に残っていた『彼』に声をかけた。

「桑名くん。少し時間ある?」
「どうかした?」

 手招きをして部屋へと案内する。障子をピシャリと閉めるとそそくさと座り込んだ。 

「ごめんね、戻ってすぐなのに」
「大丈夫だよぉ」

 ふにゃりと気の抜けた音が出そうな表情で微笑む彼。ふわふわと彼の周りにはお花が見えるほど和やかな空気感。
 対して私は不安が拭えずに暗い表情を浮かべてしまった。
 なかなか言い出せない私の様子に違和感を覚えたのか立っていた彼が向かいに腰かけた。
 口を開いては口を結んでを繰り返す。そんな私を優しい表情で見守ってくれていた。
 それを見るだけで彼が私のことを好きだということが見てとれた。正直な気持ちを伝えよう。

「最近、桑名くんと二人きりになれないから。寂しくて……」

 彼の方を見れずに徐々に声が小さくなり、視線も下がっていく。こんな我儘を言ってもいいのだろうか。
 気まずい沈黙で彼の方を見ることができない。
 しばらくして聞こえたのは大きな溜息。返ってくる言葉に緊張が高まる。彼を困らせてしまっただろうか。

「……主、僕は欲をあまり出したくないんだ。一緒に過ごせるだけでも嬉しいし、楽しいよ。だから、これ以上主を僕の腕の中に閉じ込めたいなんて感情は抑えたい」

 前髪をくしゃっとしながら顔を覆う彼。その隙間からは赤く染まる頬が見えた。
 彼の意外にも情熱的な欲を目の当たりにして、心臓が跳ね上がった。これは高揚感、期待、そして、陶酔だ。彼が私への欲を曝け出してくれている。
 目の前にはいつものようにふにゃりとした効果音を放つような笑顔を浮かべる彼はいない。

「……いいよ。桑名くんになら、閉じ込められても――」
「主!」
「は、はい!」

 彼の突然の呼びかけに思わず背筋が伸びる。 
「自分を大切にしないと。だめだよ……」

 困ったような眉をして溜息をつく彼。先程の溜息も呆れからではなく愛しさから出たものだったようだ。

「ふ、ふふ。桑名くん以外にこんなこと言わないよ。桑名くんだからだよ」

 真っ直ぐと彼の双眸を見つめる。これは心の底からの本心だ。彼の腕の中になら閉じ込められてもいい。

「……さっきの言葉取り消す。主を独り占めしたい。その可愛らしい笑顔も、心地いい笑い声も好きだから」
「え」

 スッと立ち上がったかと思えば私の方に向かってくる。

「主、僕のこんな気持ちを受け入れてくれる?」

 そう言いながらじりじりと近づいていく彼との距離。驚きのあまり畳に手をついて仰け反る。
 目の前にしゃがみ込んだ彼は私の指と彼のそれを絡ませた。反射的に逃げようとするも、私より一回りも大きくがっしりとした手は私を離してはくれない。

「逃げないで……」

 そんな彼の縋るような表情にキュンっと胸の奥が締め付けられる。彼のいじらしい行動に胸が甘く疼いた。
 鼻先が触れるほどに近い距離。彼のわずかな表情の変化がはっきりとわかる。

「主、抱きしめてもいい……?」

 眉間に皺を刻んで許しを得る彼はまるで子どものようだ。その姿が可愛くて笑いが溢れる。

「ふふ、私は桑名くんのものなんじゃないの?」
「――っ!」

 目を見開いた彼が頬を真っ赤に染め上げた。鼻先が触れたかと思えばそのまま軽く口付けられる。それを合図にタガが外れたように何度も何度も角度を変えて彼の唇が絡みつく。
 その度に指先も強く絡んで、徐々に侵食されるような感覚に陥る。果てには手を繋がれ、もう彼との距離はない。
 強く、そして柔らかく唇を噛まれては息が漏れる。二人きりの部屋に響き渡るその音は私の心臓をかき乱した。私の頭は沸騰してどうにかなりそうだ。
 それがこれ以上続くと思うと、もう何も考えられずに朧げになっていた。
 すると、その様子に気づいた彼はハッと我に返ったように私の瞳をしっかり捉えた。

「わ、あ、あぁ。主、大丈夫? 苦しかったかな」

 わたわたと焦る彼に胸がきゅうっと苦しくなる。先程までの艶やかな表情はどこへいってしまったのか。

「……ごめんね。抱きしめるって言ったのに嘘をついてしまった」

 余裕のない表情からシュンとした表情への急激な変化に口元が緩む。思わず吹き出すと彼は不思議そうな表情を浮かべた。

「今から本当にすればいいじゃない」

 今にも泣き出しそうなほど潤んだ瞳が私を映し出している。目を見開いて唇をきゅっと結んだかと思えば私の腰に手を当てて強く引き寄せた。
 首元に顔を擦り寄せる彼は大きな犬のようで可愛らしい。
 それに応えるように背中に手を添えて首元にすり寄ると、ピクリと身体を大きく動かした。背中を丸めて私に縋りつくと息が止まったように体を硬直させた。そして脱力した途端、

「はぁ……」

 と、彼の耳元からは熱のこもった溜息が聞こえた。
 彼の抱きしめる力が少しだけ強くなった気がした。

prev back next

top