「どうかしたの?ハリー」
ホッグズ・ヘッドから出てフレッド達と別れてからずっと、ハリーは元気がない。理由はなんとなく分かっていたけれど、じっと一人で考え込むのはよくない事だ。私は敢えて、疑問を口にした。バタービールの瓶を握り締めたままのハリーは「うん、」と小さく呟いた。
「ケニーの事だけど」
「あー…そりゃ、君の気持ち、分かるよ」
やっぱり、そうよね。私は浮かない顏のハリーから視線を反らして、フレッド達が行ってしまった方を見つめる。
私の横でロンが曖昧に口を濁して、バタービールを一口啜った。
今年の夏、三大魔法学校対抗試合の最後の課題。それに向かったはずのハリーは、血まみれのケニーと一緒に帰ってきた。あまりに凄惨な光景で、私はすぐに動く事ができなかった。ケニーが死んでいるっていう声まで飛び交っていて──結局死んではいなかったのだけど──でも、今ああして生きている事が不思議なくらいだった。遠目にでも、それはよく分かった。だって彼は、それから一か月半も眠りっぱなしだったのだから。
でも、私は。ケニーが負った怪我の、その原因を知らなかった。あの時の話は、ハリーに直接聞いていなかった。誰にとってもショッキングな出来事だったから、口にするのは憚られていた。なんとなく聞いてはいけない空気が出来上がっていたし、今日のハリーの怒り具合からみるとその判断は正解だった。でも。
「ねえ、あの──ホッグズ・ヘッドでの手前、聞いていいのか分からないけど」
ハリーの緑色の目が、ゆっくりとこちらを向いた。
「墓場での事だろう?…いいよ。ちょうど僕も、あの時の事を考えていたから」
ハリーの話は、去年の終業式、ダンブルドアを介して聞かされた話よりもずっと生々しかった。例のあの人の復活、切りつけられた手首、集まった死喰い人、蛇の牙、死と隣り合わせの決闘。
「ケニーを噛んだ蛇、出血を止めない毒を持ってるってヴォルデモートが言ってたんだ。本当に血の気が引いたよ…」
「…あのさ、それじゃ…ケニーの噛み傷って」
「うん、ヴォルデモートの蛇にやられたんだ。噛み傷っていうか…むしろ、噛み千切られた感じだと思ってたけど…やっぱりそうだったらしい」
「うええ…やめてくれ痛い、聞いてるだけで痛い」
「ロンったら。ケニーはもっと痛かったのよ」
耳を塞いで目を思いっきり閉じているロンを嗜める。ロンのこのストレートな物言いに助けられる事もあるけれど、だいたいはそうじゃないのだ。
ハリーはというと、ぼんやりと瞬きを繰り返しながら、当時に思いを馳せているらしかった。
「ねえ、僕…考えたんだけど」
「今更降りるってのはナシだぜ」
「そうじゃなくて。僕が言いたいのは」
立ち止まったハリーに合わせて、私とロンも立ち止まった。振り返ったハリーはちょっと言いにくそうにしてたけど、躊躇いがちに口を開いた。
「僕がなんだかんだ今までやって来れたのは、みんな運が良かっただけなんだ。無我夢中で、いつも誰かに助けられたし…」
「謙遜してるの?」
「違う、謙遜なんかじゃない!」
ロンが私に目配せしてきたのを感じて、私も「しまった」と思った。ハリーの癇癪の導火線は、最近とても短いのだ。でも、ハリーはゆっくり深呼吸して、言葉を飲み込んでいた。私は表情に出さないようにホッとして、もう何も口を挟むまいとじっとハリーを見つめた。
「実際に闇の魔術に立ち向かうのは、授業とはまるで違うんだ。授業なら失敗してもやり直せるけど、でも、現実はそうじゃない…一寸先は闇なんだ」
「………」
「いつだってギリギリだった。賢者の石の時は、母さんの力で助けられた。バジリスクの時はケニーと帽子とフォークスに。ピーターの時はハーマイオニーに」
「私、何もしてないわ」
「君が逆転時計を持ってなけりゃバックビークは助けられなかった。それに、三大魔法学校対抗試合の時は、いろんな人…に………」
「ハリー?」
尻すぼみになってしまったハリーに、ロンが遠慮がちに声を掛けた。何かを考え込んでいたハリーは、すぐに顔を上げた。
「…僕、僕ら、いつもケニーとレグルスに助けられてないかな」
「えっ?」
「だってそうだろ?賢者の石で針の筵に座ってた時も慰めてもらったし、二年生の時、僕がブラッジャーの攻撃を受けた時もケニーに庇ってもらったし…バジリスクの時も付いてきてくれたよね?ロン」
「…そういえば」
「この間も三年生の時も、マルフォイを改心させてくれたのはレグルスだ。それに、裁判の記事探しも手伝ってくれたよね」
「…そうね。私も個人的な事でお世話になったわ」
「個人的な事って?」
「個人的な事よ。ロン」
追及しないでという意味をこめてキッと睨み付けると、ロンは不思議そうな顔をして、でも黙ってくれた。ほんと空気読めないんだから。
「今僕がシリウスと一緒に暮らせているのも、ケニーとレグルスがワームテールを捕まえてくれたお陰だ。そうだろう?」
「まあ、確かに」
「クィディッチ・ワールドカップじゃ、僕らを守ってくれていたじゃないか。それに僕、三大魔法学校対抗試合の時はたくさんケニーに助けられたんだ。第二の課題の事、彼がヒントをくれたのハーマイオニーは覚えてるよね?」
「え…ええ。でもあれは、ハリーが第一の課題でヒントを教えたお礼でしょう?」
「うん。でもそれだけじゃなくて、ほんとに色々…。墓場でワームテールに不意打ちで死の呪文を撃たれた時も、逃げる時ヴォルデモートや死喰い人に攻撃された時も守ってくれたし」
「なんですって!?死の呪文を撃たれたの!?」
ハリーが何気なく口を滑らせた言葉に度肝を抜かれて、私は思わず叫んでしまった。ロンも目を丸くしてハリーを見ている。
「死の呪文って防げないんだろう?どうやったの?」
「え?えっと、どうだったかな…何か、たぶん墓場の石?を大きくしてそれで防いでた。死の呪文ってどうも、何か無機物を壊しても貫通はできないみたいでさ。墓石がたくさんあったから、僕もそれに隠れてやり過ごしたり」
遠い国での戦争の話を聞いているような気分だった。でもそれは間違いなく、目の前の友人がたった半年前に体験してきたばかりの事で。ハリーはくしゃりと、黒い髪を握りしめた。
「最後、あの墓場から逃げる時に、ヴォルデモートが死の呪文を撃ってきたんだ。その時ケニーが僕に覆いかぶさって来て…その直後にホグワーツに戻ったんだ。ケニーが動かなかったから、僕を庇って死んじゃったのかと思った」
「ハリー…」
「ケニーは僕を守って、怪我してばっかりだ。…どうして、あんなに」
ハリーは口を噤んでしまったけれど、私は彼が何を言おうとしたのか分かった。ロンもそうだと思う。
──どうしてケニーは、ハリーを身を挺してまで守ってくれるのかしら。
後輩だから?同じグリフィンドール生だから?生き残った男の子だから?本人は否定してるけれど、まさか本当にダンブルドアの息子だから?
それとも。ハリーが、例のあの人を倒す唯一の存在かもしれないから?
「(…ううん、そうじゃない)」
ケニーの、あの屈託の無い笑顔を思い浮かべて。そんなわけないって言い聞かせた。
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