闇祓いにも犠牲者が出たあの魔法省での戦いをかすり傷程度できり抜けた私は、実は友人に匹敵するほど幸運なのかもしれない。

試験を終えて、みんな思い思いの場所で最後の一日を過ごしているのだろう。学期末の宴会を3日後に控えた6月の末、城の中は驚くほど静かだった。そんな城の中を、ハリーと連れ立って歩く。ロンのお見舞いに行くためだ。
たくさん人を殺してきた死喰い人や、例のあの人までもがいたあの戦いでの犠牲者は、驚くほど少なかった。私達を庇ってくれた闇祓いの人達がちょっと怪我をして──トンクスは入院してしまったけれど──それでもそのたった一人。生徒だって、医務室行きになったのはロンとレグルス、アンジェリーナの三人だけ。あれだけ激しい戦いの中で、いろいろとあったのだけど、結局死者は一人も出ていなかった。私だけじゃない、みんなが幸運だったのだろう。

「ロンの退院日は明日だっけ?」

ハリーが嬉しそうに言うので、私はそうね、と頷き返した。

「あとはレグルスだけね。帰る日までに退院できればいいのだけど」
「全快しなかったなら、学校が終わっても入院させそうだよね。マダム・ポンフリーなら」
「笑えないわ」

マダムの患者に対する厳しさはこの5年間でいやという程味わっている。彼女ならば、治りきっていないと判断したら、先生や生徒がいなくなっても医務室から出さない判断を下すかもしれない。冗談が本当になるかもしれないと笑いあいながら、玄関ホールへ続く大理石の階段を下る。最後の一つに足をつけたちょうどその時、右側のドアから見知った顔が出てきた。
この数日、顏を合わせる事のなかったプラチナブロンドに小さく息を呑む。あちらも同じく足を止めた。聞こえる音といえば、開け放されている正面扉を通して流れ込む、校庭の叫び声、笑い声、水の跳ねる音だけ。
マルフォイが辺りに目を走らせた──誰か、自分たちを見ている姿が無いか確かめているんだろう。以前見た時よりも悪い顏色だった。

「話がある」

マルフォイはハリーをまっすぐ見て言った。すぐに理解する。マルフォイは、ハリーにだけ話があるのだ。私の聞いていい話じゃない、雰囲気でそう悟った。

「お見舞いは私だけで行くわ」
「えっ」

ポカンと口を開けて私を引き留めようとするハリーはなんだかんだで空気の読めない人だと思う。二人を置いて私は医務室へと続く廊下を一人で歩いた。マルフォイに目配せすると、ほんの僅かに、小さく頭を下げられような気がした──実に彼らしくない。マルフォイがそんな風に誰かに頭を下げるところなんて、見たくなかった。
彼がハリーに何の話があるのか、大方は察しがついている。先日の魔法所の戦いで、あの場にいた死喰い人が何人も捕まった。その中に、彼のお父様もいらっしゃったのだ。
マルフォイ氏は、きっとヴォルデモートの命を受けて予言を奪いに来ていた。でも、予言は砕けた。原因がハリーであれ任務に失敗した死喰い人に、ヴォルデモートは決して労りの言葉など与えないだろう。砕けてしまったものは仕方がないから次の任務で挽回しろ、だなんてそんなお優しい事も言わないはず。罰を受けろと、命で償えと詰め寄られたっておかしくない──代償となるのはマルフォイ氏か、夫人か、それとも彼か。
以前、彼は家族と私達を天秤にかけた。今回もそうしようとしている。そして、天秤から下ろされるのはきっと──。

「あっ」

ぼうっとしすぎて医務室に向かうべき廊下を通り過ぎていた。何歩か戻って、角を曲がる。医務室の扉は開け放されていて、窓も開いていたから爽やかな風が吹き込んでいた。ベッドを囲むカーテンも開かれていて、ベッドに横たわるレグルスとお見舞いに来ていたらしいケニーが遠目からでも見える。ケニーはレグルスに届いたお見舞いの品をベッドの上で食べ散らかしながら、何やら話し込んでいた。
レグルスがケニーの腕を締め上げるので、ケニーが悲鳴をあげている。二人がああいう風にじゃれあっているのが(年下の私がそんな表現をするのは失礼かもしれないけど、しっくりくるのだ)とても嬉しい。もしかしたら、レグルスは死んでいたかもしれないのだから。

「俺の事も言うのかと思った」

悲鳴をぱったりとやめて表情を消したケニーが不意に言葉を零す。さっきまでのふざけた態度とあまりに違っていたから、私はどきっと心臓が鳴るのを感じた。医務室の扉の影に体を寄せてる立ち聞きはよくない。でも、気軽に入っていけるような空気ではない──言い訳をして、息を潜めた。
だって気になるじゃない?ケニーとレグルスは、二人っきりの時にどんな会話をするのかしら。ちょっとだけ、聞いてしまってもいいんじゃないか。抱いてしまった好奇心で、次の瞬間私はとても後悔する事になる。

「君がハリーの兄だという事か?」
「(──、え?)」

心臓の音がやけに大きく聞こえた。レグルスの一言が耳にこびりついて離れない。どんどん高鳴っていく胸を押さえて、浅く息を吐き出す。

「それとこれとは別だ」
「別って言うけどさ、最近俺の骨が軋む回数が半端ない気がするんだけど」
「ああ折ってほしかったのか、素直に言えばいいのに」
「言ってない望んでない遠慮します!!」

私がうろたえている間にも、レグルスは、二人は、どんどん会話を続けていく。今レグルスが言った言葉は、二人にとって大して重要な事ではないと言わんばかりに。
ケニーがハリーのお兄さんって、どういう事なの。意味が分からない。だってケニーは孤児で、マグルの孤児院育ちで──違う。その情報はついこの間覆ったばかりじゃないか。
だって、それじゃあ。

「心配しなくても、僕は君の正体を言うつもりはないよ」

そうやってずっと隠してきたの?二人だけの秘密にして、じゃあハリーが15年間抱いてきた孤独は偽物だったっていうの?もしかしたらハリーは、孤独じゃなかったかもしれないの?
戸惑いが落ち着いたら怒りが芽生えてきて、体が震える。一体どういうつもりで、何の権利があって、ハリーを孤独にしていたというの?ハリーがマグルの家で一人ぼっちだと知っていて、それでも何も言わずにこの15年間、ただの先輩と後輩として接していたというの!?

「何をしているのかね」

思わず声が出そうになったのをなんとか飲み込む。
振り返ると、ラッピングされたお見舞いの品を持ったスネイプ先生が立っていた。プレゼントを持つスネイプ先生が似合わなさすぎて、でも今はそれを笑う心の余裕がない。

「えっ、と」
「入らないのかね?」

怪訝そうな顔をしている先生にうまく言葉を返すことができない。一歩後ずさってすぐに走り出した。

「(どうして、どうして、どうして!)」

校庭には行けない。ハリーとドラコが玄関ホールを出ていくのを見たからだ。きっと校庭で話をしているに違いない。ロンには申し訳ないけど、医務室には戻れない。グリフィンドール塔にも行けない。どこでこの衝動を吐きだしたらいいか分からなくて、息をつく暇もなく走り続けて、時計塔までやって来た。がらんとしている暗がりから、みんなが遊んでいる校庭を見下ろす。

「どうして…」

どうして私はこんなに怒っているのに、悲しくもあるんだろう。理由は分かっていた。今まで抱いていた疑問のピースが、すべてかちりと合わさったからだ。
どうしてケニーは、ハリーの事を身を挺して守ってくれるのか。どうしてあんなにも決闘が上手なのか。どうして今までそんな風に切磋琢磨してきたのか。どうして私達を、ハリーを、何度も助けてくれていたのか。その行動を裏付ける理由を思い浮かべても、今まで納得できなかったのは。

「どうして秘密にしたりなんか、するの…」

レグルスの言葉を疑う要素なんて何一つなかった。むしろ納得した。
ハリーを守っていたのは彼が兄だからだ。決闘の腕を磨いてきたのは、いつかヴォルデモートと相対した時に渡り合うためだ。私達を助けてくれたのは、ハリーを助けるためだったんだ。
理由は分からない。分からないけど──何も言わずに生き別れの弟と接するというのは、どんな気分なんだろう。
他人だと思われる距離を、不審に思われない距離を保ち続けて。大切なのに大切だって言えない。愛してるのに愛してるって言えない。家族なのに、家族だって言えない。そんなのって、ない。
そこで、はたと思い出した。先日の魔法省でのいざこざの時、ハリーがケニーに向けて言い放った痛烈かつ皮肉の効いた暴言を。

「ケニーには家族を殺された僕の気持ちなんて分からないよ!!」

「………」

あんな酷い言葉を、他でもないハリーに言われたケニーは、どんな顔をしていたんだろう。あの後、セストラルがすぐに飛び立ってしまったから分からない。だからレグルスは、全ての事情を承知しているらしい彼は、あんなに怒っていたんだ。仕方のない事だけれど、あまりに無神経な発言をしたハリーに頭痛を覚える。けれど。

「そんな思いをしてまで、何を守ろうとしているの?」

私の独り言は、窓辺に止まった小鳥しか聞いていなかった。








ケニーに話しかける機会は、結局最終日まで訪れなかった。ホグワーツ特急の中で日刊預言者新聞を朗読するふりをしながら、焦れる衝動を抑えきれない。夏休みを挟んじゃ駄目だ。今日中に、ロンドンに着くまでに彼を問い詰めなければ。
息を吐き出してふと廊下の方を見ると、見慣れた赤毛がすりガラスの向こう側にちらついたのを見て思わず立ち上がってしまう。ポカンと口を開けたロンの手元で、ハリーのナイトが頭をかち割られていた。

「どうしたのさ?」
「お手洗いよ」

ピシャリと閉めた扉の向こうで「なんであんなにツンケンしてるのさ?」「女子にはデリケートな時期があるのよ、お兄様」なんて有難くない兄妹の会話が聞こえた。ジニーは誤解してるみたいだけど、あとでロンをとっちめないと。
なぜかスカーレットを肩に乗せたケニーは、後部車両に続く扉を閉めたところだった。気付かれないように、十分に距離を開けて追いかける。
途中の車両でトランクを引っ張り出して、最後尾の車両で景色を眺める彼に焦燥感を覚えた。
──もしかして、どこかに行こうとしてる?
成人している彼はどこでだって姿くらましができる、たとえホグワーツ特急の中でも。
行かせてはいけない。行かせてしまえば、誰にも見つからないどこかへ行ってしまう。確証もないのにそう思って、考えがまとまらないうちに口を開いた。

「どこへ行くの?」



back

ALICE+