僕は大荷物で、見知らぬマグルの街の路地に立っていた。汗がひどい。手のひらを何度も服の裾で拭ったくらいだ。これは暑さのせいだけじゃない、分かりきっていることだ。
こんなに緊張したのは、クィディッチの初試合以来なんじゃないだろうかと思う。いや、それ以降にも何度かこういう緊張を味わった覚えがある。
最近だと五年生の進路指導、六年生の三大魔法学校対抗試合の選手選び。そして去年、魔法省に忍び込んで死喰い人と対決した時も、汗ばむくらいの緊張を味わった。今回の緊張は、その中でも五年生の時のものに似ている気がする。それはたぶん、今回の事が僕の将来を決める可能性があるからだろう。あの時はスプラウト先生がたくさんの道を示してくれた。僕はそのどれも選ばずにここに立っている。
ポケットに手を入れて、読み返しすぎてたくさん皺が入ってしまったメモを見た。そこに書いてある文字をもう一度頭の中で読み直す。

"不死鳥の騎士団の本部は、グリモールド・プレイス12番地に存在する"

癖のある斜めの字体の走り書き。重たいものが動くような音がして、顔をあげる。今まではそこになかった古ぼけた屋敷が、隣のマグルの家を押し退けながら姿を現したところだった。彼のアドバイスは的確だったようで、僕は何度も燃やしてしまうのを躊躇っていたメモを今度こそ青いリンドウの炎で消し炭にする。踏み行った屋敷には鍵がかかっていなかった。

「セドリック・ディゴリー!?」

掃除をしてたのかもしれない。大きなごみ袋を抱えて階段を下りてきたのはフレッドとジョージ・ウィーズリーの妹だ。確か名前は、ジニーだったと思う。

「どうしてあなたがここに?」
「やあジニー。悪いけど、大人はいるかな…できれば騎士団の人で」

青い目が驚きで見開かれる。二の句が告げないらしい彼女の背を押して、重いトランクを持ち上げた。




通された部屋はかつて応接間として使われていたらしい。古く味わいのあるソファも、スリザリンの伝統を連想させるカーテンや壁紙も、手入れされず長い間放置されていたと感じられる。一方で、魔法界で最も古い家の一つであると今でも訴えてくる独特の雰囲気も感じられた。
視点をすぐ近くに戻す。僕を取り囲む"大人たち"の顔を一人一人確認していった。
魔法界で顔を知らない者はいないシリウス・ブラック。かつてホグワーツでDADAを教えてくださったルーピン先生。顔を見たのはクィディッチ・ワールドカップ以来になるだろうかと思われるフレッドとジョージの父親──アーサー・ウィーズリーだと自己紹介された──そして、正面にはマッドーアイもといアラスター・ムーディ先生。今は彼も先生ではないけれど。
錚々たる面々に改めて背筋を伸ばした。怯んでいるように見えなければいいなと思いながら。

「それで」

口火を切ったのはムーディ先生だった。

「ホグワーツを卒業したばかりの若造がここを訪ねてくるのはどういうわけなんだ?」

ムーディ先生の魔法の目はギョロギョロと動きながら僕を舐め回すように見ている。なるべくそっちを見ないようにしようと決めた。

「僕がここの場所を聞いたのは昨日です。不死鳥の騎士団はここにあると書かれたメモ書きをもらいました」
「そのメモは?」
「覚えたらすぐ燃やすように言われたので、もうありません」
「ふん…」

ムーディ先生は指先で杖の握る部分を撫でつつも何も言わなかった。ウィーズリーさんが口を挟む。

「そのメモ書きはどこで誰にもらったんだい?」
「昨日、ケニーから…」
「ケニー!?」

ルーピン先生が前めりになったので思わずその分身を引いた。みんな似たような反応をしている事に少しばかり驚く。ルーピン先生と目配せしたブラックさんが、ルーピン先生と何やら目配せしてバタバタと部屋を出ていった。
あまりに忙しなかったので視線で追いかけようとしたけれど、ムーディ先生がそれを遮った。

「えっと、何か…」
「気にするな。とにかくお前は、ここを知ったんだな」
「…はい」

尤もこの話が最初に持ちあがったのはまだ僕がホグワーツにいた時だけど。それを伝えると、ムーディ先生とウィーズリーさんはひどく驚いていた。

「我々はその話を聞いていない」
「たぶんそちらもバタバタしてたからだと思うんですけど…」

呟くと魔法の目で睨まれたので、素直に詳細を話す事にした。そう、僕がここに来る話は昨日始まったわけじゃない。今思えば、の話だけれど。



ホグワーツから帰宅した後に、僕宛てにケニーからふくろう便が届いた。突然姿をくらましてしまった事への侘びと、今はもうレグルスと一緒にいると言うことが書かれていた。また、一方的な約束をとりつけられ、僕は次の日──つまり昨日のことだけど、ロンドンの中心部から少し離れた町でケニーと待ち合わせる事となった。
待ち合わせたあとはケニーと付き添い姿くらましをして、マグルの見知らぬ喫茶店に入った。
入ったのだけど、僕は目の前でアイスティーを飲んでいる人物が、自分のよく知るケニー・アディントンだとなかなか信じられなかった。
彼はずいぶん身なりを変えていた。恰好はたぶんマグルの服装なんだと思う。少しだけ伸びた前髪を後ろに撫でつけていて、大きな黒縁の眼鏡をかけていた(伊達眼鏡らしい)。曰く、変装だとか。それじゃ変装っていうよりイメチェンだと思ったけど、言わないでおいた。
彼は唐突に口を開いた。

「セドリックはさ、まだ俺達と同じ方向を向いていたいって思ってる?」
「どういう事だい?」
「俺が巻き込んじまったせいで、魔法省で死にかけたじゃん」

開口一番、詫びを口にするなんて、彼らしくない。もちろん、ケニーは礼儀がなっていないというわけではないけれど。
僕を目の前にしているのに、僕に向かって話しかけてくれているのに、なぜか落ち着かなかった。眼鏡の向こうの赤い目はここではないどこかを見ているようで、そういう眼差しに既視感を覚えたけど──でも、思い出せない。喉を鳴らす。
何か返事をしなければと思って、僕はわざと肩をすくめてみせた。

「死にかけたのはレグルスの方じゃないか。僕は平気だよ」
「今回はたまたまあいつだっただけだよ。次はセドリックかもしれない。次があるなんて思いたくないけど」

瞬きをしたケニーはくわえていたストローを離してグラスを机に置くと、窓の外を見つめながら呟いた。

「死ぬかもしれない。それで親父さんを悲しませるかもしれない。それでもセドリックは、俺と同じ方向を向いていられるのか?」

まるで、僕に背を向けてほしいような物言いだと思いながら目を伏せた。
魔法省で戦っている時、呪文を弾いて撃ち返した時、頬のすぐ傍を緑の閃光がかすめた時──僕は死の恐怖に恐れ戦いていただろうか。死ぬかもしれないって震えていただろうか。父さんや母さんを悲しませてしまう心配をしていただろうか。
顔を上げた。

「後悔なんてしない。僕が決めた事だから」

腕を振るわなければ死ぬ。呪文を叫ばなければ死ぬ。そういう必死さはあったかもしれない。けれどそれは、僕の命が消し飛んでしまうかもしれなかったからじゃなくて、後輩を守らなくちゃって思っていたからだった。だから必死になったし、殺すつもりで呪いをかけてくる相手に立ち向かえた。
そういう色んな気持ちがこもっていたんだけど──僕の返事は簡単すぎて、拙くて、彼には全てが伝わらなかったかもしれない。じっと黙っている彼を見つめながら不安になる。そう、こういう事なら簡単に不安になるんだよ、僕は。
するとケニーはちょっとだけ笑って、一つの紙切れを差し出してきた。これが例のメモだった。

「そこまで言ってもらっちゃあ止めるのが野暮ってもんだな」
「これは?」
「昔校長が組織して再編成された、闇の魔法使いに対抗する組織の本部がある場所が書いてある」

思わずメモを落としてしまったのは仕方がない。空中をひらひらと舞いかけたそれをなんとか捕まえると、ケニーが褒めた。さすがシーカー。

「姿現しして、した後はその場所で、メモに書いてある事だけを思い浮かべろ。ああ、たぶん居候する事になるだろうから、荷物をまとめて来いよ。親をどう説得するかは任せる。組織の事は秘密にしとけよな、当然だけど」

驚きで完全に固まった僕をおいて、彼はさっさと喫茶店を出て行った。あとで気付いたけど華麗に会計まで済ませて。
慌てて追いかけたけど見失ってしまったし、その後ケニーと一緒に渡ったブルックデール橋が落ちただとかなんだとかで、マグルの警察がたくさん来ていて…とにかく、てんやわんやで彼を追いかけている場合じゃなかった事が大きい。


そこまで話し終えた時、バタンと扉が開いた。

「ケニーに会ったというのは、本当なのか?」

若干息を乱れさせながら入ってきたのは、レグルスだ。続けて入ってきたブラックさんが扉を閉める。質問の意味を計りかねていると、ムーディ先生が唸った。

「その質問はあとにしろ」
「尋問なんてあとでいくらでもできるでしょう」

言い返したレグルスに軍配があがったらしい。ムーディ先生は喉の奥で唸りはしたけど、何も言わなかった。
レグルスはブラックさんが座っていた椅子に腰掛けて、椅子を引いた。というか、今までの質問って尋問だったのか。周りのぴりぴりしてる空気に理由があったと気付いてこっそり生唾を飲み込んだ。

「昨日ケニーに会ったことがどうしてそんなに気になるんだい?」

尋問の件はひとまず置いておいて、疑問を口にする。レグルスだけじゃない、さっき誰もかれもが彼を話題にした直後、敏感に反応していたからだ。
レグルスは深くため息をつくと、質問に答えてくれた。

「ケニーの居場所が分からないからだ」
「えっ?」
「あいつは、ホグワーツ特急でいなくなってからずっと、行方が知れてない」

レグルスが何を言っているか分からなくて、ポカンと口が開いた。考えがまとまらないうちに口を閉じて、また開く。

「でも手紙じゃ、もう君たちと合流したって」
「嘘だ」

ぴしゃりと否定されて二の句が告げない。僕が何も言えないうちに、ルーピン先生が事情を説明してくれた。

「彼が今どこにいて何をしているのか、全く分からないんだ。ああ、死んでないとは思うけどね」
「…死んで、って」
「死体が出たらニュースになるだろうが」

ムーディ先生が杖で床を叩きながら唸った。残酷な言葉のはずなのに、なるほどと納得してしまったのがくやしい。
両手で顔を覆って情報を整理する。ケニーの手紙に書いてあったことは嘘で、でも僕は確かに彼に会った。あの時の彼は特に挙動不審な様子ではなかったから、ケニーは相当な役者で、僕は騙されていて、何も知らずに彼と話をしていた。彼も、何食わぬ顔で。
嘘をつかれたことに怒ればいいのか、彼の行方を心配すればいいのか、一瞬考えを巡らせた。とりあえずは怒っておきたい。

「その様子じゃ、君も彼の行方を知らないんだな」

小さく、静かな声でレグルスが呟いたので顔を上げた。気付けば、彼はずいぶんと憔悴しているように見えた。

「心当たりとか、ないのかい?」
「少なくともダンブルドアは知っている」

何も言わないレグルスの代わりに、ムーディ先生が唸った。

「お前は知らないだろうが、我々騎士団はダンブルドアの指示でケニー・アディントンを見張っていた。ヴォルデモートの元から生きて帰ってきた人は魔法使いは、今も昔も数少ない」
「護衛してた、だろう」
「目を光らせていたのは変わらん」

僕が例のあの人の名前に体を固くしたのを無視してムーディ先生は続けた。

「奴が特急から消えた頃、我々はダンブルドアからレグルス・アディントンを無事にここへ連れて帰るように指示を受けた。それと同時に、ケニーの護衛は終わった」
「終わった?なんで」
「護衛する必要がなくなったからだろう」

ブラックさんが肩をすくめた。

「ケニーがここに戻らないという話もその時聞いた。理由は教えてくれなかったがね」
「だからダンブルドアが知ってるって?」
「そういうこと」

なるほど、と胸を撫で下ろして、僕はもう一度レグルスを見た。彼が息をはずませながら部屋に飛び込んできた理由が分かったからだ。

「それじゃ、僕はケニーがいなくなった後に顔を会わせた唯一の魔法使いってこと?」
「ああ」

思わず片手で顔を覆ってしまったのは許してほしいと思う。
まさかケニーがいなくなったままだなんて、思ってもみなかった。だってあの態度だし。何より、彼は護衛をされるほど──それこそ「選ばれし者」とされるハリー・ポッターほどの重要人物だったのに。少なくとも騎士団にとっては。それがどういう事か、彼なら理解しているはずなのに、どうしてこんな真似をしたんだろう。
誰にも行方を告げずに失踪したら、ここにいる大勢の大人や、フレッドやジョージ、そしてレグルスに、心配をかけてしまうだろう。ケニーは何を考えてるんだ。
ぐるぐる考えを巡らせながら、頭の中の考えをまとめられないまま、捨て鉢に考えを口にした。

「じゃあダンブルドアだ。ダンブルドアに、ケニーがどこにいるのか聞けばいいじゃないか」
「ダンブルドアは旅に出ている」

ルーピン先生が首を振った。

「レグルスの護衛の話を聞いた時、言っていた。しばらく連絡はとれそうにないと」
「まるで、僕らがケニーの事について問いただす事を分かっていたようなタイミングだろう?」

レグルスがせせら笑った。

「どちらにせよ、僕はここから動けない。騎士団も指示があるまでは、動けない。ケニーを探しに行く事もできないというわけだ」

それきり、応接間には沈黙が下りた。居心地の悪いソファの上で身じろぎして、飲み物に口をつける。
次に彼に会った時には、さんざん質問攻めにしてやろうと心に決めながら。




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