だだっ広い屋敷のリビングで、豪勢なランチを食べる日々に慣れてきた2年目の夏。私がこの屋敷に帰ってきたのは一昨年のことだから、敢えてそう言わせてもらう。カップの隙間から、私以上に丁寧な手付きでランチを嗜む青年を盗み見た。
レグルス・アディントン。私の弟という前世を持つ魔法使いだ。

それを知ったのは、先日の魔法省の戦いの時。ハリーのよい先輩の一人だと思っていたマグル生まれの魔法使いが、そういう事情を抱えているなんて誰が予想しただろうか。ショックを受け止め、落ち着いた私は、この事実を最も伝えなければならない者に伝えた。ブラック家の屋敷しもべ妖精、クリーチャーだ。
当然だが、クリーチャーは私の説明を信じようとしなかった。気持ちは分かる。私もクリーチャーも、この一年この屋敷の中で幾日かを彼と生活を共にしており、言葉を交わす機会もあった(マグル嫌いのクリーチャーから話しかけにいったとは思わないが)。にも関わらず、レグルスも真実を打ち明けようとしていない。
そういうわけで、胡散臭そうな目をこちらに向けているクリーチャーを一瞥したレグルスが私に提案してきた。

「少しの間、彼と二人きりにしてくれませんか」

もちろん、快諾した。私にとってはあまりいい思い出のない応接間の扉を閉める。壁に背を預けて、少しだけ目を閉じた。
彼が私のかつての弟だと発覚した時、柄にもなく、私は衝動のままに彼のことを抱きしめてしまった。去年のクリスマスに、憎んでいた弟の死の真相を知ってしまったからかもしれない。私を庇って、彼が死にかけたからかもしれない。たぶん、色々と感極まっていたんだと思う。
ともかく最初にそういったインパクトのある事をしてしまったからか、その後がつらかった。彼と──レグルス・アディントンとどう接していいのか分からなかった。少しずつ距離は縮まっている気がするが、それでもぎこちない。
なぜなら。

「(というか、遅くないか?)」

思案を中断して、壁から背を離した。
無駄に金をかけて作られている屋敷の部屋は、無駄に防音性が高い。だから、中で何を行われているのか、見当もつかない。少し躊躇いつつも、ドアノブに手をかける。

「…何があった」

いつかのクリスマスにレギュラスの死の真相を吐露した時か、それ以上にクリーチャーは号泣していた。大粒の涙を床に滴るまで零し、緑色の鼻水がレグルスのズボンをしとどに濡らしている。困惑しきったブラウンの瞳とかち合い、そしてレグルスはいたずらっぽく肩をすくめてみせた。
その時、彼がいったいどんな魔法を使ったのかは、私の知るところではない。きっとまた、彼らだけしか知らない思い出を口にして、クリーチャーの涙腺を刺激したのだろう。

そういうわけで、すっかり変貌(と言っても過言ではない)されてしまったクリーチャーはせかせかとレグルスの世話を焼くようになった。屋敷から出られないレグルスの代わりに買い物に出たり、友人への伝言係を買って出ている。
これが面白くない。

「アディントン様、アディントン様。お茶のおかわりはいかがでしょう」
「大丈夫だよ。ありがとう」
「…!!!!!」

レグルスの返事を聞いて、クリーチャーは皺だらけの目尻に涙をあふれさせた。肩をすくめる。

「(またか)」

レグルスの一挙一動、ふとした仕草に、クリーチャーは大いに心を揺さぶられ、思い出を刺激されるらしい。年老いた屋敷しもべ妖精の奇行にさすがのレグルスも最初は頬を引きつらせていたが、近頃は慣れたものだ。
フォークを置いて、まだ清潔なナプキンを引き寄せる。涙を拭おうとしたかつての主の行動に気が付いたクリーチャーは1メートルほど飛び下がった。

「クリーチャー…」
「もったいのうございます!もったいのうございます!」
「そういうわけにもいかない」

レグルスはわざわざ膝をついて、丁寧にクリーチャーの涙を拭った。紅茶のポットが乗ったポットがガチャガチャいう程に全身を痙攣させたクリーチャーは危なっかしい所作でどうにか無事にそれらをテーブルに置くと、顔を覆って奇声をあげながら部屋を飛び出していった。乙女か。
これじゃあどっちが主だか、分かったもんじゃない。ため息が存外部屋にこだまして、レグルスと目が合う。気まずくなって、再びカップを口に運んだ。隙間から覗き見ると、彼はナプキンを見下ろして、口を開いた。

「良くないとは思っているんです」
「ん?」
「僕はもうこの家にとって赤の他人です。本来あるべき主従関係を…、蔑ろにするのは」
「………」

レグルス・アディントンとどう接していいのか分からなかった。少しずつ距離は縮まっている気はするけれど、それでもぎこちない。
なぜなら──なぜなら。彼は私の、弟でもあるからだ。

彼を、レグルスとして見ればいいのか。それとも、レギュラスとして接するべきなのか。どちらかをきっぱり切り捨てられるわけがない。彼はかつてのレギュラスであり、レギュラスは今の彼なのだから。
彼自身もそこを計りかねている。だから口調にも迷いが出ている。今まで通り私と接していくのか、それとも。

「そう難しく考える必要があるだろうか」

自然と口をついて出た言葉に、レグルスが顔を上げた。

「今すぐ決めなくてもいいだろう。なんせ、時間はたっぷりある」
「…そう、ですね。時間は…」

墓穴を掘ったかもしれない。頬が痙攣する。力をこめすぎて、カップが不可解な軋み方をした。
そもそも彼がこの屋敷に閉じ込められているのは、私のせいでもあるのだ。あの戦いで、私が不用意にベラトリックスを徴発し、油断しなければ。

「(そういえば、なぜ彼は死の呪文を浴びても無事だったんだろうか)」

ふと湧いた疑問を脳裏に描きかけた瞬間、暖炉が燃え上がった。

「あ、食事中でしたか」

すっかり見慣れたセドリック・ディゴリーの頭が灰を振り払った。うちの暖炉はかなり大きい方であるはずなのだが、成長期の男子は窮屈そうに体をよじらせている。

「突然すみません」
「いいや。構わないよ」
「どうした?」
「はいこれ」

セドリックがぴっと差し出した、真っ赤な封筒。声をかけられるままに受け取りかけたレグルスの目がこれでもかという具合に見開かれる。ガタン。私はひっくり返りかけた身体を支えるために、今年一番の反射神経を発揮してテーブルをひっ掴んだ。

「なん、」
「分かってると思うけど、開けた方が身のためだよ」

いそいそと耳栓を装備しながら好青年はしれっとのたまう。既にブスブスと燻ぶりかけていた手紙に、私はぐっと歯を食いしばる。長年の経験で分かる、これはもうダメだ。
予想通り、真っ赤な封筒──吼えメールは、二秒もしないうちに爆発した。

「あいつの事は忘れろ!!」

あまりの音量にリビングに置いてあった食器棚がガタガタ震え、天井からは埃が落ちてきた。遠くでガチャンと何かが割れる音もした。クリーチャーが何か落としたのかもしれない。ああ、あいつまた泣きそうだな。
そんな現実逃避をしてしまうほどの音量だった。頭が割れそうだ。

「よく分かんないけど、俺らの意見はそういう感じでまとまった!レグルス!ただでさえお前はよく分からない事情で閉じ込められちまってるんだから、それ以上のストレスをため込むことなんてない!俺達を勝手に裏切ったケニーの事なんて忘れちまえ!いっそオブリビエイトかけてもらえっそこのセドリックに!!」

ワンワンと屋敷中に響き渡るほどのボリュームで、男の子の声はがなりたてた。時折ひどいスラングが混ざるその声は、ある人物の事をひどく罵倒している。

「あいつとの7年間は楽しかったけど、でも、だからって何も言わないのは酷いと思うんだ!それに、ちゃんと言えよって俺は前にも言ったんだ!それでもあいつは何も言わなかった!」
「…リー」
「だからこれっきりだ。あいつの存在なんて夢だと思え。他人だ、他人。俺はそう思う事にする!」

ほとんど燃えカスになりながら吼えるメールは、最後にこう叫んで灰になった。

「ケニーなんてクソくらえだ!俺とあいつはもう友達なんかじゃない!!」

思いっきり悪態をついた吼えメールは、私の知っている通りビリビリになって机に舞い落ちた。まだ頭の中で誰かが叫んでいるような心地がする。耳をこすりながら、涼しい顔をしている青年の袖を引いた。

「それで?どういうつもりかな」
「聞いた通りですよ。ケニー・アディントンです」

わざとらしく肩をすくめてみせたセドリックは、燃えカスを見下ろして言い放った。何の感情もこもっていない、冷たい眼差しだ。彼らしくもない。

「僕は──僕たちは。7年という長い月日を彼と共に過ごしました。僕が仲良くなった年月は少し短いけれど、でも、心を許し合ったよい友人だと思っていました──先日までは」

先日、というのがいつの事を指しているのか、いやでも分かる。あれから季節が変わろうとしている今でさえも、頭の中に鮮烈に焼き付いている光景だ。

「僕らに黙って姿を消した事も、その事でレグルスを──他のたくさんの人を傷つけている事も、今どこで何をしているのか、なんにも言ってこない事も、全て。ひっくるめて、僕らは今回の事を手酷い裏切りだと受け止めたんです」
「………」
「だから。レグルス」

セドリックはいつのまにか目を伏せていたレグルスの手を取ると、実際にあつさを感じるほどの熱弁で訴えた。

「君も、彼の事でこれ以上傷つく必要なんてない。君には僕らがついてる」
「──ふふ」

突然だった。小さな、こらえきれない笑い声が、レグルスの口から飛び出したのだ。

「ふふ、はははは」
「…レグルス?」

笑い声は少しずつ大きくなり、体を揺らしてまで笑い始めた彼から、当惑しきった顔でセドリックは手を離した。こっちを見ないでくれるか、私にも意味が分からない。

「ああ、すまない。あまりにもおかしくて」
「…大丈夫か?」
「ええ。勿論」

おそるおそる声をかけると、レグルスは目尻の涙を拭ってきっぱりと答えた。セドリックに椅子を勧め、さてとばかりに息を吸い込む。
正直に言うと、この時既に嫌な予感はしていた。

「さて──まず訂正しておきたいんだが。僕はこの間の事でなんら傷ついてはいないし、あいつに裏切られたとも思っていない」
「えっ」

私とセドリックの声がきれいに重なる。なんであなたが、とでも言いたげな怪訝な眼差しを頂戴したが、私が何か言う前にセドリックが反論した。

「…ずっと塞ぎ込んでいたじゃないか」
「ただ、考えていただけだ。あいつの真意を」

レグルスは深く椅子に腰掛けると、遠くを見つめるようなそぶりをみせた。私でも、セドリックでもない誰かの背中を見ているようだった。

「どんなに馬鹿な振舞いをしていて、それが理解不能であっても、あいつの目的は昔からたった一つだ」
「目的って?」
「それは、──言えないが」
「また、お得意の"秘密"かい?」

今度はセドリックが身を乗り出す番だった。

「君たちがお互いに、お互いにしか言えないような秘密を抱えているのは分かってるんだよ。でも、もういいじゃないか。現にケニーは君の秘密を僕らに曝露してる」
「やられたらやり返すべきだと?君からそんな提案を受けるとは思わなかったな」
「そういうわけじゃない!」

真っ赤になったセドリックを一瞥するに留めて、レグルスは静かに続けた。そうして悟る。

「セドリック」

ああ、その口調。いやな予感がすると思っていたんだ。それはまるで──まるで。

「僕は、君の事をもう少し冷静な判断が下せる人間だと思っていたんだが。グリフィンドールの熱はいささか激しいな」
「君だってグリフィンドールだろう」
「僕はスリザリンだ」

歯を食いしばる。隣で、息を呑む音がした。
弟の事を、レギュラスの事を、こんな風に思い出したくなかった。あいつは確かにこういう話し方をしていたと、今まさに思い出してしまったのだ。

「スリザリン、だった。感情を殺して、客観的に物事を捉える必要がある場所にいた」
「………」
「皮肉だが、そんな過去があったからこそ、あいつの事を冷静に見極める事ができる」
「見極める?」

尋ね返したセドリックに、レグルスも頷き返した。

「あいつは世間で言われているような立派な傑物じゃないし、君たちが見限るような最低男でもない。ただの、不器用な臆病者だ」
「──えっ」
「不器用だから、最善を選び取れない。臆病だから、誰にも相談しない。そういう奴だよ」

不器用な、臆病者。私の知るケニー・アディントンとはひどくかけ離れた人物像だと思った。私の知る彼はもっと飄々としていて、けれどここぞという時で力を振るうための勇気を持つ──まさに、グリフィンドール生らしい人物だと思っていたのに。

「君たちが彼を見限ると言うのなら、そうすればいいさ。世間の評判をそのまま受け止めて、額面通りにあいつを評価し、見捨てればいい」
「…見捨てられたのは、僕らだ」
「どうかな」

おもむろに立ち上がったレグルスは、何故か微笑んでいた。きらきらと陽光を反射するブラウンの瞳は、やはりここではないどこかを見ている。

「…どうして」

セドリックは、心の底から当惑しきった顔をしていた。

「どうして、彼の事をそこまで信じられるんだい」
「そこまで盲目になってるわけじゃないさ」

おかしそうに笑ったレグルスは、指先に当たったナイフを懐かしそうに弄んだ。去年の夏を思い出す。

「幾度も抱いた怒りは呆れに変わったし、あまりの馬鹿さ加減に頭痛を覚えた事もしばしばだが。まあ、理屈じゃないんだろうな。こういうのは」
「こういうのって…」
「僕があいつを裏切り者だと思っていないのは、ただ理解しているからさ。あいつは何があってもダンブルドア側の人間だ。それだけ分かっていれば十分だろう?だから今回の事も、きっと理由があるんだろうなと考える余裕がある」
「理由なんかあるの?」
「あるさ」

息を呑む。強いまなざしで、レグルスはセドリックを見据えていた。年不相応の空気に圧倒されたセドリックが瞬きして、喉を鳴らす。

「あいつが、ケニー・アディントンであり続ける限り」



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