「彼が、ケニー・アディントンであり続ける限り」



自分で言った言葉を、目を閉じて噛みしめる。
あいつが『ケニー・アディントン』の仮面を脱ぐことはない。少なくとも自ら脱ぐことは絶対に、ありえない。なぜなら、彼は仮面を被らなければ、ハリーを守れなかったからだ。
仮に弟と共に『生き残った男の子』として生きていたら、彼は、弟と同じくダンブルドアの庇護下に置かれただろう。常にダンブルドアの目の届く範囲に身を置くという事は、自由を制限されるという事だ。
そんな状態で、『ケニー・ポッター』は、シリウスを助けるために城を抜け出せただろうか。三大魔法学校対抗試合の代表選手にエントリーする事を止められなかっただろうか。ハリーのためと言い訳をして、彼"が"守りたいと思う人を、守り通す事ができただろうか。
その上、彼は弟と共にヴォルデモートに狙われ続ける運命に身を置く事になっただろう。ただでさえ重い体に、宿命が伸しかかる。万が一弟を殺すために唯一の肉親である自分が人質ないし餌に使われたら──なんて、あいつは死んでも望まない。
だから彼は、世界中に嘘をつく事を選んだ。弟と共に生きる道を捨てて、自由な矛であり盾となる道を選んだ。寂しくて虚しくて、救いのない決意だと思う。
すると彼は、もう『ケニー・アディントン』の仮面を脱げないのかもしれない。だってあいつは、ほんとうのあいつは、ずっと前に死んでいる。




「なんだい、それ…」

目を開けた。戸惑いを顔いっぱいに浮かべたセドリックは僕に呼びかけた口をゆっくりと閉じた。彼の返事を待つ。戸惑いながらも、セドリックは僕に言い返してきた。

「まるで、ケニーがケニーじゃないみたいな言い方だ」
「さあ、どうだろう」
「…馬鹿にするような言い方は、よしてくれないか」

低く唸るように呟いたセドリックを見上げる。

「僕は、何も分かってないのかもしれない。君よりもずっと子どもで、浅はかなのかもしれないけど、でも、そういうのは心外だ」

肩をいからせて出ていったセドリックを見送る僕は、立ち上がりもしなかった。ひどく怒らせてしまったんだろうなと思いながら、これでいいんだと心の中の誰かが囁く。前者にだけ聞こえないふりをして、僕はまた目を閉じた。

「このままでいいのか?」
「これでいいんです」

シリウスの問いに迷いなく答えた。
セドリックやフレッド達。ハリーやその友人。ルーピンやシリウス──彼が守りたいと思うすべてのものが、彼を嫌いになったとしても、それでもあいつは進み続けるだろう。傷だらけの心に蓋をして、なんでもないと痛々しい笑みを浮かべて。
だから、愚かなあいつのすぐ傍に僕はずっといてやるんだ。そうすれば、あいつは孤独にはならない。僕も孤独ではない。たった二人きりというのは笑えるほどに滑稽で愚かで、これこそ馬鹿だと言い切れる選択だけれど。

「(これで、いいんだ)」

今回なぜ、あいつが僕らに背を向けたのかは、少し考えれば分かる事だった。
自分とは関係のない人間だと周りに知らしめれば、セドリック達が、ヴォルデモートから命を狙われないだろうとあいつは考えているらしい。だから遠ざけた。周りが自分を嫌いになるように仕向けた。
単純だが、リーからの吠えメールやセドリックの態度から察するに、効果はてきめんだったらしい。僕までも欺こうだなんてあいつは思っていたらしいが、そこはともかく。

「違うぞ。レグルス」
「?」
「私はお前が、このままでいいと思っているのかと聞いたんだ」

瞬きする。シリウスは、僕の事を真正面から見据えていた。こんな眼差しを向けられるのは初めてだった。

「お前がケニーの何を知っているのか知らないがな。ああやって彼の心配をしている友達にまで何もかも隠しておくのが、本当にケニーのためになると思うのか?」
「…ケニーの、ため」
「友達なら、親友なら、放っておいてくれと向けられた背中に食らいついてでも、こっちを向かせるべきなんじゃないのか」

的外れな意見かと思いきや、意外といいところを突いている。というよりも、ほとんど正解だ。ケニーが、わざとセドリック達を突き放している点なんかは特に。
17年間僕の正体に気付きもしなかったこの人が、どうしてそんなに頭が回るんだろうかと失礼極まりない事を考えたが、すぐにぴんときた。シリウスはいつかの自分達とルーピンを、僕らの中に見ているのだ。

「あなたは…」
「ん?」
「あなた達は、秘密を暴くことでその親友が自分から離れていく可能性を、考えなかったんですか」
 
質問の答えを待ちながら、十中八九考えてなかったんだろうな、と半ば確信を持って思う。
ルーピンの秘密を暴く事で本人が離れていってしまう可能性を心配したのは、せいぜいあのピーター・ペティグリューぐらいだろう。この人とジェームズ・ポッターの学生時代がどんな人物だったかを思うと、ルーピンの気持ちなんて、きっとほとんど考えていなかったに違いない。
ルーピンが今までひとりぼっちであった事が許せなくて、これからも一人であり続けようとする事も許せなくて。ルーピンが、自分を怖れて離れていくのだと決めつけて、そう思い込んでいる事はもっと許せなくて。
ルーピンがかわいそうだから、秘密を暴いて未登録の動物もどきになったんじゃない。ルーピンの現状や、彼がそれを受け入れているのが許せないという感情ただそれだけだったんだ、きっと。
僕の知るシリウス・ブラックはそういう人であったし、結果ルーピンは孤独ではなくなった。黒づくめの家に生まれたくせに、とても眩しいひとだ。その眩しさが、疎ましくもあった。
今だって。

「大人とは、嫌なものだな」
「え?」
「本音を心の奥底に隠してでも、最善を選択するのが当然な節がある」

困ったような笑みを浮かべたシリウスは、たった今までセドリックが立っていた場所へと目を向けた。

「レグルス。今のお前は子どもだ。知識や経験は他の同世代の誰よりも上回っていたとしても、まだ成人したての17歳なんだ」
「………」
「彼がそう望んでるから甘んじる、なんて大人ぶった事を言うな。自分の気持ちに正直になれ。ケニーも、セドリック達も、失ってはならないお前の最高の友人なのだから」

眩しくて、ギラつくほどに眩しくて、思わず目を伏せた。

「僕はあなたのようには思えない──あなたのように、なれない」

いつだったか。
彼が、弟のためならどこまでも無謀になれると知った時だろうか。ヴォルデモートを倒すためなら何でも──自分の命すら犠牲にできる覚悟があると悟った時だろうか。そんな彼の姿勢が、かつての僕に酷似していると気付いてしまった時だろうか。
僕はとても怖くなった。いつか彼が、一人を選ぶ覚悟も決めてしまうだろうなと、思ったからだ。

「(約束したくせに)」

ただの口約束は僕と彼を繋いだ。彼を生へと縛りつけた。けれど、「このままではいけない」と彼に思わせてしまう何かが起こってしまった時。あいつは、何もかもを手放して、大切なものを何一つ傷付けないように、たった一人でどこかへ行ってしまうのではないだろうか。
危惧した通り、彼は行ってしまった。僕との繋がりさえも断ち切って。

「怖いのか?」
「怖いですよ」

彼の反応が予想できないから、怖い。
なりふり構わずに彼を捕まえようとすれば、もっと遠くへ逃げてしまうような気がして。望み通り遠ざかれば、そのままもう二度と戻ってこないような気もして。
ダンブルドアの言いつけや命の危機なんて建前だ。そうしようと思えばいつでもグリモールド・プレイスから出られるのに、怖くて身動きがどれない。
淀みなく答えた僕に、シリウスはおかしそうに笑った。

「逃げてもとっ捕まえればいい」
「逃げきられてしまったら?」
「そりゃ、その時に別の方法を考えればいいじゃないか」

なんて行きあたりばったりな。呆れてものも言えない僕を余所に、シリウスは続ける。

「迷ってうだうだする暇があったら早く捕獲作戦を考えて実行すべきだろう?」
「………」
「大丈夫さ。きっとケニーも、捕まえてほしいって思ってる」

含み笑いを隠しきれていないシリウスは、僕を見つめた。シリウスはきっと、僕ではない誰かを見ている。

「それは、経験談ですか?」
「さあ?どうかな」

シリウスは杖を取り出して一振りした。震えだした食器が軽い音をたてながら飛んでいく。ふきんが机の上を泳いで汚れを拭い去った。

「私が思うに、ケニーも君と同じくらい素直じゃないようだからね」

僕のぶんのカップを残して立ち上がったシリウスが席を立つ。声をかけようとしたのを予想してたらしく、それ以上の質問を許さないかのようにヒラヒラを手を振った。僕以外誰もいなくなったキッチンで、少しだけ息をつく。

「クリーチャー」
「ここに」

年老いた屋敷しもべ妖精は、音もなく現れた。一瞥を投げ掛けると、いつものように一礼して命令を待つ姿を保っている。もう一度、名前を呼んでみた。

「…クリーチャー」
「はい」
「あいつは──あいつは、捕まえてほしいと思っているのかな」
「クリーチャーめには分かりかねます」

もちろん、本当に質問の答えをクリーチャーに求めていたわけではない。口にして、頭の中を整理したかっただけだ。
僕は、セドリックにあいつが不器用な臆病者だと言った。虚勢を張ってしまうから、たった一人で震えながら立つ羽目になっているんだと。
あいつは昔から本当の心の奥底を隠し続けてきた。その奥底では、捕まえてほしいと悲鳴をあげているという事だろうか。

「(それも、捕まえてみなければ分からない…か)」

一瞬閉じていた目を開いて、立ち上がった。靴音に混じってぱたぱたと揺れる耳の音が混じっているから、きっとクリーチャーも付いてきてくれているのだと思う。

「クリーチャー、便箋を用意してほしいんだ。そしてできれば、セドリックに手紙を届けてくれないかな」
「お任せ下さい」

パチンと音をたてて消えた耳の音。僕は階段を登りながら、謝罪の言葉を考えていた。さて、セドリック達は協力してくれるだろうか。



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