誰もが無謀と評する事を、ハグリッドなら勇敢だったと言ってくれるかもしれない。それでもあの時、なぜあんな行動に出たのかは、後にも先にも分からないままだ。
ハーマイオニーに向かって振りかぶられた棍棒を目にした瞬間、僕は走り出していた。トロールに飛びついて、腕を太い首根っこに巻きつける。トロールが何事かと首を振った瞬間、前からズブリといやな音がした──僕の持っていた杖は、見事にトロールの鼻へと突き刺さったのだ。ロンがウワッ、だとかなんだとか言った気がする。
トロールは痛みにうなり声をあげて棍棒を振り回したけど、僕はがっちりしがみついて、振り落とされそうな揺さぶりに耐えた。でも、奴はついに標的を捉えた。僕の足をひっ掴んで、逆さ吊りにしたのだ。鼻に杖を突っ込んだままのトロールはひどくまぬけ面だったけど、棍棒を構えた時の顔は、凄みがあった。息を呑む。
素早く視線を走らせた。ハーマイオニーもロンも、僕からは見えない。
すると、ハーマイオニーの声が叫んだ。
「ビューン、ヒョイよ!」
「ウィンガーディアム レビオーサ!」
トロールが思いきり振りかぶった。けれどその手に棍棒はない。トロールはとぼけた声を出して、上を見上げる。僕も下を──正しくは上を見る。
棍棒は浮かんでいた。空中を高く高く上がって、ゆっくり回転している。直後、ボクッといやな音をたてて持ち主の頭の上に落下した。トロールは僕を落とすと、ふらふらと千鳥足になって、そのままうつ伏せに倒れた。倒れた衝撃で部屋中が揺れて、埃が舞い踊る。
足は震えていたけど、力をこめて踏みしめて、そろそろとトロールに近寄った。ロンは長いこと杖腕をあげたままだったけど、ハーマイオニーと一緒に近寄ってきた。ロンはぼうっと、自分のしたことを見ている。
ハーマイオニーがやっと口をきいた。
「これ…死んだの?」
「いや、ノックアウトされただけだと思う」
僕はかがみこんで、トロールの鼻に突き刺さったままの杖を引っ張り出した。灰色の糊の塊のようなものがベットリとついている。抜き取った瞬間、トロールが呻いたけど、起きることはないだろう。ものすごい音がしてたしね。
「うえぇ」
「トロールの鼻くそだ」
ロンが呻いたのを聞いて、僕はトロールのズボンでふき取ろうとした。そんな僕の体を、何かが思いっきり掴んだ。
ハーマイオニーの悲鳴をかき消すほどの唸り声をあげたトロールが、僕を持った右手を振りかぶって、投げる。僕の視界は大きくブレて、一瞬天井が見えた。
「ステューピファイ!」
誰かがそう叫んだ瞬間、視界の半分を赤い光が染めた。後のロン曰く、一瞬で白目をむいたトロールが僕を振りかぶった勢いのまま気絶したけど、投げられた僕のほうは止まらないわけで。
「うわあ──んぶっ」
黒く、やわらかい何かにぶつかって僕は止まった。黒い何かが眼鏡のブリッジと鼻あてにぶつかった痛みで涙が出る。後ろで、トロールが倒れたらしい重い音が響く。
おそらく曲がっただろう眼鏡を押し上げて、僕は何にぶつかったのか確かめようとした。
かぼちゃがいた。
「(…えっ、かぼちゃ?えっ)」
ホグワーツの制服を着たかぼちゃが僕をキャッチしてくれたらしかった。ローブとネクタイの色からして、僕と同じグリフィンドールの人だと思う。けど、こんな目立つ頭をした人を僕は知らない。
「大丈夫か?」
男の人の声だ。あまりの衝撃で何もいえなくなっている僕を、かぼちゃは優しく地面に下ろしてくれた。僕と似たり寄ったりな顔をしているロンとハーマイオニーにも、かぼちゃはフランクに声をかけた。
「君たちも、怪我はないな?」
「あ、え、ないです…」
ハーマイオニーがうろたえつつも答えたのを聞いて、かぼちゃはひとつ頷いた。埃だらけになった僕ローブをはたいたかぼちゃは、トロールの鼻水だらけになっている杖に目を留めた。
「あーあー、きったねえなあ。貸してみ」
「は、はい」
かぼちゃは杖を受け取ると、僕の杖を軽く叩いた。トロールの鼻水はすぐに消えて、楽しげに火花を踊らせている。具合を確かめるようにひと振りして、かぼちゃは僕に杖を渡した。
杖を受け取りながら、かぼちゃの杖をじっと見る。さっきの赤い光も、このかぼちゃがしてくれたんだろうか。何者なのか聞こうとしたけど、それはマクゴナガル先生たちが突入してきたことでうやむやになった。
いや、実際はうやむやになっていないんだ。他でもないマクゴナガル先生が、そのかぼちゃの正体を教えてくれたんだから。
「それで?あなたはどうしてここにいるのです、ミスター・アディントン」
もごもご言い訳していた「ミスター・アディントン」に、先生が杖を向ける。かぼちゃが消えたことで、かぼちゃ頭の正体を知ることが出来た。ポカンと口が開く。
「(僕、この人を知ってる)」
ロンのお兄さんの、フレッドとジョージといつも一緒にいる人だ。赤毛の、名前はなんだっただろう。いつか聞いたような気がするのに思い出せない。
ガミガミお小言を繰り返されているその合間に、彼と目が合った。パチンとウインクをされて、思わず微笑んでしまった。
「すばらしい麻痺呪文だったわね!」
「「なにそれ?」」
談話室に帰ってから、色めきたったようにそう言ったハーマイオニーに対して僕とロンはそう返すのがやっとだった。へとへとだ。ロンも眠そうで、ケーキを口に運ぶだけの機械みたいになっている。
ハーマイオニーは信じられないとばかりに目を見開いた。
「麻痺呪文!闇の魔術に対する防衛術で習う呪文よ」
「それって、あの赤い光のやつ?」
「赤い光?」
「ああ、そうね。ハリーは見えなかったわよね」
とぼけた顔のロンに睨みをきかせたハーマイオニーは、まるで教科書を目の前において朗読しているかのような説明を始めた。
「麻痺呪文。唱えると、ロンの言う通り赤い閃光が出るわ。効果は高いけれど、そのぶん難しい呪文なの。トロールには呪文が効きにくいとされているのに、一回だけで気絶させるなんて、すごいのよ」
「へえ…」
「彼、きっと呪文がすごく得意なんだわ」
ハーマイオニーが反対側の壁のほうを見たので、僕もつられてそちらを見る。さっきの赤毛の人が、フレッドやジョージと一緒になってお菓子を食べていた。当たり前だけど、普段の彼はかぼちゃ頭ではないんだろう。
ああいう風に笑っている彼を、どこかで見た気がした。入学してからどこかで彼を見たのかもしれない。
「一番すごいのは、レグルスだって聞いてるよ」
ロンがもごもごと言ったので、僕らは振り返った。
「ほら、あの黒髪の人」
指差された方を見る。笑いあっている彼らから少し離れたところで、壁の花を決め込んでいる少年を見つけた。にぎやかしい輪の中に入るでも、お菓子を食べるでもなく、ただフレッド達を見ている。
「勉強も魔法も、レグルスが一番すごいってジョージから聞いた事がある」
「そうなの?」
「入学してからずっと、学年トップなんだって。レイブンクローでもないのにさ」
ロンがぼやいたその時、輪の中から赤毛が一人抜け出した。フレッドでも、ジョージでもない。「ミスター・アディントン」だ。レグルスが立っていたのは僕らに近い場所だったから、自然と会話が聞こえてくる。
「レグルス、壁の花決め込んだってなんもかっこよくねーから。ただ美形なだけだから」
「…君の言うことはたまに分からない。”かっこいい”も”美形”も一緒だろう?」
「かあーっ、これだから!イケメンの言うことは!」
「訂正する。たまにじゃないな、いつもだ」
身振り手振りを大げさに嘆く彼と、あくまで冷静なレグルスを見比べる。正直言って、かっこいいと美形とイケメンの違いは僕にも分からなかった。きっとロンと、ハーマイオニーさえ分からないに違いない。
赤毛の彼は頬を膨らませて、まあまあと肩を竦めた。
「いいから、来いよ。せっかくのパーティーだ!」
「え、うわっ」
両手でレグルスを引っ張った彼を、フレッドたちが出迎えてもみくちゃにしている。笑っている輪の中心にいる彼の名前を、不意に知りたくなった。助けてくれたお礼を言いたいのに、僕は彼の名前を知らなかった。
今にも眠りこけそうなロンのローブを引っ張る。
「ふあ?」
「ねえ、ロン。聞きたいことがあるんだ…」
そうして僕は、これから先何度も呼ぶ事になる彼の名前を知ることになる。
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