僕と彼女、お互いの予定をすり合わせるのには思ったよりも時間がかかった。それもそうだ。騎士団に入り浸っている僕はともかく、彼女はまっとうに社会人としての一歩を踏み出している。たとえば、僕に余裕のある日は彼女が仕事。彼女の仕事が休みの日は僕が忙しない。そんな日々が続いて、ようやく日取りが決まったのはは年末の休暇シーズン。クリスマスの朝だった。
待ち合わせ場所はロンドンの駅前。朝から浮かれているマグルをぼうっと眺めながら雪を蹴る。僕と彼女はほとんど同時に待ち合わせ場所である駅の入り口にやってきていた。
「それじゃ、行こうか?」
「あ、待って」
マグルの行き交う往来で姿くらましをするわけにもいかない。あらかじめ調べておいた、人気の少ない場所に彼女を連れて行こうとしたら、すぐに引き留められた。不思議に思って振り返ると、眼前で小さな紙を振られた。瞬きする。
「切符。買っておいたの」
「…何の?」
「汽車のよ。ねえ、マグルの方法を使って行かない?」
そして僕は、人生で初めてマグルの汽車に揺られていた。尤も今は電車、というらしいけれど。電気で汽車を動かしているなんて、と驚いたら、アリシアはまた笑った。どうして彼女はこんなにマグルの文化に詳しいのだろう。切符を買っていたのだってそうだ。尋ねると、彼女はなんでもない顔をして笑った。
「父も母も魔法使いと魔女だけど、マグル生まれなの」
「へえ」
「祖父母の家へ遊びに行くときはマグル式でっていうのが、父と母で決めたルールだったみたい。滞在中も魔法は一切無し。でも、父も母も、魔法を使わないひとときを楽しんでいるみたいだったわ」
まあ、私も学生の間は魔法を使っちゃダメだったしね。アリシアはそう締めくくると、僕に話題を振ってきた。
「セドリックは?ご両親もご家族も、みんな魔法使い?」
「ああ。父も母も、いとこもね。でもたぶん、マグルと結婚した親戚はいると思う。その人がどうしてるかまでは、知らないかな」
「そう…そうよね。最近は、純血の一族はとても少ないのよね」
僕らは旅の間、とりとめのない話をする事で時間を潰した。彼女と二人きりになるのは今回が初めてだったから、話題は尽きなかった。僕の家族の話。彼女の家族の話。友人の話。グリフィンドールとハッフルパフの話。クィディッチの話題は特に盛り上がった。
ロンドンから200キロと少し。およそ2時間。シュルーズベリーというのが、彼らの育った町の名前だ。
「きれいだね」
「ええ」
3日前から降り続けている雪は、町を白く染めていた。都会ではそうそうお目にかかれない昔の街並みが保存されているシュルーズベリーには、白い化粧がよく映えているように思う。わざわざマグルの雑誌で勉強したらしいアリシアは、ここが観光地なのだと教えてくれた。雪と、クリスマスの飾り付けで彩られている町は、雪の光に反射してよりいっそうキラキラして見える。
レグルスからもらった写真をいま一度ひっくり返して住所を確認する。アディントン孤児院は、町はずれの教会を増築して作られたらしかった。
「──きたれともよ すべてのともよ…」
教会の扉を開けた瞬間、かろやかな聖歌がこぼれおちるように聞こえてきた。ほの暗い礼拝堂の奥でろうそくがちらちら光っている。中央に据えられた十字架が天井からの灯りに照らされていた。オルガンの音と、子ども達の歌声が混ざり合って小さく息を漏らした。とても美しいと思った。
「みつかいの おうなるみこよ…」
隣でなめらかに聖歌を紡ぎ出したアリシアにぎょっとした。ぱちんとウインクをした彼女は、まったく歌詞を違える事なく子ども達と同じ歌を口ずさんでいる。曲が一周して拍手がぱらぱらと響き渡る。アリシアがこっそりと、小さな声で囁いた。
「祖父母の家に遊びに行ったときはマグル式って言ったでしょう。クリスマスのミサにだって参加するわ」
「なるほど」
ミサの作法はアリシアの方が何倍も詳しかった。司祭の説教に、静かに耳を傾けた。信者でない人間が祝福の言葉を受けた時の対応も知っていたし、司祭が退堂する曲も見事に歌い上げた。知らない文化に触れるのは刺激を受ける反面、とても疲れるのだと実感する。ミサが終わった時には重たい息を吐き出してしまった。
「慣れてないと、疲れるでしょう」
「いいんだ。知らずにこの日を指定したのは僕だし」
オルガンの横のひな壇からぞろぞろと降りている子ども達を引き留めて、神父に会いに来たのだと告げると、オルガンを弾いていた年長者らしい少女が案内をしてくれた。
「院長先生、お客様です」
「はい。聞いてますよ」
白い衣装は、あのミサの時だけ身につけるものらしい。僕がイメージする神父らしい黒い衣装に着替えた神父は、人のいい微笑みを浮かべて僕らを招き入れた。
「足下の悪い中、遠いところをようこそいらっしゃいました。さあ、おかけになってください」
「えっあ、すみません」
勧められるまま腰掛けてしまってどきまぎする。僕の周りにいる年上の大人に、こんなに丁寧な言葉遣いをする人がいないのも、理由の一つなのかもしれなかった。
ああ、誤解のないように言っておくけれど、別に騎士団の尊敬すべき大人達が粗野というわけではない。
「さて、貴方達がここを訪ねてきたのは…ケニーの事をお聞きになりたいからでしたね」
「はい」
「ふむ…。さて、どうしましょうかね…」
そういえば彼は──レグルスは、日程が決まったら教えてくれと言っていた。素直に教えていたけれど、日程を聞いてきたのは孤児院の院長をしているらしい神父にあらかじめ事情を知らせるためだったのか。
思案顔の神父と僕らに香りのいい紅茶を出した少女は、ぺこりと一礼して部屋を出て行った。神父が言い淀む理由も分かる気がする。
レグルスは手紙に何を書いたんだろうか。そもそも神父は、何をどこまで知っているのだろう。彼はおそらくマグルで、魔法界の事なんて知らないはずだ。ケニーが今どういう状況にあるのかも。
「あの」
膝の上にのせていたカバンをずっと握りしめていたアリシアがおもむろに口を開いた。
「小さい頃のケニーって、どんな子だったんですか」
「え?」
「やっぱり賛美歌とか、歌ったりしてたんですか」
僕と神父がぽかんと口を開けるほど 、アリシアの質問はとても唐突だった。数秒遅れて、じわりとこみあげるものがある。思い出すのはさっきのミサで、白いきれいなベールを身にまとった子ども達の姿だ。子ども達はとてもかわいらしくて、見ていて綺麗だったけれど、それと僕の知る彼はどうしても結びつかない。それどころか、一致させようとするとどうしても笑いがこみ上げてくる。
だってあのケニーが、賛美歌なんて。
「ぶふっ」
吐息が笑い声と一緒に口から吹き出した。背中が震えないように堪えようとすればするほど体の衝動は反発する。涙混じりになんとか謝罪を口にすると、神父もまた小さく笑みを零した。
「ええ、確かに彼も歌っていましたよ。ほとんど歌っているふりでしたが」
「ぶっ…、すみません。想像できてしまって」
「できるでしょうとも。彼は小さな頃から、不真面目なのに行いは正しいから、なかなか叱りつけられませんでした」
神父は棚の奥からひとつの箱を引っ張り出した。元々焼き菓子が詰まっていたのだろう缶の箱の中には、ぎっしりと手紙が詰まっていた。
「ケニーとレグルスからの手紙です。彼らはこの孤児院を出た後も毎年、手紙をくれていましてね。クリスマスと、あとハロウィンにはたくさんの見た事もないお菓子と一緒に」
「…お菓子?」
ここにきて初めて、ぴんときた。年に一度、ハロウィンのケニー・アディントンと問われたら、ホグワーツの誰もがあの呼称を、口を揃えて叫ぶだろう。
「(紳士かしら)」
「(紳士だろうね)」
僕とアリシアは視線だけで意思疎通を図って、成功した。と思う。
どうやら、長年の疑問が意外な形で解決したらしい。かぼちゃ紳士が筆頭に毎年集めていたあの大量のお菓子は、いったいどこに消えていくんだろうと一度ならず、考えていたからだ。まさか毎年、この孤児院の後輩達に送っていたなんて思いもよらなかった。
「手紙からは、学校生活がとても楽しいのだという事が伝わってきました。壁をすり抜けるゴースト、喋る絵画、破天荒なポルターガイスト、魔法を駆使した授業…。とても、私には想像できないような毎日を送っていたようですね」
ふと紳士は顔を曇らせて、手紙のひとつひとつを見下ろした。
「けれど、彼らは楽しい事しか知らせようとはしませんでした。たとえば、背中の骨を折るだとか、大蛇に石にされたりとか──危険な試合の最中、殺人鬼に出くわして殺されかけるだとか」
「…それは」
「心配をかけたくなかったのでしょうね。優しい子たちです。けれど、すべてが終わった後に結果だけを聞かされる者の心を、彼らは知らない」
手紙で一切知らされなかった彼らの話を、神父はどこで聞いたのだろう。尋ねれば、校長先生ですと返ってきた。思わず僕は前のめりに聞いた。
「ダンブルドア先生が、来たんですか?」
「一昨年の夏に。あの方はほとんどすべての正解を出した状態でここに、確認のつもりで尋ねてきたようでした。そこで私はすべてを聞きました──彼が、ケニーが何者で、ここに来る前にどこにいたのか。どういう人生を送ってきたのか」
神父はゆっくりと時間をかけて息を吸って、吐いた。
やがて彼は立ち上がってデスクの写真立てを取ってきた。ここに来るまでに通ってきた中庭で撮られたらしい、子ども達の集合写真だった。やはりマグルの写真は、動かない。けれどマグルの写真はあせたセピア色でも、新聞のようなモノクロではないから、マグルはマグルですごいなって漠然と感心する。最初にリーに見せてもらった時は本当に感動したんだ。
「これが彼です。こっちがレグルス」
「…小さい」
「彼らにだって、うんと小さい頃はありましたよ」
神父が微笑む。驚いた事に、彼らはまるで他人のように離れて写っていた。今じゃ考えられない。彼らはお互いに、隣同士の存在だったから。それが僕らの当たり前だった。もっと当たり前じゃないのは、彼らの色だ。
「黒」
アリシアがぽろりと、見たままを口にした。
くしゃくしゃの黒いくせっ毛。ぴょんぴょんと、それぞれが意志を持っているのかと思うほどに跳ね回っている髪は、得意そうに笑っている彼の笑顔によく似合っていた。けれど、僕らは知らない。彼の髪質はここまで暴れん坊じゃなかったし、そもそも。
「彼は赤毛です」
「ええ。7年前から、という意味ならば、そうです」
不可解な事を口にした神父の手には数冊のアルバムが握られていた。年度まで記され丁寧に記録された子ども達の成長をひたすらめくる。そうして僕らはもう一つ、記憶違いの色を見つけた。さっきのは小さかったから気付かなかったけど──彼の目は赤ではなく、きれいなハシバミ色をしていたのだ。
どくり、と心臓が騒いだ。
「彼とレグルスは魔法使いの学校に入学する前に、お互いに色を変えました。ケニーは黒い髪とハシバミ色の瞳を赤に。レグルスは灰色の瞳をブラウンに。学校の先生がいらっしゃる前から変えていましたから、学校のひとは誰も知らないでしょう。彼らが、姿形を偽っている事を」
「…彼らは、どうして?」
「ただ、守るためだと」
神父は写真を優しい手つきでなぞっている。
「彼らは頑として理由を口にしませんでした。ただ、私と、子ども達を説得しました。それまでキッチンや部屋に飾っていた彼らの写真は、すべてこの部屋にしまわれています。誰の目にも映らないように」
アリシアが、僕を見ているのに気が付いていた。けれど僕は、その視線に答えることができなかった。
「どうか彼を責めないでください」
神父は最後までケニーの事を案じて、そう言い続けていた。
「彼はただ、守ろうとしているだけなのです。守ろうとして、自分を傷だらけにしている、哀れな子です」
長居をしてしまったらしく、外はすっかり暗くなっていた。真っ黒な夜空の向こうにちらちらと、赤や黄、緑の光が踊っている。
突き刺すような寒さの中を、降りしきる粉雪の中を、クリスマスソングの響く街の中を、黙って歩いた。シュルーズベリーよりもずっと賑わっているロンドンの街の雑踏に、僕とアリシアは埋もれそうになりながら、歩き続けた。僕らの間には言葉がなかったけど、お互いに考える事に必死だったから、その無言はむしろ有難いもののように思えた。心の中の整理がついていなかったからだ。
不意に、アリシアが小さくくしゃみをした。
「何か飲み物を買ってくるから、そこで待っていてくれないかい?」
「えっ、悪いわ」
「いいから。すぐ戻るよ」
道路の向かいにあるコーヒーの売店まで走っていって、いざ買うときになって、彼女の好みを聞く事を失念している事に気付いた。苦いのが好きなのか分からなかったから、無難にカフェラテにしておく。
3分も経ってなかったと思う。すぐに戻ってみせると、彼女は寒さに身を震わせながら
待ってくれていた。
「おまたせ」
「ありがとう」
銀の手すりに体重をかけて、道ゆくマグルのカップル達を眺めながら熱いコーヒーに舌鼓をうった。街には甘ったるいラブソングが流れていて、今の僕らも彼らと同じに見えるのかな、なんてばかなことを思った。
今日はよくばかなことを考える。
「私、ずっと考えていたのだけど」
アリシアは白い息を吐き出して、雑踏を見ていた。
「何かを守ろうとして傷だらけになっているケニーを、私は哀れまなければいけないのかしら」
僕は彼女の言葉に答えずに、目を背けるように雑踏を眺めた。
「哀れむっていうのは、彼をかわいそうな存在だって思うということ?大変ねって、つらいわねって、共感して、彼の苦しみを少しでも軽くしたいと願って、行動すればいいの?」
「………」
「彼が、何を守ろうとしているのか分からないのに?」
僕もこの半年、彼女と同じ思いを抱えていた。
どうしてケニーが、いわゆる『ダンブルドアの後継者』を名乗ったのか分からなくて、理解できなくて、釈明のひとつしない彼に苛立ちばかりつのらせて。らしくないと言われたのは誰にだったか。
「私は、彼が苦しんでいる理由を、分かったつもりになりたくないわ」
最初は些細な疑問がきっかけだった。
ケニーがレグルスをグリモールド・プレイスに閉じ込めて、『ダンブルドアの後継者』として動きはじめた時。たくさんの人を欺いてそんな事をしているのに、一番の被害者であるレグルスは、なにも言わなかった。それどろか、そこには理由があると言った。彼の目的は昔からたったひとつで、その唯一が、彼を彼たらしめているものだという。
僕だって、分かったつもりになりたくなかった。だから知りたいと思った。彼の真実を知ることで、本当に、彼の力になれるような気がしたからだ。自分を偽って、彼の友人を名乗りたくなかった。
ネオンがぼやけて揺れる。
「セドリック…」
アリシアが驚いたように僕の顔に手を伸ばす。コートの胸元を皺ができるほどに握りしめたけど、苦しみからは逃れられなかった。
心が悲鳴をあげるほどの後悔が、息もできなくなるほどの後悔が、僕を苦しめていた。前にレグルスが言っていた言葉が、頭をぐらぐら揺らすほどにリフレインする。
真実は、嘘よりもずっと、僕が考えているよりもずっと、残酷だと。
「泣いているの?」
どこかで鐘が鳴る。脳裏にあの教会でみたイエス・キリストの姿がよぎって唇だけでかみさま、と呟いて懺悔した。苦しくて苦しくて、苦しみから逃げる子どものように、僕は目の前の手を握りしめる。どんなに後悔したところで、時間は巻き戻ったりしない。
僕をあやすように背中を撫でてくれたアリシアを縋るように抱きしめて、僕は声を殺して泣いた。
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