──そういう言い方嫌いです
クリスマスの夜、そう吐き捨てた後にしまったという顔をして、ぼそぼそと言い訳を始めた青年の、ばつの悪そうな顔を思い出す。
彼は私が感じてきた苦しみを、憤りを、絶望を否定したくないと言った。それでいて、私が私を卑しい生き物だと言うことを厭うのだという。
本当に不思議な少年だ。彼は私の半生を知らないだろうに、どうにも他人のような心地がしない。あまりに親身になってくれるからだろうか。私が私のことを語る時、あまりよくない顔をするからだろうか。自覚はあった。しかし、それでも分からない。
どうして彼が、私のことで心を砕いてくれるのか。
「ケニー、あなたのこと好きなんだって言ってたわ」
「え?」
ロンドンから遠く離れたスコットランドのパブで、トンクスが呟いた。
カウンターの席の片隅で、マドラーを弄んでいた手が止まる。私の顔を見て、ブンブンと手を振った。
「違うの!ごめんなさい。そういう意味じゃなくって」
「そういう意味なら、私は彼と今後どういう接し方をすればいいか分からなくなるよ…」
無駄に騒いだ胸を撫で下ろすと、トンクスが小さく笑った。
「ふふ、えーとね。私、あなたの事ですっごく落ち込んでいたことがあって」
「………」
「ああああ!落ち込まないで!うう、ごめんなさい…」
でもね、すっごく悩んだのよ。
なんでもない顔で笑ったトンクスを見ていて、さっきとは違う意味で心が騒ぐ。
この1年、私は彼女を避け続けた。彼女の好意を感じたのは、もっと前だけれど。ヴォルデモートが復活した頃だろうか。戦時だからと、こんな私でも必要とされていると言い聞かせ、彼女のいる騎士団に留まった。
彼女を傷つけていることは分かっていた。分かっていて遠ざけた。傷ついてもいい。私のことなど忘れた方が、彼女のためになると思ったから。
私なんかよりもずっと健康で、安全な男が相応しいと。
「何度もくじけそうになったわ。もうダメだって思ったこともあった。でもね、ケニーが言ったの」
「なんて言ったんだい?」
「諦めないでって。あなたを好きでいることを」
トンクスは私の右手をとると、ぎゅっと握りしめた。
「とても寒い雪の日に、こうして手を握って、励ましてくれた。私は泣いていたけれど、彼の手も震えてた。寒さのせいかもしれないけど、今思うと、寒かったからじゃないって思うのよ」
「………」
「あんなに頼りになって、後継者なんて呼ばれてる彼が、ひとりぼっちで放り出された小さな子どもみたいに見えた。どうしてかしらね」
パブの中の喧騒が遠のく。
「あなたのこと諦めて、別の道を選んだ方が幸せなのかもしれないって考えたわ。何度も何度も。でもダメ。だってあなたのこと好きなんだもの。愛してるの」
「…トンクス」
にっこり笑ったトンクスは握った私の手を持ち上げると、そっと手の甲にキスを落とした。
「ねえ、想像して」
「想像?」
「戦いが終わったら、小さくてもいいから家をひとつ持つのよ。たまに友人とパーティーできるような、小さな子どもが遊べるような、そんな庭があるといいわ」
「………」
「その子はホグワーツで学ぶの。どこの寮でもいいわよね?その子はたくさんのことを学んで、かけがえのない友だちも作るのよ。私やあなたとおんなじ」
ありうるかもしれない未来の光景が、明滅するライトのように頭に浮かぶ。
きっとその子は、私の呪いなど受け継がないだろう。トンクスの七変化の能力だけをきれいに受け継ぐんだ。トンクスのようによく笑い、声をあげ、ころころと表情を変えるような子ども。
これはありえない未来の姿だ。想像の中でしかない、もしもの未来。なんて美しい。
そんな光景を、彼女の横で眺めていられたら──。
「私とあなたは、その子の背中を見守りながら、小さな家で暮らすの」
いつのまにか俯いていた顔をあげる。トンクスは、これまで見たどんなものよりも素敵な笑顔で、私を見ていた。
「まあ、一度や二度くらい引っ越しをしてみるのもアリだけど。でもね、どんな場所でだって私とあなたは一緒よ。おじいちゃんとおばあちゃんになるまで。ずっと、ずっとよ」
トンクスの手を握り返そうと思ってはっとする。幸福な未来は許さないと宿命が囁く。
私を飼い慣らしている呪いは私がもがき続けることを望んでいる。優しさから一番遠いところで私が力尽きることを待っている。
「手がしわしわになって、腰が曲がって、ひとりで起き上がることが出来なくなっても一緒よ。そうして、たくさんの愛する人に囲まれたふかふかのベッドで、あなたの隣で死ぬの」
「…私の隣で?」
「そうよ。そうしたら、死んでも一緒にいられそうじゃない?」
からからと笑ったトンクスの頬にひとつ雫が落ちた。もちろん、グラスの結露なんかじゃなくて、私の目尻からこぼれ落ちたもので。
狼人間と添い遂げようとするなんて正気じゃない。みんなが反対するだろう。私はトンクスに相応しくない。何度も考えた。それでも、そんな悲劇を、どうしようもなく嬉しいと思ってしまう自分がいるのだ。
「君と、…」
呼んでみると、トンクスはにっこり笑って私の言葉を待った。
流星のような輝きが目蓋の裏で弾けた。あまりに眩しくて、あまりに美しくて、目を開けていられないほどに。目の奥がツンと痛くなって、涙が止まらない。
後悔するぞ。宿命が囁いてくるのを無視した。後悔してもいい。彼女と、そんな夢を見ていられるのなら。彼女と一緒に歩いていけるのなら。どんな絶望に晒されようと──。
「君となら、未来を」
ポケットに手を差し入れて、指輪をトンクスの薬指にはめた。ケースなんてないから、格好はつかないのだけど。
「これ…」
「安もので申し訳ないのだが」
ええと、と言葉がつっかえる。指輪を持つ手が震えた。柄にもなく緊張しているらしい。
深呼吸して、心を落ち着かせて、もう一度彼女の名前を呼ぶ。
「トンクス。ニンファドーラ・トンクス」
「…はい」
「私と結婚してくれないか?」
満面の笑顔は、おそるおそる口にした言葉に崩れることはなかった。次の瞬間思いきり抱きしめられて、倒れそうになるのをこらえてしっかり抱きとめる。
「はい、もちろん!断られたって!」
「私がプロポーズしたのに私が断るっておかしくないかい?」
「いいの!細かいことは!」
ぎゅうぎゅうと抱きしめてくるトンクスの体を抱きしめ返した。ああ、とても幸せだ。幸せで、今なら最高のパトローナスをつくり出せると思えるほどに。
「おめでとう」
ガタン。椅子ごと思いきりひっくり返った音を聞いて、なんだなんだと周りの客が注目し始める。笑いながら私とトンクスを起こしてくれたのは、ここにいるはずのない人物だった。
「ケニー!?」
「ああ、夢みたい。ついにこの日が来たのかと思うと号泣しそう。あの野郎が滅んだ日に流星群起こした魔法使いの気持ちが分かるわ。俺も流星群起こしたい。ふくろうを飛ばしまくって全世界にこの喜びを知らせてやりたい」
「ケニー、どうしてここにいるの!?」
「でもリーマスはシャイだからね。仕方ないからここにいるおっさん達を巻き込むくらいで妥協しよう」
「え、なに」
「聞いてくれ!!」
君が聞いてくれ。
私達をきれいに無視したケニーはソノーラスを使ったのかと思うほどに大声を張り上げ、パブ中の注目を集めた。そして、私達にバッと両手を向けた。
「たった今ここに夫婦が誕生した!俺の大切な人がついに幸せを勝ち取ったんだ!祝ってくれ!むしろ祝え!」
「えっちょ」
「なに!?それはめでたい!」
「おいみんな乾杯だ!祝い酒だ!」
「よし、とっておきを出してこよう」
「ヒューーーー!!誰か神父呼んでこい神父!!」
「ちょ」
パブ中が拍手喝采と指笛とドカドカと床が踏みならされる音でいっぱいになり、あっという間にわけがわからなくなった。
店の中に敷き詰められていたテーブルは乱雑に隅へ寄せられた。椅子は真ん中に少し間隔をあけて、教会の長椅子のように左右に並べられている。本当に連れて来られた神父は夜も遅いというのに、微笑みながら、バーテンの横で私達を待っていた。
「俺が父親役でごめんね?トンクス」
「あなたが隣を歩くことよりも、あなたがここへ現れたことに驚いているんだけど?」
女性客からレースのストールを借りて頭に被り、花瓶から生け花を借りてブーケを作った。それらを身につけたトンクスは怪訝そうな眼差しでケニーを見上げている。それは私も聞きたい。
「恋人同士になるのはさ、みんなの前で宣言しただろ?プロポーズの瞬間は何があっても一番に駆けつけるって決めてたから」
「私達、けっこうあちこちを転々としていたと思うんだが…」
「ははは。やだなあ、騎士団のメンバーの居場所なんて把握してるに決まってんじゃん?」
ポケットからメガネを取り出して棒読みで笑ってみせたケニーに、聞いても無駄だと悟る。含みのある笑い方は、有無を言わせない時のダンブルドアにそっくりだった。
「それに、リーマスは結婚式挙げなさそうだなあと思ってたし」
「え?そうなの?」
「あ、いや…」
難しいなとは考えていた。
ヴォルデモートとの戦いのこともある。今すぐに、とはいかなくともいつか、資金をためて身内だけの、ささやかなものを挙げられたら、と。
「先延ばしにしちゃったらタイミング逃したままになるかもしれないだろ?勢いでしておいた方がいいんだよ、こういうのは」
「ケニー…」
「シリウスとか、みんな呼ぶべきだろうけどみんなが集まるの危ないし。俺と、ここにいるモブだけで許してね。みんなにあとで自慢しよ」
「モブ?」
ささやかな式は賑やかに行われた。名前も知らない男達にたくさんお酒を飲まされたし、トンクスのブーケトスも、女性達が争うように腕を伸ばした。
知り合いはたったひとりしかいない結婚式は夜通し続いた。
「じゃー、写真撮るからみんな寄って。おっさん、これ店に飾ってくれよな。永遠に」
「まかせろ。末代まで遺言に残す」
「末代まではよしてください…」
ぎゅうぎゅうと中心に座らされて、酒の臭いで頭がくらくらする。トンクスも何度もグラスを空にしていたはずなのに、けろりとしていた。
「リーマス」
「うん?」
「ほら。笑って」
カメラは見慣れない小さなもので、きっとマグルの作ったものだと検討をつける。ふと、顔をあげる。レンズを見る。カメラをいじっている真っ赤な彼の目が、潤んでいるような気がしたのだ。
「ケニー──」
「はい、撮るよー!」
へべれけの左右の客たちにがっしり押さえ込まれて身動きすら取れなかったから、彼が泣いていたのかはついに分からなかった。その理由さえも。
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