「ハリー・ポッター」
大広間中の人間が、たった今彼が言った事を理解しかねていた。大広間中の目という目が、ダンブルドアに注がれていた。それは少しずつ、グリフィンドールのテーブルへと動いて行く。他の生徒に倣って、椅子から腰を浮かせてそちらに目を向けると、ポッターは呆然とダンブルドアを見ていた。
先の三人の代表選手のような歓声は沸かない。囁き声がざわつきに変わり、怒号が混じり始めていく。ダンブルドアがまた名前を呼んで、今度こそポッターは立ち上がった。ダンブルドアはもう微笑んでいない。駆け寄ったマクゴナガルと何か話している。ポッターが扉の向こうに消えたのを確認すると、ダンブルドアが生徒に呼びかけた。
「各寮の監督生よ、生徒を連れて寮に戻りなさい。ボーバトン、ダームストラングの生徒たちもじゃ」
言うが早いか、ダンブルドアは各校の校長と先生を引きつれて代表選手がくぐり抜けた扉の向こうへ消えていった。大広間はすぐに怒号混じりの声でいっぱいになった。
「ハリー・ポッターが代表選手だって?」
「それってつまり、校長先生の年齢線を出し抜いたってこと?」
「ねえ、先生は彼の参加をお許しになるのかしら?」
「まさか!あいつはまだ四年生だぞ!」
ホグワーツの生徒も大声で騒いでいたが、ボーバトンとダームストラングも負けてはいなかった。それぞれの国の言語で囁いたり、かと思えば怒鳴ったりしている。大方、ホグワーツの代表選手が2人になったことに憤りを感じているのだろう。
「ポッターが代表選手なんて!きっと小狡い手を使ったに違いないわ。そうよね、ドラコ?」
「ああ。一体どうやって…」
扉を睨んでいるパンジーに同意しかけた僕は、ふと口を噤んだ。
「…ポッターは、どうしてゴブレットに名前を入れたんだ?」
「そんなの、目立ちたいからに決まってるじゃない。有名なポッター、生き残った男の子。あいつ、これ以上名声を手に入れて何がしたいのかしら」
確かに、一理あるなと僕は思った。あいつが今持っている肩書きに代表選手の座が加われば、きっとまた新聞に載るだろう。インタビューだってあるかもしれないし、またあいつのサインを欲しがる奴が出てくるかもしれない。
「課題がきっついのだといいな。あの忌々しい『尻尾爆発スクリュート』と対決するとか。そうしたら、あれがポッターを夕食にしてくれるかもしれない。ねえみんな?」
「っ、パン──」
言いすぎだ、と言いかけた言葉はスリザリンのテーブルから湧いた嘲笑に飲み込まれた。ゆっくりと口を閉じる。僕はケラケラ笑っているパンジーから目を反らして、ポッターが消えていった扉を見つめた。
もしポッターが名声のために自ら名前をゴブレットに入れているなら、名前を呼ばれてあんな顔をするだろうか?
「どうしたの?」
「…いや。なんでもない」
「ふふ、変なドラコ。ごちそう食べ過ぎちゃったの?」
ポッターがどうやってゴブレットを出し抜いたのか、あれこれ詮索しているしている周囲の輪に入る気になれず、寮に帰った後も早々にベッドに潜り込んだ。
ポッターは、確かに有名だ。生き残った男の子で、いつも事件の中心にいて、ダンブルドアのお気に入りで。誰もが欲しがるような名声を、あいつはいつだって手にしてきた。嫌な奴だ。
でも、あいつ自身は──『生き残った男の子』という冠をとっぱらった『ハリー・ポッター』という男は、そんなに嫌な奴じゃない。話してみれば、クラッブやゴイルなんかよりずっとマシだ。それに、ポッター達といる時は家柄を気にしなくて済む。
だから、今の僕は知っている。あいつは一度だって自分から、名声を欲しがったことはない。なぜならあいつは、賞賛や名声と同じくらいの嫌味や妬みをうんざりするほど買っているからだ。この四年間、ずっと。
そんなあいつが、自分でゴブレットに名前を入れたりするだろうか?不当に代表選手になれば、選ばれなかった奴らにどういう目で見られるか、考えずとも分かるはずだ。そんなリスクをわざわざ背負い込んでまで、『ハリー・ポッター』は──僕の知るポッターは、代表選手になりたがるような奴だろうか?
それとも、パンジー達の言うように、さすがのあいつも「永遠の栄光」という誘惑に目が眩んだのだろうか?
ひとつ──視野を広く持つこと
「………」
ふたつ──他人の考えを鵜呑みにしないこと
「…分かっているさ」
あの日、彼からもらったアドバイスは幼児でもできるような単純なことで。でも、今までの僕が思いもしていなかったことで。
ダークグリーンの柔らかいシーツに顔を埋める。明日の朝一番、やることは決まっていた。
昨日の今日で、奴が大広間に姿を見せないだろうという僕の予想は当たっていたらしい。
肌寒い朝、湖の傍には誰もいなかった──クシャクシャの黒い髪と、ふわふわの栗色の髪以外は。僕は鼻を啜ってローブに覆われた裾を温まるように擦ると、二人の方へ向かった。
「ロンのあとを追い掛け回して、あいつが大人になる手助けをするなんてまっぴらだ!」
ポッターのあまりの大声に、近くの木からふくろうが驚いて飛び去っていった。
「僕が首根っこでもへし折られれば、楽しんでたわけじゃないってことをロンも信じるだろうさ」
「なるほど」
狙い済ましたように声を張り上げてみせれば、二人は驚愕を顔いっぱいに浮かべて振り返った。
「マルフォイ!?なんでここに…」
「その様子だと、ウィーズリーに見限られたらしいな。馬鹿な奴だ…あいつもお前がゴブレットに名前を入れたと思い込んでいるクチか」
「ロンの事を馬鹿呼ばわりするな!」
「待って、ハリー!」
どうやら既に相当ストレスを抱え込んでいたらしいポッターは、あっさりと堪忍袋の緒を切らせた。怒りのままに杖を取り出そうとした手を、グレンジャーが押さえる。
「マルフォイ、あなたもしかして…ハリーの事を信じてくれてるの?」
「な、」
「え?」
なんで今の会話でそういう解釈ができるんだ!これだから穢…マグル生まれは!
グレンジャーがきらきらした眼差しでこちらを見ている。そして、ポカンとした阿呆面のポッターも、信じられないような目つきで僕をまじまじと見ている。何もしていないしまだ何も言っていないのに、どうにもいたたまれなくなった僕はたまらず叫んだ。
「か、勘違いするなグレンジャー!僕はウィーズリーと違って、周りの意見を鵜呑みにしたり、目の前にある情報に惑わされなかっただけだ。ポッターの性格か性格とかを冷静に分析した上で、真実に辿り着いたんだ!」
「あのねえ。だからそれってつまり、ハリーを信じてくれてるって事でしょう?」
グレンジャーが幼子に言い聞かせるような声音で呆れたように言う。情けないことに僕はぐうの音も出なくなって、口を噤むしかなかった。グレンジャーはともかく、ポッターはその珍獣を見るような目を慎め!…こいつの瞳、緑色なのか。珍しいな。
「えっと…マルフォイ。ありがとう」
「…勘違いするな。僕はお前に信頼だとかいうものを感じているわけじゃない。鳥肌が立つ」
「うん。でも、君は僕がゴブレットに名前を入れてないって信じてくれているんだろう?」
呟いた声はあまりに細く、さっき僕に怒鳴りつけてきた人間のものとは思えなくて。そっぽを向いていた視線を、ちらりとポッターに向けた。
「(──ああ)」
どいつもこいつも、何を見ているんだ。
こんなにも情けない顔で、こんなにも不安そうな顔で笑う奴が、ゴブレットに名前を入れるわけがないじゃないか。
『ハリー・ポッター』は世界を救った英雄なんかじゃない。『生き残った男の子』は、目立ちたがり屋なんかじゃない。ただの、そこらにいる14歳の魔法使いとなんら変わらないんだ。
「…トースト」
「え?」
「お前らを探していたせいで、朝食を食べ損ねたんだ。一枚よこせ」
どっかりと座り込んで了承も得ないまま、ポッターが持っていたハンカチをひったくる。冷えきったトーストを乱暴に頬張っていると、なぜかポッターが笑ったので、蹴りを入れておいた。
やはりこいつは気に食わない。
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