企画より

エレン視点








長らく使用されていなかった旧調査兵団本部。数日間掃除し続け、広い古城がようやく居住区としての機能を取り戻した頃。壁外調査や巨人になるとはどういう事かについてリヴァイ班の面々と食堂で語らいながら、各々自己紹介という流れになった。とはいっても旧調査兵団への道すがらオルオが一方的に語っていたので、粗方は知っていたが。
序列順に自己紹介をしていって、最後に順番が回ってきた青年は一つ瞬きをした。珍しい、灰色の瞳だった。

「僕は100期生だから、君とは一番経歴が近い事になるな」
「そうですか」

という事はその若さで、精鋭としてリヴァイ班のメンバーに選ばれた事になる。オルオの言葉を思い出しながら、エレンは改めて彼を観察した。
レグルス・ベケット──100期生中トップクラスの成績と機動力があるものの経験が浅いため、他のメンバーに討伐数は遠く及ばない。それでも、同期と比べれば特に、討伐補助数が抜きんでているのだとか。
訓練生を首席で卒業し、憲兵団に勧誘されたがそれを断って調査兵団に入団した、時折見かける変わり者の一人。エレンもそうだったから、オルオから話を聞いてからずっと彼に親近感を持っていたのだ。
経歴だけでなく実年齢の近さも相まって、その日から彼にくっついて話を聞くことが増えたようにエレンは思う。もちろん、なぜか自ら話しかけてくるオルオや紅一点でありよく目をかけてくれるぺトラ、兄貴分のようなエルドやグンタとも、少しずつ打ち解けていったが。
一見無口そうに見えるレグルスは、思っていたよりもとっつき易かった。話しかけれ答えてくれるし、何より、エレンに畏怖の目を向ける事が無かった。

実験の休憩中に、突如巨人化してしまったあの時も。

「…ッ」

なぜああなったのか、エレンには分からなかった。自分はただ、落ちてしまったスプーンを取ろうとしただけだったのだ。しかもまた、なぜか中途半端に巨人化してしまっている。何が起こったのか把握できないまま辺りを見渡して、生唾を飲み込んだ。なぜって、剣を抜いたリヴァイ班の面々がこちらを見ていたから。
一番最初に口を開いたのはエルドだった。

「エレン…どういう事だ…!」
「っ、はい!?」
「なぜ今許可もなくやった。答えろ!」
「エルド。待て」
「答えろよエレン、どういうつもりだ!」

あのオルオが、リヴァイの制止の声を遮ってまでエレンに怒鳴っている。そんな様子を見て、エレンは少しずつ状況を理解していった。オルオは、オルオ達は。

「いいや、それは後だ」

グンタが一歩ずつエレンに近付く。彼の声は固く強張っていて、その手には剣が握られていて、エレンを畏怖の目で睨みつけていた。

「エレン、俺達に──いや、人類に敵意が無い事を証明してくれ」
「え…っ」
「証明してくれ、早く!お前にはその責任がある!」

グンタが叫んだ事で、オルオも、ぺトラまでもがリヴァイの声を聞かずに、棘のある言葉を投げ掛けてくる。

「その腕をピクリとでも動かしてみろ!その瞬間テメエの首が飛ぶ!」
「…っ」
「できるぜ俺は!本当に!試してみるか!?」
「オルオ。落ち着けと言っている」
「兵長、エレンから離れてください!近すぎます!」

エレンは生唾を飲み込みながら、冷静に諭し続けるリヴァイと怒鳴り散らす班メンバーを見比べた。
あまりにも平穏な日々が続いていて、忘れていた。監視対象とはどういう事なのか。おかしな素振りを素振りを見せたら殺されるという事とは、どういうものなのか。
自分は彼らにとって、人類の敵である巨人と一緒なのだ。明確な敵意を向けられるべき存在なのだ──こうなるまで、忘れてしまっていたけれど。
次々と投げ掛けられる敵意に思わずいつもの調子で叫んでしまったけれど、かといって状況が変わるわけではない。
なかったのだが。

「エレーーーン!!」

突如飛び込んできたのは涎を垂らして興奮しまくっているハンジだ。あまりに場違いな様子に、その場にいた全員の注目がハンジに集まる。
目を輝かせたハンジはグンタを突き飛ばし、水蒸気が落ち着いてきた巨人の腕の前で急ブレーキを掛け、そうしてようやく止まった。

「その腕触っていーい!?」
「っ、は?」
「ね、いいよね?いいでしょお!?触るだけだから!!」
「は、ハンジさん、ちょっと待っ…」

制止の声も虚しくハンジは両手をぴっとり巨人の腕に這わせた。高温の巨人の体に触れては大火傷では済まない。案の定な結果にあちゃあ、と声をあげた兵士はハンジの部下だろうか。
空を見上げて身悶えるハンジはイグナイトクソ熱いだとかなんだとか叫んでいる。何度でも脳内にツッコミが浮かぶ、それどころではない。

「分隊長、生き急ぎすぎです!」
「あーあーもー…薬だって限りがあるんですよ」

部下二人共、言うべき事はもっと他にあるだろうが。そう思ったのはきっとエレンだけではなかっただろう。あまりにも空気を読まない三人のせいでリヴァイ班メンバーは気を削がれ、いつのまにか各々剣を下ろしていた。
火傷した両手もそのままに、ハンジはエレンに語りかけた。

「ねえ!エレンは熱くないの!?その右手の繋ぎ目どうなってんの!?すごい見たい!!」

興奮しているハンジの言葉に、エレンははっとした。
そうだ。この、巨人の体に埋まっている右手を抜いてしまえば、あるいは巨人化をどうにかできるのではないだろうか。
グンタの制止の声を振り切って、エレンは渾身の力を籠めて右手を引き抜いた。地面に転がり落ちたエレンの向こう側で、蒸気を挙げながら巨人の体が消えていく。ハンジが嘆いているが、無視だ。
どうして巨人化してしまったのか分からないまま、その場はお開きとなってしまった。最悪の気分だ。再び連れて行かれた地下室で待機を命じられ、そして目の前にはリヴァイが見張りに立っている。とりとめのない会話をしていると、地下室の戸が叩かれた。レグルスの声だ。

「リヴァイ兵長」
「ん」
「ハンジ分隊長がお呼びです」

入って来たのはレグルスと、ハンジと一緒にいた兵士だ。リヴァイに一礼して入ってきたその青年はエレンと目が合うと、ニコリと人懐っこそうな笑みを向けた。憎しみ以外の目を向けられるのは久しぶりで、何も言えないまま見つめ返してしまう。

「どうした」
「実験で負った自傷行為の傷を手当てして来いって言われたんですけど…おお、ほんとに治ってる」

しげしげと手を観察されて、思わず両手を隠してしまう。救急箱を掲げた青年はこれは用無しみたいですね、と肩を竦めた。

「どうも、はじめましてエレン少年。俺は名前・アディントン。ハンジ分隊長の下に医療班として配属されてる。こいつ、レグルスとは同期なんだ」
「はあ」
「自己紹介なら後にしろ。呼ばれてるんだろう」
「はいはいっと」

人類最強に物怖じしない口調と、シガンシナ地区ではあまり目にしなかった赤毛、同じ色の瞳。彼もまた、レグルスと同様自分に敵意や畏怖を向けていないのが態度で分かった。少し驚いた──彼も、自分が巨人化したのを目の当たりにしたはずなのに。
そこで思い出した。夕方、あの場で唯一リヴァイ兵長以外でレグルスもまた、己に剣を向けていなかったのだと。

「あの」

食堂でハンジの説明を受けた後、エレンは二人の姿を探した。同期だという話の通り、二人は共に廊下で立ち話をしていたらしい。振り向いたレグルスが瞬きする。

「どうしたエレン」
「えっと…」

レグルスと名前。走って探し当てたはいいものの、なんと言っていいやら思いつかなくて、エレンは息をつくふりをしながら考える。
どうしてレグルスさんは俺に剣を向けなかったんですか。どうして名前さんは俺に笑いかけてくれたんですか。お二人は、俺を恐れないんですか。
何も言わないままでいると、レグルスの静かな視線を感じていたたまれない。先に口を開いたのはレグルスではなく、名前だった。

「やっぱり手が痛むのか?」
「は、」
「ん?いや、表面上傷が治ってても痛みは残ってるのかなって」

瞬きした名前の目は最初に会った話した時と変わらず純粋にエレンを心配していて、視線はその手に向けられていた。あの時は隠してしまった手を握りしめて、エレンは自分とあまり年の変わらない二人を見つめ返す。

「お二人は、普通なんですね」

考えとは遠いような、近いような。きっと二人には伝わらない、独り言のような言葉が口をついて出る。何を言っているんだ俺は──すぐに湧いた羞恥心。今が夜でよかったとエレンは思った。半身だけ体を向けていたレグルスがきちんとこちらを向く。
彼らを見て、エレンには何故だか、今の言葉の意味が二人に伝わっているような気がした。

「君も普通だよ。エレン」
「えっ」
「そうそう。ちょっと巨人になれるだけの、調査兵団に入りたてのひよっこ新兵。だろ?」

夜風がさわさわと前髪をくすぐる。レグルスは微笑んで、珍しい瞳の目でエレンを見つめ返した。名前が笑う。笑い返せなくて、目を伏せた。

「でも、巨人になれるなんて…おかしいじゃないですか」
「そうか?」

馬鹿にしてるのか、という文句をすんでのところで飲み込む。肩をすくめて名前が続けた。

「んー、なんていうかな。俺達が君の事を怖がったりしないのは、君の巨人化なんて珍しくも無いレベルで、面白いことを経験してるからさ。つまり慣れだ」
「慣れ…ですか」
「そう、慣れ」

巨人になれる事を「面白い」などと喩えそうな人間を、エレンは一人くらいしか知らない。彼がハンジの下にいる理由が、なんとなく分かったような気がした。

「ま、あんまり気に病むなよエレン。なんかあったら、こいつに相談するといい。面倒見はいいからさ」

隣に立ったレグルスを指差して去って行った彼はきっと、ハンジの元へ行くのだろう。そんな背中を見送って、エレンは隣に立つレグルスに視線を移した。

「…あの」
「あいつの煙に巻くような物言いは気にしなくていい。ああいう性質なんだ」

同じように名前の背中を見送っているレグルスはやれやれと言った様子で溜息をついた。いつも物静かで冷静なレグルスの人間臭い一面を見て、エレンは思わず瞬きをしてしまう。

「構いたいんだろう。君は、彼の弟に似てるしね」
「弟?」
「ああ。周囲に畏怖されているところとか、年相応に無鉄砲なところとか…その目の色とかね」

思わず目を瞬かせてみせると、レグルスは困ったように笑った。壁内では緑の瞳など、珍しくもない。
エレンの肩を軽く叩いて去って行ったレグルスを黙って見送る。名前の発言の真意も、彼に弟なんて"いない"事も、エレンが知るのはまだずっとずっと先の話だ。





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