熱がさがらない


なまえは寝苦しさで目が覚めた。外はまだ太陽が昇る気配すらない真夜中だった。体中を悪寒がはしっているにも関わらず、肌は熱く寝汗でじっとりと湿っている。完全に風邪の症状だった。

「だるい…」

すぐにでもまたベッドへ倒れ込みたい気持ちがあったが、冷たくなりつつある服を着替えなければきっと夜明けまでにもう一度目を覚ますことになるだろう。彼女はそう思い、重い足を床へおろして立ち上がった。ふらふらとする足取りで体を拭き、着替えを済ませ、布団へ潜り込む。そこでふと、なまえは自分が明かりもつけず暗い部屋の中にいた事に気が付いた。
風邪をひくと心が弱るとはよく言ったもので、少し心細くなったなまえはベッドサイドにあるナイトライトをつけた。暖色の薄明りが枕元に広がると安心したのか、そのまますぐに眠りについた、

と思った。

瞬間、なまえは風邪で軋む体の事を忘れたかのように飛び起きた。今さっき、眠りに意識を持っていかれる直前に、聞き覚えのある含み笑いが耳に入ってきたような気がしたのだ。周りを見渡し薄明りのさらに向こうにある部屋の暗がりに目を凝らす。

「あ、あかばねさん…!?」

いつからいたのか、どこから入ったのか。なまえが暗闇から現れたその人物に抗議の声をぶつけても、赤屍本人はいつも通りの微笑を浮かべたまま悪びれる様子もなくいつもの調子で答えた。

「前日から大分体調が優れない様子でしたので、少々気になりましてね」

その言葉はいつから、どこからという彼女の質問に対しての答えにはなっていない。
赤屍は優しく、しかし有無を言わせない雰囲気でなまえの肩に手を添えベッドへ押し戻した。その流れで真っ白な手袋を外し、なまえの額に掌をあてる。なまえの体温が高いのか赤屍の体温が低いのか、ひんやりとした体温がじんわり熱にとけた。

「これはよろしくありませんね」
「それはこっちのセリフなんですけど…」

心地よさに一瞬流されそうになった部屋の主は、閉じかけた目蓋をはっと開いた。なぜこの男がここへやってきたのか、それは最初に赤屍が発した言葉の通り「前日から体調が優れないようでしたので」。方法はどうであれ、なまえの体調を気遣っての事のようだった。しかしこうも堂々と不法侵入をされて我が物顔で居直るのもどうなのだろうか。そう色々と言いたげな目を彼女に向けられた赤屍は視線の意味を分かっているのかいないのか、にこりとも言えない静かな笑顔をかえすだけだ。

「食事はとりましたか?薬は?」

何か口にしなくてはいけませんよ、と続けるその言葉と同時に既にウサギ型にカットされたリンゴが出された。皿にのったそれはまだ断面にしずくの玉が乗っており瑞々しく、カットされてからさほど時間がたっていないことがわかる。
もしかしたら今この一瞬で「いつものメス」で切り分けたのかもしれない、そう考えるとなまえは風邪とは違う悪寒を体に感じた。

「食欲がなくて」

それは嘘ではない。
しかしなまえは食欲がない理由をあえて口にはしなかった。

「病院へは行かれましたか?」
「…大丈夫です」
「きちんと医者へかかる事をおすすめしますよ」

あからさまに病院を拒否するなまえに対し、赤屍はスッと目を細め息を吐く。せめて市販の薬でも飲まなければ次の仕事に支障がでるでしょう、と諭し淡々と看病するこの男を見て、なまえは小さく憤りを感じつつあった。
なぜ勝手に侵入してきた相手にそんな事を言われなけらばならないのか、普段は狂人めいた事をしているのになぜこんな時ばかり正論を唱えるのか?思うことはふつふつと湧き上がるも、今自分が看病されて助かっていること、また赤屍が言っていることも事実。そのためなまえは理不尽に感じつつも口をつぐむしかなかった。

時計の針はまだ深夜を周った所で夜明けには程遠い。
明けたとしても病院が開くのは更に先だ。日が昇ったら赤屍のいう通り医者へかかるとしても、普段と違い普通ぶっている様子のこの男に大人しく従うのは何とも釈然とせず、なまえは相手を少し困らせてやろうという気持ちになった。不法侵入のささやかな報いだ、とほくそ笑む。

「赤屍さん、お医者さんですよね」
「…まあ、」
「じゃあ赤屍さんがお薬を処方してくださいよ」

それなら医者へかからなくていいでしょ、と言い赤屍の反応を待つ。子供じみた屁理屈だとなまえは自分でも思った。いつも仕事で興味を失ったその時みたいに冷ややかに立ち去ってくれればそれでいいと考えていた。しかし相手から出てきた言葉は彼女が思っていたものとは大分違うものだった。

「なんだかそう言われますとイヤらしく聞こえますね」

予想外の返しになまえは枕に沈んでいた頭を勢いよくおこした。しかし気が付くと次の瞬間、同じ勢いでまた頭が枕へと沈み込んだ。赤屍の指先が彼女の熱くなっていた額を押し戻したのだ。なまえの眼前には赤屍の端正な顔が迫り、ナイトライトの明かりが遮られて影が落ちている。
緩やかに弧を描く赤屍の口からはいつもより艶っぽい含み笑いが漏れた。

「望み通り、お薬をあげましょう」
「ちが…、そういうのではなくて!」

まさかとなまえは抵抗しようともがくも、お互いの距離がどんどん詰められ、結果赤屍がなまえの上へ覆いかぶさる形となってしまう。これ以上下がりようがない彼女は驚いた猫のように見開いていた目をギュっと瞑った。二人分の体重がかかったベッドが軋み、白い枕に赤屍の黒髪が垂れる。そして一文字に固く結ばれたなまえの唇に、冷たく固い感触が押し当てられた。
それは明らかに人の肌触りではない。

「………え」

おそるおそる目を開いたなまえ。
すでに赤屍は彼女の上から退きベッドサイドへ戻っているがなまえの唇にはまだ冷たい何かが乗ったままである。それは箱状で表面には風邪に対しての沢山の効能が大きな文字で書かれていた。

「市販薬ですが、何も飲まないでいるよりはマシでしょう」

理解した途端になまえの熱が一気に上がった。いや、彼女自身がそう感じただけかもしれないが、その熱さは風邪の症状ではないことは明白だった。相手を困らせようとして逆に自分が嵌められたという気持ちと、何か期待してしまった自分に言いようのない羞恥心と不甲斐なさを感じていた。

「さあ、薬を飲む前にせめてリンゴでも胃にいれてください」
「…赤屍さん、最低」

何の事でしょうか?としれっと楽しそうな笑みを浮かべたままリンゴを差し出す赤屍。それを睨みつけながらなまえは毛布を頭まで引き上げた。先に仕掛けたのはなまえ自身だが、この色々な感情が入り交ざった状態で素直に相手に甘んじることが出来ないのだろう。情けないことだが、その様子はまるでいたずらがバレてダダをこねる子供を思わせた。

「おや困りましたね…機嫌を直していただけませんか、なまえサン」

そう声を掛けられた本人は被った布の下で、懲りずにもまだ思案を巡らせていた。せめてひとつ、何か一言でも赤屍を面食らわせてやりたい、と考えていたのだ。このまま看病に甘んじれば、風邪どころではなく色々な気持ちで眠れない日が続くだろうと。
なまえが毛布から少し顔を覗かせる。赤屍は彼女が出てくることがわかっていたかのようにウサギ型のリンゴを彼女へ差し出していた。

「なまえサンはい、あーん」
「そ、それって子供に対してのセリフじゃないですか…!」
「対応としては間違っていないと思いますが」
「…どういう意味ですか」

なまえはじとりと赤屍を見た。悪態をつきながら彼女は眉間にしわを寄せた。赤屍がリンゴを差し出した姿を見て、また体温が急激に上がった気がしたのだ。ここで自身の頭の片隅に浮かんだ言葉を必死にかき消す。まさかこの赤屍相手に、ときめきかけているのではないか、と。

「いやそんな…、きっと熱のせいにきまってる」

なまえは考えを振り落とすように頭を振る。すると視界までぐるぐると回り始めた。
明らかに体調がよくない彼女を見て、いい加減に口にしてください、とウサギを口元へもってくる赤屍。リンゴの甘い香りがかたくなだったなまえの食欲を少し誘った。ゴクリと喉がなる。

「じゃ、じゃあ、お医者さんっぽく言ってくれたら考えるかも」

また先ほどのように茶化して返すだろうか、それともいつも通り冷めた様子で返すだろうか。
なまえから投げかけられた言葉に赤屍は返事を返さず、リンゴを片手に少し考えた様子をみせた。そしてゆっくりとなまえのベッドサイドへ膝をついて、彼女と同じ目線にまで屈みこむ。再び赤屍となまえの顔が近くなるも、先ほどとは違い暖色にやわらかく照らされた表情がよく見えた。なまえからみた相手は、静かに、しかしいつもとは違いどこかはにかんだ様なやわらかい雰囲気でほほ笑んでいる。

「なまえサン、ひとくちだけ頑張りましょう?」

なまえは本日何度目かの体温の上昇を確実に感じた。気が遠くなる中、頭の片隅に追いやったはずの言葉が明確な形になって戻ってくる音がきこえた。

(2021.04.30)赤屍さんコピペBOT




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