7月下旬


ミーンミーンとセミが鳴く声がやたらと煩い。夏特有のむわっとした暑さのせいで首筋に触れる髪の毛も汗でべったりと張り付いているし、額には玉のような汗が吹き出て顔が真っ赤になっている。けれど、そんな事がどうでも良いと感じるくらいに、私は試合に集中していたんだと思う。

7月31日、神宮球場に響く大きなサイレン。それは激闘を繰り広げた試合に終わりを告げる合図でもあり、青道高校野球部の敗北を突きつけるものでもあった。

ああ、青道高校の夏が終わった。サイレンが鳴り響くと同時にすっからかんになってしまった私の心には、その言葉だけが浮かんでいた。



試合が終わり、観客席に座っている人たちは続々と帰り始める。席を立つ人たちはポロポロと「今年こそ青道行けると思ったのになー」とか「やっば成宮には勝てねえわー」とか悪意のない言葉を零す。彼らは、野球部のみんなは一生懸命に頑張ったのに…。
勝ち負けの世界は結果が全てであるというのも理解はしてる。けれど、自分が贔屓をしていたチームが…純が負けたのが悔しくて、なんとも言えない気持ちを抱えたまま私は帰り道をひたすらに歩いた。





ピリリッピリリッ

自宅に帰ってやる事をやり終え、そろそろ寝ようかと布団に入ってうとうとしていると突然携帯が鳴った。ディスプレイには「伊佐敷 純」と表示されている。私は慌てて通話ボタンを押した。

「もしもし。」
『おう、今大丈夫か?』
「うん、大丈夫だよ。どしたの?」
『…なんか、ゆりの声、が聞きたくてよ…電話して、みた…。』
「なにそれ純らしくなーい!」

ケラケラと笑いながら言葉を返せば『うるせぇ!』と照れ隠しで怒鳴られた。ああ、いつもの純だ。
野球部のエースである丹波先輩が怪我をしてから純との間に距離を感じてたのもあって、夏大が始まる前からほとんど会話をせずにここまできてしまい本当は少しだけ戸惑いもあった。なおかつ、今日は純にとって色んな意味で最後の日だ。だからこうやって普通に会話ができるなって思ってもいなかった。

でもそれは、普通を装ってるのは、純の強がりだって知ってる。

『……今日、ダメだった…。』
「…うん。」
『負けちまった…。』
「うん。」
『最後だったんだ、今日が…俺の高校生活で、最後の公式試合だった…。』
「うん…。」
『なんかよー、…あっけなく終わっちまうもんだな。今思えば馬鹿みてーに球おっかけてたな。なんかおもしれーわ。』

自虐気味の内容にどう返答すればいいか分からなくなる。純だって本当はこんなこと言いたいわけじゃないはずだ。それでも今の純が自分を支えるために、必死に絞りだした言葉なんだと思う。

「あのね、純。私ね、純が野球してる姿が凄く好きなんだー。」
『…は!?突拍子もなくいきなりどうした!?』
「や、なんとなく言いたくなった!びっくりした?」
『あ、当たり前だろ…!突然すぎてバット落としたわ!』

純が少しでも元気になればいいなと思って、今まで一回も言った事がないセリフを口にしてみる。思ったよりも効力があったようで、電話口からは純が驚く声とともに「カランッ」と音がした。
純には次の試合はもうない。高校生活での野球は今日で幕を閉じたのだ。それなのにバットを振っているのは気を紛らわすためもあるが、きっと”いつもの癖”もあると思う。



「甲子園、行きたかったね…。」
『………ああ、行きたかったな…。』



「甲子園」というワードに息をのむ音が聞こえ、心なしか震えたような声で返事が返ってきた。それからはお互いに口を開く事はなく、電話口からお互いの息遣いだけが微かに聞こえていた。何分かしてハッと我に返った純の「もう戻るな」という沈んだ声を最後に電話を切った。






(甲子園は遠い)
(私まで心が引き裂かれそうだ)