先を歩く君へ2
御幸くんと知り合ってから10ヶ月が経とうとしていた。夏の暑い日差しのせいか、一段と黒くなった御幸くんが病室に顔を出す。
「おーっす!」
「久しぶりだねー!なんか、また黒くなった!」
「そりゃそうっすよー!毎日外で練習してますんで!」
「そっかそっかー。…最後だもんね、大会。」
「おう。これで、俺の3年間が終わる。今思うと早かったなー。あっという間でしたわ。」
「テレビで中継されたら見るから。御幸くんが頑張ってるところ。」
「あざっす!佐原さんに恥ずかしいとこ見られないように、精一杯頑張りまーす!」
「うん!応援してるよ、キャプテン!」
もうすぐ、甲子園へのチケットをかけた夏大会が始まる。御幸くんは高校3年生。彼にとって、最後の夏が始まる。出来るなら、1番長く試合をしてほしい。そして、笑って帰ってきてほしい。きっと、高校球児を応援するファンなら誰もが思うこと。それでも、御幸くんのチームが1番長く試合をして、てっぺんを取れたらいいなって思う。
「そうだ。俺さ、すっげー頑張るからさ、甲子園行ったら佐原さんに球場来てほしい。」
「え…?」
「外出届、そろそろもらえそうなんですよね?だから、見に来てほしい。」
急に、真剣な目をした御幸くん。こんな目は見た事がない。私は、目をそらす事が出来なかった。きっと困った顔をしてしまったんだと思う。御幸くんはふっと笑って窓へと視線を移す。
「まあ、気が向いたらでいいんで。佐原さんの気分次第って事で!」
「う、うん。行けそうだったら行くね。」
「それじゃ、俺もう帰るんで!またこんど!」
「あ、…気をつけて帰ってね!」
気まずくなった雰囲気を察したのか、御幸くんはセカンドバッグを肩にかけると帰ってしまった。
御幸くんは、なぜあんな事を言ったのだろうか。考えても、考えても、彼が読めない。ひとつ確かな事は、私は彼を嫌いじゃないし、彼も私を嫌いではないこと。
「青道高校、甲子園決勝進出です…っ!名だたる強豪を破り、悲願の甲子園優勝まであと一歩!!!王手をかけましたっ!!」
日差しが暑い。真夏の真っ只中、彼は甲子園球場でキラキラとした笑顔を見せている。その姿を横目に見つつ、私はリハビリを続けていた。
あの後、一度だけ病室に来てくれた御幸くん。「夏大、優勝してくるから。」そう言って帰っていった彼は、いつの間にか甲子園に出て優勝まであと一歩のところまできていた。
私は、リハビリが終わると迷わず担当医を訪ねた。御幸くんと気まずくなってから、彼の事を考える時間が増えた。リハビリの過酷さに腐りそうになった時、彼の姿を見て、勝手に元気をもらっていた。彼と話すようになってから、リハビリも頑張れた。気付けば、彼に沢山の勇気を貰っていた。私は、今その恩返しがしたい。
「あつい…。」
兎に角暑い。直射日光とアスファルトからの照り返し。暑すぎて死んでしまうかと思った。もう3年も、あの病室で夏を過ごした私にとって、夏の暑さは耐えがたいものになっていた。そして、この熱気。高校野球のてっぺんになる王者を決める日。会場を包むこの熱気は、生まれて初めて感じるものだった。
大きなサイレンとともに試合が始まる。まずは青道高校からの攻撃。正直なところ、私は野球のルールをほとんど知らない。けれど、今目の前にある大きな野球場で、相手チームのピッチャーが投げたボールを難なくきっちりと打ち返しているのがどういう事なのかは想像がつく。
青道高校のバッターがボールを打ち返す度に湧き上がる観客席。試合が始まって間もないというのに、電光掲示板には既に2という数字が光っていた。
『四番 キャッチャー 御幸くん 御幸くん』
球場全体に広がるうぐいす嬢の声から告げられた名前。野球の知識がない私でも四番がいかに重要なポジションなのかは知っている。チーム一番の安定した打率で必ず点を入れられるという信頼を持たれている四番。
私の周りに座る野球ファンの人たちは、口々に「御幸ー!打てー!」と叫んでいる。何万人という観衆からの期待という名のプレッシャーを感じながら、彼はあの場所に立っているのだ。
「まるで、別世界の人みたい…」
ぽろりと口からこぼれ出た言葉。私の前ではあんなにいたずらな笑みを浮かべ、へらへらと笑い、時たま落ち込んだような顔を見せる。病院という名の限られた空間で会う彼は、野球と真剣に向き合い練習に打ち込んでいる彼ではなく、普通の高校生の御幸くんだった。
だからこそ、テレビに映し出された彼の姿に、最初はびっくりしてしまった。私が知っている御幸くんとテレビに映る御幸くんは、全く違っていたのだ。
そんな事を考えている間に試合が進む。御幸くんはというと、みんなの期待通りきっちりボールを打ち返し、追加点に貢献していた。四番の活躍に湧き上がる観客席は、太陽から降り注ぐ熱なのか盛り上がる観客の熱気なのか、朝よりも確実に暑さが増していた。
(私はここにいるよ)
(でも、あなたのいる場所はとても遠い)