出来損ないの救世主

 学校が終わり、ボーダー本部基地へと向かっていた。影浦も穂刈も村上もいろいろ用事があってボッチだ。別に寂しくなんてないぞ。
 そういえば、昨日隊長から気になる話があった。なんでも最近イレギュラー門が開きやすいんだそうだ。上層部が原因解明に取り掛かっているらしいからそう長引かないとは思うが、少しばかり心配な話である。学校から一番近いダクトに向かう途中に小さめな公園があり、そこで小さな子供たちが遊んでいる。そう、例えばこんな所に門が開いたら──
 二秒後が、見えた。
 フラグを立ててしまったのか、この公園の上に門が開く予知。一、二。バチバチと大きな音を立てて上空に門が。
『門発生、門発生。近隣住民の皆様は避難してください』
子供たちが、立ち尽くしている。現れたのはモールモッドだった。
「お前ら! 逃げろ!!」
 俺の叫び声でハッとした男の子が走り出した。しかし、女の子がそのままだ。腰を抜かしたのか。急いで換装して走り出そうとする。
 足が、動かなかった。
 くそ、なんでこんな時に。目の前で誰かが殺されそうだというのに。こんな、こんな、
 モールモッドが女の子に迫る。泣き叫ぶことすらできないようだった。脳裏に過ぎるのは、頭部を失った弟の姿。あの日の絶望。ああ、俺は結局あの日から何も変わっていない。臆病で、弱虫で、無力で。
 くそ、くそ、くそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそ!!
「ああああああぁぁぁ!!」
 足が、動く。前へ向かう。俺の足の速さなら、ギリギリ、届く!

「お、にいちゃ……腕、腕が、」
「大丈夫、大丈夫だ。俺ボーダー隊員だし。それに変身してるんだよこれ。血も出てないだろ? だから大丈夫。ほら、兄ちゃんのことは気にせず逃げろ」
「う、うん!」
 ほとんど無意識のような状態で、俺はなんとかモールモッドを倒していた。女の子が逃げていく。男の子が女の子に駆け寄った。まったく、逃げてなかったのか。やれやれ。
 気が抜けて倒れ込む。左腕を少し削られたが、大きな外傷はない。
 不意にヒュ、と音がした。初めはなんの音かわからなかった。それが不規則に続く。それは俺の呼吸音だった。だんだんと呼吸が浅くなってくる。トリオン体とはいえ息ができなきゃ死ぬ。止まれと思っても不規則な呼吸は止まらない。思考が曖昧になっていく。換装が解けない。あれ、俺死ぬのか?
 少しだけ顔を動かすと視界にトリオン兵が入った。もう動かない。俺が倒した。そうだ、人生で初めて、トリオン兵を倒したのだ。
 本当に?
 本当にこいつはもう動かないのか? 仲間が来たりしないのか? ああ、怖い。そう、俺はトリオン兵が怖い。怖い、怖い。こいつが、殺して、殺される、誰が、母さん、父さん、凛太、みんな、死ぬ。俺も? いやだ、怖い、助けて、誰か。
 視界が不鮮明になってきた。カヒュ、とおかしな音を聞く。トリオン体のはずなのに変な汗が止まらないような感じがして、もう自分の状態が把握できない。呼吸が不規則に加速する。
「富田!」
 誰かの声が、聞こえる。誰だろう、凛太かな、父さんかな。
「おいしっかりしろ! 換装解けバカヤロウ!」
「聞こえてるか、富田。吸って、吐いて、吸って……頑張れ、そう、上手いぞ」
「俺本部に連絡する! カゲ、穂刈、頼んだ!」
 影浦、穂刈に村上……? ああ換装、換装を解かないと。
 辛うじて生身に戻った俺は、そのまま意識を失った。

「…………」
 目が覚めた。多分、いつもの俺の部屋だ。本部の。
「あ、富田!」
「村上……俺、」
「心配させるなバカ!」
「ぐえっ」
 ドアから村上が入ってきたと思ったらそのまま上に乗られる。重い。そうして呻いていたら影浦と穂刈もやって来て、なぜかまた乗っかられた。
「し、しぬぅ……!」
「公園でお前を見た時、死んでると思ったんだぞ!」
「いや悪かったって村上死ぬ死ぬ苦しい死ぬー!」
 ドタバタと三人は騒いでお大事に、と去っていった。影浦が去り際に切ったリンゴを置いていってくれたようだ。不覚にも泣きそうになった。
「男子高校生は元気だなあ」
「隊長」
「大変だったな、葵。どっか悪いところないか?」
 次に現れたのは一ノ瀬隊長だった。にこりと笑って後ろ手にドアを閉める。
「女の子守ってトリオン兵倒したんだって?」
「はい、まあ、その結果がこれなんですけど……」
 不甲斐なくて隊長の顔が見れない。一ノ瀬さんが俺を部隊に誘ってくれたこと、その当時は俺がイキってたというか暴走してたからアレだが、その後凄く嬉しいことだと思ったのだ。だからこの人を失望させるようなことはあまりしたくなかった。それなのに、こんなことになってしまった。
 俯いていると、ぽんと頭に手が乗せられる。思わず顔を上げると優しく微笑む隊長。
「根付さんから教えて貰ったんだが、さっきな、市民から連絡があったらしいんだ。最初は大人が話してたんだが、どうしてもって聞かなくて女の子が電話を取ったらしくて。『優しくてかっこいいお兄ちゃんにありがとうって言いたい』だって。これ、お前のことだろ?」
「…………」
「誇らしいよ。俺の仲間がそんな風に言われるのが自分のことのように嬉しくもある。だからそんな顔するなよ。な?」
「は、い」
 俺はぼろぼろと涙を零していた。嗚咽がこぼれる。でもこれは嬉し涙だった。隊長がそっと胸を貸してくれたので、思いっきり声を出して泣いた。こんな歳になってと思わなくもないが、不思議と嫌悪感はなかった。
 いつか夢見た情景。休日の朝に画面の向こうに現れる逞しい救世主たち。誰かの憧れのヒーローに、俺もなってみたかったのだ。

 後日、俺の元に手紙が届いた。可愛らしいピンクの便箋に拙い字で書かれた文はとても俺の心に染みた。
『わたしもお兄ちゃんみたいにかっこいいボーダーたいいんになりたいです!』
 そっと手紙を机の中に閉まって俺は部屋を出た。


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