(「この未来、95%」の続き)
平坂さんと仲良くさせてもらうようになっていろいろ話しているうちに、辻崎隊のオペレーターの話になった。そうしたらなんと、そのオペレーターは平坂さんが作った人工知能なんだと。驚いた、そんなことがあるのか。平坂さん曰く、自分が戦えなくなった後にも仲間を助けられるものを作りたいと考えて人工知能・サイリィを作ったのだとか。
「お、なんなら見に来るか? 明日空いてるぞ」
「本当ですか? ぜひお願いします」
そう、俺はこの時失念していたのだ。辻崎隊の所属を。
「あの、葵先輩」
「んー?」
「辻崎隊って、あの……玉狛でしたよね」
「そうだな」
ついため息をついてしまった。どうした? と葵先輩が心配してくれて、事情を話す。
俺は、玉狛があまり好きではない。理由は割愛させてもらうが、とりあえず進んで行こうとは思えないのだ。だが平坂さんの研究室に行くということは玉狛支部に行くってことだ。二つ返事で了承した自分が恨めしい。
「はーなるほど」
「…………ついてきてくれたりは」
「あー、その……俺、辻崎兄に嫌われてるからなあ」
「ですよね……」
では秀一さんなら、と思ったがそういえば明日は用事があると言っていた。三枝さんは多分このことを面白がってついてきてくれないと思う。心の天秤で人工知能への興味と玉狛に行くことへの嫌悪の情がぐらぐら揺れた。
……行くか。行こう。平坂さんの普段の生活の場も、なんだか気になるしな。うん。この際玉狛のことは目を瞑ることにした。
「おーよく来たな。ほらこっちだ」
「お、お邪魔します」
場所だけなら知っていたが、玉狛支部に直接来るのは初めてだった。チャイムを押してもし玉狛第一の人が出たらどうしようかと思っていたが、ありがたいことに出たのは平坂さん。支部の中に入る。誰ともすれ違わずに奥の部屋に通された。軽快な音と共に開いたドアの向こうには、白を基調とした清潔感溢れる──とはお世辞にも言えない、物に溢れた部屋が広がっていた。でも生活感があって、ああ、ここで平坂さんは生きてるんだなと思うとなんだか不思議と嫌な気持ちはしなかった。
「あー悪いな、汚くて」
「いえ、大丈夫です」
『片付けを推奨します、平坂様』
うわ、と平坂さんが声を上げた。今のが、人工知能? いつの間に起動してたんだと平坂さんが駆け寄った所にはひとつのパソコンが置いてある。なるほど、今はここにあるのか。オペレーターというくらいだから携帯端末とかにアクセスしたりしてるのかな。疑問は尽きない。何せ初めて見たのだ。興味は膨らむばかり。
「あー、こいつが俺の作った人工知能、サイリィだ」
『新たな生命体を感知。データの入力を求めます』
「こんにちは、サイリィさん。俺の名前は巽翔太郎です」
『データと照合いたします。──ボーダー本部B級特殊部隊一ノ瀬隊攻撃手、巽翔太郎様ですね』
おお、すごい。人工知能というのは他のものを学習して性能を上げていくと聞く。きっとこのサイリィもそうなのだろう。
「すごいですね! これを平坂さんが作ったのでしょう?」
「まあ、ちょちょいとな」
『平坂様が私を構築するまでにかかった時間、及びロスは』
「あーいいっていいって言うなサイリィ!」
発言を停止します、とサイリィは言った。言うことも聞くのか。それはそうか、オペレーターを務めるわけだし。なぜ発言を止めたのかはわからないけれど。
「ああそうだ。巽、よかったらこれから俺と個人戦やらないか」
「え? 構いませんが……」
「サイリィにはより多くの戦闘データが必要なんだ。お前と俺でのデータも欲しくてな」
それは確かに。俺も平坂さんとは戦ってみたかったし、利害の一致だろう。早速で悪いが、と平坂さんが転送システムを起動させた。トリオン体に換装する。
「おーやっぱり若いって違うな! 強い強い」
これで、十本目。結果から言えば俺は一本しか取れていない。それも最初の最初にものすごく手加減されたおかげで取れたくらいで、それからははっきり言ってあしらわれている。だって、平坂さんは二刀流だと聞いたがまだこの人は孤月を一本しか抜いていないじゃないか!
別に腹が立ったわけではない。ただ、俺はこの人にとってその程度の存在なんだと思ったら、なんだか悲しくなってきた。なんだろう、この気持ちは。いや、いけない。集中しなければ。平坂さんは未だ自分からこちらに攻めてこない。俺が向かって、あしらわれて、隙を狙われて斬られる。それの繰り返しだ。
また首を落とされた。次の瞬間には俺のトリオン体は元に戻る。つくづく気持ち悪い機能だ。確かに俺の首は一度落ちたというのに、まだ体は動く、首はそこにある。
「ほらほら次行くぞー」
「っ、はい」
気をしっかり保て、巽翔太郎。こうなることはわかっていたじゃないか。何を動揺している。今はまだこの人を失望させないように頑張るしかないのだ。そう、失望させないように。見捨て、られないように。
距離を取った。平坂さんが不思議そうな顔をする。まずは旋空を二発、平坂さんの相当手前の左右に。自分の体から大幅に外れた斬撃を見て、平坂さんは俺の考えていることを読もうとしているようだ。俺が今からやろうとしていることは、まず自分一人では成功例が極端に少ない。でも、試す価値はある。焦れたのか考えを図るためか、平坂さんがこちらに向かってくる。当たりだ。
「───旋空、弧月」
普通ならまず届かない距離。平坂さんもそう思ったのだろう。シールドは一枚も張られていない。だが、この斬撃は当たる。平坂さんの胴が真っ二つになった。
『新たなデータを発見しました。類似攻撃を検索。B級三位、生駒隊隊長生駒達人による旋空弧月とデータが一部合致します』
「生駒旋空!?」
トリオン体が治った平坂さんは驚いた顔で俺を見た。そう、俺の技だ。超長距離旋空弧月、葵先輩や新之助先輩は生駒さんの技に倣って「巽旋空」なんて呼んでいるが、結局原理は同じ。旋空の起動時間を短くして距離を伸ばす。生駒さんはこれを一人でやってのけるが、俺の場合は正確性を捨ててひたすら起動時間短縮を追求し、葵先輩による援護のもと相手にこれを叩き込む。だから一人でやった時の成功例は非常に限られているのだ。その代わりこの旋空弧月はボーダーの中で最も距離が出ていると言っても過言ではないだろう。
「おま、そんな技持ってたのか」
「まだ開発途中なので命中確率はとても低いのですが、一応」
『前回のB級ランク戦最終日エキシビションマッチの映像を解析。富田葵隊員との連携行動が見られます』
なるほどなるほど、と平坂さんは顎をさすって、それから俺と一緒にブースを出た。結果は十一戦中二勝。まあ、こんなものだろう。やはり平坂さんはとても強かった。今の俺では、最後まで二本目の孤月を使わせることはできなかった。
元の部屋に転送してからしばらく平坂さんはサイリィに向かっていろいろと作業をしていた。俺は見ていても何をしているかさっぱりわからないが、多分さっきの戦闘データの確認とかをしているんだろう。手持ち無沙汰になってしまったので、仮眠用と思われるベッドに勝手に腰掛ける。少しの申し訳なさと、少しの──このわからない感情を抱えたままだ。改めて平坂さんを見ていると、俺とはまったく違うビジュアルに歳が離れていることを実感する。十三歳差だったか。それじゃあ干支を一周しているんだな。ほんの少しだけ無精髭の生えた姿を見て自分の顎に手を当てた。ああ、平坂さんは俺の手が届かない大人の男なんだ。そう思うと、少しだけ寂しくなった。なぜ? 俺にはわからない。自分のことなのにこんなにも疑問を抱くなんて。
「うっし、悪いな巽。お前の見学だったのに付き合ってもらって」
「いえ、勉強になりましたし大丈夫です。その、俺の方こそ平坂さんの研究には役不足だったのではないですか?」
勢いで聞いてから後悔した。こんなの相手に聞いていいことじゃない。平坂さんは優しい人だから、たとえ違うことを思っていても気を使って俺を褒めてくれるだろう。そういったことをさせたくはなかった。だというのに俺は。
「まさか! むしろこんなこと言うと悪いが、もっと弱いと思ってたんだ」
いやあまさかここまでとは。平坂さんは笑った。あの日と同じ笑顔だ。へにゃりと目尻が下がった緩い笑顔。俺は多分その顔に弱いんだと思う。さっきまであんなにナーバスだったのに、その顔でそう言われてしまうと途端に舞い上がるような心地がする。我ながら現金だ。浅ましい。
「やっぱり俺の見立ては間違ってなかったな。お前はまだまだ伸びるよ」
「……」
『巽様は平坂様の言うことを信用していないと推定。感情が著しくマイナス方向へ向いていると思われます』
「ありゃ、そうなのか?」
「そ、そんなことないです!」
人工知能特有のどこか無機質な声が響いた。平坂さんを疑っているわけじゃない。これは本当だ。ただ、自分が自分でわからなくなってしまって、少し気分が悪かっただけで。平坂さん側に非はひとつもない。
「ふむ……巽、お前は自分で思ってるよりも強くて輝いたやつだ。でも前にも言ったが、お前にはどこか暗くて深いところがあるよな」
「俺は、」
俺の根幹にあるもの。親しくしてくれた二人の規律違反、処罰。そして俺の両親のように俺の側から大切な人はいなくなっていく。そのことへの恐怖が、俺の奥底に眠っている。多分そのことを平坂さんは言っている。
一人目はボーダーで初めてできた親友。病弱な妹のためにトリガーを持ち出そうとした。そして記憶封印措置によって、あいつは俺のことをすべて忘れた。二人目は新之助先輩の先輩。鳩原未来先輩。よく俺に近界へ行きたいと零していた。そうして、それは規律を破ることで叶えられた。二人の規律違反者が、俺の奥底で俺を見ている。両親は共働きでまともに会ったことも数回しかなくて、顔すら朧気だ。そうやって俺の周りにいた大切な人はするりするりと俺の手のひらから零れ落ちていく。もう掬うことなんてできない。
「俺は、平坂さんがいなくなってしまわないかと、思って。俺が弱くて利用価値がなかったら、捨てられてしまうんじゃないかと思って。それで……」
俺は一体何を言っているんだろう。不甲斐なくて俯く。恥ずかしい、バカバカしい。こんなの相手を信用してませんと言っているようなものだ。
「サイリィ、今日はもう寝てていいぞ」
『承知致しました。また何かあればお呼びください』
サイリィの動作を終了させたらしい平坂さんがこちらに向かってくる。手が伸びてきた。思わず体を固くすると、ふは、と笑い声がしてそのまま大きな手は俺の頭に乗せられた。
「何があったかは知らないが、お前はまだ十五歳だろ? もっと明るくしてていいと思うけどな」
「あ、あの……」
「それに、俺はお前に失望なんかしない。だいたい、俺が巽とこうやって話したりしてるのは利用するためとかじゃない。平坂硝太郎というひとりの人間として、ひとりの人間である巽翔太郎と一緒にいるんだ」
な? と平坂さんはまた笑った。ずるい。大人の余裕ってやつだ。ああ、ずるい、ずるいよ。
「ありがとうございます。俺、平坂さんの笑った顔好きです」
巽を途中まで送ってから支部に戻ろうかと思って歩いていると、途中で迅に会った。三日前の朝の会話を思い出す。
───平坂さん、犯罪者にだけはならないでくださいね。あと無理やりもダメですからね。ちゃんと合意の上でやらないとダメですからね!
「お前、わざと他のやつら外出させただろ」
「いやーなんのことだか、あはは」
なんて白々しい。にまにまと笑う迅がちょっとばかし恨めしかった。まったく、他人事だと思って。
「で、どうです? 俺の忠告役に立ちました?」
「……お陰様で」
最後に俺に見せた巽の笑顔、他意のない「好きだ」という言葉。それになんだか俺の大事なところが揺らぐ感覚があったのは、否定できない事実だ。ああ、あの時サイリィを閉じておいて正解だったな。つけていたらなんてちょっかい出されたかわかったもんじゃない。
「ま、大丈夫ですよ平坂さん。俺の副作用がそう言ってます」
「……そーかい」
何が大丈夫なんだか。今度から一ノ瀬や富田の顔が直視できなさそうだ、と俺は真っ白なため息をついたのだった。