カミはニンゲンに恋をする【HPMI/神宮寺寂雷】

※夢主の頭がおかしい
※先生の暗殺者時代捏造



玄関のドアを開けてまず最初に感じたのは、何かを炒める芳ばしい匂いだった。ジャッ、ジャッと不規則に聞こえてくるのはその何かをかき混ぜているからだろうか。一人暮らし故に賑やかな音が出迎えてくれることはまずないのだが、なるほど、誰かと一緒に住むとこういう事も体験できるのかと頭の片隅で考えながら靴を脱ぐ。人の気配がするキッチンまでゆっくり歩を進めれば、見慣れた女性が見慣れぬエプロンをつけて立っていた。

「あ、おかえりなさい」
「……敢えて聞きましょう。どうやって入ったんですか?」

答えが返ってくることはないとわかっていても、ついつい聞いてしまう。案の定律はにぃ、と口角を上げるだけで、すぐに何かを炒める作業に戻ってしまった。キッチンに並ぶ材料を見渡しても一つとして自分が購入したものはなく、何なら今日夕食を作りに行くというアポイントをとってもらった記憶もない。

「火傷には気をつけてくださいね」

無防備に晒された(ように見える)背中をしばらく眺めてから、自室に向かう。ドアの鍵にピッキングの痕跡はない。ハンカチを取り出し、直にドアノブに触れないようにしながら部屋に入る。棚や引き出しも、軽く見た感じでは何かが移動させられた様子はない。……どうやら本当に料理をしに来ただけのようだ。そう思い至れば、不意に笑いがこみ上げてきた。何故料理なのかは甚だ疑問だが、これではまるで普通の家族、あるいは恋人のようだ。

(命を狙いあっている者の家で、堂々と料理するだなんて……本当に彼女は面白い)


◆◆◆


神宮寺寂雷と吾妻律の関係はそれなりに続いているが、それも偏に両者が変人と呼ばれる人種であるからだ。いつだって相手の息の根を止める算段を立てながらも、気まぐれのように手を組んでは依頼を受けたり、今のように互いのテリトリーに土足で踏み込んだりする。一歩間違えれば即、死が訪れる。しかし、似た者同士は決してその匙加減を間違えなかった。

_死と隣り合う緊張感
_そしてそれ以上の充足感が
_そこにはあったから

故に、この危険で心地よい"交友関係"はダラダラと続いていた。友人とも呼べない歪なものではあるが、異端児達にとっては最も特別な間柄だった。


◆◆◆


食卓に並ぶのは、実に庶民的なメニューだ。一汁三菜しっかり揃っているし、彩りも良い。意外と家庭的なこともやってのけるのだなと律を見やれば、購入した記憶のない女性用の箸を使って、一人で勝手に食事を始めていた。白飯に箸をつけ、汁物に箸をつけ、主菜、副菜と箸を進めていく。小さな口がモグモグと動き、喉が食物を嚥下するのを見届ける。

「大丈夫よ、今は貴方を殺さない理由があるもの」

一瞬視線が絡むも、それ以上喋るつもりはないのか、すぐに食事は再開された。……きっと、信じても、いいのだろう。そこでようやく、自分の箸を取った。少なめに持ち上げた白飯が、ゆっくりと口の中に消えていく。

「美味しいですね」

発した言葉は、それだけ。けれどそれだけで、自分達を囲む空気は、少しだけ、穏やかになった。


◆◆◆


「今日はね、お別れを言いにきたの」

一言も交わすことなく食器を洗い終わり、ようやく律は本題を口にした。緑茶の注がれた湯呑みを傍にテーブルを囲む2人は、それだけならば食後の団欒風景だ。

「神宮寺寂雷」

男の名を呼ぶ。遠い何処かにいるその人に、想いを馳せるかのように。律にとって、目の前にいる「神宮寺寂雷」と記憶の中の「神宮寺寂雷」は別個の存在だ。彼女は暗殺者としての神宮寺寂雷と、医者としての神宮寺寂雷の連続性を、理解できていない。彼女の中で、今目の前にいる神宮寺寂雷は、「神宮寺寂雷」のクローンのような何か。同じ名前、同じ容姿、同じ過去を持つ別人なのである。

「私ね、彼が大好きだったの。これまでも、これからも、これ以上はあり得ないってくらい。本当よ。…でもね」


貴方に、殺されたの


表情だけを見れば、感情は無に等しい。しかしその言葉には溢れんばかりの憎悪と落胆が織り交ぜられていて_

それは、彼女が初めて「ヒト」に向けた感情だった


◆◆◆


暗殺を生業にするぐらいなのだからある意味当然ではあるが、暗殺者という存在には大なり小なり異常性が認められる。しかし、律の異常性を認識したあの日、寂雷は愕然とした。まだ15、6ほどの少女が、これ程の"欠陥"を抱えるものなのか、と。

_全人類は「ヒト」という獣でしかなく
_彼女の中に「人間」は彼女自身しか存在しない

ヒトを殺すという行為について、律は天賦の才を持っていた。そして圧倒的な才能に加え、それを最大限に発揮し得る肉体と精神をも備えていたのだ。だからなのだろう、自分に殺されるだけの「ヒト」という種を、彼女は徐々に「人間」から切り離していった。こんなに弱い生き物が、私と同じ「人間」であるはずがない、と。


_故に、彼女は驚くほど無邪気で残酷だった


子供が蟻の巣に水を流し込むように

人が手持ち無沙汰に原っぱの草を毟るように


感情を押し殺すのではない。そもそもその行為に罪悪感を感じることもなく、彼女は数多のヒトを殺した。時には目を背けたくなるほど残虐に、時には目を奪われるほど美しく。


ゆえにこそ
人智を超えた厄災のような暗殺者に
彼は強く惹かれた
幾度となく彼女の暗殺を依頼されたが
引き受けた事は一度もなく
けれど私欲で彼女と相対しては
何度も命の奪い合いを楽しんだ


そして


ゆえにこそ
「神」の名をいただく悪魔のような暗殺者に
彼女は強く惹かれた
ヒトを生かすための知を、業を
ヒトを殺すために使うなど
"真っ当な人"がなせるはずがないのだから


神宮寺寂雷という男を、律は「ヒト」とは認識しなかった。自分との死闘を繰り返すだけでなく、あまつさえ楽しんでみせる者が、弱い生き物であるはずがないから。そして、その強さだけが彼女の記憶に存在できた理由であることを、寂雷は理解していた。


◆◆◆


「貴方を思い出すのも、結構大変だったのよ?」

暗殺稼業をやめ、正しくヒトの世に組み込まれようとしている寂雷(ヒト)を、律はもう「神宮寺寂雷」と認識していない。だから、これできっと最後なのだ。明日には、いや数時間後には、彼女の中で神宮寺寂雷は過去になる。今彼女の目の前にいる寂雷は、只のヒトに成り下がるのだ。

「さようなら、神宮寺寂雷」
貴方のことを、あいしていたの

そうして彼女は、彼女の獲物だけが見てきた完璧な笑みを浮かべた。それは、厄災を目の前にしたヒトが最後に見る、圧倒的な美。
その日、神宮寺寂雷、否、暗殺者「ill-DOC」は死んだ。残されたのは、医師の道を進まんとする青年と、只のヒト殺し。そして_


◆◆◆


10年以上前の失恋話をなぜ今思い出したのかといえば、答えは一つ。現在自分の服の裾を引っ張っている彼女だ。久しぶりに見た律は、20代半ばもとうに過ぎただろうに、相変わらず少女のようなあどけなさを残していた。

「ねえ」

封じ込め、目をそらし続けた記憶が、彼女の声一つで蘇る。ああ、そうだ。どんな終わりだったとしても、それは、美しいものなのだ。大切にしたかった、ものなのだ。長いようで短かった二人の時間を忘れるなんて、結局できやしなかった。
何処かから、警鐘が聞こえる。誰かがやめろと訴える。この過去の肯定は、きっと正しくないことなのだろう。それでも、期待することをやめられなかった。

「私、貴方とどこかで会ったことある?」

律はヒトを判別できない
律はヒトを覚えない
それなのに
ヒトとなったはずの寂雷を
彼女は確かに見つけてみせた

_それが、彼女の愛の証左以外のなんだというのだ?

「……ええ。ええ、ありますよ」

_あの日々の中で芽生えた恋は
_決して偽物などではなかったのだ

諦めたはずのものが、再び燃え上がり始めていた。驚愕、歓喜、幸福感…全てがない交ぜになり、はやる心に自制が効かなくなりそうだ。神宮寺寂雷を示すもう一つの名を「ソレ」と定めたのも、もしかしたらこの日の為だったのかもしれない、なんてらしくもないことを考えてしまう。

「私は…ill-DOC」

目を見開きフリーズした律を、辛抱たまらず抱きしめる。初めて腕の中に閉じ込めた彼女は、思った以上に小さく、柔らかかった。


さあ
もう一度、恋を始めようか