▼2020/10/31:き、きめつ……
鬼滅の連載を始めてしまいました……
そんな……こんなはずではなかったのに………
鬼滅は単行本の方でずっと追っていて、めちゃくちゃ面白い!と思いつつ、二次創作を読んだり書いたりするほどではなかったのです。
ちなみに最推しはアカザ、というか、狛治さん、というか、狛恋が本当に好き……何度読んでも泣く……。
で、友人に誘われて劇場版を見に行ったんですよ。それだけならこうやって書くことはなかったと思います。
零巻!!!!!!!!!
零巻!!!!!!!!!!の、!!!!!せいです!!!!!!
そんなことある?
以下零巻のネタバレの話をしてしまいますのでご注意ください。
煉獄さんという、人を助ける力を持ち、それを正しく振るうことのできる人が他人のために戦える人たちを見て、あんなに穏やかな顔で「君たちのようになりたい」と思うのに、めちゃくちゃにされてしまったんですよ。
で、考える。
そう思うということは、この人にとって鬼と戦うことは別に「他人のため」ではないのか、と。
そもそもを考えると、煉獄家という在り方もかなり異質なんですよね。多くの鬼殺隊の人たちは復讐のために入隊している。根源として憎悪がある。
けれど煉獄さんは、煉獄家はそうではない。家業としてそうであるだけ。マジか、それもやばくないか?家業だからといって命の危険が高い戦いに赴くの、人間の精神性としてヤバくないですか?だいぶぶっ壊れてるな……
だから、彼にとって鬼殺は感情による行いではない。(勿論鬼は嫌いだろうし、殺された仲間を思えば憎くはあるのだろうが、それは彼が戦う意思の根源ではない)
彼は多分、心というものの大切さを深く認識した上で、これまでずっと義務によって戦ってきた。そういう家業だから、自分はそれができる力があるから。その義務感と、お母様からの言葉で心を燃やしてきた。
……ああ、ダメだ、この人はもう、原作に登場した時点でとっくに鬼殺という機能、あるいは装置のようなものになってしまっている……と、少なくとも私は解釈してしまったのです。
だから、もしかしたら彼が初めて義務ではなく感情でこの命を賭してでも誰かを救いたい、繋ぎたいと思ったのが、無限列車編のあの瞬間ならば、あんな笑みも浮かぶだろう、と思いました。
(私の物言いが下手で誤解を生んだら申し訳ないのですが、義務で人を救うことは悪いことではないです。感情は変化するけれど義務は不変ですし、感情による救済は時に自己犠牲になる。より多くの人を誰かを救うならば感情ではなく義務のほうが救う側も救われる側も精神的健康のために絶対にいいと私は思っています……)
閑話休題!!!!!
それで!!!!ですね!!!!!
そんな鬼狩りの機能にほぼなりつつある(っょぃ自己解釈)煉獄さんが人間に戻れる時や場所を作りてぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!
と思ったのが今回の連載です。
そのせいでまた夢主が変な子になってしまったが????
長編とか言ってますけど多分そんな長くなんないです。長くても10話いかない予定でさらっと書きたいところを書いて終わらせます。
そして夜明けの迷子をちゃんと書きます…………いやマジで八斎会編絶対書き切りたいから…………がんばります………