青春曰くA

人生が何度あっても間違えてあなたに出会う土手や港で




ここまでのあらすじ
苗字名前が記憶喪失になった。


「というわけで名前が記憶喪失になりましたードンドンパフパフー」
「はじめまして、私は苗字名前というらしいです」

イェーイ、ダブルピース。そんなノリで五条悟と苗字名前が京都校にやってきたのを見た時の京都校生徒、というかうっかり居合わせてしまった真依とメカ丸の反応は一言で言ってドン引きだった。

「そんな遊びをするためにわざわざ京都まで来たの?東京校ってそんな暇なのね」
「エイプリルフールはとっくに過ぎてるゾ」
「うわ、全然信じてくれないじゃん。名前、そんなに信用ないの?」
「名前じゃなくてアンタを信用してないのよ」
真依は路地裏のアスファルトに張り付く吐瀉物を見る目で五条を見る。普通の人間であればショックで寝込んでもおかしくはないほどの冷たい視線だったが、五条はそんな目で見られることにとっくに慣れ切っていたのでダメージはなかった。

「あの、真依さん。その、信じてもらえないかもしれませんが本当なんです」
こちらを見つめて困ったように眉を下げる名前に、思わず真依は黙り込む。
名前のその不安げな表情に驚いて、ではなく、それなりにというか実は結構かなりとても仲良しだと思っていた親友から急に精神的な距離を感じる敬語の上、さん付けで話しかけられてショックを受けたからだ。名前はそんなこと言わない。

「……憲紀を呼んでくるわ」
「待テ。俺を一人にするナ」
自分とメカ丸だけではこの状況をどうにかできない。そう判断した真依は最終兵器加茂丸を呼ぶためにこの場を立ち去ろうとした。が、メカ丸に止められる。メカ丸としてもこんな混沌の中に一人放置されたくなかった。

「一人じゃないよ、僕らがいるじゃん」
「ええ、安心してください、ロボ丸さん。私と師匠がいますから」
「……メカ丸ダ。……いやそれよりも、師匠?」
メカ丸の記憶が正しければ、名前は五条悟のことを先生とは呼んでも師匠などとは呼んでいなかったはずだ。
むしろ、入学前に舐めた真似をされただかなんだかで五条のことを毛嫌いとまではいかずともあまり好いてはいなかった。師匠、などとわかりやすく敬意を表するような呼び方を彼女がするはずがない。

「?……何かおかしなことを言いましたか?師匠……五条さんから、記憶を失う前の私は術師として彼に非常にお世話になっていて師匠と呼び慕っていたと伺っていますが……」
「記憶を改竄されてるじゃない。何してるのよこの男」
「今の名前、なんでも間に受けてくれるから面白くてさ〜」
「真依、加茂だけでは駄目ダ。庵先生を呼ベ」
「もう連絡したわ」
凄まじい速さで携帯を操作して庵へメッセージを送った真依だが、あいにく頼れる大人は所用で学外に出ていると返信があった。思わず舌打ち。ただその返信と併せて庵からは「五条悟の息の根は確実に止めておきなさい」というメッセージも来ていた。言われずともそのつもりだ。

「で?なんで名前は記憶喪失なんかになったわけ?」
「おっ、いい質問だね」
「当たり前の疑問だと思うガ」
メカ丸の冷静なツッコミをスルーして五条は喋り出す。

「先日名前が担当した任務が二級相当だったんだけど、なんと報告を受けてからその呪霊が一級呪霊に成長しちゃってね。挙句に面倒臭い術式持ちだったんだよ。まあ、呪霊自体は名前がなんとか祓ったんだけどね」
「もしかしてその術式のせいという訳カ?」
「いや、無傷で帰って来てから高専の階段で転んで頭を打ったのが原因」
「馬鹿じゃない」
「お恥ずかしい限りです」
「……今の、任務の下り必要だったカ?」
「えっ?必要ないよ?」
「じゃあ、なんで言ったんダ……」
「やめなさいメカ丸。この男とは話しても無駄よ」
真依は加茂へ「今すぐ談話室に来て」と連絡をしながら、耳に入ってくるアホくさい会話に溜息をついた。今日は特に任務の入っていないはずの加茂だ。特に要件を言わずとも変なところで律儀なあの男ならそのうち来てくれるだろう。

「記憶喪失になった理由はわかったわ。理解できないのはなんで京都に来たか、よ。病人なんだから東京で安静にさせるでしょ、普通」
「いや、今の名前を憲紀に見せたら面白いかなって思って」
「愉快犯ダ」
「最低」
「ボロクソじゃないですか、師匠」
「え〜、僕、最強なのにな〜」

五条を罵倒しながら、真依は「憲紀」という名前が出てもちっとも反応しない名前を見て、どうして胸がちくりと痛むような心地がした。まるで面白くない気分だ。

だって、名前、アナタ、あんなにあいつのことが好きだったじゃないの。
抱えた初恋を大事に守り続けて、こんなクソみたいな世界でそれでもその想いを叶えたんでしょ。それなのに、たかが記憶喪失程度で愛した人のことも忘れちゃうわけ?

理不尽だとわかっていながら、真依はそう思ってしまう自分を止められなかった。けれどその苛立ちを名前に向けるのは間違っているとわかっていたから、その矛先は当然のように五条へ向かう。真依は睨むような目で五条を見た。その視線にさえヘラヘラしながらホールドアップして五条は口を開く。

「まあまあ、それは理由のうちの八割であってちゃんとした理由もあるんだよ」
「八割もあるのカ……」
「さっきの理由がちゃんとしてないって自覚があるのがムカつくわね」
「記憶喪失者への療法として、どうしたらいいのか二人は知ってるかな?僕はテレビみたいに叩けば治ると思って名前の頭を叩いたんだけど、そしたら速攻で真希にタコ殴りにされたよ」
「癪だけど私が真希でも同じことするわね」
「流石双子」
「そういう話じゃないのよ。ほら、言ってやんなさい、メカ丸」
「叩いても機械は直らなイ。機械を叩くナ」
「メカ丸が言うんだから間違いないわ」
「勉強になります、ロボ、……メカ丸さん」
「えっ?これ、僕がツッコミに回るべき?」

閑話休題。

「で、硝子に聞いたら、親しい人との会話が記憶を取り戻すきっかけになるというのはよくあることらしくてね」
「はい、京都校には私と長年親しくしてくださった方がいらっしゃると伺っています。是非その方にお会いできれば思っているのですが」
その言葉に、真依とメカ丸は思わず顔を見合わせた。

……確かに加茂は名前と親しい関係、どころか初恋の人であり、幼馴染であり、恋人であり、婚約者である。血縁者を除けばこれ以上なく親しい相手ではある、が。

「……正直、今の苗字を加茂に会わせるべきではないと思ウ」
「ええ、そうね。私も同意」
京都校の面々は別に仲良しチームではない。関係性は割とドライでどこか素っ気ない。
それでも同じ学舎で過ごしてきた仲間への情は確かにある。真依は勿論、メカ丸も、三輪も西宮も、あの東堂だって、加茂がどれだけ名前を大切に思っているかくらいは知っているのだ。

だからこそ、会わせたくない。
真依だって名前に他人行儀で話しかけられた程度で物凄くショックだったのだ。ならば加茂が名前から赤の他人のように話しかけられて辛くないわけがない。人の心がわからない五条悟とは違うのだ。

まして、と真依は思う。加茂はしっかりしてるように見えて根暗で斜め上の思考をしがちなところがある。名前が記憶を無くしたのを理由に、彼女の幸せのためとかなんとか言って名前を呪術界から、そして加茂自身から引き離し、一般人に戻そうとするかもわからない。

その気持ちはわかる。好きな人に怖い思いも辛い思いもさせたくないだろう。けれどそれは駄目だ。それだけは駄目だ。そんなことをしては、記憶喪失になる前の名前がこの世界で生きていくと決めたその覚悟を踏み躙ることになってしまう。例えそれがどんなに優しい理由であっても、それだけはしてはならない。

「アナタたち、わざわざご足労だけど、今日はもう、」
とっとと帰りなさい、と真依が言ったのと、談話室の扉が開いたのは同時だった。

「急に呼び出してどうしたんだ、真依」
ガラガラと開いた扉の音に談話室の中にいた面々の視線が向く。水干や狩衣を模したような高専の制服に身を纏った青年。噂をすればとばかりに、話題の渦中の加茂が談話室に来ていた。
思わず入り口の方を見て真依はしまった!と顔を歪める。
「なんで来るのよ!」
「呼ばれたからだよ」
「そうだナ、加茂は悪くなイ」
「おー!おっつー!憲紀ー!」
「今すぐ戻りなさい!餌食になるわよ!」
「状況が全く読めないんだが……」
と、その時、加茂が名前の存在に気がついて、彼女へ彼女専用の特別穏やかな笑みを向ける。普段ならそれに対して幾らかの嫌味を飛ばしていたはずの真依も、この状況に慌ててか2人を遮ることさえ出来なかった。

「ああ、名前も来ていたんだね。任務かな?」
名を呼ばれた名前は当然のようにこの部屋にやってきた、今の彼女にとって初対面となる加茂を見る。
ああ、遅かった、と真依もメカ丸も苦々しい想いで2人を見た。何故かワクワクしている五条を今すぐにでもタコ殴りにしたい気分だ。

そんな場外の困惑さえ知らずに、記憶の無い名前は何の躊躇いもなく加茂憲紀を見る。
今の彼女にとって初めて出会ったその青年を瞳に写した瞬間、名前は目を大きく開いたのだった。


ーーさて、そもそもの前提として、メカ丸や五条はもちろん真依にとっても、名前は出会った時にはもうすでに加茂憲紀という男性に恋をして、愛を捧げている人であった。
つまるところ彼らにとっては、加茂へ恋をしている名前こそがデフォルトの状態なのだ。

だから真依は、己の親友がそうなるのを初めて見た。


大きく見開いた眼。
ふわりと花咲くように好調した頬。
小さく開かれる薄い唇。
何かを押さえるように柔い胸に当てられる右の掌。
それはあるいは、運命の王子様に出会ったヒロインのような表情で。


「うっそでしょ……」
真依は、名前が加茂に恋をする瞬間を人生で初めて見た。

名前に記憶が無いなんて知る由もない加茂は当然ノコノコと恋人へ近づき、自分よりいくらか背丈の低い彼女の頬へ触れた。
「少し顔が赤いね。体調は崩していないか」
「………あ、ああ、ぁ」

物腰穏やかで公家顔の未亡人じみた影のある人(年齢と性別は問わない)ーーー!

名前も住所も家族も友人も神も仏もなにもかもが彼女の頭の中から出て行ってしまっても、その魂に抱いた性癖は揺らがない。
めちゃくちゃ好みの男にまるで恋人のように ーー事実恋人なのだがーー 触れられて、もはや母音しか出せていない名前の心中や如何に。如何に、というか側から見てもめちゃくちゃパニくっていた。

顔が熱い。手足が震える。今まで心臓が動いてなかったのでは無いかと思えるほど、心臓がバクバクと大きく高鳴る。突如自分を襲った動悸息切れの嵐に、名前の内心はてんやわんやのパニック大錯乱会状態だった。
何が起こっているのだろうか、わからない。理由はわからないけれど、どうしてか今自分の目の前に立つ人への圧倒的ラブが溢れてやまない。膨れ上がったラブに、心臓が今にも張り裂けそうだった。

「あの!」
「うん?どうした、名前」
「……好きです!」
鳴り止まない鼓動が行け!と言うままに記憶の無い彼女はそう叫んだ。よくわからないが、この人を愛せと本能が叫ぶ、魂が叫ぶ、恋心が叫ぶ。だから談話室の中心で愛を叫んだ。

そんな名前の決死の叫びも、加茂にとっては普段通りの名前のお茶目半分の愛の言葉だと思ったのだろう。彼は口元を緩めてうなづいた。

「私も、君が好きだよ」
瞬間、ショートする。


「そうそうそうそう!こういう青春が見たかったんだよ僕は!」
と、喚く五条をリボルバーの底でぶん殴ってから、真依は素早く駆け出すと何もわかっていない加茂を突き飛ばし、奪い去るように名前の右手を取って談話室を飛び出した。

「アンタ細胞レベルでアイツのことが好きなのね!ほんっとムカつく!」
「ま、真依さん……!」
「真依ちゃんって呼びなさい!」
体内の血液が全部顔に集まったんじゃないかってくらい顔を真っ赤にする名前の手を繋いだまま、真依はこの2年ですっかり慣れ親しんだ古い廊下を駆け抜けていく。馬鹿で鈍間な男たちなんてどいつもこいつも置き去りにして。

走る度に揺れるスカート。風を受ける頬。後ろに靡く髪の毛。ふたりっきりの足音。お互いの指先を掴んで離さない掌。

ムカつく、なんて嘘。
本当は声を上げて思いっきり笑い出してしまいたかった。

そうよね!忘れるわけがない!アナタはそういう奴だもの!

知ってた。本当はずっと前から知ってた。
だって私、アナタの恋をしてるそういうところが本当はすっごく大好きだから!




ちなみにその後名前は、真依に手を引かれて走ってつんのめって転んだ拍子に頭を打って記憶が戻った。



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冒頭短歌は千種創一の『千夜曳獏』から