事件曰く


「ごめん、アンスポだったわ」
駿介は、男にそう告げた。

ああ、そうだ。
もしアンスポーツマンライクファウルだったら、相手はフリースローが与えられた上で、さらにリスタートの権利がもらえる。
そのことを僕は、男に伝えたくなった。


伊坂幸太郎「逆ソクラテス」より








恋人である憲紀から突然手紙が届いた。

彼のことは食べてしまいたいほど好きだが、私は白ヤギさんではないので手紙を食べずにまず寮の自室にある神棚に置いていったん祀った。そして彼と結ばれるまで定期的に通い詰めていた縁結びと名高い八坂神社へ祈りを捧げる。

大好きな恋人から手紙が届きました。神よ、素戔嗚尊よ、櫛稲田姫命よ、八柱御子神よ、ありがとう。寄付金って何処に振り込めばいいの?口座番号教えて?振り込むから。


一呼吸。
それから乙女の柔肌にふれるようにそっと封を開く。
中には彼らしい丁寧で綺麗で優美な文字が並んでいた。






名前へ

先日は手紙をくれてありがとう。
急に届いたものだから驚いてしまったけれど、とても嬉しかったよ。

あんなにたくさんの私の写真、いつの間に撮っていたんだ?
それに京都へ帰ってきていたのなら声をかけてくれてよかったのに。でもきっと忙しいだろうと気を遣ってくれたんだね。君のそういう優しいところを私はとても好ましく思っているよ。

今度はぜひ写真だけではなく君からの手紙を読んでみたいな。遠距離なのは高専にいる間だけだろうし、これを機に文通をしてみるのもいいかもしれないね。

それと、手紙にはちゃんと差出人である君の名前を書くこと。ちゃんと届いたからいいものの、あれでは誰からの手紙なのかわからないよ。

つい小言ばかり言ってしまってすまない。
けれど君からの手紙が嬉しかったのは本当なんだ。
今度京都に戻るときは私の都合は気にせず気軽に連絡してほしい。
また君に会える日を楽しみにしているからね。

加茂憲紀






地べたに正座をしながら手紙を読み切った私は深く、深く息を吐いた。そして、京都にいる恋人へ思いを馳せる。
……悪くないな、文通。
メールや電話はすぐに繋がりリアルタイムにやり取りが出来るから良いが、これはこれで良い。憲紀がさわった紙、そして憲紀が私を想って書いた文章が紙媒体で残り続けるというあたりがとても良い。なんか良い香りがする気がするし。手紙は素晴らしい。紙ってどう保存すれば永久に残ります?後でググろ。

私は再度、深く深く息を吐いた。


さて、落ち着いたところで本題に入ろうか。


……まず私、憲紀に手紙とか送ってないから。

最近はなかなか京都に帰れてないし。
つか、写真って何?憲紀を撮影した写真だけが大量に入った差出人不明の手紙が送られてきたってこと?

その事実からIQ53万(※自称)の私の脳内CPUが弾き出した結論は『つきまといストーカー』一択。

「……の、憲紀、ストーキングされてるのか……私以外の人間に……」

私は地べたに崩れ落ちた。
その途端にぽろりと涙一粒が零れ落ちる。

辛くなったのだ。
恋人が不審者からストーキングされている事実に。

そして、写真を大量に撮って送りつけるとかそういうストーキング行為をしそうだと恋人から思われている事実に。

「私そんなことしないもん……無断で写真撮るとかそんな肖像権の侵害行為……。いや、確かにこっそり憲紀の寝顔を撮ったことはあるけど、それは私の前で気を許してくれた憲紀があまりにも尊くてついやってしまっただけで他意は無いし、悪用もしてないしセーフでしょ。セーフだわ。セーフセーフ。はい、無罪。チクショウ!憲紀が無垢なのをいいことに!許すまじストーキング野郎……!」

地獄の果てまで追い詰めて地べたに這いつくばらせて泥水啜らせた上で撮った写真データすべて私に渡してもらうからな……!


私は地べたに這いつくばりながら、携帯で京都行きの新幹線のチケットを取った。









「ま゛い゛ち゛ゃ゛ん゛!!!!」
「なによ、急に来たかと思えば汚い大声で人の名前を呼ばないでくれる?汚いわね、顔の穴という穴から液体が溢れてるわよ、汚いわね」
「汚いって3回も言ったぁ!」
「あと何回言わせるつもり?さっさとその汚い顔拭きなさい」
顔面に向けて投げつけられたナプキンを受け取って名前はびしょじしょになった顔を拭いた。
そんな彼女を一人は呆れた目で、一人は心配げに、ひとりは微かな恐怖を抱いて見つめる。


古都、京都。
市内随一の繁華街である三条通に面したパフェのバリエーションに富んだとあるカフェに名前はやってきていた。

「急に来てごめんね、真依ちゃん。でもどうしても真依ちゃんに相談に乗って欲しくて……このことを相談できる人なんて真依ちゃんしかいないんだ……」
どこか寂しげな顔をする名前に真依は秒速で絆されそうになるが、学友の前ということをあってそれを振り払い、あえて厳しい声を出してみせた。

「ほんとに勝手なんだから。大体アナタね、見ての通り今私たちは京都女子会中なの」
そう言った真依はカフェの四人席の奥に座って、テーブルのそばに立ち尽くす名前を呆れた目で見つめた。
彼女の隣には真依と同じく京都校所属の西宮桃が、そしてテーブルを挟んだ向こう側には三輪霞が座っている。彼女の言う通り、三人は重なった休日を満喫するためにこのカフェにやってきていた。

「うん、それは本当にごめんなさい。でも私も本籍は京都だしワンチャン参加する権利があったりなんかしないかなーなんて」
「バカ。それを判断するのはアナタじゃないから」
そうそっけなく吐き捨てると、真依は同校のふたりに目線で問いかけた。目を向けられた二人は、戸惑いに満ちた表情で顔を見合わせる。やがて、先に口火を切ったのは元より穏やかで人好きの良い霞だった。

「真依のお友達なんですよね?なんだか大変そうですし、私は構わないですよ」
「うん、二人がいいなら私も別にいいよ」
続けてそう言った桃によって、部外者である名前がここに座る権利を得た。
名前は立ったまま二人へ深々と頭を下げると「ありがとうございます」と真面目腐った声音でそう言った。

「っていうか、アナタどうして私がここにいるってわかったの?連絡なんてしてないわよ」
「……愛の力、と言っていいかな?」
「名前」
「はい、あの、すみません。以前真依ちゃんが構築した弾丸を持っていて、私の術式で辿りました」
「なんで未だに持ってるのよ、気色悪いわね。アナタ、もしかしなくてもストーカーの才能があるんじゃない?」
「やだ、ストーカーなんて言わないで。せめて愛の追跡者と呼んで欲しい」
「英訳したら一緒よ」
呆れた声を出す真依は、その会話を聞いて再び戸惑った顔をする桃と霞に「気にしないで、いつものことよ」と軽く手を振った。

「いや、でも本当に助かる。誰にも相談できなくてさ。あ、お礼にみんな分のお代は私が持つので」
「言ったわね、アンタたち金額気にせず注文するわよ」
「やった!私、いちごのやつ食べたかったんだよね」
「えっ、えっ、いいんですか?ほんとに?」
「霞、勝手に押し掛けてきたやつに遠慮しちゃダメよ。ガンガン頼みなさい」
「うーん、この遠慮のなさ」
荷物をよけてくれた霞の横に座った名前は一瞬でメニューを広げるテーブルの反対側の二人に苦笑しつつ、隣の霞に「遠慮なくどうぞ」と笑った。



「いちごミルフィーユパフェとエスプレッソバニラカフェ、それからイタリアンソーダのベリーと白桃アールグレイ。霞は?」
「あっ、えーっと、じゃあ、このもちもちぜんざいとホット抹茶ラテ」
「オッケー。名前は?」
「アイスコーヒーと最強エビフライパフェで」
「躊躇いなくゲテモノ選ぶじゃない」
「やば、今ので名前ちゃんの好感度上がった」
「しゃす!あざます!」
「相変わらずの舎弟根性ね。あ、注文は以上で」
店員の注文の繰り返しを流し聞きながら、真依はメニューを閉じた。それを霞が受け取ってテーブル横へ立てかける。名前は桃が渡してくれた新しいナプキンを受け取りつつ軽く頭を下げた。

店員が去って行った後、四人がけ席に座りながら、名前は三人を見渡してソワソワとした。その様子を目敏く見つけて真依はツッコむ。
「なにしてんのよ」
「いや、だって同年代の女の子たちとこうやってお喋りするの、中学以来だからドキドキしちゃって」
「名前さんは東京校なんでしたっけ。そっちは女子少ないんですか?」
「うん、私ともう一人しかいないんだ」
「えっ、少なっ!いいよいいよ、今日は名前ちゃんも京都女子ってことで」
「ざっす!あざます!」
「なんで桃に対してはそんなに舎弟感丸出しなのよ」
名前は自分を可愛がってくれそう相手に対して、可愛がりがいのある子になるのが得意だった。これは無意識にではあるが、幼年期に完全部外者として加茂家というアウェーに否応なく放り込まれた彼女なりの処世術だったりする。

「それで?相談とか言ってたけど、名前ちゃんはなんで急に京都まで来たの?」
そう本題を切り出した桃の言葉をきっかけに、三人の視線が名前へ集まる。女の子たちからの視線に微かな緊張を感じながら、名前はまず何から話すべきかと一瞬間を置いて考え、それから口を開いた。

「あの、私は今、私史上かつてないほどのピンチに陥っていて」
「呪術師の言うピンチって相当やばいんじゃない?」
「えっ、もしかしてこれ重い話ですか?」
「まあ、聞くだけ聞いてあげるわ」
「ありがと……。やばいけど、重い、かはちょっと私では判断つかないな」
長々と初めから話すのもと思い、名前はまずは結論から伝えることにした。


「実は恋人がストーカー被害に遭ってるみたいなんだ」

名前がそう告げた瞬間、桃は大きく目を開いて驚き、霞は思わず口元を両手で押さえた。そして、名前の恋人が誰かを知っている真依は思いっきり吹き出した。

「それ大変じゃないですか!って、真依はなんで笑ってるの?」
「えっ?っていうか色々ツッコミたいところがあるんだけど名前ちゃん恋人いるの?そういう話題だったの?」
「〜〜〜〜〜っ、!っ!っ!」
「私、真依ちゃんの爆笑初めて見たかも」
「声を出せないほど身悶えてる……」
「今の発言にそんな笑うところあったかな……」
桃は身悶えながら自分の方へ寄りかかって大爆笑している真依の背中を撫でながら、年長者らしくこの場を仕切った。

「わかった、わかった。まずは前提から共有し合おうよ。名前ちゃんには恋人がいる。これはオッケー。で、どんな人?」
いつもの京都メンツではなかなか味わえない恋バナの予感に桃は目を光らせた。霞もこの話題には興味があるらしく「中学までは京都だったんですよね?東京でできた人なんですか?」と微笑みながら問いかけてくる。

「あっ、いや、その、きょ、京都の人……」
慣れない女子間での恋バナに少し照れてしどろもどろになりながらも名前は答えた。途端に桃と霞はきゃあと歓声を上げて、質問を重ねる。
「じゃあ中学の時から付き合ってる人とか?」
「年は?同い年?その人も呪術師?」
「はわわ」
急にぐいぐいくる二人に戸惑いながら、名前は顔を赤らめながら小さくうなづいた。
「……ちゅ、中学の時はまだ付き合ってなかったけど、うん、同い年で、その人も術師だよ」
「うんうん!付き合ったきっかけは?」
「私が東京に行くってなった時に、その、駅まで見送りに来てくれて告白してくれて……」
「わざわざ見送りに来てくれるなんて、付き合う前からその人もうすでに名前さんのことすごく大好きじゃないですか!」
霞の言葉に、それまでの図々しさが成りを潜めた名前は顔を真っ赤にして俯いた。そんな様子にさえ桃は「カワイイ〜!」と喜ぶ。

「そうそうそう、女子会といえば恋バナ。こういう話もしたかったんだよね」
「私たち恋愛事にはあんまり縁がないですもんねぇ」
「だって術師の男なんてロクなのいないじゃない」
爆笑の渦から復活した真依が、笑いすぎてまだ赤みの残る顔で会話に参加した。身悶えすぎて乱れた髪を何事もなかったかのような顔で整える。
「あはは、でもだからって術師じゃない人と付き合うっていうのも考えにくいし」
そう言った霞の言葉に、桃はふととある事に気がついた。

「……ねえ、名前ちゃん」
「うん?」
「一応確認するけど名前ちゃんの恋人って男の人?」
「うん、そうだよ?」
ふんふんとうなづいた桃はとうとう確信を得たような顔をして、話を整理する。
「名前ちゃんの彼氏は同い年で、東京の人じゃなくてこっちの人なんでしょ?」
「うん、そうだけど、どうかした?」
「しかも、術師」
「うん」
ひとつひとつ確認してくる桃に小首を傾げながらも名前はうなづいた。桃の言葉に、それまで名前と同じように小首を傾げて桃を見つめていた霞もその瞬間、ハッと一つの結論に至る。

「あっ!桃先輩!ってことは!」
「そう!名前ちゃんの彼氏は京都校うちの二年男子のどっちかって事でしょ!」
「東堂先輩か加茂先輩のどっちか!」
ぴしゃーん!と雷のように告げられたその言葉に、名前の脳内に大切な恋人である憲紀が浮かんだ。優しくて、穏やかで、かっこよくて、少し天然なところはあるけれど頼りがいのある名前の初恋の人。
名前は自分の頬に熱がたまるのを感じながら、彼女たちの至った結論を肯定する。

「そ、ソウデス……」
「名前、アナタこういう話題で照れたりするのね……」
「私の話でこんなに盛り上がられたの初めてだから……」
「盛り上がるに決まってるじゃん!あっ、でも嫌だったらちゃんと言ってね。やめるから」
「あ、ありがとう、桃ちゃん。大丈夫、ちょっと恥ずかしいだけで嫌ではないから」
気を遣ってくれる姉妹校の同輩に頰を緩ませた頃、四人が頼んでいたパフェらが届いた。
それぞれが注文した煌びやかなスイーツとドリンクが彼女たちの前に並ぶ。

「カワイイ!美味しそう!」
「ですね!」
「その上、人の金で食べるスイーツだものね」
弾んだ声で流れるように写真を撮る桃たちを見て、食べ物の写真を撮るという文化の無い名前は見様見真似で同じように写真を撮ってみた。……あとでこれを見返して、楽しかったなあと思い出すことがあるのかもしれない。そう思うと悪い気はしなかった。
一般的な映えとは程遠い写真を撮って満足した名前は、生クリームやアイスで出来た土台の上に堂々と鎮座する二本のエビフライを見て少し笑う。それに気がついて、他の三人も楽しそうに笑って名前の注文したパフェの写真を撮った。
この写真を憲紀に見せたら彼はどんな顔をするのだろう、とそんなことを想像して頬が緩む。

それまでの話題は一旦置いておいて、四人は自分たちの元に運ばれてきたスイーツに舌鼓を打った。



「で、話を戻すよ」
「うっす」
パフェのてっぺんに乗っかっていたいちごミルフィーユをある程度開拓した頃、桃は一旦横に置いておいていた話題を改めて持ち出した。

「名前ちゃんの彼氏は東堂くんか加茂くんのどっちか。で、結局どっち!?あっ、嘘、当てたい!」
「えー!どっちでしょうね」
楽しそうに桃と霞がむむむ、と考え込む。
「なんだかどっちも想像つかないですねえ」
「うーん、じゃあずばり聞いちゃうけど、名前ちゃんの彼氏は近接戦闘タイプ?」
この瞬間、桃と霞の中で、もし名前がイエスと答えたら答えは東堂で、ノーと答えたら加茂だ、という式が成り立つ。答えを知っている真依は今にも笑い出しそうなのをなんとか堪えていた。

そんな中、名前は生クリームのついたエビフライをもっきゅもっきゅと頬張りながら、大切な恋人のことだけを考えていた。
(近接戦闘……?『赤鱗躍動』のことかな?)
そんなわけで、この時、名前の頭の中からは東堂がゴリゴリの完全近接戦闘タイプの術師であることがすっかり抜け落ちていたのである。

「……そうだね、強いて言うなら確かに近接戦闘かも」
その瞬間、桃と霞はわっと声を上げた。
なにせ、その頃の彼女たちは加茂憲紀の術式が血液を操作して中遠距離から攻撃するものである、としか認識していなかったのだ。

「わー!意外!」
「えっ、そうかな?優しいし、かっこいいと思うけど」
「こう言ったら良くないかもだけど、あんまり彼女いそうに見えないもん」
「でも、確かに好きな人には尽くしそうですよね」
「それはわかるかも。記念日とか大事にしそう」
桃も霞も頭の中で東堂を想像していた。
二人が加茂ではなく東堂を想像していることを真依だけはわかっていたが、面白そうだったのでその誤解は放っておく事にした。

「あー、確かにちょっとお似合いかも」
桃は揚げ物の熱で溶けかけたアイスを掬っている名前を見つめてそう思った。
この数十分程度の付き合いで名前という女性のことを判断するのは良くないとわかっているけれど、初対面の人間が多数を占めるこの状況にあっさりと入ってきて馴染めるという、良く言えば社交的、悪く言えば図太いところは、独自の世界観や自己ルールを持つ東堂と相性が良さそうだ。というか、それくらい図太くないと彼とはやっていけなさそう。

そんなことを思われているとはつゆ知らず、名前は「お似合い」と言われてちょっと照れていた。喜んでいたとも言える。

「……あの、じゃあさらに話を巻き戻しますね」
巻き戻すという表現のためか、両腕を胸の前でくるくると糸巻きみたいに回した霞は口を開いた。

「名前さんの彼氏さんは、ストーカー被害に遭ってるんですよね……」
「……そうなんだよ」
深刻そうにうなづく名前には申し訳ないが、あの東堂がストーカー被害に遭うという想像がつかなくて、桃は思わず吹き出しそうになった。が、流石に目の前の名前に悪くて必死に堪える。ちなみに真依は躊躇いなく吹き出していた。

「その、具体的に何があったのかを聞いても良いですか?」
問いかける霞に名前はうなづいて、恋人に差出人不明の手紙が届き、その中に大量の隠し撮り写真が入っていたことを伝えた。流石に、恋人にそれをしたのが自分だと思われていたということは恥ずかしくて言えなかったが。

「知らない人から隠し撮り写真が送りつけられたってことですよね」
「えっ、それは気持ち悪いね……」
「そうなんだよ。でも本人はそれがストーカーだとは気がついていないらしくて」
「めっちゃ鈍感じゃん……」
「でも、気がついてないなら気がついてない内に私の方で解決してあげたくて。ストーカーされてたなんて知ったらショック受けるでしょ。だったら知らないままの方がいいと思うんだ」
「名前さん……」
恋人の心を思いやる名前に霞は素直に感動していたのだが、それを遮るように真依は冷たい現実を告げた。

「解決っていうけど、名前、アナタに何が出来るっていうの?ストーカーが何処の誰かもわからないのにアナタ一人で解決できるはずがないでしょ。素直に警察か高専に相談した方がいいんじゃない?」
真依の厳しい口調に霞は思わず「そんな言い方しなくても」と言いかけたが、事実真依の言う通りだった。
桃も霞も、名前の話を聞くことはできるけれども、彼女へ有益なアドバイスなどできそうにもない。なにせ、真依の言う通り、相手は何処の誰かもわからないのだ。大人に相談したほうがいい、としか言えないのが事実だ。

けれど、名前は真依の言葉に首を振った。そうして、大丈夫、となんでもない顔で笑う。

「何の策もなかったら、京都ここに来てないよ」
名前は自分の鞄から一枚の紙を取り出した。
そしてそれをテーブルの中心へ、三人にもよく見えるように置いた。当然三人は言われずともそれを見る。
それは一枚の写真だった。

「真依ちゃんたちのところに来る前に彼の所に寄ってたんだ。話をしている隙にこっそりストーカーから送られてきたっていう写真を一枚だけくすねてきた」

名前は碌に確認もせずにパッと手近にあった写真を取ってきたのだろう。
それは或いは、その写真で無かった・・・・のならば、この時点で桃と霞が抱えている「名前は東堂と付き合っている」という誤解は解けていたはず・・だった。

テーブルの中心へ置かれた写真のセンターには、確かに名前の恋人である加茂憲紀の姿があった。

だが同時に、撮影された時に偶然彼と任務を共にしていたのか、その写真には東堂もまた加茂の近くに映り込んでいたのだ。

意図しない二人のツーショット。
真依はこの誤解がこの後も続いていく事に気がついて、今はそんな雰囲気ではないとわかっていたがまた吹き出しそうになった。こんなことある?

そんな真依の心も知らず、名前はシリアスな雰囲気を醸し出しながら言葉を紡いだ。

「そもそも可笑しいと思ったんだ。いくら最近のカメラの望遠が高性能だからって、彼ほど実力のある術師がこう何度も写真を撮られている事に気がつかないなんてことがあるのかって」

確かに、と桃と霞は深くうなづいた。彼女たちとてそれなりに経験を積んできた術師だ。何度も戦いの場に出向いているうちに、他人からの視線に過敏になった自分がいる事に気がついていた。それが例えばカメラのレンズ越しでも、悪意や奇異の目であったのならばすぐに気がつくに決まっている。ましてやそれが何度も繰り返されたのならば、分からないはずがない。

「そしてこの写真にさわってわかった」
名前ははっきりと断言した。

「これは呪詛師の術式によって撮られた『念写』だ」


念写とは一般的には心の中で何かを念じることによって、その念じたものを写真や映像などに出現させたりすることを指す。
だが、名前が言うにはその呪詛師の念写は「遠くにいる対象の人物や物体を写真として紙に映し出す」というものらしい。

「その呪詛師の術式の発動条件は簡単で、一度でもいいからその人や物、場所を見たことがあること。多分、何処かで彼を見て目をつけたんだろうね」
苦々しくそう言う名前に、霞はひとつ疑問が浮かんだ。

「あの、名前さん。どうして名前さんは相手の術式の詳細をそこまで確信して言えるんですか?」
問いかけられて名前は一瞬きょとんとする。それから「ああ、そっか。私の術式の話をしてなかったね」と微笑んだ。

「私の術式はそういうものなんだ。相手の術式を解析したり、術式に介入することができるんだよ」
「……あのさ、それ私たちに言っていいの?」
術式は術師にとっての生命線のようなものだ。それを今日会ったばかりの人間へ簡単に教えてしまった名前に思わず桃がそうツッコむが、彼女は気にせず笑った。
「いいって。別に大した術式じゃないんだし。それにいつか桃ちゃんや霞ちゃんと一緒に任務に行く時が来るかもしれないでしょ。術式説明する手間が省けていいよ」
ヘラヘラと笑う名前に、呆れた顔をして桃は真依を見た。けれど真依も「諦めなさい。こういう奴なのよ」と言うだけだった。

「それで、本題なんだけど」
「今もう十分に本題だよ……」
「もっと本題です」
名前はにこりと笑うと、写真の上にそっと手を置いて三人の顔を見渡した。

「北緯34.6XXXXX、東経135.8XXXXX、これは、奈良のあたりかな」
「えっ、な、なんですか」
「呪詛師の術式である写真を触媒に術式に介入して呪詛師が今いる場所を逆探知したんだ」
「ああ、アナタ、そうやって私も見つけたわけね……引くわ……」
「ひ、引かないでよ……緊急時しか使わないから……」
「うるさい、バカ。今日みたいな日に使ってる時点で信用ならないのよ」

と、とにかく、と名前は軽く咳払いをして仕切り直した。


「私は今からそこに行って呪詛師を半殺しにしてくるから、三人にはGOサインを出してほしい」


「……えっ、なんでそうなるの?」
「えっ、なんか変なこと言った?」
「これ、私たちのGOサインいります?止めても行きそうですけど」
「まあ、そうだけど快く送り出された方が殴る力にも抵抗がなくなると言うか」
「つまりGOサインを出したら、私たちは名前が任務でもなく勝手に呪詛師と戦いに行くのを見過ごした連中ってことになるのね」
「名前ちゃん……私たちを共犯者にするつもりでこの話をしたんだね……」
「い、言い方……。や、違っ、その、誰にも言わずに黙っていくより、ちゃんとここに行きますって言ってからの方がなんかあった時に救援とか呼んでもらえるかなってそういうアレだから……」

じっとりとした目で三人に見つめられて、名前はあわあわと慌てて弁明をするが効果の程は薄い。挙句ハァーと深く溜息を吐かれて、名前はケージの隅っこのハムスターのように縮こまった。
桃はもうすっかり冷めてしまったアールグレイに口をつけてから「まったくもう」と呆れた声を出した。

「大体さあ、ここまで話聞いておいて、私たちが「じゃあ後は名前ちゃん一人だけで頑張ってね」なんて送り出すような冷たい奴らだって思われてたのが癪」
「そうですよ!それに、いくら相手の術式がわかってるからって一人で行くなんて危なすぎます!」
「アナタが勢い余ってそのストーカーを殺さないか見張っとかないといけないしね」
「桃ちゃん、霞ちゃん、真依ちゃん……!」
暗に一緒に行ってくれると言ってくれた三人。どこか、やんちゃな子供を見るような優しい目でこちらを見つめてくる三人に名前は声を震わせた。

「ありがとう!みんな大好き!」









「ここがあのストーカーのハウスね」
あの後、一度装備を整えるために京都校へ戻った三人と再び合流した名前は京都駅から国鉄に乗って奈良へやってきた。
把握していた緯度経度から、そのストーカーの住んでいるアパートの前に辿り着いた名前は気合満々でストーカーの部屋の扉の前で仁王立ちになる。

「ここにいるんですか?」
「うん、間違いない」
断言した名前は躊躇いなくその部屋のチャイムを鳴らした。その一切の躊躇のない動きに、思わず桃が「行動に躊躇いがなさすぎる……」とやや引いた声を出すが、名前は気にしない。

「すみませーん、町内会費の収集に来ましたー」
「流れるように嘘つくわね、この子」
「なんか手慣れてません?」
「ブレーキとか無いの?名前ちゃん」

しばしの沈黙の後、扉の向こう側から人がやってくる足音が聞こえてくる。
それから、ゆっくりと扉が開かれた瞬間。

「オラッ!御用改めだコラァ!」
「うわっ!なんだお前!」
名前は躊躇いなくアクセル全開で扉をこじ開け、住人である男を突き飛ばして中に押し入った。側から見れば完全に押入強盗の様相だった。

「えっ、これ大丈夫なんですか!?」
「余所の住人に通報される前に私たちも中に入るわよ」
「うわぁ、カワイくないやり口……。一応この部屋にだけ帳張っとくね」
流れ込むように三人も素早く中に入り、扉の内鍵を閉めた。ズカズカと中へ進む真依と、緊張した面持ちで恐る恐る足を進める霞。あまり荒事向きではない桃が最後尾でこの部屋だけを範囲として帳を張った。


真依たちがアパートのリビングへ入った時には、既に名前が住人である男を床に引き倒してマウントを取っていた。
真依は部屋の中を見渡して「うわ……」と小さく声を上げる。続いて中を見た霞と桃も顔を歪めて似たような声を上げた。

というのも、男の部屋の壁という壁に大量の写真が貼り付けられていたからだ。

「典型的なストーカーの部屋って感じね」
「わ、全部の写真に加茂先輩が写ってますよ……」
「えっ?なんで加茂くん?」
この部屋の住人がストーカーをしてるのって東堂くんじゃなかったの?
そう桃が言いかけた時、名前に押し倒されていた男が声を荒げた。

「なんなんだお前ら!急に入ってきやがって!通報するぞ!」
「出来るものならしてみなさいよ。アンタも一緒に豚箱行きよ、ストーカー」
冷たく吐き捨てる真依に、男は声を震わせながらその言葉を否定する。
「ス、ストーカーじゃない!僕は愛の追跡者だ!」
「だから英訳したら同じなのよ。なに?ストーカーの思考回路ってみんな同じなの?」
「真依ちゃん、私はストーカーじゃないからね」
真依の言葉に噛み付いてくる男は見る限り二十代半ば程度の若い男性だった。自宅ということもあってか、ラフなグレーのスウェットを着ている。まさか今日こんなふうに知らない多数の人間に家へ踏み込まれるとは思ってもいなかったのだろう。

男は床に引き倒されたまま、自分の上に馬乗りになってスウェットの胸ぐらを掴む名前を睨み付けた。
「畜生!なんなんだお前!」
「喧しい!私はお前がストーキングしてる美青年の天上天下唯一の彼女様だよ!」
「えっ!」
「えっ!」
「えっ!」
男と桃と霞の驚きの声が重なった。
その声に困惑した名前が友人たちの方へ目を向ける。

「……いや、なんで桃ちゃんと霞ちゃんまで驚いてんの?」
「えっ!だって名前さんは東堂先輩とお付き合いされてるんじゃないんですか!?」
「葵くん?いや、葵くんはただの友達だよ。私が付き合ってるのは憲紀だし……」
「え、そっち!?」
「そうか、あの子、憲紀くんって言うのか……」
「軽々しく憲紀の名前を呼ぶなコラァ!」
威勢のいい声に男は一瞬怯んだが、すぐに名前を睨みつけて反論する。

「くっ、お前みたいな暴力的な奴があの子の恋人な訳がない!なんかストーカーっぽい顔してるし!」
「お前にだけは言われたくないんだよこのストーカー野郎!」
真依はあの男、案外見る目あるわね、と思った。

「くっ、憲紀くん、こんな暴力押入強盗女に脅されているんだな。僕が救わなきゃ……!」
「いらん使命感出すな!こちとら相思相愛だっつの!」
「嘘だ!憲紀くんはもっと清楚可憐で柔和な美女と結婚するんだ!」
「それが私だろうが!」
「鏡とこれまでの言動を省みてから言え!」

「なんなの……これ……」
ギャンギャンと喚き散らす名前とストーカーをやや離れたところから見つめていた桃は思わず溜息をついた。
それから、男の部屋を見渡す。
乱雑に散らかった部屋にはベッドと作業机、テレビとパソコン程度の家具しかなかった。あとは適当にコンビニで買ったらしき空の弁当の容器が雑に積み上げられている程度。男の不健康な生活が目に見えるようだった。

「名前さんの言ってた通り、念写みたいですね、これ」
作業机に近づいた霞が、そこにある大量の写真に男の呪力が残っているのを確認した。そしてその写真にやはり加茂ばかりが写っていることを再度認識して、霞は男の並々ならぬ執着への恐怖に体を震わせる。
「素直に怖い……」
「ほんとね。理解できないわ」
真依は怯える霞の手を取って、その作業机から引き離した。それから名前と男の方へ目線を向ける。


「うう、ストーカーなんてするつもりはなかったんだ……ただ、老若男女問わず物腰穏やかな公家顔で未亡人じみた雰囲気を持つ人に強く惹かれてしまうだけで……」
「そうか……こんな出会いじゃなければ、私たちは友になれていたかもしれないな……」
「……!君もそうなのか……!」
目を話している隙に名前にしこたましばかれたのだろう、両頬を真っ赤に腫れ上がらせた男が、ぽつぽつと語り始め、何故かそれに名前が同情を示しかけている。
性癖の一致は魂の一致。まして、自分とまったく同じ性癖の人間にここで出会えるとは思っていなかったのだろう。
男の体の上から降りた名前は、男の腕を取って半身を起き上がらせる。視線を合わせた二人は理解者を見つけたかのようにうなづき合った。

「ああ、わかるよ、ストーカー野郎。私もそういう人に堪らなく惹かれてしまうからね……」
「そうか……やはり君もそうなのか……」
「ああ、そういう未亡人じみた人が、」
「間男に寝取られるのがいい」
「愛する人と幸せになるのがいい」
「…………」
「…………」
「…………」
無言で互いを見つめ合っていた二人の顔が、同士を見つめる目からみるみるうちに親の仇を見つめるような憎悪の目に変化していく。

「貴様NTR好きか、ダメだ、お前はやはり殺す。私は心をステイサムにしてお前の命脈を断つ。NTRモノ、死すべし!」
「クソッ!これだから純愛至上主義者は!愛なんて目に見えないものを信じやがって!そんなもの幻想なんだよ!その幻想をブチ殺す!」
性癖不一致によって始まった殴り合いに、真依はもう何もかもがどうでもよくなって携帯を弄り出した。




数分後、再度名前にボコボコにされて顔をさっき以上に腫れ上がらせた男は床に転がりながらぽつりぽつりと勝手に自分語りを始めた。

「……信じてもらえないかもしれないが、子供の頃から幽霊みたいなものが見えるんだ。5歳くらいの時にこの力に目覚めたけど幽霊に対抗できるわけでもないし。何言ってるのかわからないだろうが、あの幽霊たちは人に危害を加えるんだ。だから、外に出るのも怖くて……」
名前に殴られて頬が腫れたこともあってか、やや喋りづらそうに少しずつ話をする男に、霞は思わず一歩前で出た。

「……あなた、呪霊が見える人なんですね」
男の話に、気がつくと霞は言葉を発していた。
非術師の家庭に生まれて、自分の持つ力の扱い方も呪霊への対抗手段もわからないまま、呪われた世界に怯えて生きてきた人。
霞はその男に、師範に見つけてもらえなかったもしもの自分の可能性を見た。
霞はそっと男のそばに寄ると、床に膝をついて体を起き上がらせた男と視線を合わせる。

「あなたの恐怖心は私にもわかります。恐ろしいものが見えて、だけど周囲の人には理解してもらえなくて、ずっと独りで不安だったんですよね」
そばに寄りそう霞に、男は戸惑いと、それから理解者になってくれそうな期待に瞳を揺らがせる。
そんな男の目を霞はまっすぐに見つめて、しかしはっきりと言い切る。

「……それでも、あなたのしたことはいけないことです。例えどんな理由があっても、他人を勝手に念写したり、それを送りつけたりなんかしちゃいけません。理解できないものに出会った時に人がどれだけ恐ろしい気持ちになるか、あなたにならわかるはずですよね」

霞のまっすぐな言葉に、図星をつかれたのだろう、男は何も言えずに黙り込んだまま項垂れた。
深い沈黙がこの狭いワンルームに落ちる。
男は迷子になった子供のような顔で、外へ出ていないために日に焼けていない自分の白い足の甲をじっと見つめた。
その時男が何を思っていたのか、霞にはわからない。わからないながらも、自分の言葉が彼に届いていることを願っていた。

長い沈黙の果て、ようやく男が絞り出すように「……すまなかった」と呟く。それは小さな声だったが、この静かな部屋で確かに全員に届いていた。
その言葉に霞は安堵したようにそっと微笑む。

「ま、私は許さないけどね」
「もー、名前ちゃんってば……」
立ち上がり、服についた埃汚れを軽く払った名前は冷たい目で男を見つめながら口を開いた。

「知らないだろうが、君が目をつけた青年はこの界隈じゃ有名な名門良家の御子息なんだ。その上、次代の当主第一候補。君にそんなつもりが無くとも、どうであれ君は彼へ多少なりとも危害を加えてしまった。その家の人間に君の所業がバレてみろ、」

君、消されるぞ。

消す、なんて非現実的なその発言に、何も知らない男は冗談だろうと笑おうとして、けれど周囲の女性たちも同意するように強張った顔でうなづくのを見て、固まった。そこでようやく自分がとんでもない相手に目をつけてしまったことを知る。

「えっ、それ、マ、マジなのか?」
「マジよ」
「マジだね」
「マジです……」
弱々しく言った霞の言葉が決定的だったのだろう、男は青褪めた顔で思わず助けを求めるように周囲を見た。しかし、桃も真依も黙って首を横に振るのみだった。御三家である加茂家に対して、一学生に出来ることは何もない。

そんな……と悲痛な声を漏らす男に、思わず霞は名前のほうへ振り返った。
「名前さん、どうにもできないんですか?」
霞は名前を見つめた。そんな霞を名前は硬い表情を変えずに見つめ返す。
けれど、霞はすぐに否定の言葉が返ってこないことに気がつくとそこに希望を見出し、もう一度彼女の名前を呼ぶ。すると、名前は耐えきれなくなったようにへにゃりと表情を崩した。その表情に、霞は確信する。

「本当はこの人を助けられる方法があるんじゃないですか?」
可愛い後輩からの真剣な瞳に、名前はそれ以上の意地悪ができなくなってしまった。

「……そうだね。加茂家に知られたらその人は殺される。だけど、現状彼はまだ加茂家に気づかれてない」
名前はその場にまっすぐに立ったまま、男に見えるように拳を出した。
「だから、君にはふたつの選択肢がある」
名前は指を一本立てる。

「ひとつは、私にボコボコにされた上で彼の家へ引き渡されて、生きていた痕跡さえ残さずに殺されること。個人的にはこれがオススメだなー。そうしたら私は加茂家に仇なす不審者を捕らえたって事で御当主様に褒めてもらえるかもしれないからね」
それから、もう一本指を立てる。

「ふたつめは、私にボコボコにされた上で、持ってる写真を全部燃やして、君のその能力を世のため人のために生かすこと」

指を二本立てた名前は、男を見つめて問いかける。
「さあ、どっちがいい?」
男は驚いた目で名前を見た。それから、はくはくと何度か口を開閉させてから、ようやく振り絞るように声を出した。

「……生かせる、のか?僕のこの力を」
「君に見えている幽霊とやらはね、実はここにいる全員に見えているものなんだ。私たちはそれらを退治する仕事をしている」
名前は普段通りのどこか人懐こい微笑みを見せた。
「君の力は確かに戦うためのものじゃない。けど、戦う人たちのサポートをするには打って付けの力だ」

「あ、そっか!」と不意に桃が声を上げた。
「だって、一回見ちゃえば相手が何処にいても念写出来るんだよね?移動する呪霊とか、呪詛師の追跡にはぴったりの術式じゃん」
「そうね、術師は無理でも補助監督としてなら十分過ぎる力よ」
桃と真依からの追撃のような肯定の言葉に男は驚いた顔のまま、そっと自分の両手を見つめた。

自分の力は私利私欲のためにしか使えないと思っていた。けれど、それは違うのだと彼女たちは言う。
理解できないものが見える孤独と恐怖は自分だけのものではなかった。自分は異端ではなかった。自分はおかしくなんてなかった。自分は、僕は、僕は、

「僕は、変われるのか?」
問いかける。誰にでも無く、自分自身に。
この部屋から出て、自分のためだけでは無く、何かや誰かのために生きられるのだろうか。誰かに必要としてもらえるのだろうか。

そんなことを考えて震える手を、誰かに取られた。ぎゅっと強く手を握られて、その柔らかい温度に思わず顔をあげる。
そこには自分を助けようとしてくれた少女がいてくれた。

「大丈夫です!変われますよ!」
だって、あなたは変わりたいんですよね!

そう言って笑ってくれた人の顔を見た瞬間、男の目から涙が溢れた。
それはまるで、迷子になっていた子供がようやく帰り道を見つけたような、そんな表情だった。











「ねぇねぇ、真依」
「なに?霞」
奈良から京都へ戻る国鉄に揺られながら、真依はそっとこちらへ体を寄せてくる霞へ目を向けた。

夕暮れ、行きより人の多い帰りの電車で、偶然空いた座席を後輩たちへ譲ってくれた桃と名前はドア付近で身を寄せ合いながら、互いの携帯を見せ合って何事かを楽しそうに話している。
確か、名前にも桃にも同い年かつ同性の術師の友人はいなかった筈だ。今日という騒がしい日を経て仲の良い友人になれそうな二人を見て、真依は微かに胸の内が温かくなるのを感じた。

「名前さん、本当はこうなるってわかってたのかな」
なんて、不意に霞がそんなことを言うから、真依はその言葉の意図が分からず「何のこと?」と問い返した。すると霞はうーんと、と一呼吸置いて再度口を開いた。

「名前さんが警察とか学校に何も言わずに一人で解決しようとしたのって、あの男の人を助けるためだったのかなって思ったの」
確かに、警察や学校に知らせていたらこれはもっと大事になっていたに違いない。当然憲紀にも、加茂家にも伝わって、あの男は名前が言っていたように殺されはしなくともそれなりの処罰を受けていただろう。

けれど、結果としてそうならなかった。
あの男は「三輪霞がカフェで偶然出会って話をしたところ、一般人ながら補助監督向きの術式を持っていることがわかった」という筋書きでこの世界にやってくるのだから。

「……さあ、どうかしらね」
名前が男の末路まで考えていたかどうかは真依にもわからない。本当にただ憲紀の安寧を守りたかっただけかもしれないし、単にストーカーを存分に殴りたかっただけかもしれない。

なにせ、私たちは術師だ。
過程よりも結果が重要視される世界で生きている。

だから、[[rb: 過程 > そんなこと]]は大したことじゃない。
大したことじゃない、けど。

「……まあ、悪くない休日だったわね」
「ふふっ。そうだね、最初はどうなるかと思ったけど楽しかった」

どんな理由であれ、名前が自分を頼りに京都まで来てくれたことは変わらないから。
予定とは違ったけれど、友人たちと騒がしくも楽しい休日を過ごせたことは変わらないから。

真依は今日一日を想って、穏やかに微笑んだ。









京都へ戻る頃にはすっかり日も落ちていて、私は駅で三人と手を振って別れた。このまま今日のうちに東京へ戻るからだ。

京都駅のバスターミナル側で待っていると、人影が私の方へやってくるのが見えた。

「名前、待たせたかな」
「憲紀、全然待ってないよ。急に連絡してごめんね」
「私が君に会いたかっただけだよ。気にしないでほしい」
帰る前に時間があったら会えないか、と憲紀に連絡をしていたのだ。彼は快く了承してくれて、私たちは駅で待ち合わせた。

「朝もごめんね、急に押しかけちゃって」
写真を拝借するために朝、彼の元へ行ったことを話題にすると、わかっていたけれど彼は頭を振って、私の謝罪を受け取らなかった。
「こちらの都合は気にせず連絡してほしいと言ったのは私だよ」
「……うん、そうだったね。手紙、ありがとう。嬉しかった。私からも返事を出すよ」
そう返せば、彼は嬉しそうに笑ってくれた。
それから彼は私の頬にふれて、「元気になったみたいでよかった」と微笑む。

「……えっ?」
「朝会った時は元気がなかっただろう?いや、元気がないというより、少し不安そうだった」
「そうだった、かな?」
「ああ、でも今はいつも通り元気そうで安心したよ」
そう言って頬を撫でてくれる彼に、ぎゅうと胸が締め付けられるような心地になった。
どうしてわかってしまうんだろう。
この人には嘘がつけないと改めてそう思ってしまう。

「日中は友人と会うと言ってたね。そのおかげかな?」
「い、今憲紀と会ったから元気になったのかも……」
そう返してみれば、彼は「そうだったら嬉しいけどね」と柔らかい声で言った。言葉の割にちっとも信じてなさそうだったけど。

「ところで、帰るまでまだ時間はあるか?何処かで食事でもしよう」
「いいね。私、魚の気分だな」
「じゃあそうしようか」
そう言って歩き出そうとする憲紀を、私は「あっ」と引き留めた。憲紀の腕を取ると、彼はすぐに立ち止まって「どうかしたのか?」と視線を合わせてくれる。

「実は二人で写真撮りたくて」
「写真?構わないけど、嵌っているね」
「まあ、そんなところかな」
「誰かに頼もうか」
「大丈夫。ほら、憲紀こっちに寄って」
帰りの電車で桃ちゃんに自撮りの仕方を教えてもらっていたのだ。私は携帯のカメラをインカメに切り替えて、私と憲紀が画面に入るように目一杯手を伸ばした。

憲紀は少し驚いたような顔をしながらも「こういうやり方もあるんだな」と言って画面の中に収まるように私の背を合わせて屈んでくれた。
二人、肩を寄せ合って、ぷるぷると震える手でなんとかシャッターを切る。

背景は見慣れた京都駅。カメラロールに格納された写真には小さく微笑む憲紀と、写真を撮るのにいっぱいいっぱいで硬い顔の私。
桃ちゃんに教わったほどうまくは撮れていないけれど、いつかこれを見て笑う時が来るんだろう。具体的に言うと今日の夜、寝る前とか。

「よし、とりあえず満足」
「それならよかった」
写真も手紙も悪くない。
帰ったら可愛い後輩たちやちょっと問題児な同級生、生徒以上に元気な先生たちもカメラに収めてみようかな。
それはきっと騒がしくて楽しい時間になるだろうから、そのことを手紙にして憲紀に伝えてみようと思う。

そんな手紙が届いたら、君はどんな顔をするだろう。
できれば、いつものように笑ってほしい。

そんなことを思いながら、歩調を合わせてくれる憲紀の手を取って歩き出した。