誰がために鐘は鳴る


「ね、ね、なんかすごい卑猥なコールされてるんだけど、コレもしかして私たちのこと呼んでる?エッ、違うよね?私たちだったら嫌なんだけど。ウチはマネージャーも含めて別に全員パイパンじゃないからこれは名誉毀損だよね?訴訟?訴訟?」
「名誉を百万回辞書で引き直してこい。つか何でマネージャーのシモの情報まで知ってんだよ、テメェは」
「いや、知らんけど。でもマネージャー、パイパンって感じの顔はしてないじゃん?」
「知らねぇよ」

客席の方から聞こえて来る卑猥なコールに、『パイルバンカー・パンデミック』のギタリストである苗字名前はドン引きした顔をしながら、隣を歩くボーカルの男へ目線を向けた。
が、彼は素っ気ない返事を繰り返して暑がるように被っていたフードとキャップを脱いだだけだった。
基本この男は素っ気なくて愛想が悪い。特に苗字に対しては露骨に愛想がなかった。

苗字も息苦しいお面を外して深呼吸をする。
ああ、酸素、美味しい。お面をしているとほぼほぼ自分の吐いた二酸化炭素を自分で吸う他なく、息をすればするほど死にそうになる緩やかな自殺体験をするしかなかった。もう二度としたくない。

「あっちぃな」
「なー」
顔中に浮かんだ汗を乱雑にパーカーの袖で拭ったボーカルは「ステージ暑すぎんだろ。冷房とか効いてねぇのか?」と眉間に皺を寄せた。
「冷房あってもそれ以上に人多いし、あとステージのライトが熱過ぎんだよ」
「歌ってる最中すげぇ脱ぎたかった」
「脱ぎゃあいいじゃん」
「顔隠せねぇだろ」
「私も君に合わせて顔隠してるけど、超暑くて死ぬかと思ったよ?顔隠さなくてよくない?」
「……人前で顔出して歌うの恥ずかしいだろうが」
「カーーーッ!クラスの友達と初めてカラオケに行った中学生じゃねーーーんだよボケカスオラッ!これからウチらはこれでメシ食ってくんだよッ!!腹ァ括れや心臓ノミ虫ザコ野郎!!」
苗字は相棒の背中をバシバシと叩いては歯を見せて笑った。男は実際は大して痛くもなかったが「うるせぇな、痛ぇんだよ」と溜息を吐くように呟いた。

ライブハウスの舞台袖から控室に繋がる荷物が乱雑に置かれっぱなしの狭い廊下を、二人はひょこひょこと物を避けながら歩いていく。愛機である真っ赤なレスポールを抱えた小柄な苗字がえっちらおっちら歩くのを、男はさりげなくフォローしてやった。

廊下の先で待っていたマネージャーがステージから帰還した二人にスポーツ飲料を手渡す。
『パイルバンカー・パンデミック』の二人は新人バンドのくせに一丁前にマネージャーがいるのだった。ちなみにマネージャーは金髪ロングのクール系美人だ。対バンの連中がハンカチ噛んで悔しがっていた。

「お疲れ様です。アンコール来てますが、お二人共どうしますか?」
「アンコールってもしかしてあの卑猥なコールのこと?」
「はい、あの卑猥なコールのことです」
「あれ以外にねぇだろ」
「ウチら誰一人としてパイパンじゃないのにパイパンコールに応えちゃダメでしょ、詐欺だよそれは。あっ、一応確認するけどマネちゃんもパイパンじゃないよね?」
「セクハラで訴えます」
「えっ?」
「えっ?じゃねぇよ、性犯罪者」
「苗字さん、次会う時は法廷ですからね」
「やば、前科付いちゃう。ムトーとオソロじゃん」
「オレは少年院ネンショーだから前科じゃねぇ」
「五十歩百歩っていうか、そんなヒラメとカレイの違いみたいなこと言われてもナー」
アンプに繋がっていないエレキギターの弦をぽろぽろと指で弾く苗字。
彼女の頭に手に持っていた自分のキャップを乗せて、男──武藤泰宏は口を開いた。

「マジな話、オレらは一曲しか持ってねぇんだからアンコールなんざ受けようもねぇだろ」
「後はもうマックのポテトが揚がった時のメロディをロック調にアレンジしたのを演奏するしかない」
「ボーカルいらねぇじゃねぇか、もう解散すっか?」
「そんな寂しいこと言うなよ、ムトー。オレたち、地元じゃ負け知らずだったろ?」
「お二人が知り合ったのは半年ほど前なんですよね?」
思わずツッコんだマネージャーに苗字は笑う。

「いいか、マネージャー。人間関係ってのはどれだけ長い時間を過ごしたかじゃない。どれだけ信頼し合えたかのほうが大事なんだよ」
「てめぇにしちゃあ名言だな。同意する」
「でしょ〜?ンッン〜!今のシーン、君の走馬灯で流れるぜ?」
「オレも半年前に出会ったお前より、その後に知り合ったマネージャーのほうを信頼してるからよ」
「ふふ、光栄です、武藤さん」
「ハ?可愛い子にばっかりいい顔しやがって!このムッツリハゲ野郎が!」
「ハゲじゃねぇ。オレのはお洒落スキンヘッドだ」

マネージャーに続いてさっさと控室に入っていく武藤の脚を苗字は蹴っ飛ばした。けれど、体格のいい武藤からすれば苗字の蹴りなど子猫に飛びつかれたようなものでしかないのでノーダメージ。
だが、蹴られっぱなしはムカつくので苗字を引っ捕まえると彼女の両脚を掴んで逆さまの状態で宙ぶらりんにしてやった。そのままガクガクと縦横に揺らしてやると苗字は「もぎゃぎゃぎゃぎゃ」と悲鳴じみた声を上げて泣き出す。

そうやって子供みたいにじゃれあってばかりで、二人は未だにコールを続けるオーディエンスのほうへはちっとも振り返らなかった。

観客に然程興味はない。苗字も武藤も、誰かのために歌っているわけではないから。



さて、長年バンドを組んでいなかった苗字名前と、少年院ネンショー上がりの武藤泰宏。

まるで接点のなさそうな二人がツーピースバンドを組むことになった理由を紐解くには、彼らが出会った6ヶ月ほど前まで遡る必要がある。










少年院で黒川イザナと出会った武藤は、あっという間にイザナの暴力的なカリスマの虜となった。
彼は武藤にとって、同じ地平を見る盟友であり、己が拝すべき王だ。それは少年院を出ても変わらなかった。

異なるチームを組みながら、イザナの言葉通り、より鮮烈により悪辣に生きる。
己がチームが悪名を轟かせれば、イザナの『黒龍』がより苛烈な悪事を起こしたと耳に届く。それは互いに鐘を鳴らし合うようなものだった。自分が今ここにいること、ここでお前との約束を守り続けているのだ、と彼に伝え続けることと同意義だった。

けれどそんな日々にも果ては訪れる。
ある時突然、なんの前触れもなくイザナが一線を退いた。理由を武藤は知らない。知る術もない。ただ鐘が鳴り返されなくなった。何故?……わからない。
これまでオレたちはわかり合っていたはずだ。時間も距離さえも妨げるものでは無かったはずだ。
けれど、問いかけに答える声はない。どれだけ待っても答えはないから、武藤はやがて鐘を鳴らすことをやめた。

その日から世界は退屈に成り果てた。イザナがいないのならば自身が作ったチームにさえ価値はない。元より人の上に立つ質では無いのだから、と武藤はチームを解散させ、一人を選ぶ。

そうして一人に戻った武藤だったが、その途端にかつての悪事のツケを取り立てようとばかりにお礼参りがやってくるようになった。
とはいえ顔も覚えていない有象無象に討ち取られるような武藤でない。むしろやってくる奴らを返り討ちにするような日々だった。

その夜もそうだ。かつての恨みとばかりにやってきた10人ほどのグループを一人で叩きのめした武藤は喧嘩の最中に投げ捨てた己のジャケットを拾い上げて、近くのベンチに腰を下ろす。
ひと気の無い夜の公園には今にも闇に呑まれそうなか細い街灯がぽつんぽつんと並んでいて、その灯に何匹もの蛾が寄せられていた。
拾い上げたジャケットを肩にかけて、武藤はベンチに深く腰を下ろしたまま息を吐く。

退屈、それに尽きる。
まるで世界から色が消えたようだった。なにか、この退屈を埋める何かが現れないだろうか。そう思って、きっと武藤は無意識に何かを待ち続けていた。

「良い声をしてるな、君」

それは唐突にやって来た。一体いつからそこにいたのか、武藤が座っているベンチから1メートルほど離れたところにある別のベンチに座っているそいつが唐突に話しかけてきた。

「特に、あれだ、最後の奴を投げ飛ばした時の吼えるような声が良かったな。声量がある。マイク無しでもステージの一番後ろまで声が届きそうだ」
そいつは武藤が積み上げたお礼参り連中の山の一番てっぺんで白目を剥く男を指差して、そう言った。武藤はつらつらと話しかけてくる相手の方へチラリと目を向けた。オーバーサイズの服を纏った小柄な人物。声の高さや肩周りの体格からして余程のことがない限り女だろう。その女のそばには不釣り合いに大きなギターケースがあった。

灯りの乏しい薄暗い公園の中でも、女の顔に笑みが浮かんでいるのが見えた。何故、女が唐突に話しかけて来たのか、その理由を武藤は知らない。知らないし、興味もない。退屈故の苛立ちも相まって、武藤は声帯を揺らして短く言い放った。

「失せろ」
「私、実は占いができるんだ。人相占い。大抵のことは人の顔や体つきを見ればわかる。人相ってのは過去の積み重ねによって構築されるものだし、人の過去っていうのは結果的に未来を映し出すものだからね」
驚くほど会話ができない女だった。その上、空気も読めない。武藤の威圧にさえ何も思わなかったのか、ベラベラと好き勝手に喋り出した挙句、こうのたまった。

「つまり何が言いたいかというとな、君はバンドを組むと良い。ボーカルでな。そしたら君の人生薔薇色だぜ。男にも女にもモテるし、金はガッポガッポ入ってくるし、毎日が楽しくなる。私の占いでそう出た。つーわけで、君、私とバンドを組まないか?」
武藤は女の顔をじっと見た。その笑った顔からは本気なのか冗談なのか判断できない。

ただ、このひと気の無い夜の公園で暴力に抵抗の無い大男相手に冗談をかますのは恐らく頭がイカれてる人間だけだ。イカれていないのならば、この女は本気で武藤へそんな誘いをしているわけで、初対面の人間にそんなことを言う奴はやはり頭の方がイカれている。

「てめぇ、頭イカれてんのか?」
「あ、君、一曲歌ってくれないか?なんでも良い。童謡だろうが校歌だろうが国家だろうが、私が君の歌に合わせて弾くから」
そう言ってガタガタとギターケースを開く女に、ああ、こいつはもうこちらと話をする気がないのだ、と流石に理解する。武藤はいつだって彼の表層からは露見できない苛烈な感情を抱えていたけれど、それでも女を殴る趣味は無かったからさっさとこの場を去ることを選んだ。

深く息を吐いた武藤はベンチから立ち上がると、女に背を向けて公園の出口へ向かおうと脚を進める。
どうでもよかった。何もかもが退屈で、がらんどうで、無価値だった。頭のおかしい女に絡まれるくらいには運が無くて、何物にも未来を見出せないくらいには行き止まりだった。
気怠げに歩みを進めて、街灯の下。このまま公園を出てしまえばもう明日にはあの女のことも忘れてしまうだろう。そうすればきっと、……きっと?
不意に武藤は空虚になった心を思い返す。
明日。明日?やがてやってくる明日に、今日と同じように繰り返されるだけの明日に、自分は一体何を望もうとしているのだろう?
武藤が己の思考に対して、内心でそんな戸惑いを感じていた、その時だった。


静寂に満ちた夜を引き裂くようなギターサウンドが鳴り響いた。


これまでの人生の中でもあまりに耳慣れないその音に武藤は反射的に背後を振り返る。振り返った先、ベンチの上に土足で立った女が真っ赤なエレキギターを抱えてその弦をしなやかに爪弾いていた。
アンプに繋がれていないエレキギターの生音。決して大きくなどないそのサウンドに足が地面に縫い付けられるのは、ギターを弾く女の姿から目が離せなくなる、のは、どうしてなのか。

「教えてやろうか」
女は言った。その声はギターサウンドに掻き消されることもなく、十数メートル離れた武藤まではっきりと届いた。

「君が何故つまらなそうな顔をしているのか」
女の指が動くたびにギターが喚く。

「君の人生がどうしてそんなにも退屈なのか」
女の手首が揺れるたびにギターが叫ぶ。

掻き鳴らされたギターが武藤の鼓膜と心臓を揺らす。
世界が始まる直前のイントロみたいなメロディ。どうしてこんな騒がしいものが、遠くまで鳴り響く鐘の音のように聞こえてしまうのか。

「君のためのロックンロールがどこにもないからだ!」

ギャーン!と獣が鳴くような音を一つ。それが段々と夜の公園の中に飲み込まれていって、やがて世界は無音に帰る。女はピックを握った手をだらりと下ろすと、ごく淡々と言葉を続けた。

「600万年前に人類が誕生してから、この世界には数多の音楽が作られて来た。数えきれない数の人間が数えきれない数の音楽を、数えきれない数の意思を持って作り出してきたんだ。いいか、なあ、君。私の言いたいことがわかるか?」
問いかけながらも武藤の言葉を待つこともなく、女は口を開いた。

「クラシック、ジャス、ブルース、ポップ、ソウル、メタル、ロックンロール。この世界には太古から数多の音楽が生み出されてきた。そしてきっと、これからも生み出されていくだろう。……でもな、聞けよ、君。それでも君だけ・・のために歌われた歌なんて、この世界のどこにも存在しない・・・・・んだよ」

女はそう告げる。
そんな当たり前・・・・当然の事実・・・・・を、さも世界の真理のように言い放った。

「君、わかるだろ?これは絶望だぜ。君が退屈で仕方ないのは君のためのロックが何処にも無いからだ。君は世界に流通された曲に君の魂を型嵌めるのか?量産されたそれに君の魂まで規格化させて何の意味がある?いいや、意味なんて無い。あるわけがない。むしろ毒だ。害悪だね!だから私たちは流されて妥協することに抵抗しなくてはならないんだ。いいか、私たちは、私たちのためだけに、私たちの歌を歌わなくてはならない」
女は獣の遠吠えのようにギターを一度掻き鳴らすと、ピックを握った手を夜空へ向かって振り上げた。その拳の先に一等輝く星がある。

「いいか?いつだって君が人生の時・・・・・・なんだ!君は君自身の為に歌え!何故なら誰も君を退屈から救い出してなどくれないからだ!君以外に君のために歌う奴なんか、この世界のどこにもいないからだ!」

実を言うと。
そう、この夜のことを過去のものとして観測できるようになった今告白させてもらうと、この時の女──苗字名前は泥酔していた。
普段の彼女なら、いくら武藤の声に才能を感じたとしてもこんな喧嘩を売るような声の掛け方はしなかっただろう。

そして武藤もまた、長く続いた退屈と孤独の中でひどく感傷的になっていた部分があった。つまるところ、酔っ払いの支離滅裂な叫び声が心の中の柔らかいところに触れてしまうくらいには精神的に弱っていたのだ。

そんな状態異常の二人が、うっかり出会ってしまった。
多分、深夜なのも悪かった。夜は人を少しハイにさせるものだから。

「だから君、私と組もう。このクソッタレな世界をロックでぶち壊してやるんだ」
「……てめぇ、やっぱ頭イカれてんだろ」
「ははは、私の頭がイカれてることを証明する前に、君の頭がイカれてないと証明できるか?」
「世界のほうが先にイカれてやがる。だからオレたちがイカれててもおかしくない」
「イカしてるなァ、その発想」

この出会いを運命と呼んでいいのかについて、二人は答えを持たない。

制御不能な深夜テンション。
タイミング良く家出した羞恥心。
この場限りのカッコつけた台詞回し。
後先考えない突発的な行動。

後に黒歴史となる二人の出会いはこんなものだった。




寂しい心を共鳴させた二人はこの後牛丼屋に行って腹を膨らませて、コンビニで買った酎ハイを飲みながら、苗字が世話になっているオンボロスタジオに深夜侵入して朝が来るまでギターを弾いたり歌ったりした。
その果てに酔いと疲労のためにスタジオの床に重なるように転がって眠りについて、翌朝スタジオの管理人であるババアに二人まとめてしこたまシバかれた。


「だから深夜に勝手にスタジオ入るんじゃないよ!!このジャリガキ共が!!アッ、テメーら神聖なスタジオでセックスなんかしてないだろうね!?!?」
「うるせーよ!色ボケ閉経ババア!!なーにが神聖なスタジオだよ!!エフェクトぶっ壊れてんの早く直せや!!!」
「テメーらどっちもうるせぇんだよぶっ殺すぞ!……ったく、頭に響くだろうが……。大体コイツ相手に勃つ訳ねーだろ」
「ア!?私だってテメー相手じゃ濡れねぇんだわ!つか君誰!?散々一緒に歌ったのに名前知らねーわ。わーい!自己紹介しよ!君、名前は?何歳?どこ住み?つかmixiやってる?」
「バカがよ……」


武藤泰宏16歳、苗字名前18歳の秋口の頃のことだった。