イミテーション・ナイトパーティ

※嘔吐表現


「主、現代女性の結婚適齢期は20歳から30歳くらいなんだってね。主もそろそろ危ないんじゃない?どうする?僕と結婚する?」
「蜻蛉切、あの無礼者を追い出してもらえる?」
「御意」

休日の長閑な昼下がりと言えども、審神者である私にはいつもの事務仕事が残っていた。近侍である蜻蛉切に手伝いを頼み、もうすぐで終わるだろうと目処がついた頃にノコノコと髭切はやってきた。そして冒頭の台詞である。
蜻蛉切に首根っこを掴まれた髭切はニコニコと笑顔を絶やさないまま、ポイっと執務室から追い出された。太刀である彼もそれなりに体格はいいのだが、それ以上に筋肉質であり練度のある蜻蛉切の前では子猫同然だった。部屋の障子をスパンと閉じて、引き続き事務仕事へ戻る。
「主、こちらの書類の確認をお願い致します」
「ええ、ありがとう」

目下の悩み事は髭切のこと。
髭切が顕現してからさほど日にちは経っていないはずなのだが、彼は私のなにが気に入ったのか、時場所問わず先程のような口説きとも冗談とも言えない台詞を吐いてくる。私や弟の膝丸始め、多くの刀剣たちも彼の明け透けな言葉に困惑していたが、時が経つに連れてだんだんと慣れていってしまった。最近では「まーた、変なこと言ってるよ」と軽く流されている。私だって当事者でなければ鼻で笑って流してしまいたい。
本当に彼は、私のなにが気に入ったのだろう。

黙々と作業を続け、時計の長針が一周する頃にようやく書類仕事に目処がついた。蜻蛉切にその旨を伝え、付き合わせてしまった彼に謝罪と感謝を述べれば、蜻蛉切は穏やかに、手伝いが出来て光栄だと微笑んだ。その笑みは顕現した頃から変わらない、穏やかで優しいものだ。つられるようにして私も僅かに微笑む。

さて、ひと段落ついたし厨に茶でも貰いに行こうと障子を開くと、すぐ目の前の廊下に髭切がいた。
彼は廊下に座り込んでいて、私が障子を開くと「さっきぶりだね」と何事も無いみたいに笑って手を振った。

「……髭切、貴方もしかしてずっとここで待っていたの?」
「そうだよ。ね、主、結婚する?」
「しないわ」
彼との実にならない会話を一旦切り上げ、振り向いて蜻蛉切へ顔を向ける。
「蜻蛉切、手伝い本当にありがとうね。助かったわ」
「いえ、また何かあればいつでもお呼びください」
それでは失礼します、と背中を向けて去って行く蜻蛉切を見つめた。段々と離れていく大きく逞しい背中を静かに見送っていると、見送り切る前に無理やり体をぐるりと振り向かされた。勿論、髭切によってである。
私を無理やり反転させた髭切はいつのまにかすぐそばに立ち上がっていて、私が何か言う前に腕を伸ばしてぎゅっと抱き締めてきた。強く、それでいて優しく抱きしめる体は細身なのにしっかりとしている。男性の肉の硬さをまざまさと感じさせられて困惑する。髭切が変なことを言うのはいつものことだったけれど、こんな風に体に触れてくるのは初めてのことだった。
「ふふ、主の体はあったかいね」
「髭切、離しなさい」
「大好きだよ、すごくすごく」
「髭切」
呆れて言葉も出ない。
ふと蜻蛉切が去っていった方へ視線を向ける。当然のことながら彼はもういなくなっていた。そのことになんとなく安心した。……多分、安心したんだと思う。



その日は久しぶりに夜の飲み会に参加した。日本号に誘われたのだ。ちびちびと酔わない程度に飲んでいたつもりだったが、それでもほろ酔い程度にはなっていたらしい。その辺にちょうど良くいた御手杵を捕まえて日頃の、特に髭切に関しての愚痴をダラダラ吐き出したのだった。

「なんなのあの兄者、私がちょっと結婚してないからってむやみやたらにからかってきてさぁ……」
「あー、あんたも大変なんだなぁ」
「言っとくけど私別に結婚できないわけじゃないし。敢えてしてないだけだから」
「そーだなー」
「だって仕事があるし、まだ焦る年齢じゃないし……」
「おー」
「ちょっと顔が良いからって女性に対してああいう物の言い方していい訳じゃないんだからね、わかってるぅ?」
「あー」
段々と御手杵の慰めが雑になってきている。そういうところだよ、アンタ。
「おーおー、素が出てんじゃねぇか珍しい」
「んなこというなら酔っ払いの相手代わってくれよ、日本号ぉ」
「いやだね」
主を押し付け合うな。適度に私に構いなさいよ。

「主、水をお持ちしましたが……飲めますか?」
畳に膝をついておずおずと水の入ったグラスを差し出してくれた蜻蛉切を前に思わず目頭が熱くなる。私が頼んだわけではない。彼が自主的に持ってきてくれたのだ。気がきく。優しい。忠臣。尊い。やっぱり三名槍っていったら蜻蛉切よね。
「ありがとう、蜻蛉切……いただきます」
結露がついた冷たいグラスを両手で受け取る。それを仰ぎ、一気に飲み干す。
「おっ、いい飲みっぷりだな嬢ちゃん」
「水だけどな」
外野がうるさい。明日物干し竿にしてやろうか、こいつら。

飲み干したグラスを畳に置いたあと静かに息を整える。それから蜻蛉切へ微笑みかけた。
「私の槍はやはり蜻蛉切だけですね。不束な主ではありますが、これからも傍で私を支えてくれますか……?」
贔屓だー、俺たちも大事にしろーなどと蜻蛉切じゃない三名槍共が背後で騒がしいが、この際無視だ。さり気なく蜻蛉切の厚い掌をぎゅっと握る。
普段の私ならこんなことは言わない。こんなふうに手なんか握らない。いつもと違う私。なんていうか、それなりに酔っているみたいだわ、なんて。まだ酔い切れていない私の理性が背後から私を憐れむような目で見つめている感覚。
そんな私を知らない蜻蛉切はなんでもないみたいに、ただいつものように微笑んだ。
「勿論です、主」
いつものように。穏やかに。優しく。変わらない。
初めて顕現した時から何も変わらない、変わらない、変わらない変わらない変わらない変わらない変わらない変わらない変わらない、何一つ変わらない笑顔で、微笑んだ。
微笑んだ。
微笑んだ。


まだまだ深夜まで続くであろう喧騒を背に、私は皆より少し早く宴を離れた。
離れへ向かい、私室の縁側に崩れ落ちるように座り込む。
反芻するように、蜻蛉切の、あの穏やかな笑顔を思い出す。
フラッシュバックのように思い出して、思い出して、耐え切れなくなって私は……、

嘔吐した。

それを、髭切に見られていた。



「う、うぇぁぁぉぇあ゛、あ゛ぁ」
「よしよし、こういう時は全部吐いちゃったほうがいいんでしょ?指突っ込もうか?」
答える前から指を口の中に突っ込まれる。「ぉお゛ぇっ」最低だこいつ……やめてほしい、もうほとんど吐き切ってるから。というか、何故私の私室くらいしかない離れに髭切がいるのだろう。私に構うことなく今すぐ帰って欲しい。
庭に向かってビチャビチャと嘔吐する私を見た髭切は、私を口説く時と変わらない、ニコニコとした笑みを浮かべたまま私の肩を抱いた。
背中を優しくさすられて、身も精神も弱ってることもあってかもう流されてしまいそうだった。流されないのは私に矜持がまだあるから。マーライオンの如く吐いてる無様な姿を見られては、もはや矜持なんて意味をなさない気もするけれど。

ある程度吐き切って落ち着きを取り戻す為に息を整える。頭の中にはまだ靄がかかっていて、指先は中毒者みたいに小刻みに痙攣している。深く息をつく。自分の吐息が熱を持っている気がした。体の外側は酷く寒いのに、内側は耐えきれないくらい熱い。冷たい水が飲みたいと思った。
呆然と座り込んだまま何処とも言えない空中を見ていると、今度は髭切に真正面から抱き付かれる。
密着する生暖かい肉体を感じてまた吐きそうになった。離れようと身をよじらせるがビクともしない。なんなんだ本当に、何を考えているんだ。
「可愛いね、主。どうかな?僕と結婚するのはどう?」
「……ぜったいに、いや」
「つれないなぁ、でもそんなところも好きだよ」
ポンポンと肩を優しく撫でられる。見なくてもわかる、少し細くてそれでいて男性的な掌。それだって充分温かいけれど、欲しかった温もりはこれじゃないはずだった。
どうしてだろう、握り返されなかった掌が今になって酷く寂しい。欲しい温もりなんて、一度も手にしたことなんてない。想像の中のあの掌は優しくて、些細でどうしようもない現実に打ちのめされる私を慰めた。そうしていつも夢から覚めて、当たり前のことに気がついてしまう。
求めていた温かい掌なんて、ほんとは何処にもないってこと。

「それでも泣かない主が好きだよ」
私を抱き締めたまま、髭切は囁くようにそう言った。その言葉が耳に入った瞬間、今すぐ泣き喚いてやろうかと思ったけれど、きっと彼のことだから泣いたら泣いたで「そんな君もいいよねぇ」なんて軽薄に笑うのだ。だったら泣こうが泣くまいが変わらない。何を言っても、何をしても無駄な気がする。袋小路に追い詰められたような気持ちだ。

唇を噛んで身動きもせず、髭切が飽きて彼自身の部屋へ帰るのを待つ。その為に口を閉じてただ耐える。何を言われても絶対反応しないと心の中で誓う。
そもそも彼とまともに会話が成立したことなんか、ほとんど無いのだ。髭切は自分勝手だから、言いたいことしか言わない。私が何かを尋ねても、自分が答えたい質問にしか答えない。ずるい。いつもそうだ。私が馬鹿みたい。本当に、空回って、いつもいつも私ばかり、馬鹿みたいじゃない。

合わせられた熱がじわじわと私に混じっていく。そのことが辛くて苦しくて、なにより気持ち悪かった。逃げたい。でも逃げ場なんてないから耐える。じっと、石のように、目を瞑って、口を閉じて。

頭を撫でられる。
髪を梳かれる。
背中を撫でられる。
さっきより強く抱き締められる。

耐えた。
そこまでは大丈夫で、だけどもう駄目だった。

私の頬に、彼の頬が擦りあわせられる。舌で舐めるみたいに、じっとりとゆっくりと頬擦りされて、服の中でたくさんの昆虫が這いずってるみたいに鳥肌が全身を駆けずり回った。ゾワゾワと体が震える。きもちわるい。きもちわるいきもちわるいきもちわるい。触れ合う肌と肌が擦れ合う音がすぐ耳元で聞こえる。ゼロ距離で直接彼の肌のきめ細やかさまでもが伝わり、彼の頬骨が緩やかな曲線を描くのを私の頬骨で感じた時にはもう限界だった。
渾身の力で彼を突き飛ばして距離を取る。さっきまでの拘束がなんだったのかって驚くほど簡単に彼は離れたけれど、私は、私は。

「う、うぅぇぇぇぉぁええぇ」
吐いた。
さっきまで飲んでいた酒が、消化されて私の肉体の一部になる前に吐き出された。酸っぱい胃液に混じって、ほとんど透明な液体が何処に入ってたんだってくらいいっぱいダラダラ出てくる。もう吐き切ったと思っていたのに。
嫌な感じだ。不快な酸味が口に広がる。水が欲しい。けど今飲んだらまた吐いてしまいそう。
屈辱だった。他の誰でもない、髭切にこんな弱った姿を見られることが、何よりも悔しかった。
助けてほしかった、違う、今だって、今すぐに助けてほしい。他でもない、私が望んだあの温かい掌に。けど手は握り返されなかった。それに私のこんな汚いところなんて見られたくない。来てほしい。来て欲しくない。助けて。来ないで。助けて。

なのにここには髭切しかいない。
なんでだろう、なんでお前なんだろう。

「う、うぇぇおぉぁぇぇぇ……」
「うわあ、主、汚いなぁ」
「ぅぅう゛う゛、どんぼぎりはぞんなこといわないぃ……」
「そりゃそうだよ。僕が切ったのは蜻蛉じゃなくて鬼だもの」
「あんたなんかきらい……だいきらいよ……」
「大丈夫だよ、僕は君が大好きだからね」

なんでだろう。ほんとうになんでなんだろう。
きらい、きらいと呻く私を抱きしめたまま髭切は喉を鳴らして笑って言う。
すき、すきだよ。

(2017.8.30)