何が間違いだったかと問われれば、それはルッツを頼った己の選択だという他ない。いやしかし熟考の上導き出した答えがこうであるのなら、それは必然と呼んでも致し方ないのだろうか。それともその選択自体が無意味なものであったのか。
「どうしてこうなった……」
呻いたビッテンフェルトの目の前にはルッツ。その隣にワーレン、ミュラー。反対側にはミッターマイヤーとロイエンタール。
……おかしい。ビッテンフェルトがどうか内密に頼むと頭を下げて相談事を頼んだのは僚友のルッツただ1人だったはずなのだ。それがいつしかこの場には1人増え、2人増え、これから会議でも始まるのか?と思えるような人選と人数が集まってしまった。それも口がたいして硬くもない連中ばかり。最悪だ。
『海鷲』の薄暗い照明の下で、思わずビッテンフェルトはテーブルに突っ伏した。いっそ全員帰れと呻いた声は「それで、卿の恋しい人とはどのような女性なのだ?」という好奇心に満ちたミッターマイヤーの言葉に容易に潰された。
そう、恋愛相談だったのだ、ルッツにしたかったのは。
人選が消去法であったことは否めない。とはいえ仕方ないではないか。数年前に奥方を亡くしたワーレンにそれができるほどビッテンフェルトの精神は図太くはないし、年下の上現在恋人のいないミュラーに頼む相談ではない。ミッターマイヤーは既婚者だが彼のプロポーズは反面教師にすべしとの言が士官の間でも常識であるし、ロイエンタールは当然論外。だからある程度経験と良識のあるルッツを選んだのだが、酔ったルッツが『海鷲』にやってくる大将をことごとくこのテーブルに呼び寄せるとは思いもしなかった。だがよく考えたらこいつはこういうことをする奴だった気もしてくる。やはりおれか、ルッツを選んだおれが悪いのか。
「バーで1人酔い潰れたところを介抱してくれた女性だそうだ」
ミッターマイヤーの問いかけに勝手に答えたのはルッツだ。ロイエンタール以外の連中がほうほうと身を乗り出して下世話な好奇心を丸出しにしてくる。
「なんだ、折角なら逢引の一つでも誘ってやればいいではないか」
「それがこの前誘ったらしいぞ、デートは今週末だ」
「ルッツ!」
口がゼッフル粒子より軽い僚友を咎める声を上げたが、けらけらと笑われるだけだった。隠し事の出来ない卿だ、どつせすぐに知られることになるのだから、と。
「ならば簡単ではないか」
ロイエンタールがさも容易げにいう。
「いい雰囲気になったらさりげなくその手を握ってやればいい」
「馬鹿を言え!」
思わずビッテンフェルトは大声を出した。
「おれが手を握って折れでもしたらどうする!彼女は小鹿のようにか弱いのだぞ!」
堪らずに吹き出したのはルッツとミュラーで、どうやら泥酔しているらしいとウェイターに冷水を頼んだのがワーレン、冷笑したのがロイエンタール、確かに……みたいな顔をしたのがミッターマイヤーである。ここは酒場、全員それなりに酔っていることは否定できないが、それにしてもこの時は頭のネジが数本緩んでいたに違いない。もしもここにオーベルシュタインがいたのならば「無意味かつ時間の無駄」と断じて彼らにドライアイスの視線を向けていたであろう話し合いが始まった。
「……っう、くくく、しかし、ふふっ、何か行動を起こさねば、ふはっ、その彼女も、ふっ、人のものになってしまうのでは?……っぶふ」
「笑い過ぎだぞミュラー提督」
笑いたくなるのもわからんでもないが、と内心ワーレンはひとりごちた。
「結局のところ、卿はその小鹿の君と良い仲になりたいのだろう?」
そうルッツが尋ねれば、ビッテンフェルトは酔いのせいか照れのせいかその白皙を紅潮しながら、ああ、とも、うう、ともつかない声を出した。どちらにせよ、彼らに相談している時点でそれが肯定であることは疑いようもない事実だ。
ならばより詳しく話せ、さあ話せと迫る僚友たちにビッテンフェルトは渋々口を開いた。どちらにせよ、このまま自分1人で悩んだところでどうにもならないの事実なのだから。
さて、例の小鹿の君との出会いは先にルッツが話した通りである。
飲みに行きたかったのだが誰も捕まらなかったあくる夜、気分を変えて『海鷲』ではなくオーディンの見知らぬバーに入ったビッテンフェルトはそこの常連客であるらしい老人にやけに気に入られてしまった。ただでさえ薦められた酒は断らない主義のビッテンフェルトはどれ一杯、さあ一杯と薦められるうちについ深酒をしてしまった。酒は好きだが決して強くないビッテンフェルトはそのうちぐるぐると酔ってしまったのだ。
そんな彼を見かねて声を掛けてくれたのが、そのバーでピアノ弾きをしていた小鹿の君である。
「お加減はいかがですか、閣下」
「うう……気持ち悪……、い、いや、問題ない」
可愛らしい女性の手前、気丈に振る舞ってどうにか帰ろうとするビッテンフェルトを彼女は優しく窘めた。
「お水をお持ちしましたわ。なんだが外は雨が降ってきたようですし、もう少しゆっくりなさってください」
そう微笑む可憐な女性に手を取られれば、振り払えるビッテンフェルトではない。それどころか、柔らかな手に触れられて悪い気はしなかった、というかちょっと嬉しかった。酒ではない要因で心臓がダッシュのスピードで跳ね出した事を彼は彼自身で自覚してしまったのだ。
これまでの人生、彼自身無意識にではあるが、恋のキューピッドが射出した弓矢を悉く避け続けてきたビッテンフェルト。だが、その夜ついに心臓のど真ん中を見事に射抜かれてしまったのである。それはもう、すとーん、と。二重の熱に浮かされたビッテンフェルトはふわふわとした足取りでちっとも濡れていない夜道を帰っていったのであった。
それからというもの、1人の夜はいそいそと彼女のいるバーに向かい、ろくにわかりもしないピアノの旋律を何度も鼓膜に震わせた。例の一件で顔見知りになった小鹿の君はビッテンフェルトが来るたびにピアノの前から笑みを向け、演奏の隙間に彼の隣へやってくるのだから、ビッテンフェルトとしては勘違いしない方が土台無理という話である。
前進、力戦、敢闘、奮励。彼の辞書に撤退や後退の文字はない。幾夜の先、振り絞った勇気の果てに、彼は彼女との逢引の権利を手にしたのである。
話を聞いたミッターマイヤーは、よく頑張ったな……とばかりに優しい笑みを僚友へ向けたが、ロイエンタールは女ひとり誘うのに数ヶ月かかっているその奥出さにドン引きした。百戦錬磨の漁色家の彼なら並みの女性1人、一晩でベッドへエスコートしただろうことは想像に難くない。
「そ、それで相談なのだがな、その、婦女子とは、一体どこへ連れていけば喜ぶのだ?」
「とりあえず色街だな」
「ロイエンタールの大ばか野郎」
「冗談だ、そう怒るなミッターマイヤー」
「ミッターマイヤーの前に、卿はまずおれに謝れ」
こっちは真剣に悩んでいるのだぞ!とビッテンフェルトは喚くが、最早まともに彼の話を聞いてる者はこのテーブルにいなかったし、ミュラーやルッツ、ワーレンはこの前あのオーベルシュタインが犬の散歩をしていたというマジでどうでもいい話に花を咲かせていた。貴様らもう本気で帰れ。
「しかし彼女がどのような為人なのかわからなければアドバイスのしようもないだろう」
ピアノ弾きということしかわからないぞ、とミッターマイヤーが正論を言うので、ビッテンフェルトは最早思い出そうとしなくても思い出せる彼女の姿を頭に浮かばせた。
「彼女はミッターマイヤーより小柄で、」
「今おれと比べる必要があったか?ん?」
「小枝のように手足が細く、」
「流石にそれは折れるだろう」
「笑った顔が愛らしく可憐で麗しいのだ」
「なるほど、なにもわからんな」
「客観的な報告もろくにできないとは無能か?幼年学校からやり直せ」
「殴るぞ」
ビッテンフェルトの言葉はすべてが主観的すぎた。恋とは盲目だ。フィルターがかかってしまえばあばたもえくぼとなる。そんな非難轟々のビッテンフェルトを尻目に、早々に恋バナから離脱した3人は相変わらず犬の話をしていた。
「しかし犬というのは人の本質を見抜くものなのではなかったのか?」
「犬にだって色々いるだろうよ、1匹や2匹、軍務尚書の意地の悪さに気がつかない奴だっているだろう」
「とはいえ自ら散歩させるとは案外可愛がられてるのだな、その犬は」
「いつまで犬の話をしとるんだ、卿らは!」
ビッテンフェルトは耐えかねてテーブルに拳を打ち付けた。それに対して、先程ルッツに水だと騙されてジントニックを一息に飲み干したミュラーが慌てて弁解した。
「落ち着いてください、提督。聞いてましたよ、小枝の君は鶏肉のササミが好きなんですよね」
「おい、真の無能がここにいるぞ」
「女性関係も鉄壁の卿は静かにしていろ」
「よもや下半身も鉄壁じゃあるまいな」
「えーーん!」
「泣くなミュラー、ほら水を飲め」
「ルッツ、ジントニックをミュラーに渡すな」
建設的とは程遠い会話の果て、その夜集まった6人中3人が泥酔のまま嘔吐し、地上車に詰め込まれて帰りを待つ人の無い官舎へドナドナされていった。
「卿らは戦場以外ではマジで無能だな」と吐き捨てたのはいったい誰だったか。
結果的になんの有力な情報も得られないままビッテンフェルトは週末のデートに挑む羽目になったのである。彼は相談に乗ってくれた僚友たちが手酷く女に振られることを心から願った。ワーレンはなにも無いところで派手めに転んで欲しいし、ミッターマイヤーは奥方にめちゃくちゃ叱られるとかして欲しい、頼むから、3マルクくらいあげるから。
さて、なんだかんだ週末のデートで勝利を手にし凱歌と共に帰還したビッテンフェルトに多数のブーイングが上がったり、小鹿の君が主観ではなく客観的に見ても可憐であったことを知った独身連中が「猪に真珠」「ちょっと待て話が違うだろう」「卿がおれより先に結婚するのとかほんとに無理」と喚いたのはまた別の話である。とっぴんぱらりのぷぅ。
(2019.8.15)